LIFE/ALIVE!

                 
1.俺はカヅキ、パパ? ママ? にな〜る! 


2.パパは高校一年!?          


3.新・仁科家             


4.大切なおくりもの          




1.俺はカヅキ、パパ? ママ? にな〜る!


 速水ヒロは絶好調だった。
今、彼がプリズムスタァとして活躍した数年の中で、最盛を誇るほどの力が発揮されているのは、間違いないだろう。
 若さ、実力、運、タイミング、星の巡り合せ、健康状態、体内環境、私生活、動物占い、エトセトラエトセトラ……ヒロの何もかもがプリズムの女神に微笑まれ、いや、もうむしろ女神は常時大爆笑状態だった。そんな喩をされるほど、ヒロは最高のコンディションで、キングカップに向け準備していた。
 ――プリズムキングカップ、四年に一度行われる男子プリズムスタァにとって最高にして最大の祭典。プリズムショーを行う男子ならば誰もが憧れるキングの称号、頂点の証。全世界のスタァ達が切磋琢磨し、輝く汗をちりばめながら、競い合い、トップを目指す。
「これは、そのキングカップを目前に控えた、『俺』とアイツと、不思議なあの子達との一か月間の出来事だ。」


 遡る事、二週間前。成田空港。
人目を避けるように簡単な変装をした長身の青年が、一人帰国していた。
 青年は長く伸ばした髪を後ろで結び、やや不似合なニット帽を目深に被っている。黒のロングコートを身に纏い、荷物はスーツケースのみだ。彼は空港からそのままタクシーで渋谷に向かった。
 時刻は夜十時を回った頃だと、タクシーのラジオが告げる。電源を切ったままだった携帯をしばらくぶりに起動させると、メールが数件サーバから送られてきた。そのほとんどが仕事に関する内容だったので、青年はざっと目を通すだけにしておいた。こちらから何も連絡はしていないのだ。誰も自分の帰りを知る筈はない。寂しさもあるのだが、どこか胸が高鳴る。
 自分を待っている人々の驚く顔を想像するだけで、コウジの唇は思わず弧を描いてしまう。

 駅前で車を降りると、そこからは徒歩で向かった。アスファルトに当たるスーツケースのタイヤがガラガラと鳴り、夜の街に響く。通いなれた道を曲がれば、懐かしいアパートが見えてきた。約束の部屋には明かりが灯されていて、まるでコウジを待っていてくれたかのように、眩しく迎えてくれる。どんなスポットライトも、この温かい光には勝てやしないだろう。
 コウジはなるべく音を立てないようにして階段を昇った。そして扉の前で息を整える。深呼吸の後、木製のドアをノックした。
 部屋の中から聞こえてきていた話し声が突如、止んだ。
 そして、慌ただしく玄関に突進してくる二人分の足音が鳴る。扉一枚を隔てた向こう側で、足音が止まり、ドアは勢いよく開かれた。
「ただいま、ヒロ! カヅキ!」
 帽子を脱ぎ、変わらぬ笑顔でコウジが挨拶をすると、ヒロは目を開けたまま真後ろに倒れ込み、すぐそばにいたカヅキに抱えられた。
 そのおかげで怪我をせずに済んだのだった。


 予定より早く仕事を終えた――否、終わらせたとも言う――コウジは緊急帰国していた。ヒロは散々、帰ってくる前には連絡を入れろと言ったのに、とコウジを責め、カヅキにも愚痴を漏らした。 しかし、その表情はとろけそうな程の極上の甘い笑みだったのでまるで説得力が無かった。
 ローズパーティー後、ヒロは誰が見ても酷い落ち込み様を晒していた。だが、コウジの帰国後、今度は内側から溢れんばかりのエネルギーを放つオーラを身に着けて誰彼かまわず笑顔を振りまくようになった。
 マスコミや世間、当然ファンにすらコウジが帰国したことは発表されておらず、ごく近しい関係者と身内以外には漏らしてはいけない情報だった。だが、あからさまなヒロの変化とアイドル魂の復活に、何かを察するものは少なくはないようで、コウジが帰ってきていることがばれるのは時間の問題だろう。
 精神が安定したヒロは、心身ともに健康を取り戻していった。そして、さらなる飛躍とステップアップをし、それまで以上のの実力をめきめきつけ始めていた。
それはまさに、かつてのプリズムクイーン、天羽ジュネを彷彿とさせる無限のプリズムの煌めきだった。

