月海夜 7

 ――ひと月が経とうとしていた。
 あの晩に交わされた約束を、ジョナサンは一度たりとも破らず夜毎ディオの住まう館へと通いつめていた。
 昼間は大学に行き、夕刻前には馬車を走らせ、夜は館で過ごす。
 そして夜明けと共に館を出発し、仮住まいの宿に帰る日々が続いていた。
 体力、気力、精神、何一つ欠かさずどれもがタフでなければとても持ちそうにない三十日間だった。
 ジョナサンは生身の人間でありながら、吸血鬼と対等に渡り合った怪物並のパワーの持ち主だ。だが、流石にひと月も経てば疲労の色が見えていた。
 目の下には隈を作り、アンニュイなため息をつく。
 ディオと契約をした次の日から世話になっている宿屋の女将が声をかけてきた。
「色男がそんな顔してると、女狼たちに食われちまうよ、兄さん」
 ジョナサンは、こんな町にまで狼が下りてくるのだろうかと不思議に思った。山に囲まれた町ではあったが、わざわざ危険を冒してまで人里に獣は足を踏み入れない筈だ。
「狼が人を襲うほど、山には獲物が少なくなっているんでしょうか」
「……へ? ……アハハッ、嫌だね、兄さん。アタシの冗談通じなかった?」
 恰幅のいい女将は明るく笑って、ジョナサンの前に安酒を注いだグラスを置いた。
 宿の下はパブになっている。所謂「イン」と呼ばれる宿だ。主な客層はジョナサンよりか年配の男たちが多く、みな酒を呑んだり賭け事をしたりしている。店の中は賑わっていた。
 中には、足の見えるスカートに長い髪を垂らした派手な化粧を施した女性たちもいた。明らかに商売女であったが、若いジョナサンには見向きもしない。
 身なりが貧しそうに見えても、漂う雰囲気からして労働者とは思えないジョナサンの風貌に、始めこそ女たちはあの手この手で誘ってきていたのだ。
 始めの一週間は、入れ替わり立ち代り様々な女がジョナサンに声をかけていた。だが、金髪のグラマラスな女であろうと、赤髪の素朴な女だろうと、茶髪の幼い見目の娘だろうと、黒髪の熟女であろうと、誰ひとりとして相手にされなかった。ジョナサンはいつもパブの端で軽く食事をとり、酒をすこしだけ飲むだけの、寡黙なつまらない男だった。
 異なるタイプの女がどう誘っても、困ったように笑うだけだったので、ジョナサンにはあらぬ噂が彼女たちの間で立てられてしまった。
 ある女は、ロマン主義派だったので、「彼には心を決めた女性がいて、操を立てているんだわ」と語り。
 ある女は、自信家だったので、「きっと病気持ちか、お粗末な野郎ね。あれだけの体つきしてるくせに、女に靡かないわけないじゃあない」と言い捨てた。
 そしてある女は、現実的に観察し、「あいつ、男が好きなのよぉ」とけらけら笑って小馬鹿にしていた。
 三番目の女の発言はあながち外れてはいない。そんな噂がたてられてしまった頃、ジョナサンは男娼に声をかけられたことがあった。あまりのショックに、ジョナサンはその場から逃げ出してしまった。男娼は年端もいかぬ少女のような容姿の少年であった。
 たとえ、ジョナサンに操立てする女が居なくとも、肉体にコンプレックスが無かったとしても、そして男が好きであったとしても、誰かを抱きたいと感じる余裕など生まれるわけがなかった。
 毎晩、毎晩、毎晩、毎晩……、繰り返し不死身の吸血鬼に精気を搾り取られて、むしろまともに生きていること自体が奇跡なんじゃなかろうかと、ジョナサンは考えていた。
 それもここで笑っている人たちの平和を思えば、自分一人がほんの少し疲労するだけで、あの魔の手が世に伸びはしない、……筈だ。自分の身ひとつを彼に捧げることで、沢山の人々の命は救われている。
 生贄などと言えば聞こえはいいが、その実態は、爛れた性生活を強いられているだけだなんて、それは墓場まで持っていかねばならぬ秘密である。
 ――いや、だとしても結果的には世界の平和を守っているには違いないのだから、……そう思い込むことでジョナサンは精神の安定をはかっていた。
 
「おい、雨が強くなってきたな」
 他の客たちの会話を耳にし、窓の外を窺ってみる。
 夕暮れどきに降り始めた小雨がいつの間にか雨粒を大きくしていた。
 これ以上雨が酷くならない内に出発しなければ、とのんびり食事をとっていられなくなり、ジョナサンは席を立った。
「今夜も出かけるのかい? 今日はよしておいた方がいいと思うけど……」
 代金を払うとき、女将はジョナサンを気遣って窓を指した。
「山道は崩れやすいからねぇ……、こんな雨じゃ馬車を走らせるのを躊躇う御者が多いよ」
「……そうですね、お気遣いありがとうございます。」
 釣りを受け取り、ジョナサンは薄手の外套を着込んで店を出た。山に近いこの地域は雨が降ると一層寒さが増す。
 店通りは普段と比べて人出が少なく、辻馬車も見かけなかった。
 ひと月、毎日同じ所へ通うジョナサンを上客として扱ってくれる顔見知りですら、今晩は見当たらなかった。
「参ったな……」
 歩いて行ける距離ではないと分かってはいたが、ジョナサンには行かねばならぬ理由がある。
 立ち止まって時間を無駄にするより、歩いて少しでも近づいたほうがましだ。
 雨が降っている所為で、今夜は辻馬車も盛況なのだろう。道なりに歩いていけばその内に馬車も捕まると見て、ジョナサンは目的地へと進み始めた。

