QUEEN of the NIGHT サンプル

1, How will I know.
2, You say sweet.
3, Sleep no more.



1,  How will I know.



「さあ、これで終わりだぜ!」
 場に風塵が舞った。アテムが声高に宣言すると、呼び出された僕は止めの光線を放ち始める。瀬人の前を護る者はいない。
 一瞬の眩しさが互いの目を眩ませ、舞い散った砂埃は視界を遮っている。
 黄金の砂粒がゆっくりと地面へ落ちてくる。瀬人が次に目を開けた先には、神々しい金光を背負った少年の影が浮かぶ。勝利に笑みを浮かべる唯一の王者の姿があった。
 ――そうだ。これが正しいんだ。
 負けが決まったばかりの男は、何故か唇を僅かに歪めて肩を震わせていた。
 アテムはデュエルディスクをオフにして、腕を下ろした。それは闘いの終わりの合図だった。向かいで膝をつく男は王者を真っ直ぐに見上げ、汚れた顔を曝している。
「オレの勝ちだ」
 アテムが外套をはたくと、地に砂が落ちていく。決闘のあるところには必ず風が吹きすさび、天は荒れる。
 決闘者が対峙をするならば嵐は必然であった。
 ややあって瀬人は立ちあがり、遅れてディスクの電源を落とした。冥界では耳につく電子音が消えれば、場は静まり返った。
 ひとたび闘いが終わると、この世界は異様なまでの静寂に包まれるのだった。
 両者の間にも沈黙が流れる。決闘の間、闘いという不可侵領域を共有している時は、瀬人は周囲が口を挟む隙もないほどに饒舌である。しかし普段は口数が少ない。
 何を考えているのか分からないと、他人には言われるのだろう。だが、アテムには不思議と男の考えが伝わってくることが多かった。
 もしかしたら、人間の根の部分が似ているのかもしれない。時折、その人自身よりも理解していると思えることもあった。それは相手も同じだっただろう。
 考えや思想が見抜かれ、不安定な意識を明確な言葉にされる。通じ合える瞬間は、アテムはいつも心地が良いと感じていた。
 その瞬間を素直に嬉しく思うのは、まったく悪くないとアテムは考える。瀬人は嫌がるのかもしれないが。
 今もアテムは手に取るように瀬人の思いを読み取っていた。
 デュエルに負けても尚楽しげであるのは、一見すれば不可解である。
『勝つまで』
『負かすまで』
 口先ではそう言いながらも、瀬人にとってはこの闘いを『終わらせないこと』が目的に変わりつつあると思えた。
 純粋な勝利よりも、「自分を負かせるまでの力を持つ相手に向かっていく」自分に、ある種の快感を覚えているのではないか。
 なら、彼はどうあがいても自分が決して上回れない存在に支配されたいのではないだろうか。抑圧され、鬱積した精神は自由な此処に在るからこそ、解放される。
 真っ直ぐに自分だけを見て、自分だけに向かい挑んでくる瀬人に、アテムは奇妙な愛おしさを持ち始めていた。
 あれほどに澄み切った眼をして、純真な情を恥ずかしげもなくぶつけてくる行為は、若さを通り越して、いとけなさを強く感じるのだった。
 頑なな瀬人は自らの欲を認めないだろう、覚えないだろう。ならば、アテムは瀬人の奥底にある願望を引き出してやりたい。この時はじめてアテム自身が己の欲に気づいたのだった。


「フフ、砂まみれだ。汗、流したほうがいいな」
 髪や体はすっかり汚れてしまっていた。口の中に、ざらりとした触感がある。瀬人は袖口で唇を拭いた。
「海馬?」
 瀬人はアテムの心境に聡い。内心アテムはやや緊張していたのだ。もう勘付かれたのだろうかと、ますます心音が高鳴ってしまう。
「着替えが無い」
「ああ、何だ」
 返答を詰まらせていた理由が、大したものではないと知ると、アテムは息を吐いた。瀬人は訝しげに見つめ返してくる。
「海馬が着られそうな服を侍女に用意させる。構わないだろう?」
「……仕方あるまい」
 珍しく疲労しているのかあっさりと承諾し、前を歩くアテムに瀬人は大人しく従っていた。