 一方で、カヅキは軽いスランプに陥っていた。以前から悩んでいた、自分の方向性に関して思考の迷路は複雑化していた。
 迷いや苦しみは、そのままプリズムジャンプに反映されてしまう。共にレッスンを受けるエーデルローズ生、とりわけタイガは人一倍の不安を募らせていく。
 普段なら難なく飛べるはずのファーストジャンプですら、高さや回転が足りず、技として成立しなかった。ブレードはリンクを滑っていく。以前起きたプリズムの煌めきが減少していた状態とは違う。明らかなカヅキ自身の失敗だった。
「カヅキさん。最近ますます腑抜けてるんじゃないんですか?」
 同じリンクで練習を行っていたタイガは内心とは裏腹に食ってかかるように言う。
「……ん、そうかもな」
 三つ年下のタイガに対して、カヅキはいつも冷静に応じていた。どんなにきつい物言いをされても、それがタイガの心情の裏返しなのだと知っているからだ。自分に心酔しきっている後輩を可愛く思っている。多少、思い込みが激しすぎるのではないかとカヅキは困ることもあるのだが、タイガを無下には出来ないし、するつもりも無かった。
「このままだと、速水さん……速水ヒロがキングになる。それでいいんですか!?」
「確かに今のヒロは無敵、かもな」
 天性の才能と類いまれなる努力で伸し上がってきたヒロに、運命が味方したのならば、向かうところ敵なし、だ。
「悔しくないんですか!?」
 タイガは、カヅキの情熱を呼び起こそうと必死になっている。あまりにも健気で、煽られているカヅキの方が切なくなる程だ。
「俺はヒロにも、勿論タイガにも、他のプリズムスタァ達にも、負けを認めたわけじゃないぜ」
「だったら!」
「理由は、俺の中にあるんだ……。それを俺が自分で解決しなくちゃな」
 カヅキはタイガに微笑みかけ、いつものように彼の肩を叩いて、リンクを出て行った。背中を見送るタイガの恨めしそうな視線が張り付いて、なかなか離れなかった。

