添い寝紳士 1

※直接的な描写はありませんが、ディオが女性との性的関係を持っている前提があります


ディオは特定の女は作らなかった。彼女と呼ばれる立場は、過去に数人は居たが、一年も関係は続かずに終わる。彼は、それなりに有名な法律事務所に所属していて、若いくせに腕のいい弁護士として界隈では名が知られていた。
ディオはこの仕事を好きで選んだわけでは無かったし、好きでがむしゃらに働いているわけではない。とにかく金だ。金が必要だった。
果たして、何のために? 幼少期は、三流ドラマのような家庭で育ったし、両親は最悪だった。どうしてそうなったのか。それは、やはり単純に考えて金が無かったからに尽きる。
そんなわけで、ディオはとにかく金が欲しかった。金があれば、辛くない。金があれば苦労しない。金があれば、人間になれる。金があれば、幸せになれる。そんな風に考える男になっていた。
二十代も半ば、貯金口座の残高を見れば、誰だってにやけてしまう程の額は貯まっていた。一人暮らしには少々広すぎるマンションにも住んでいる。着るものも、食べるものも、高級なものばかりを「選べる」。だが、それらを楽しむ時間がディオには無かった。
朝、起きて仕事に向かい、夜、帰宅して寝る。それの繰り返しだ。休日は、ひたすらに酒を呑み、だらけるばかりだ。もしくは友人、知人と食事であったり、パーティであったり、何かと予定は埋まる。
一見すると華やかで充実しているかのように見える日々だった。
だが、癒やしが無い。
ディオは疲労していた。身も心も渇ききっていた。しかし、弱味など見せられないし、見せたくも無い。そういう虚勢を張って、今まで登り詰めてきたのだから、自分のスタイルを曲げるわけにはいかなかった。
食事は外食がほとんどだった。料理が出来なくもないが、手間が惜しい。とにかく時間がない。
睡眠、寝床にはこだわりがある。ベッドや寝具は、専門店で注文した特注品だ。スポーツ選手も愛用しているという謂われのあるマットレスだの、本人の頭の大きさや首の高さに合わせて作られた枕など、独り寝には豪華な作りのキングサイズの寝台と、広々とした寝室だ。家には寝に帰るだけなので、とにかく金をかけたのだった。おかげで、毎晩、質のよい睡眠がとれている。
あとは、性欲だ。ディオはマスターベーションは行わない。その気が起きたら風俗を使う。勿論、そのあたりにも金は惜しまない。下手に安いを使って、病気でも貰ってきたら馬鹿馬鹿しいことこの上ない。
最近ではデリバリーヘルスばかり使用している。わざわざ風俗街に出向くのが面倒だったからだ。
贔屓にしている店はあったが、同じ女は選ばなかった。顔や名前を覚えてはいないので、「品がよくて、余計な詮索をしない仕事人」を頼む。
ディオほどの見目と地位ならば、わざわざ金を出して女を買う必要などないかもしれない。若い時はそうだった。むしろ、金を払ってまで、ディオと寝たい女は山ほどいた。だが、やはり、情が絡むと面倒だったのだ。色恋沙汰も、男女間のトラブルも、ディオは何度も何度も見てきたし、経験してきた。そうして、結局、性欲を処理として済ますには、金を払って、仕事として行うのが一番だと学んだのだった。それは、寂しいと言う人間も居たが、ディオは別に構わなかった。
珍しく早く帰宅出来た日だった。
仕事仲間に呑みに行かないかと誘われたが、ディオは丁重に断った。「とうとう本命の恋人でも出来たか?」とからかわれたので、「たまにはおれだって、夢中になる相手もいるさ」と答えた。そいつは口笛をならして、おどけて見せていた。


