砂漠の王と星のいばら

 昔、むかしのお話。
 いいえ、それは遥か遠い未来のことだったかもしれません。


 あるところに、ひとりの男がいました。
 彼は「いばらの王様」です。
 どうして、「茨」の王様なのか、一体どこの国の王様であるのか、ここにはもう教えて下さる人はおりませんでした。
 いばらの王様は、自分が絶対であることと、自分が一番偉いこと以外、何にも興味がありませんでしたので、どうやって自分が王様になったのかも、どうして自分がここに居るのか、きれいさっぱり覚えておりませんでした。

 王様の座る椅子は、彼に仕えた多くの民の亡骸で出来ておりました。
 もろい骨、丈夫な骨、細い骨、太い骨、大小様々な形をした幾百もの人間の骨が組み合わさって椅子の形を成していました。
 それらは、王様のために命を捧げたものたちの屍から取り上げた骨でありました。民は死してなお、王に仕えるのです。
 肘掛は大層立派な、大腿骨でありました。それはとても大きな体をした男戦士のものでした。王様は左ひじをそこにかけて、右の手で本を持って、ふんぞり返って読書をするのが日課でした。

 世界中のありとあらゆる本が、堆く山となって積み重なって、王様の椅子のまわりをぐるりと囲んでおります。王様は、勿論王様でありますから、片付ける、なんてことは致しません。その概念がないのです。
 読み終えた本は、手元や足元に置かれていきます。
 本の山の全ては王様が、読み終えたものでありました。王様がこれから読む本たちは、硝子箱の中で選ばれる時をひたすらに待つばかりです。
 本は、一冊一冊どれも分厚く、何百ページもありました。挿絵も無ければ、かぎかっこのお喋りもありません。淡々と綴られる、文字の羅列は、一体王様に何を伝えてくれるのでしょうか。
 数え切れない本の山を見れば、王様がどれほどのとき、月日、年を読書に費やしたか、途方もない年月が想像できますのに、王様はまだ十八、九の少年から青年になる年頃に見えました。

ディオ、そろそろ休んだらいいんじゃあないかな?

 ジョナサンが、王様に馴れ馴れしく話しかけてきます。
 王様は、銀色のお皿の上に乗った生首ジョナサンをちらりと一瞥して、何事もなかったかのように、本をめくりました。

そんなに沢山読んだら疲れてしまうよ。そうだ、お茶にしようよ、そうしよう。

「おまえは昔からそうだ、勉強も読書も飽きっぽくて長続きしなくて……。」

 昔から、と言って王様は一体いつのことを自分は言っているんだろうと、不思議に思いました。
 昔とは、きっと何年か前のことなのだろうと思いましたが、うまく頭が回らないので、王様は視線を本に戻しました。

ミルクをたっぷり入れたら、夜もぐっすり眠れるよ。ちょっとだけ、ブランデーを入れてもいいよね。

 一体どこから出してきたのか、首だけジョナサンは器用にティー・カップを傾けて、ごくん、ごくんと「無い」喉を鳴らして、透き通った薄赤茶色の飲み物を「無い」胃袋に収めていきました。
 王様――ディオは、目の前に置かれているティー・カップに淹れられたミルクティーの優しい甘い香りに顔を上げました。
 起きている時にディオの右手から本が離れたことはありません。流石に義理の父親が食卓につくときは、本を読みながら食事は出来ませんでしたけれど。
 それ以外の目をあけているうちは、いつもディオの瞳には活字が並んでおりました。

空を見てご覧よ、ディオ。すごいなあ、きっと満天の星ってこの空のことなんだろうね。

 砂漠の夜は、とても静かでした。どこまでも広がる星空を邪魔する野暮な建物などは何もありません。
 金色に光る砂粒が、風に揺られてきらきら舞い散っていきます。砂漠の夜風はとても冷たいのですが、ディオはあたたかいミルクティーのおかげで、平気でした。
 上空に浮かんだ細かい星のあかりが、ちかちかと弾けて火花を散らし、空を眩しく彩っておりました。

「おまえは、こんなものが見たかったのか?」

 ディオはお皿に向かっていいます。
 お皿の上の頭は、ころんと転がりました。

君に、見せたかったんだよ。

「おまえの体が、この地へわたしを呼ぶのだ」

 ディオは空に向かって、腕を伸ばしました。
 見覚えのある腕、よく知っている指、ごつごつとした手、これは『ディオのもの』ではありますけれど、『ディオ』ではないのです。

「ジョジョ、……名前を呼んでくれないか。」

無理だよ。君が全部ぼくを奪ってしまったんだもの。声も、目も、耳も、腕も、足も、みんなみんな。

「じゃあ、今わたしは誰と話しているんだろうな。」

君の中のぼくだよ。

「ジョジョ」

なんだい?