 不調、そしてスランプの本当の理由はカヅキの秘密にあった。
 敵対勢力である?シュワルツローズ?の一軍( プリミア)、大和アレクサンダーと交際を始めたことだ。無論、付き合い自体がカヅキに悪影響を齎しているわけではない。問題は、その事実を他の誰にも言えない、仲間に隠し事をしている、という状態がカヅキに多大なるストレスを与えている。それが重大な要因であった。
「い、言いたい……ッ!」
 今の自分なら?涼野いと?の気持ちが痛い程よく分かる。いつかコウジは、秘密の恋はいいものだと妖艶に含み笑いをして言っていたが、表裏の使い分けをしないカヅキにとってはただただ苦痛な重荷でしかない。
 大っぴらに公表なんてしなくてもいいから、せめて自分の親友たちだけには告げられないものだろうか……。
 コウジも帰ってきたことだし、またとない良い機会ではないだろうか?
思い立ったら吉日、即行動。カヅキはひとまず自宅に、問題の張本人であるアレクサンダーを呼び出した。
 大概、約束の時間は守られない。彼にも仕事があり、学業とシュワルツローズでのレッスンも一日のスケジュールに組み込まれている。もしかしなくても、今のカヅキより忙しい身なのだろう。そこは十分に承知している。
 そんな貴重なプライベートの時間を割いてでも、会いに来てくれるのだ。カヅキは改めて考えると、頬が熱くなってきた。
途端、家のインターホンが鳴る。来客した相手を確認し、カヅキは出迎えた。
 相変わらずの仏頂面をしたアレクサンダーは、部屋に入るなり、挨拶もなしに、「何の用だ」 とだけ尋ねる。
「う〜……、あのさ、えっと」
 いきなり本題に入るのは、流石に気が引けた。気恥ずかしいのだ。
「焦れったい態度だな、仁科。てめえらしくもねえ」
 出会ってしばらくは、『仁科カヅキ』とフルネームでずっと呼ばれていたのだが、深い関係になってからは、彼の中で呼び名は『仁科』に決まったようだ。
 百九十センチほどの上背に、筋骨隆々とした立派な体躯。学生服を着ていなければ、とてもじゃないが十代には見えない。それほどに大人びたルックスをしているアレクサンダーを、カヅキは始め自分と同じ年だと思った。――それでもかなり無理があると考えていたのだが――
 付き合うようになってから、アレクサンダーはカヅキより二つも年下の後輩なのだと判明した。そうと知れば、初対面時の不遜な態度も、仁科と呼び捨てられることも、何ら不思議ではなかった。あれはあれで、アレクサンダーにある幼さの表れだったのだろう。
それでも、カヅキはそれまでの態度を改めることはしなかった。カヅキは年齢で人を区別しない。ストリートの仲間や、町内の様々な人と関わってきた。故に、年上だから、年下だからという決めつけはしない価値観を持っている。
「コウジが帰国してるって噂、知ってるか?」
「ああ。その話ならうちの学校にも、流れてきてる」
「やっぱり? そりゃあ、そうだよなぁ。渡米する際にあれだけ騒がれたもんな。キングカップのエントリーがテレビとネットで同時に公開されるみたいなんだけど、そこでコウジが帰国したって大々的に発表する……って氷室主宰は計画してるらしい」
「ふうん」
 アレクサンダーはあまり興味なさそうにカヅキの話を聞き流している。一階のリビングにあるソファーに横並びで座りながら、会話が続く。
「ネットでもコウジの目撃情報も出てるもんな……。氷室主宰、マスコミ関係、ちょっと弱い所あるからなァ」
「そんな内輪情報、俺に話していいのか?」
「ン? 何だよ。大和、もしかして心配してくれてんのか?」
 カヅキは少々前のめりになって、アレクサンダーの横顔を覗いた。切れ長の目が、ちらとカヅキを視界に入れ、また正面を向いた。
「ちげえよ」
「そりゃ、一応、表舞台では俺と大和は、対立関係ってことだけど……今はさ」
 深くソファーの座面に腰掛け直しながらカヅキは言う。
「今は?」
 促すようにアレクサンダーが続きを急かす。
「ここに俺たち以外、他に誰がいるわけでもねえし……」
「つまり?」
 いつのまにか体ごとカヅキの方へ向けていたアレクサンダーが意味ありげに唇を歪めて、問いかけ続けている。
「あ……ッ! おま、……その顔! ズリぃな! 判ってて俺に言わせようとしてんだろ!」
 アレクサンダーの意図を見抜いたカヅキは肩口を叩きながら、文句をぶつける。
「さあな。俺はまだガキだから、大人の仁科サンの考えてることなんて、皆目見当もつきませんね?」
「こんな時ばっか、都合良く年下ぶりやがって!」
 わざとらしく丁寧口調でからかわれたカヅキは、眉を寄せて睨む。
 ストリート系というジャンルに分類される少年少女は、男女問わず、どうにも恋愛感情に於いて照れが生じやすく、馴染みのない振る舞いに戸惑い、素直になれないタイプの人間が多い。いわゆる硬派だ。カヅキやアレクサンダーも、その部類に属している。
 アレクサンダーがカヅキを?仁科?と呼ぶのには、彼なりの覚悟を要したことだろう。
 傍から見れば、名字で呼び合うのは距離のある関係だと思われがちだが、当人達からすれば、かなりの進展があった上での?仁科?と?大和?なのだった。
「だから……今は、その、お前は、俺の身内みたいなもんだから、話しても問題ないだろ……」
「身内……みたいなもん、か。もう少し具体的に言えよ」
「具体的って何だよ、それこそ、お前が言えばいいだろ」
 今度はカヅキの番だ。黙りこくるアレクサンダーの、たまに見せる年相応の表情はやけに可愛らしい。普段は大人ぶった態度で自分を見下ろしてくるあの目つきが、純粋な高校生の面立ちに変わる。カヅキはその瞬間、移り変わっていく様のアレクサンダーの顔が気に入っていた。