 外套に風がしみる。首元をしめ、ジョナサンは向かい風に乗る雨粒に顔をしかめた。
 だんだん雨足が強まってくる。馬車でも2時間はかかるというのに、このままでは今夜中に辿り着けるのかも怪しいくらいだ。
 ぬかるんだ泥道に足をとられ、ジョナサンは苛立っていた。
 町の灯りも小さくなってきている。何だかとても心細くなっていく。
 すると俯いたジョナサンの前に、見慣れない明るさが近づいてきた。
 車輪が水たまりと泥をはねる音が聞こえてくる。
「あ……!」
 助かった、とジョナサンは体の力が緩むのを感じる。
 黒塗りの箱型馬車が、進行方向から走って来る。
 手を振ると、御者はすぐにジョナサンに気がつき、馬車を目の前で止めた。
「丁度良かった、この先のウインドナイツロットまで頼むよ。」
「今夜は駄目ですよ、だんなァ! ご覧の通りひでえ雨だし、この先は行けねぇ。」
「代金なら倍払う、ぼくはどうしても行かなくちゃならないんだ」
「こんな天気じゃあなきゃ、喜んで引き受けますけどね、とにかく今夜は駄目です。うちだけじゃあねぇ、他のやつだって行けねぇんだ」
「何故だい?」
「山崩れが起きたんですよ。ありゃ、通れるまで三日はかかりますよ」
「えッ!?」
「とにかく、だんなも今夜は帰ったほうがいい、行くだけ無駄です、歩いて通れるわけもねぇです。雨もやまないみてぇだし、……死にてぇなら止めやしませんよ」
「そんな……困るよ」
「町に帰るっていうなら、乗せていきますけど……、どうしますか?」
「いや、ぼくは行かなきゃならない! 引き止めて悪かった、もう行っていいよ。」
「本気ですかい!? だんな、やめたほうがいい、歩いてなんて行けねぇんだ!」
 大声をあげる御者に背を向け、ジョナサンは山道へ向かった。土砂が崩れているなら、その上を歩けばいい。
 とにかく行かなくちゃあならない。
 使命感があった。