 一度慣れてしまった生活習慣を、きっぱり変えるのはなかなか難しいものである。
 武藤遊戯として現代日本社会で暮らした経験ゆえに、何でも出来る、叶う冥界――或いは霊界とも呼ばれる――でも不便に感じる場面は多々あった。アテムが総べていた時代の世界である此処では常識が違うから仕様がない。
 食事や、日々の暮らしの環境の変化はある程度は慣れたつもりであったが、風呂だけは体が覚えてしまったので、水を浴びるのみの沐浴には戻せなかった。
 今更歴史が変わるわけではないとして、アテムは此処とは異なる時代の文化を、冥界にも取り入れるようにしていた。王の権限はいくらでも使うつもりであった。
 アテムは温かい湯を大桶にはって、風呂代わりに使用していた。周りの世話係は、王の命に従うのみであるが、初めて目にした召使いや侍女たちは皆物珍しそうにしていたのだった。
 王の身を洗うのは侍女の役目であり、常に二三人の娘が側に付いている。
「別に恥ずかしがらなくてもいいだろ?」
 躊躇う素振りもなくアテムは衣を娘に取らせ、腕や足の飾りを次々と外させていく。
「貴様が構わなくとも、オレが不愉快だ!」
 瀬人は娘たちを睨みつけると、出て行くように命じてしまった。瀬人の大声に驚いた年若い娘たちは、すっかり怯えてしまい湯部屋からあっという間に一人残らず退出してしまった。
 残された瀬人とアテムは、湯気がふわふわと籠る部屋でふたりきりとなってしまった。
「オレの侍女たちに、何でそんな乱暴な物言いをするんだ」
「他人の前で服を脱げるわけがないだろう! ましてや女だ!」
「侍女は、オレに仕えるのが仕事なんだぜ。海馬の部下じゃないのに、どうしてお前が彼女たちに命令するんだ」
 出来るだけ穏やかにアテムは瀬人を責めた。それでも語気が強くなる。互いの出す気にあてられている。
「命じてなどいない。出て行けと言っただけだ」
「……世話をしてくれる者がいなくなったぜ」
「フン、赤子じゃあるまい。ひとりで風呂にも入れんのか」
 脱ぎかけの服を解きながら、アテムは腕飾りを取り、冠と耳飾りを外した。
「どうせ誰も居ないんだ。恥ずかしがる理由もないだろ? 海馬も一緒に入れよ」
 背を向けて立っていた男の前に半裸状態でアテムは視界に入り込む。瀬人には明らかな動揺が見て取れた。
「なっ……貴様……っ!」
「湯が冷めるぜ、海馬」
 コートを剥ぎ取って床に落とすと、小さく硬質な音がした。手にかけてみてアテムが知ったのは、見た目以上にコートは重く、頑丈に出来ているということだ。
 下に着こんでいるインナースーツにくっきり浮かんでいる瀬人の筋肉は、最後に目にした姿よりも随分と逞しくなっている。アテムの目の前には割れた腹筋の隆起がありありと見せつけられている。
 触れたら、硬いのだろうか。それとも案外柔らかいのだろうか。単純な興味が湧いた。
「手を離せ」
「ン?」
「脱げない」
「あ、悪い」
 コートを取った時に、掴んだ腕をアテムはそのままにしていた。数秒の間、ぼんやりと瀬人の腹を眺めてしまった。
 瀬人はヘッドセットや装備品をひとつずつ外していく。
 複雑そうな作りをした機械が、体の様々な場所に取り付けられており、形はバラバラだった。やがて、パーツが全て取り外され、ようやく男の肌が露出していく。
 日焼けとは縁遠い色白の肌は、ぞくりとするほど蒼く映っていた。冷たい印象を与える色味をしている。
「おい」
 ベルトを取る瀬人は、アテムに声をかける。
「じろじろ見るんじゃない」
「見てない」
「見ているだろうが」
「気にするなよ」
「……やりづらい」