「なあ、どうなんだよ。俺たちって、何?」
 自分でもいつどこでスイッチが切り替わるのか分からなかった。
二年間のアイドルとしての活動で得たものがある。それは、積極的に行動していく男らしさだ。事、恋愛においての積極性はほぼ零に等しかったカヅキが、例え疑似であっても、女性、自分に好意を向けている者に対してのあしらい方、接し方を学んできた。
おどおどしたり、恥ずかしがっていると主導権を握られて、ますます追い詰められてしまうというのも、Over The Rainbowのメンバー内でも体験済みだ。だったら、自分が攻めて攻めて、攻めまくれば、ペースは乱されないし、無駄に赤面せずに済む。
 幸い、二人とも座っているから身長差も問題ではない。
「な? 大和……?」
 そのままカヅキは自分が優位なのだと思い込んでいて、大胆にもアレクサンダーの腿に跨っていた。張りのある太ももは、着衣であれど、布の下の筋肉量が知れる。
「どうって、こういう事……だろ」
「あっ! ひゃッ!?」
 制服のシャツを引き抜かれて、無防備な背中に手が入れられた。油断しきっていた喉から、艶めいた声が上がって、カヅキは目を丸くした。
「う……ッ! や、やめ……ろって!」
「お前から誘ってきたんだろ……?」
 がっちりと腰回りを固定されてしまい、カヅキはアレクサンダーの腿の上であたふたと身を捩った。
「ち、違う! こういうことする為じゃない!」
 カヅキは、目の前にある牙を光らせているアレクサンダーの口を両手で覆って、出来る限り身体を離した。
「ん、んぐ、ンぐ、……」
 塞がれた口でアレクサンダーが抗議している。くすぐったさに耐えかねて、カヅキは手を緩めてしまった。
「お前が訊いてきたんじゃねえか。俺たちがどういう関係なのかって」
「そ、そうだけど……! ひえッ! ンッ!」
 腰を触れていた手がぞろぞろと這い上がり、産毛をなぞる。望んでいなくても、瞳が潤む。息も切れ切れになった。カヅキは吐息の荒さを恥じて、自らの片手で口元を隠した。
「一番、手っ取り早いだろ……?」
 違う、の一言が出せず、カヅキはアレクサンダーの問いかけにひたすら首を横に振る。
「ふ……ッン……ゥ」
 器用な唇がカヅキのシャツのボタンを外しにかかる。プチン、と音を立てて、シャツの第二ボタンが取れた。アレクサンダーの息が直接、生の肌にかかった。
「ま……」
 そのまま雰囲気に流されて、カヅキはアレクサンダーの腕の中に落ちそうだった。必死に理性を叩いて起こし、カヅキは本来の自分を取り戻して、歯を食いしばった。
「まだ早い!!」
 アレクサンダーの耳朶を引っ張って、叱りつけるような声色で叫んでいた。
 そうだ。まだ早い。出会って半年足らず、付き合って数か月。こんな行為は早過ぎる。
「テ……テメェ、仁科ァ……まだそんな事言うのかッ!」
 余程、カヅキの大声が耳に響いたのだろう。引きつった表情で耳を押さえたアレクサンダーがこめかみに青筋を立てている。
「だ、ダメだったらダメ! 俺たちには、こんなことまだ早い! 絶対、絶対、ダメだ!」
「うるせえ! 女子供じゃあるまいし!」
「なっ……! こういう事に、男も女も関係ないだろ! そんな簡単にやっていいことじゃない! それとも、大和は、俺のこと」
 言いかけてカヅキは語気を鎮めていった。こんな女々しい問答をしたって仕様がないだろうと思った。頭の芯が急激に冷やされて、暗い思想がよぎった。
「……ッ!」
「やめろ」
 背中に回ったアレクサンダーの両手が、強めにカヅキの背を押して、胸の中に入れられた。
「はあー……」
 長く、思いつめたような溜息が注がれた。カヅキもつられて鼻から息を吐いた。
「……ッたく、俺は喧嘩しに来たんじゃねえんだよ。……調子狂うな、本当」
 自分でもおかしいと思うのだが、カヅキはアレクサンダーにこうして、力強く抱き留められると、ひどく安心してしまう。肌に直接触れられ、求められると狼狽えてしまう癖に、その相手の腕の中で安らぐのは、矛盾していると思われるだろう。自覚はあるのだが、そう感じている気持ちに嘘はないので、受け入れるしかない。
「ただヤりてえだけなら、誰が好き好んでわざわざお前なんか選ぶかよ」
「身も蓋もねえ言い方……」
 カヅキは顔を上げて苦笑してみせると、また元の不機嫌そうなアレクサンダーの表情があった。曲がった唇は少年らしさが若干残っていて、彫りの深い目鼻は異国の血を感じさせる。
「仁科カヅキ、だからだ」
「……ン?」
 真正面から名前を呼ばれると、心臓が跳ねた。何でもないような振りをして返事をしてみせたが、抱きしめあっていれば、疾うに心音は伝わってしまっているだろう。
「俺が欲しいのは、お前だけだ」
「……お、おう」
 頷きながらなるべく低い声で答えてみた。カヅキは、すっかりアレクサンダーのペースに巻き込まれてしまったのだと、返事をしてから気が付いた。
 攻めて、攻めて攻める所か、自分がうまく相手に包み込まれてしまった。今日もまたカヅキの作戦は失敗してしまった。
「俺の気持ちが分かるなら、拒むなよ」
 アレクサンダーは大人しくなったカヅキの頬に触れて、そのまま唇を近づけていった。――のだが、寸前になって、カヅキはアレクサンダーと自分の唇の間に手の平を挟み込んだ。
「それとこれとは、別の話だッ!」
「ふざけんなよ……おい、そこはそのまま目を閉じてろよ……ッ」
「無理なもんは無理なんだってば!」
 結局、このような押し問答を繰り返してばかりで、カヅキはアレクサンダーを呼び出した訳をすっかり忘れ、じゃれあいに興じてしまったのだった。