ディオはパソコンのブックマークから適当にサイトをピックアップした。予約受付は、大概電話のみとなっている。携帯電話から番号を入力し、応答を待った。初めて使う店だった。
「お電話ありがとうございます」
 若い男性の声がする。まるでリゾートホテルの受付のような丁寧な口調だった。
「予約をしたいんだが、これからすぐ頼めるか?」
「はい、今すぐにでも。では、お客様の電話番号と、派遣先のご住所を……」
スムーズに予約が完了し、ディオは電話を切った。女がやってくる前に風呂でも入っておこうかと、ディオは立ち上がった。
軽くシャワーをすませ、濡れた髪を乾かしながら、テレビをつけた。まだ夜も深くない時間帯では、ドラマやバラエティ番組、ニュース番組が放送されている。適当にチャンネルを変えながら、天気予報だけが淡々と流れる番組で手を止めた。クラシック音楽をBGMに、画面上には様々な街の風景を映し出しながら、明日の各地の天気情報が伝えてくれる。
「明日は雨か……」
バスローブだけを身に包みながら、ディオはしばらくぼんやりした。すると、インターホンが鳴った。
「随分早いな」
一階の集合玄関口のカメラには、男が一人立っている。
「……送迎の人間か?」
疑問に思いながらディオは受話器を取った。
「はい」
「先ほどご予約頂いた……」
やはり店の人間のようだ。店名を出さないあたりは、心得ているらしい。キャップを目深に被った男性は控えめに話す。
「ああ」
「ブランドーさんのお宅でよろしいでしょうか」
「入れ」
ディオは解錠のボタンを押した。

再び部屋のインターホンが鳴る。ディオは、警戒心もなく扉を開けた。
「こんばんは」
「……は?」
扉の前に立っていたのは、大柄の男性だった。ディオの身長は186センチメートルあり、世間では高身長な方だった。その自分が見上げるほどの巨体が、ドアの前を覆うように立っている。
女が見当たらない。男が大きすぎるから、その後ろにでもいるのだろうか。
「お邪魔します」
男は少し背を屈めて部屋に入ってくる。確かに、このドアの高さでは男の頭頂部が当たってしまう可能性がある。
「え……ッ、おい、ちょっと、待て! 何でお前が入ってくるんだ」
「えっ? ええ、だって、こちら、ブランドーさんのお宅、ですよね?」
「それはそうだが、女はどうした。どうしておまえがおれの部屋に入ってくる必要がある」
「そんな、どうしてと言われても、ぼくは仕事でこちらに伺ってるのですが」
「は……ァ? 何かの手違いじゃあないか。おれは水道管の修理なんて頼んでないぞ」
「え? ええ? ああ、キャップか」
黒のキャップを被っていた男は、格好もラフな服装だった。ジーンズに白いシャツ、それと大きめの旅行用の鞄をぶらさげている。
「お客様の前で失礼しました」
帽子を脱いだ男は、上背に似合わず幼さを残した顔つきだった。甘そうな、砂糖っ気のある面立ちをしている。
「……一体何の用で来た。女はどうしたんだ」
「あの、女っていうのは……」
「……話がどうも噛み合わんな。おまえはどこの誰だ?」
「ぼくは、添い寝士のジョナサン・ジョースターです」
「………………ハァ……?」
初めて耳にする聞き慣れない「添い寝士」という職業名にディオは胡散臭さしか感じとれなかった。
「あー……ええと、ジョースター、君の店の番号は?」
ディオはリビングに置きっ放しにしていた携帯電話を取りに行き、玄関口に立たせたままでいるジョナサンに訊いた。
「ジョナサン……いや、ジョジョと呼んで下さい。番号は……×××の」
「いや、遠慮しておく……続けて」
ディオはディズプレイに映る数字と、ジョナサンが読み上げる番号を確認した。途中までは合っている。十一桁目の数字が読み上げられ、肩を落とした。最後の最後だけ間違っていた。ディオらしからぬ失敗に、珍しく落ち込んだ。
「……ああ、あのお店と間違えられたんですか」
「そのようだ」
「事務所が階を挟んで上と下にあるんですよ。たまにあります。でも、間違えられた方は、店名で気づかれるんですけどね。ディオはお店の名前は気にしないのかい?」
「おい、ジョースター。馴れ馴れしく人の名を呼ぶな。それに口調が砕けてるぞ」
「ああ、すみません。つい」
「はあ、もういい。そういうことだ。悪いが帰ってくれ。ああ、疲れた。時間も時間だし、これからまた電話して呼ぶのも面倒だな……」
「……あの」
ディオは軽く手を振ってジョナサンを追い出そうとした。ジョナサンは荷物を廊下に置くと、ディオの手首を掴んだ。
「何だ、この手は……」
「実は、まだこの仕事始めて間もないんだ。よければ、君にぼくを試して貰えないか? 勿論、お金は頂かない」
「ふざけたことを言いやがって……! 誰が好き好んで男と夜を共にせねばならんのだ。むしろおれが金を貰う立場だろうが!」
「お金に困っているようには、見えないけど……」
ジョナサンはディオの住まいを眺めて呟いた。手を振り払い、ディオは叫んだ。
「それくらい不愉快だってことだ! 分かれ! 察しろ! 間抜けが!」
しかし大声を出したのがいけなかった。思わずディオは立ち眩んでしまい、ふらりと壁にもたれかかった。
「おっと」
慣れた手つきでジョナサンはディオの身を支えた。ディオは押しのけるようにしてジョナサンの腕から逃れた。
「いいから、帰れ。今夜は最悪だ! おまえの所為でな!」
玄関口までジョナサンを押し返し、そのまま部屋から追い出そうとした。けれど、ジョナサンは足を踏ん張って、留まった。
「ぼくの所為で、最悪だと言うなら、せめてぼくが君にしてあげられることをしてあげたい……。いや、させてくれないか、ディオ!」
「だから、何度も言ってるだろう、帰れと……ッ!」
「このままじゃあ駄目だ。それに君はひどく疲れてる……、ぼくなら! ぼくなら君を癒やせる……! 多分」
「自信があるようだなァ……へえ、いいだろう。ただし、おれが癒やされるどころか、逆に少しでもストレスや疲労を感じた場合、即通報してやるからな!」
「……構わないよ……ぼくが無理に頼みこんでるんだ。それくらいの覚悟はある」
「良い度胸だ……ジョースター。上がれよ!」
そうしてジョナサンは、ディオのスペースへと入り込むチャンスを得た。内心、自信はあまりなかった。ただ、自分がこの人にしてあげられる事があるはずだという確信だけがあった。目の下に薄らと出来ているくまや、会話の途中に見せる疲れの見える表情。それと、最初に電話で聞いた声からして、「とても疲れているひと」だとジョナサンには分かっていた。
ジョナサンの店は、予約から接客まで一人で行っている。実は、本業ではなく副業としてジョナサンはこの仕事に就いていた。ジョナサンの本当の職業は学者だ。専門は考古学。何故、そのような学者であるジョナサンが全く別分野である上に特殊な「添い寝士」になったのかは、色々と複雑な事情があった。