 意識をされると、アテムもまた気恥ずかしくなった。目線を落として、数歩下がる。背を向けて、アテムは脱ぎかけていた自らの下衣に手をかけたのだ。すると、今度はアテムが視線を感じることとなった。
 べったりとした、張り付くような熱い粘つきを背中から下半身に感じ取って、そっと瀬人の様子を窺ってみた。
 気のせいではなく、瀬人は脱衣しながらアテムの後ろ姿を熱心に見つめていた。
 その目つきは、睨んでいるとも言えそうなものだった。細めた瞳が、鋭く光っている。蒼い火がちらついている。
「な……何だよ。海馬こそ、じろじろ見やがって」
「監視している」
「オレ、悪さなんてしないぜ」
「どうだかな……何か仕掛けてくるかもしれん」
 互いに言い合いながら、ひとつずつ脱いでいき、とうとう最後の一枚を残すのみとなった。
 両者共に下腹部を覆う一枚の布だけを纏っている。
「貴様から先に脱いだらどうだ」
「海馬のほうが簡単だろ。オレのは、横で結んであるんだ」
 一枚布で出来た下着の腰の側面には、小さな結び目が作られている。アテムは指先で紐の先をいじった。
「まさか、ひとりでは脱げないなどと馬鹿げた事を言うつもりじゃないだろうな?」
「そんなわけ……!」
 ない、とも言いきれなかった。考えなしに結んだ紐を片手で引いてしまい、結び目がきつくなってしまっていた。
 普段ならば侍女が全て面倒をみてくれるのだが、ここにはアテムの他は瀬人しか居ない。
 瀬人は手先が器用だ。こんな紐くらい簡単にはずせてしまうだろう。
「おい、……貴様」
 瀬人は下着一枚の姿でアテムへと近づくと、無遠慮に腰元を掴んだ。
「うわ!」
 細腰は瀬人の片手に収まってしまいそうだった。きゅっとアテムの腹筋が収縮する。ひくん、と臍が縮こまった。
「やはりな」
 左の腰紐が不自然な結び目になっていると知った瀬人は、アテムを見下ろして低く笑ってやった。
「貴様が覇気のない口調の時は、大抵何かを隠している。今回は分かり易過ぎたな」
「ち、違う……!」
「なら、自分で脱いでみせろ」
「……っ」
 紐は固くなっていて、両手で外そうにも腰の真横に位置していて難しかった。
「無理に力を入れるな。爪が痛む」
 アテムの手を退けると、瀬人はいくらもかからず簡単に紐を解いてしまった。片側が取れるとついでに反対側も解いてしまい、布は引かれて、アテムの肌を隠していたものは無くなった。
 無毛の地帯は、つるりとしていて、肌はうるうると艶めいている。
 他人の性器をまじまじと鑑賞する趣味はない瀬人でも、しばらくは目に入れてしまっていた。物珍しいだけだ、不快ではないと、瀬人は思ったのだろう。
「海馬も脱げよ!」
 ひとりだけ全裸になってしまったアテムは、何だか不公平だと感じて、そばにある瀬人の下着に手をかけた。
 瀬人の下着はシンプルな黒いカラーのボクサータイプであった。下にずりおろすだけで脱げるものだ。
「う……っ!」
 勢いあまってアテムはそのまましゃがみ込んでしまっていた。眼前に広がるのは、瀬人の無防備な下腹部であった。
 ぶらさがっている性器は、当たり前なのだが成人の形と色合いをしており、アテムは自分のものとは全く別のものに見えていた。
 形も色も、人それぞれ違うのだとは頭では理解できていても、こうも違っているものだろうかと疑問を抱く。 
 瀬人と出会った以前とは人種が違う。
 生まれた時代も異なっている。だから、体のつくりもまた別物であるのかもしれない。そうして半ば無理やり納得するしかないだろう。
 あとほんの少しでも近づけば、触れてしまいそうな程の距離だった。
 アテムは慌てて立ちあがったが、すっかり瀬人の性器が目に焼き付いてしまった。
 どうにも調子が狂いっぱなしだ。アテムは気分を整えるために、はやく湯につかりたくなっていた。