 口げんかをしながらも、夕食を共にし、仁科家での夜の時間は過ぎていった。
「帰る」
 唐突にアレクサンダーはそう宣言し、立ち上がった。一体何の用で、呼び出したのか、カヅキは今になってようやく思い出した。
「待った!」
「ンだよ?」
 半ばキレ気味に振り返ったアレクサンダーが、袖を引くカヅキを見下ろす。
「わざわざ呼んでおいて、用件忘れるなんて、俺も悪いよな。ごめん」
 玄関へ至る廊下で、二人は向かい合ったまま話している。暖房の風が届かないこの場所は、少し冷えていた。
「俺な、……ずっと言いたくて仕方なかったんだ」
「何を?」
「ヒロとコウジに、大和のこと」
「ああ? どういうことだ」
 シャツの袖を握っていたカヅキの手が、徐々に下り、アレクサンダーの手首を持った。アレクサンダーは手首を返して、カヅキの手を取る。握手をするような形で二人は手を繋いだ。
「大和は、今やシュワルツローズを代表するプリズムスタァだ。ヒロもコウジも、お前を知ってる。でも、きっと名前やどんなプリズムショーをするかってことくらいで、ただの大和アレクサンダーのことは知らない。ましてや、俺との間にあったことも、二人は何にも知らないと思う」
「だろうな」
 アレクサンダーもまた、他の誰にもカヅキとの付き合いを話していない。その必要がないとアレクサンダーは思っているからだ。
「二人は、大事な仲間で、俺のかけがえのない親友なんだ。だから二人に大和とのことを黙っているのは、……嫌なんだ」
「言ってどうなる? どんな態度を取られるか、想像がつくのか?」
 後ろめたいという気持ちがアレクサンダーにもあるのだろうか。カヅキは、握った手に少しだけ力を加えた。
「正直、分からない。不安、かもしれない。でも、このまま言えないでいるほうが、きっと辛い」
「どう説明するつもりでいるんだ」
 カヅキが与えた分だけ、アレクサンダーは力を返してくる。心地よい体温が伝わってきた。
「大和は、俺の人生にとって大切なパートナー、だって」
「……あ、ああ!?」
 予想外のカヅキの答えに、アレクサンダーは声が裏返った。カヅキはきょとんとして、アレクサンダーの反応に逆に驚いている。
「俺、変なこと言ったか? 俺は大和のこと、そう……思ってたんだけど」
「い、いや……間違っちゃ、いねえ……のか?」
 アレクサンダーも混乱していた。付き合うとは、交際とは、行き着く先は確かにその意味合いを含むのだろう。しかし健全な高校生同士の付き合いで、そこまでの重責を課さられるものだろうか。
「ヒロにとってのコウジや、コウジにとってのヒロがいるように。俺にはお前が必要で、大事なんだ。大和と同じくらい大事な人たちに、知らせたい。二人には言っておきたいんだ」
「本気かよ」
「俺はお前に嘘はつかない」
「……知ってる」
 側に立ち、正面に向き合うと、カヅキは首を上げる。珍しく自信の無さそうな目でアレクサンダーはカヅキを見ていた。
「いいのか?」
 これまでは二人きりの問題であって、二人だけの世界だった。他人に知らせるということは、今までとは関係も変わってしまうかもしれないし、他者のカヅキやアレクサンダーへの意識も変わるだろう。男同士、加えて敵同士だ。反対されない理由のほうが少ないくらいだ。
「いいんだ」
 一呼吸おいてから、カヅキは頬を緩ませて清らかに笑んだ。ショーの最中にするものでも、仲間達に向ける笑顔とも違っていた。誰も知る事のない仁科カヅキの素顔があった。
「大和こそ、いいのか?」
「ああ」
 躊躇いも悩む間もなくアレクサンダーは頷いていた。カヅキがそう選んだのなら、構いはしなかった。
「良かった」
 嬉しさがこみ上げてきて、カヅキは額をアレクサンダーの胸板にこすりつけた。そのまま腕を背中に回すと、アレクサンダーはカヅキを抱き返した。痛みも悩みも迷いも、苦しみも悲しみも、こうしていれば、薄らいでいく。
 ずっと昔、同じように与えられていた愛があったと、カヅキは記憶の底にたどり着いていた。