「出来れば、ぼくのことはジョースターじゃあなくて、ジョジョって呼んでくれるといいんだけどな」
「……やけにしつこいな」
「昔っからそう呼ばれてきたし、ジョースターって言われるの、何だか怒られてるみたいで苦手なんだ」
ジョナサンは荷物を床に置き、案内されたリビングルームで立ち尽くしていた。
「ジョジョ……」
「うん。そのほうがいいな。ぼくは……ディオって呼べばいいよね?」
「馴れ馴れしい」
ディオはソファーに腰をかけ、テーブルにあるミネラルウォーターをボトルをあけた。
「じゃあ、ブランドーさん?」
「……ディオでいい」
「そう、じゃあ……ディオ」
ほっとしたのか、ジョナサンは明るく笑ってみせた。ディオは改めてこの状況下を妙だと思っていた。自宅に男を招いた記憶はない。そもそもこの部屋に引っ越してきてから、デリヘルの女以外、他人を入れた覚えもないのだった。
「ディオは何時に寝るのかい?」
「……大体、一時から二時過ぎぐらいの間かな」
「そうか。じゃあ、まだ寝るまで三時間くらいあるね
「さっきっからそこに突っ立ってられるのも、目障りなんだが」
同じ場所に立ったままのジョナサンにディオは冷たく言い放った。
「ああ、そうか。そうだね……ええと……隣に座ってもいいかな」
「……隣?」
ディオは露骨に嫌な顔をしてみせた。
「駄目かな? 座るところは、そこにしかないし」
一人暮らしで、客を招く予定もないディオにとって、自分がくつろげる場所があればよかったので、家具は最低限しか揃っていない。リビングにひとつだけある二人がけのソファーの真ん中に陣取っているディオは、わざわざジョナサンのために移動するのも面倒くさがった。
「いいよね?」
ディオが黙ったままなのをいいことに、ジョナサンは少々強引に隣に腰掛けた。狭い空間がジョナサンの大柄な体躯によって埋められる。
「……うっ」
窮屈になった。リラックスどころか、滅多に乗らない電車が混雑している状況に出くわした心境だった。
「ディオは、寝るまでの間、いつも何をしているの?」
「仕事」
「忙しいんだね」
ジョナサンはそっとディオに語りかけるような口調で話し、まだ少し湿っている前髪を撫でて言った。
「ディオは頑張り屋さんなんだね……」
「……う、お、え、え、えっ」
大げさにディオは吐き出すような仕草をしてテーブルに突っ伏した。ボトルの水が揺れる。
「どうかしたの……? 大丈夫かい、ディオ」
「今のは何だ! 何なんだ、今のは! 見ろ! 鳥肌が立ってる!」
ディオはバスローブの腕をまくり、粟立った肌をジョナサンに見せつけた。
「……そんな格好してるから、寒いんじゃあないかな。ちゃんと寝間着に着替えないとね」
「違う! 暖房はついてるから問題ない! そうじゃあない! 今のお前の発言と行動に寒気がしたんだ!」
ジョナサンは、きょとんとしてディオを見つめたままだった。何がおかしいのかが分からないという風な顔をしている。
「おまえは男相手にもああいうことを平気で言うのか、するのか? もしかして……」
ディオの頭の中には恐ろしい二文字が浮かんでいる。
「いや、ディオが初めてだけど」
そう言ってからジョナサンは少しばかり照れくさそうに頬を掻いた。ディオはだんだん頭が痛くなってきた。
「うーん、そうだな。ディオ、ここにはドライヤーはあるかな」
「え……ああ、洗面台に」
「案内してくれるかい」
「廊下出て左側だ」
用もないのに立ち上がって説明するのは億劫だったので、ディオは指をさして言った。
「自由に行っていいってこと……なんだよね? 少しは信用してもらえたって思ってもいいのかな」
ジョナサンは何だか嬉しそうに口元を隠しながら訊いてくるので、ディオは顔を歪めてぶっきらぼうに返した。
「勘違いするなよ、ジョジョ」