 簡易な作りの浴槽は瀬人には狭いらしく、湯で体を流すだけにしたらしい。
 熱い湯が瀬人の身体にかかると、薄らと血色がよくなった。変化は鮮やかであった。
 汗や汚れが流れると、桶にくんだ湯を手にすくって顔を洗う。濡れた前髪を後ろに撫でつけて瀬人は頭を振った。
「……はあ」
「海馬のため息なんて、初めて聞いたぜ」
 部屋が冷え切らぬよう、沸かした湯は浴槽以外にも何か所か汲まれている。
 湯気がもうもうと立ち込め、互いの姿がもやにかかっている。滲む視界の中にいると、別の世界にいるような気分になりそうだった。
「貴様には分からんだろう」
 体を流したアテムは半身を湯につけて、向かいに座る瀬人を目にした。少し離れれば、人物の姿かたちは目の中にぼんやりと浮かぶ。
「ここで肉体を留めておくには、通常の何倍もの負荷がかかるんだ」
「へえ……?」
 瀬人は目を瞑り、軽く足を開いて身を楽にして座った。背筋をまるめて、頭を少しばかり下げる。濡れた髪から滴が垂れ、湯にぽたりと落ちていくのを、アテムは黙って見守っていた。
「だから、そうなってるのか?」
「……何が」
「何がって、海馬の」
「オレが、何だ」
「それ」
 足の間にある場所をアテムは指さして言う。指先が示す方向を定めてから、瀬人はのろのろと自らの下腹部を確かめた。
 形状は明らかに平常時とは異なった物として、存在していた。
「気のせいだ」
 アテムと、自らの下半身に言い聞かせるようにして瀬人は無視を決め込む。
 しかし、瀬人本人が自覚してしまうと、違和感はそう簡単には消えてくれないのだった。
「放っておいて、どうにかなるもんじゃないだろ」
 アテムは努めて冷静でいるように心がけている。喉の奥がひりつくのを、唾を飲み込んで堪えていた。
「気にするな、こんなもの何とも無いんだ」
「誤魔化すなよ。オレだって海馬と同じ男なんだぜ。お前の気持ちはよく分かる」
「だったら」
 瀬人が立ちあがり、場を去ろうとしている気配を察知したアテムは手を伸ばして引き留める。
「見ててやるぜ」
「……何?」
「オレが見ててやるから、ひとりでしてみな」
 目と目が搗ち合った。途端、闘争時の空気が互いの身を包みはじめる。決闘者は瞬時に悟る。
 ここで逃げるのは負けを認めると同義だと、無言のままでアテムは訴えた。言葉で伝えなくとも通じる。
 アテムが手にした瀬人の肌へと、直接的に流れ込む感情の所為なのかもしれない。
「貴様……!」
「オレを愉しませてくれるんだろ……?」
 瀬人は、アテムの強く爛々とした瞳が好きなのである。好敵手を前にした時の、真の決闘者独特の光り方をする。
 あの眼が捕えるのが、瀬人であると瀬人自身が知れば、ますます高揚し血流は速まる。
「いいだろう……。このオレの男としての本能を見縊った貴様に篤と思い知らせてやる!」
 湯船の水がざわめき、瀬人はアテムの前で仁王立ちとなった。瀬人ならば必ず乗ってくると確信していた。アテムは湯の中で作った拳に、汗が滲むのを感じている。緊張と欲情の判断はまだつかない。



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