「え? 付き合ってる?」
 素っ頓狂な声を上げてから、ヒロは手にしたジュースを一口飲んだ。
 意を決してから、翌日。カヅキはエーデルローズの応接間を借りて、ヒロとコウジを呼び出していた。
「わざわざ、それを言うために、僕たちをここへ?」
 カヅキは赤面する頬を擦ったり叩いたりしながら、どうにかこうにか二人に伝えたのだった。コウジの問いかけには、ひたすら首を縦に振った。
「なーんだ……」
「びっくりしたあ」
 カヅキは渾身の勇気を振り絞って、二人に告白したのだが、想像とは違い、あっさりとした反応をしてみせていた。
「珍しくカヅキが神妙な面持ちで、僕たち二人だけに話があるっていうから、……ねえ、ヒロ?」
「ああ、てっきりエーデルローズを辞めてシュワルツローズに移籍します! とか、そういうシリアスな展開になるとばっかり」
「えっ? いや、これも十分、重い話じゃねえか?」
 拍子抜けしたカヅキが、普段の口調になり、ヒロとコウジが座っている向かいの席に腰を下ろした。
「でも、いつ言ってくれるのかな、ってずっと待ってたから、僕は嬉しいな。今日はお祝いのご馳走でも作ろうか?」
「そうそう! もういっそのこと、こっちから聞いてみようかって思ってたくらいだったんだよ、カヅキ!」
「あ……? え……? ハイ……?」
 コウジは早速今夜のメニューを考え出したようだ。携帯を取り出して、鼻歌混じりでレシピを検索している。
「そうだ! カヅキ、大和君は何が好きかな? やっぱりお肉とか? それにしても、あの身体は凄いよね。きっと食生活にも気を遣ってるんだろうな」
「うんうん。ストリート系は、筋肉が必要な技やジャンプが多いからね。カヅキも鍛えてるほうだけど、高校一年生であのボディは、なかなかお目にかかれない! 凄い逸材だよ!」
 カヅキはすっかりコウジとヒロの会話に置いてけぼりを食らっていた。衝撃を受けるはずの二人が平然としていて、告白をしたカヅキがむしろ困惑を生じさせられていた。
「お、おい、二人とも。ちょっと待て。一体いつから、知ってた……んだ?」
「ウフフ、恋のスペシャリストは何でもお見通しだよ」
「フフッ。僕もアイドルとしてのキャリアはカヅキより長いからね。恋する瞳はすぐ感知しちゃうのさ」
 見事な連携プレーでウインクをした二人が、和やかに笑ってカヅキに視線を送る。
いつからだ? カヅキはぐるぐると頭の中を回転させて、記憶を遡っていく。
 初めてアレクサンダーと出会ったのはローズパーティー以前、夏の終わりだ。まだオバレが活動中て、コウジ、ヒロとも一日一緒にいる時間は多かった頃だ。
「カヅキのときめきはとっても分かりやすかったなあ……」
「元々、情熱家だったけど、あの時は、よりパッショナブルな気持ちを取り戻したカヅキになっていたっけ」
「お、お前ら……初めから知ってたのかよ――――――!!」
 つまり、コウジとヒロは、カヅキ自身が恋心を自覚する前から、変化を読み取り、育っていく様を黙って見守っていたのだそうだ。
 学園の外や、プライベートでアレクサンダーと過ごしている事や、両親が不在の自宅に招いていたのも把握済みで、コウジが先ほど言っていたように、いつになったら自分たちに付き合っていることを教えてくれるのかと、心待ちにしていたらしい。
 仁科の両親が二人揃ってスペインへ出張している今は、コウジとヒロは勝手にカヅキの親代わりとしての立場のつもりでいたらしい。
「両親ね。じゃあ、やっぱりコウジがお母さんかな?」
「フフッ、料理をするのが奥さんの役目とは限らないからね。家事上手な父親も多いよ」
「そっか、コウジのお母さんはキャリアウーマンだから、コウジは料理が得意になったんだもんな。うーん、それなら俺が外でバリバリ働くお母さんってポジション?」
 二人は当のカヅキを差し置いて、すっかり疑似家族の役割分担について盛り上がっている。