 あの約束した晩から、一晩も欠かさずにジョナサンはディオに会いに行っている。
 ディオは毎晩灯りもつけずに、寝所で静かにジョナサンを待っていた。

 彼を抱いた次の日の夜、ジョナサンは恐れる気持ちを抑えて館を訪れていた。まだ完全にはディオを信じられず、武装を解かずにジョナサンは門を開いた。
 きっと契りを交わした興奮のままにあんな口約束をしただけで、魔物として生まれ変わった吸血鬼のディオが、大人しくジョナサンの約束を守るとはとても思えなかったのだ。
 もし、死体がひとつでもあったなら、彼を殺さなくてはならない。
 ジョナサンは心に決めていた。
 彼を魔物にしてしまった責任は自分にも少なからずある。なら、自分がこの手で彼を止めるしかない。
 剣を携え、いつでも攻撃する準備は整っていた。あとは勇気だけだ。ジョナサンは僅かにその悪い予想が外れることに期待し、ディオを探した。
 館の構造はジョースター邸と少しだけ似ていた。ディオの住まう館のほうが断然広かったが、作りがどことなく同じに感じたのだった。
 休まる場所を探し、ジョナサンは寝所らしき部屋をいくつか見つけ出し、その中でも格段に大きな部屋の、おそらく館の主の使っていた寝所に目をつけた。
 彼の考えなら分かり易かった。ディオの性格上、一番上等な部屋を使うに決まっている。
 扉はきっちりと閉められていた。ジョナサンは静かにノブを回した。
 音もなく扉は開かれ、ジョナサンは暗闇に目をこらした。
 大窓には半分だけの厚手のカーテンがあった。だが月明かりも入ってこない妙な部屋だった。目が慣れたころ、花の香りを感じ、ジョナサンは新鮮なバラが飾られているのに気が付いた。
 ―― 一体誰が……。
 天蓋のついた豪奢なベッドが部屋の中央に置かれている。天蓋やシーツには細かなレースがあり、刺繍で花模様が描かれていた。部屋の至る箇所に花の模様や細工が施されている。この部屋は女主人が住んでいたのだろう。いかにもそんな印象を持った。
 寝台はジョナサンほど大きさの男が3人、縦にも横にも並んでも余りそうな大きさであった。
 滑らかなシーツの中にかたまりが、動く。
「……ディオ」
 声をかけると、そのかたまりは寝返りをうった。ベッドに腰をかけ、片手には剣を持ったまま、ジョナサンは身を近づけてみる。シーツをめくるとむせ返るほどの強いバラの芳香が広がった。
 金の髪は長く伸び、寝床の上に散らばせている。うなじに触るくらいの長さであった後ろ髪が、たった一晩で今は背を隠せるくらいに長く伸びていた。
 髪をひと束手にして、ジョナサンは確かめる。艶のある金髪を見間違えるわけはない、偽物じゃない、確かにディオの髪だった。 
 指の間をすり抜けていく金糸を見つめていたら、微かな笑い声がした。
「待ち草臥れたぞ」
 輝く黄金の瞳は真っ直ぐにジョナサンをとらえていた。心臓を鷲掴まれるような痛みのある動悸がして、ジョナサンは身をかたくさせた。
「起きていたんだろう」
「せっかく眠り姫のようにしおらしく待っていたんだ……キスのひとつぐらいするかと思ったんだがなァ」
 髪に触れていた手に、ディオは指を絡ませる。恋人がじゃれるみたいに甘いやりとりをして、ディオは再び笑った。
 拍子抜けだった。
 ディオは、何もせずにただジョナサンを待っていた。
 幾通りもの悪夢を想定していたジョナサンは、肩の力が抜けるのと同時に、ディオに対し後ろめたさを感じた。
 ――嘘は……吐いていないだろう。そう信じたい……、血の匂いもしない。それに今のディオには敵意が全く無いんだ……。
 それどころか、ディオの目や仕草からには、妙な甘さがあった。ジョナサンは、それを愛だと錯覚してしまいそうになる。
「時間が惜しい……、ジョジョ、来いよ……」
 ジョナサンの襟元を手に取り、ディオは自分の身に引き寄せた。バランスを崩したジョナサンがディオの顔の横に両手をつき、額がぶつかる直前で止まった。手から剣は離れ、それはベッドに沈み込んだ。
 しばし、視線だけで会話が続いた。
 明確な言葉は無い。
 互いに黙って見つめ合い、息を飲んだ。襟を持つディオの手は力を緩めて離れ、冷たい指がジョナサンの唇をさわる。人差し指の爪が、柔らかい下唇の形をなぞる。
 ジョナサンは口を開け、爪の先を噛んでやる。指を口に入れて、舌の上に乗せた。
 もう片方の手が、ジョナサンの頬を包み、顎の下をくすぐっていく。
 額があたる。
 鼻先が互いを掠める。
 ディオが目を閉じ、指を抜いた。
 柔らかい唇同士が、ぴったりと合わさった。
「ン……ッ、」
 鼻にかかった声をジョナサンは聞いた。
 ディオは自ら顔の角度を変えて、より深く唇をあわせてきた。食らいつく口付けであったが、舌はまだ入り込まない。自分自身を焦らすのが気持ちよかった。
 初めて味わう互いの唇だけで楽しみたかった。
 暫く触れたままであった唇が離れ、ディオはジョナサンの頭を抱き、ちゅっちゅっと、音をさせてジョナサンの口にキスを繰り返した。激しく抱き合った相手とは思えないほど幼い口付けに、ジョナサンは初心なときめきを覚えた。
 閉じきらなかった瞳で、ディオの様子をジョナサンは見つめる。目を閉じて近づくディオの顔は、赤らんでいる。指は凍りつく冷たさがあるのに、ディオの総身は次第に熱を上げていった。
「はぁ……、ん、」
 ディオはジョナサンの顔中に口付けを落としていく。時々、舌で肌を舐めて吐息を洩らす。ジョナサンは黙ってディオの好きなようにさせていた。
 額やこめかみを舐め、耳に息を吹きかけ、ディオはジョナサンを煽った。膝頭でジョナサンの下腹部を触れば、雄は明らかにディオの愛撫に反応した。
 それが面白くて堪らないのか、ディオはくすくすと笑って楽しげにジョナサンの肌をまさぐっていく。
 かっちりと閉じられている襟元を開き、服の合わせに手を伸ばし、ディオはジョナサンの生肌に触れた。
「冷たい……」
 ジョナサンが身を震わせ、肌を粟立てる。露出した首や胸にも唇を這わせて、ディオは寝転んだ状態で下からジョナサンを攻めていった。
 膝はジョナサンの股座をすりすりと撫でている。擦る速度を上げ、ディオは両膝でジョナサンの雄棒を挟み軽く扱いた。
「ディオ……ッ!」
「すぐ欲しい、ジョジョ……待てない……ッ!」
 潤んだ目で素直に求められれば、ジョナサンはディオに齧り付く勢いでキスをした。
 熱い交わりを思い出させる濃厚な口付けをしながら、ジョナサンはディオに抱きついた。

top text off-line blog playroom