二週間
互いを意識し合うようになってから、合宿所での生活の中。特に約束をせずとも、自然といつの間にか近くにいるようになっていた。
そんな晩秋の頃。
「シーツ洗い立てだ」
持ち主の性格を表すかのようにきちんと整えられたベッドに腰かけて、リョーマは呟いた。
そのまま体を倒すと、洗剤の優しい香りがほのかに漂った。
「徳川さん、これも自分で洗濯してるんでしょ?」
「合宿所では基本的に自分のことは自分でやる決まりだろう」
デスクに向かっている徳川は背を向けたままだ。模範生の回答は、淡々とした口調で放たれる。
「何か……横になったら俺寝そう」
学校の部活の練習量より多い上に、朝も早い。夕食までの自由時間は、眠気に襲われる。
「寝るなよ。ここで眠ったら俺が君を部屋までかるって運ぶぞ」
ぼやける頭の中でも想像は容易い。
リョーマを背負った徳川が二階まで歩いて行く様を、他の中学生らが何事かという目で見るのだ。
先輩達はきっと笑うだろう。
「それは……嫌っすね」
ベッドに沈み込んだ両腕を伸ばす、するとあくびがひとつ出た。心地よい疲労感の為か、身体はいうことを聞いてくれない。
「なら起きるんだな」
「ん……じゃあ起こしてよ」
それまで徳川の返答は間を置くことなく返されていた。ここで初めて数秒の沈黙があった。
椅子が軋む音がし、薄目を開けたリョーマの視界に影が落ちる。
「……仕方ないな」
リョーマを見下ろしている徳川が小さく口に出していた。
伸びた前髪が徳川の顔を見えづらくしている。ベッドに膝をついて、リョーマの体ごと起こしてやろうと徳川が屈んだ瞬間。
徳川の襟を掴んだリョーマは、掠め取るように彼の唇に自らのを軽く触れさせた。瞬きよりも早く短く、ごく僅かな間の出来事だった。
「……君は……! この部屋でこんなことするんじゃない……!」
自分の行動ひとつで相手の顔色がこんなにも変化するのは、とても面白いものだとリョーマは思う。
普段、冷静で感情表現の起伏がない人間だからこそだ。
「嫌だった?」
「そうとは言っていない」
「じゃあいいじゃん」
見上げて訊いてみると、ふいに視線は外される。これ以上感情を乱されたくないという徳川の気持ちの表れだった。
「そういう問題ではないだろう。それに……この体勢は」
「何?」
客観的に見れば、ベッドに横になっているリョーマに、徳川が上から覆いかぶさっている状態だ。
要は彼がリョーマを押し倒しているようにしか見えないのだ。
「よそ見してると……、隙だらけだよ」
目の前にある徳川の顔を掴むと、リョーマは先ほどより深く唇を合わせた。油断しきっていた唇は開かれて、男の口の中に少年の舌がねじ込まれる。
舌戯そのものは稚拙であった。育ちきっていない小さな舌先が、深く求めようとして口内を躊躇わずに進んでいく。
「ん……んんっ、……く」
いくら初めてではないと言っても、不慣れなものは不慣れであった。それに唐突に始まってしまったので、徳川は何の覚悟もしていなかった。
ちゅ、ちゅ、とリップ音が立てられて、それも興奮材料になってしまう。我欲が理性を殺してしまう前に徳川は振り切らねばならなかった。
「越前君……! いい加減に……!」
「へへっ、声出たね、徳川さん」
自制する男を前にして少年は余裕の表情だった。指先が男の頬を撫でた時。
「おい、誰かいるか?」
「あ!」
「え!?」
唐突に一〇二号室のドアは開かれた。
「な……お前ら、何してる」
「ち、違います! これは……!」
ドアを開けたのは鬼であった。その視線は真っすぐに徳川とリョーマに向けられていた。
「あのなあ……寮部屋ではやめておけよ、お前ら」
「鬼さん! 違います! 俺が襲われているんです!」
「え……ええ?」
「そうだよ。このヒトにそんな度胸無いって知ってるでしょ」
流石に面食らった鬼であったが、後ろ手で扉をしめる。そして二人を窘める。徳川はその場から退くより鬼への弁解が先であった。
この中で一番落ち着いていたのがリョーマだった。鬼や入江なら、徳川とのそういったやりとりを見られても大丈夫だと信用しているからだった。
「度胸というか、確かに徳川は所構わずするような奴ではないだろうが……徳川、越前に襲われているのか?」
「いや、その……それも正確には違うと言いますか。何て言ったらいいのか」
崖の上のコートから帰ってきたリョーマを徳川が一目置くようになってから、急激に仲を縮めていったのを鬼は知っている。
だからと言って、友の艶事には遭遇したくはない。
「越前、あんまりいじめてやるなよ。見て分かるようにこいつはとんと奥手なんだからな」
「言われなくても分かってるっす」
リョーマは鬼からの忠告を寝ころびながら返事をしている。徳川はなんだか頭痛がしてきた。
「鬼さん! 何か用事があって来たんですよね!」
「ああ、すまんな。俺のノート、お前か入江の所に紛れてないか? ちょっと探してくれ」
「はい。……ほら、もう越前くんも起きてくれ」
「はーい」
いつまでも危うい体勢でいられなかった。リョーマの腕を引いて徳川は起こしてやると、すぐに鬼のノートを探しに行ってしまった。
――そっちが襲うつもりないんだったら、やっぱり俺から襲ってやろ
下心の思念は、徳川の背中に突き刺さるほどだった。徳川に悪い予感がよぎる。
こんな予感は冴えなくていいと思うものほど、それは現実に近い予感であった。