「ヒロも、コウジも! 知ってたなら、何で言ってくれなかったんだよ!」
 カヅキは恥ずかしさや照れを誤魔化すために、ローテーブルを叩いた。会話が止まり、室内が静まり返る。
「シークレットラブ、楽しくなかった?」
「全然! ちっとも!」
 コウジは、不思議そうに首を傾げた。
「俺たち、カヅキの口から言って欲しかったんだ。だから、二人で、いつかカヅキが自分から言ってくれるまで待とうって決めてたんだ。確かに、知ってて黙ってたのは、……あまり気分が良いものではないよね。それに関しては謝るよ。……ごめんなさい」
 ヒロは率直な男だった。綺麗な角度でお辞儀をし、真っ直ぐに謝罪を述べる。
「うん。僕も謝るよ。カヅキ、ごめんなさい」
 続いてコウジが頭を下げた。二人はとても真面目で真摯だった。
「もう、いいよ。頭上げてくれ。……俺、ホントはそんなに怒ってないんだ」
「許してくれるかい?」
「許すも何も無いだろ」
 ヒロは悪戯っぽく笑ってみせた。隣でみていたコウジも微笑む。数年前までの虚勢と嘘で固められていた偽りの姿のヒロとは、全くの別人だと、コウジは思う。十八歳にしては、幼すぎるような無邪気さがきらきらと輝いていて、失われた少年時代を、今取り戻しているのかもしれない。
「でも、カヅキが選んだ人が、あの大和君か……」
「ストリートの暴君? プリズムショーの破壊者? 凄いキャッチフレーズつけられたもんだね」
 携帯を取り出し、ヒロはアレクサンダーのニュースの載っているページを開く。
「それに、プリズムキングカップのトップ候補にも選ばれている……か」
「カヅキは、どう思う?」
 コウジが尋ねる。真剣にバトルをしたのは、二回。初めて対峙した時と、再会後だ。
「実力は、……確かだ」
「勝った?」
 ヒロが訊く。
「いいや。引き分けだ。それも、かなり俺が追い詰められた状態で」
「そう。ならいいね」
 ヒロはかけていた眼鏡を外して、テーブルに置き、それから腕を伸ばしてストレッチをした。
「新しいスタァか。俺たちもいつの間にか、追いかけられる側になってたんだね」
 応接室にあるガラスケースや壁には、氷室主宰を筆頭に、エーデルローズが輩出したプリズムトップスタァ達のトロフィーや盾、賞状が飾られている。かつては自分たちがそんな選手、スタァ達に憧れていたのだ。
今はもう憧れを抱かれる立場だ。多くの有望な後輩が次々に現れ、自分たちを目指すようになっている。
「負けられねえよな」
「ああ!」
「うん!」
 Over The Rainbowの三人はそれぞれの向かう場所、目指す先は違うかもしれない。しかし、キングカップだけは特別だ。一人一人が、ひとつの目標に目がけて、高めあえる。
 彼らだけではない。プリズムキングカップは全ての男子プリズムスタァの夢である。エーデルローズもシュワルツローズも、皆が同じゴールを目指す祭典だ。
「仲間であり、ライバルでもある。それって、最高の関係だと思わない?」
 コウジが拳を前に出した。友情の証であるブレスレットが誇らしげに手首を彩っている。
「そうだな」
 カヅキも拳を前に出して、手の甲を合わせる。続けてヒロも拳を差し出した。ライトブルー、グリーン、パープルの三色が重なり合う。
「二人と戦えるなんて、俺は幸せだよ」
「フフ、お手柔らかにね?」
「手加減なしだぜ」
 一度は分裂しかけたOver The Rainbowが、また思いをひとつにする。共に戦い、共にキングを目指すと、固く誓いを結んだ瞬間だった。
「よおっし! それじゃあ、早速練習しようぜ!」
「いいね。リンク空いてるかな?」
「他の誰かが使ってたら、一緒にレッスンすればいいよ。もっと寮生の子達とも仲良くなりたいしね」
 三人が集まれば、元気も勇気も力、生きるためのありとあらゆるエネルギーが無限にわいてくるようだった。それほどに、それぞれがそれぞれに影響し合い、互いを満たしていた。