「いつか君は、人は何度でもやり直せると言っていたな。」

言ったかもしれないね。

「あれは間違いだったろう?」

そんなことないさ。

「どうして?」

君の中のぼくが、そう思っているからね。

 月の色した砂塵が、つむじ風と共に吹き荒れます。
 くるくる回って、丸い皿が首ごと一緒に飛んでいってしまいました。
 お皿は回って回って、どんどん空高く昇っていって、そののち、白い星のひとつとなってしまいました。
 とうとう、いばらの王様はひとりぼっちになられてしまいました。
 王様は、砂漠にひとり立って、その白く輝く星を見つめては、独り言をいうのでした。




「ディオが童話なんて読んでるっ!」
 邸の図書室には、一生かかっても読みきれないほどの本がありましたから、いつもディオは退屈しませんでした。
 中には、お飾りの本もあり、まだ誰にも読まれたことのない書がここには眠っているのです。
 ディオは、そのような貴重な本ばかりを狙っていました。ジョナサンからすれば、ちんぷんかんぷんな内容のもので、同じ年のディオがどうしてそんなものを手に取るのか、全く理解不能でありました。

 図書室の窓際の南よりの席は、午後すぎには傾いた陽が暖かく照らす、昼寝にはもってこいのジョナサンのとっておきの場所でした。
 たとえば、飼い猫が家の中で一番居心地の良いところを見つけ出すのが上手いように、ジョナサンがお気に入りだと思うならディオにとっても、その場所は過ごしやすいところでした。
 お茶の時間まで、本でも読みながらちょっとだけ休もうと、その南よりの席を訪ねたら、もう先客がいたのです。
 そして、その気配に気づかない人物の背中から覗き見た本の内容に、ジョナサンは驚いて声をかけたのでした。

「ッ! ……ぼくがこんなもの読んでるわけないだろう、ちょっと似た本と勘違いしただけだ」
 ぱたんと、閉じられた絵本の表紙には月の砂漠が描かれておりました。ディオは机のはじに放り投げるように、本を自分の目の前からどかして置きました。
「あっ! この本……小さい頃に読んだなあ。」
 懐かしそうにジョナサンは目を細めて、投げ出された絵本を手にとると、一ページ目をめくりました。そのままジョナサンはディオの真横の椅子に腰掛けます。ディオの席が一等日当たりがよい場所なら、その隣に座ったジョナサンの場所は二等席といったところでしょうか。陽の光をたっぷりあびた椅子は、ぽかぽかとぬくまっていました。
「つよくてわがままな王様が、本当の愛がなんなのかを知る話なんだよね。」
 挿絵を見ながら、ジョナサンは物語の世界を思い浮かべました。
「――王様は、なんでも、手に入れられました。この世のものは、なんでもです。食べものでも、らくだでも、剣でも、宝石でも、女のひとも、男のひとも、こどもも、赤ん坊も、老人も。」
 物語の冒頭を、ジョナサンは朗読していきます。
 ディオは、子どもが読むような本など、本来これっぽっちも興味がありませんでしたけど、どうしても席を立つことが出来ませんでした。
「――王様にはだれもが言うことを聞くからです。生まれたときから王様は王様でした。だから死ぬまで王様は王様でいられるとおもっていました。」
 珍しくディオから何も言われないので、ジョナサンはきょとんとして、ディオの顔を覗き込みました。
 ”本を読むのに、君はいちいち声に出さないといけないのかい? 全く、耳障りだよ!”
 そう言われるものだとジョナサンは、予想していましたから、ジョナサンの丸い目はもっと真ん丸になってしまいます。
「それで? 続きは?」
「えっ? ええと、……ん? これ、この先のページがなくなってるんだね。」
 ナイフか何か鋭利なもので、きれいにその先のページが切り取られておりました。注意深く見なければ、未完成の本なのではないか、と思わせられる程に切り口は見事でした。
「ああ、だから読んだことのある君に是非とも話の続きを聞かせてもらいたくてね」
「5歳のとき読んだきりだから、自信ないなあ。もう10年も前の記憶だよ。」
 ジョナサンはこめかみをおさえて、うんうんとうなり始めました。ディオはジョナサンの手元から絵本を取ると、挿絵の中の王様を眺めました。
 王様のルビー色した赤い瞳が、きょろりと、ディオを見つめ返した……そんなような気にディオはなりました。おばけだの、妖精だの、非現実的な現象をまるで信じていないディオは、目の錯覚だと思いました。
「確か……、王様の国に戦争が起こるんだ。たくさんの兵隊が王様のために戦って死んでいって、それで国は滅びてしまって。」
 何の意味があるのか分からない動きでジョナサンはこめかみを揉みつつ、ぽつりぽつりと話の続きを思い出していきます。
「とうとう王様は一人になってしまうんだ。国の民は王様のために命を使い果たして、みんないなくなってしまったから。」
 机に両肘をついて、ジョナサンは自分の両方のこめかみを人差し指で回して揉んでいました。記憶がはっきりしてきたのでしょう、声が一段低くなりました。
「国も、民もなくした王でも、王様は生まれてから王様以外になったことがないから、たったひとりきりでも王様なんだ。」
「滑稽だな。」
 ディオは鼻で笑ってやりました。
「でも、この本の王様ってさ、ちょっと君に似てるよ」
「……どういう意味だ。」
「ほら、挿絵。金髪で色白だろ。性格も、わがままで強くて、それにいつでも王様気取りな所さ。」
 両手を上に向けて、小馬鹿にしたように肩を竦めたジョナサンに、ディオは無言で無防備なジョナサンの耳たぶを、力の限り引っ張ってやりました。
「痛っ! そういう暴力的なところも似てるんだよ!」
 ちっと舌打つと、ディオは手を放してくれました。
 ほぼ九割ジョナサンに対してのみですが、ディオの暴力で解決しようとする姿勢だけは、初対面時からどうにもなりそうにありませんでした。