リビングを出てジョナサンは洗面所に入った。流し台のコンセントに差しっぱなしのドライヤーを外して持ち帰った。
「髪、乾かしちゃおう」
「別にこのままで」
「濡れたままじゃあ、冷えるからね」
ディオが遠慮しようとすると、ジョナサンは遮るように言って、近くのコンセントに差した。弱い温風に設定し、ジョナサンはディオの髪を手でとかしながら、乾かしていく。
濡れて固まっていた髪の束をほぐすように、指先が動く。ジョナサンの大きな手が後頭部を包み込み、さらさらと髪が指の間を通っていった。
熱くなりすぎないように、ドライヤーを小刻みに動かしながらジョナサンは丁寧にディオの髪を扱った。
その手つき、指の動きが、全く不快に感じないどころか、ディオは若干の眠気に襲われた。
「……美容師の経験があったのか?」
「いいや、ないよ」
完全に髪が乾ききる頃には、ディオの瞼はすっかり重くなっていた。ジョナサンの胸板に後ろ頭を預けていることすら気づかないほどだった。
「それにしちゃあ……手慣れてる」
「つまり上手だって、褒めてくれてるのかな」
「素人にしては……な」
「ふふ、ありがとう」
乱れた前髪を整えられていると、ディオはふと男の体温の近さに気づいて、身を上げた。
「……ッ、今……何を……」
「ああ、もうちょっとだったのに」
「何、して……た」
「もう少しで、寝てくれそうだったのにな」
残念そうにジョナサンは眉を下げる。ディオは出会ったばかりのこの男に、醜態をさらしていたと知り、思わず舌打ちをした。
ドライヤーのコンセントを抜き、ジョナサンは元の場所へ戻しに行く。ディオは手元にあったボトルの水を飲んだ。自分の頭に触れてみる。温まった頭とすっかり乾かされた髪がある。普段よりも手触りがいい気がした。

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