 レッスン着に着替え、三人はエーデルローズ寮のリンクにやって来た。山田さんがきちんと整備してくれているおかげで、リンクはいつでも使用可能だ。
「誰もいないか」
「微妙な時間だしな」
「歌はどうしようか? 何かリクエストある?」
 コウジがプレイヤーのある一室の前でヒロとカヅキに声をかける。
「僕とカヅキなら……」
「BOY MEETS GIRL?」
 オーディオプレイヤーにはプリズムショーの楽曲が数万とインプットされており、曲名を入力するだけで、自動的にリンク内のスピーカーから曲が流れてくる。
 コウジが曲をセットすると、すぐにイントロが始まる。しばらくぶりに踊っていない曲でも、音楽がかかれば二人の身体が自然と動き出す。
 ヒロは相変わらず、完璧で華麗な滑りを見せる。コウジが帰ってきてから、全てが上手くいっている。プリズムの女神の加護を一身に受け、ヒロはより高みへ昇っていく。
「スタースプラッシュ!」
 幾億の星がヒロの跳躍に合わせて飛び散り、まばゆい金色の光線が放たれる。着地は、体重を感じさせない、天使の羽根のようにふわりとしたものだ。
 カヅキは体が動き始めてから、前と違う変化を感じ取っていた。胸のときめきと溢れ出しそうな思いに、腕や足、体の全てが呼応する。今の自分なら必ず飛べると確信できた。
「バーニングスプラ――ッシュ!」
 爆音と共に、カヅキの背後に炎が燃え盛る。高さも回転も、何もかもが今まで以上だった。コウジが思わず拍手する。
 つい先日まで、このジャンプすらままならかった。カヅキ自身が何より驚いていた。飛べる。跳べる! 身体が風に乗る。速さが増していく。
「シャニングスパイラル!」
ヒロが二連続ジャンプを飛んだ。リンクの上にはまた黄金色の星の輝きが、ヒロを中心にして閃光する。
「うおおおおおおッッ!!」
 カヅキは吠えた。
 それまでのプリズムショーでは味わえなかった思いがある。心に芽生えた気持ちがそのままジャンプへ昇華される。
「愛のシンフォニー!! ラムール・ド・ランジュ!!」
「カ、カヅキ!?」
「カヅキ、そのジャンプは……ッ!」
心の飛躍は空を超え、無限の宇宙へと羽ばたく。そして、星の大海から生まれるのは新たなる生命であり、それは愛の証だった。

 二度目のジャンプで、あの天羽ジュネがかつて飛んだ「ラムール・ド・ランジュ」を成功させたカヅキは、体内エネルギーをその一飛びで全て使い果たしてしまった。うまく着地は出来たが、あまりの疲労にリンクの上に膝をついてしまった。
「……ウッ……」
「カヅキ……君ってやつは……」
「どうして、あのジャンプを」
「俺にもよく分かんねえ。無我夢中で」
 ヒロが背中を支え、コウジもカヅキの元へ駆けつける。
「それに、カヅキ。この子は……」
「へ……?」
 カヅキの腕の中には、彼の生命を受け継ぎし子が産声を上げた。
「え……?」
「えっ?」
「ええ?」
 ヒロもコウジも、カヅキの腕の中でおくるみに包まれた、みどり色の頭髪をした赤ん坊の誕生に驚愕するばかりだった。


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