それは、どうしてだと思う?

「何か言った?」
 ジョナサンは振り返り、そしてディオの方を見ました。
「……ぼくに聞いてるのか?」
 一言も声を出していないディオは、怪訝にジョナサンの顔を眺めました。
「いや、気のせいかな。」
「それで、結局その本当の愛とやらは何だ。」
「結論だけ聞いても意味ないんじゃあないのかなあ。」
「フン。童話なんて子どもの道徳心を育てるって名目で大人たちが都合よく書いた、ただの「作り話」だろう」
 身も蓋もない言い方でありましたが、ディオらしい考えだとジョナサンは苦笑いしました。
「ええと、ちょっと言葉は違うかもしれないけど、つまりこの絵本が言いたいのって、愛って「与えるもの」だってことだったんじゃあないかな。」
「与えるのが? 本当の愛?」
「うん。」
「ばかばかしいな! それこそ押し付けがましい考えだ!」
「愛されたいと、与えられたいと、欲しがって生きることより、誰かを好きになり、誰かを愛するほうが、いいってことだよ。」
 諭すようにジョナサンは柔らかく伝えました。ディオは不満そうに、頬杖をついています。
「ぼくは、違うと思うな。欲が無ければ生きていないのと同じだ。与えるってことは、余裕があるってことだ。満たされている人間の偽善でしかないね。」
 反論を述べると、ディオは親指の爪を噛んで、苛々として足を組みなおしました。
 気に入らない、という気持ちがその身いっぱいに表れていました。
「君は、相変わらずだなあ。」
「……なんだって?」
「……ん? 何か言ったかい?」
「言っただろう、おまえが喋ったんだ。」
「ぼくが? ぼくは何も……。」
 ジョナサンは開いた絵本の中、ひとりきりで椅子にすわる茨の王様を見ました。王様はこちらを赤い目で見ています。
「いや、そうだ。ぼくが言ったんだね。」
 ディオは、気づいてしまいました。ジョナサンが、自分に向かって話していないことに。
 ジョナサンは、いつからか、絵本の中にいるひとに向かって話しかけていました。
 そして、ディオに答えてくれていたのは、本の中にある星でありました。
「ディオ、君の中にもあるはずだよ。」
「ジョジョ……、どうしてそんな所にいるんだ。」
 星は白く瞬いております。声は、ディオの心に届いていました。
「やさしい気持ち、ひとを思う気持ち、誰かを大切に思う気持ちが、君の中にもあるから。」
「そんなものあっても仕方ない。ぼくには必要ないものだ。」
 星は、きらきらしてディオの言葉を光でさえぎろうとしていました。
「どうして?」
「……どうして? ぼくが聞きたいね。それらが、いつぼくを助けてくれた? ちがうだろう、そんなものがあるから、ぼくは苦しかった。ぼくは悩まされた。ぼくは……」
「ああ、泣かないで、ディオ。君の涙をぬぐってはあげられないんだ。ここは遠いから。」
 星は、点滅してみせます。その光り輝く美しさは、いつか見たジョナサンの瞳にそっくりでした。
「泣くものか。……ぼくの問いに答えていないぞ、ジョジョ。どうしておまえはそんなところにいるんだ?」
 白い星は、光を淡くさせて、一呼吸黙りました。
「ぼくは、君のジョジョじゃあないよ。ぼくはね、DIOのジョナサンだから。」
「何を言っているんだ。」
「君のジョジョはもうすぐ帰るよ、心配しないで……ああ、心配って気持ちも、誰かを思う気持ちだね。」
「別にぼくは、心配なんて。」
「大丈夫。何度だってやり直せるよ。……君が変われるのなら。」
「ジョジョ?」
 星の光は、濃紺の砂漠の夜空に吸い込まれていきました。
 いく億もの光の中で、その星だけがディオの中で必要なものでしたから、その輝きが消えた途端、ディオは深い悲しみに飲み込まれていきました。


