オアシス

無事にお家に帰れることになりました。

退院が決まった時、嬉しくて色んな人に言いたくなった。みんなに電話しようかと思ったんだけど、やめた。

浮かれすぎてて、ちょっと恥ずかしくなったからだ。

テレホンカードが何枚か入った財布を握りしめて、公衆電話をにらめっこしていたら不意に背中に声がかかった。

「精市くん、お電話きてるわよ」

ナースステーションから顔見知りの看護師さんが手招きしている。

期待と動揺が入り混じる中、小走りで向かうと「まだ無理しないで」と心配されるように叱られた。

「ごめんなさい。誰から?」

「いつもの子よ。はい」

いつもの子。

いつも電話をしてくる男の子。

そういう認識なんだろうな。でも初めて病院に電話してきた時、声と雰囲気でとても俺と同い年とは思われなかったらしく、先生か親戚の人だと勘違いされてたっけ。

あいつ声変わり早かったからなあ。

あと口調も勘違いされる原因だろう。

「もしもし?」

「もしもし……幸村か?」

「うん、真田?」

「ああ。退院が決まったと、幸村の母上から聞いたぞ」

「え? 母さんから聞いたの?」

「先程、電話があったのだ」

「嘘、なんだよ……」

母さん、なんで父さんより先に真田に伝えてんだよ。

「嘘では無い。ちゃんと幸村の母上の口から聞いた」

「違うって、そういうことじゃないけど。あ~……もう別にいいけどさ」

「どうした?」

「いや、別に……いいんだ」

「何を気にしてるのかは知らんが、良かったな」

「ん? ……うん」

「おめでとう」

「うん、ありがと」

「すぐに学校には来れそうか?」

「いや、退院して1週間くらいは様子見て、それからかな」

「そうか、皆心待ちにしているぞ」

「みんなにも伝えたの?」

「伝えたも何も、電話があったのは先程だと言っただろう。部活中に電話があったのだ」

「………」

危なかった。やっぱり恥かく所だったんだ。電話しなくて正解だ。

「丸井や赤也は祝いをするとか何とか言っていたな」

「ほんとう? それは嬉しいな」

「単に理由をつけて騒ぎたいだけだろう、あいつ等は」

「いいじゃないか、嬉しいよ。それに最近は、大分厳しくしてたんじゃないの?」

「……幸村程では無い」

「そう? 仁王がぼやいてたよ」

『幸村がいないと、容赦が無い。一人空回りしとる』って。俺が居ない所為だけじゃないとは思うけど。

「仁王が何だって?」

「それはいいじゃないか」

「む、しかしだな……」

「いいから。……真田、あのさ」

「何だ?」

「大変……だったと思う。苦労かけた、……」

「…………」

「……ありがとう」

「礼など……」

「もう大丈夫、だから」

「うむ」

「やっと、一緒に戦えるな」

「そうだな」

「中学最後の夏だ、絶対に悔いは残したくない」

「うむ」

「俺は守り通したい」

「ああ。幸村も揃った立海はきっと、」

「今までで一番強い?」

「そうだ、歴代の中で一番だ」

強い声が染み入る。なんて迷いの無い真っ直ぐな声。俺はその声に安心していることに気が付いた。

「それに幸村がいれば……俺はもっと強くなれる」

「……え?」

「知らぬ間にお前が心の支えになるほど、必要な存在になっていた。だから、幸村がそばにいてくれたら、俺はもっと強くなる」

「あの……真田?」

「幸村が帰ってきてくれることを一番待っていたのは俺なのかもしれぬ。だから、本当に嬉しいんだ」

「あ……ああ。あの……あのさ、真田……」

「二度と負けはしない。幸村、お前に誓う」

「うん……」

「幸村、」

「ん?」

「お前が好きだ」

「……うん」

それは知っている。

「お前が好きだ、幸村。あい……あ……あ、愛してる! それだけだ!」

「あ!」

返事を待たずして、その電話は一方的に切られた。耳元には無機質な電子音が絶え間なく鳴り続いている。

「………ええ……?」

普段なら言うことは無いだろうという数々の告白にまだ頭は混乱していた。

大体、あんなくさい長台詞を言うなんて真田らしくもない。あんなに喋るやつだった?

「精市くん、お電話終わった? ……どうしたの?」

「えっ? いや、あの……」

俺は上がってしまう口角を手のひらで隠して、受話器を静かにおいた。明らかに様子がおかしい俺を、訝しげな目で看護師さんは見つめてくる。

「顔が赤いわ、無理してない? 大丈夫?」

「平気です! すみません、ありがとうございましたっ!」

顔を隠して、小走りでナースステーションをあとにする。何度も注意されても走らずには居られない。

なんて攻撃力のある告白。

見事に俺を倒してくれた。

なんて馬鹿なんだろう。誰にも見られないように下を向いて、顔を隠して、部屋にたどり着く頃には息が上がっていた。それは走ったからじゃない。

倒れ込むようにベッドにダイブすると、軽く汗をかいていたことにやっと気が付いた。手のひらにじんわりと滲む。

今なら、誰にも負けないのに。誰にだって勝ってみせるのに。

どうしよう。

どうしたらいい。

困る。

なんで。

どうしよう。

真田が好きだ!!