「――ディオ、ディオ……、ディオったら!」 
 絵本は、バタン! と勢いよくジョナサンの手によって閉じられました。
「こんなに顔を近づけて見ていたら、目を悪くするよ!」
 ディオは自分の手のひらを見ました。なんだか妙に実感のわかない、今も夢の中のような、ぼんやりとした視界と、霞がかった思考が、ディオを覆っています。
 絵本をディオから取り上げると、ジョナサンは反対方向に位置する棚へ戻しにいきました。
 あのジョナサンは、本当のジョナサンだろうか……。ディオは、後姿のジョナサンの夜空色をしているくせっ毛を眺めて考えます。
 童話の棚に絵本を戻したジョナサンが振り向いて、ディオと目を合わせました。
 瞳に、見覚えのあるあの星の輝きがあります。
「……ジョジョ。」
「どうしたんだい、今にも雨が降り出しそうだ。」
 不安げな表情をしてしまっているディオのことを、ジョナサンは少し揶揄して言いました。
「茨の王は、どうなるんだ。」
「どうって?」
「本当の愛を知って、どうなる。」
「あっ……もうこんな時間だ。そろそろ夕食だね。ディオ、食堂に行かなくちゃ。」
 ジョナサンは、ディオに向かって手を差し伸べました。出された右の手を、ディオは振り払って、椅子から一人で立ち上がります。
 あたりはすっかり暗くなっていて、窓辺は肌寒いくらいです。月の光が夜の森を照らし出しておりましたから、きっと外の空気は冷たいのでしょう。
「答えろよ!」
 何故だかディオは、怒りや悲しみでいっぱいでした。
 ジョナサンは、一人で棚の間を歩き、そして先ほど仕舞った絵本を手にしました。
「ページは切られているんじゃあないんだ。よく見て。」
 きれいに切り取られているはずの続きのページは、確かに存在していました。ですが、挿絵があるだけで、文字は何も書かれていませんでした。
「続きは君が書くといい。」
「……おまえはこの話の結末を知っているんだろう?」
「うん。――でも、君ならきっと、……この物語の終わりを変えられるよ。」
 このジョナサンは、今のディオのジョナサンではない、とディオは悟りました。けれど、本当のディオのジョナサンはすぐに帰ってくるのだろうとも、不思議と自信がありました。
 挿絵の王様は、銀の皿を抱えておりました。ディオには、その王がどこか寂しそうに見えました。ふと、その切なさが自分と同化していくような気になりました。
「さあ、一緒に夕ご飯を食べようよ、ディオ。」
「……そうだな。」
 本を閉じると、ディオはジョナサンの手を握りました。それはもう、とても自然に。
 にっこりとして笑ったジョナサンは、素直なディオの様子をからかったりふざけたりせずに、隣に立って歩き始めました。
 
 これは昔むかしのお話です。
 それから、ふたりにはいくつもの困難や、争いがありましたけれど、彼らはその後、ずっと幸せに暮らしました。

 おしまい

top text off-line blog playroom