歌のお兄さん 1

いつかテレタビーズと共演するのだと思っていた。それが幼い子どもの夢なら笑えるのだろうけど、既にそのときぼくは高校生だった。



典型的なお坊ちゃま学校を卒業した後、名のある演劇の専門学校にジョナサンは進んだ。周りの親族たちからは悉く反対されたが父親だけは応援してくれた。在学中に、ジョナサンは舞台へ上がった。
そして十年、ジョナサンは俳優として生き続けた。その十年間、初めに持った夢は胸の中できらめき続けていた。

「……容姿よし、生まれ育ちよし、歌唱力よし、スキャンダル一切なし……プロポーションも抜群!」
「うーん、ただフレッシュさが足りないような気もしますけどねえ」
「童顔みたいだし、年齢は問題ないんじゃあないんでしょうか」
「とりあえず、直接会ってみたいとな」

各事務所から送られてきたプロフィールを眺めながら、番組制作スタッフは爽やかな笑顔を浮かべる宣伝素材写真の主たちの粗を探している。
彼らは、オーディションの真っ最中だった。来期放送予定の児童向け番組のメインパーソナリティを選出するためのものだ。
ここは歴史ある国営放送局であり、その中でも最もクリーンなイメージが必要とされる教育番組を担当するセクションである。
メインパーソナリティは決定したならば一年間は勤め上げて貰わねばならない。殊更慎重に、そして厳しく審査される。
子どものために作られる番組は、一般的なプログラムよりも神経質にならねばならなかった。
言葉ひとつ、表現ひとつ、映像、音楽、出演者、どれもが入念にチェックされ、完璧に清らかで美しい番組は出来上がる。
それまで築き上げてきた健全さと清潔なイメージのおかげで国民の信頼を得て、放送局は成り立っている。彼らは選択を間違ってはいけない。

「失礼します」
ジョナサンは自分の順番が来たことを知らされ、スタッフルームのドアをノックした。
「ジョナサン・ジョースターです。よろしくお願いします」
スタッフ達は座ったままで手を差し伸べ、ジョナサンは順に握手を交わしていった。
ひとりひとりに笑顔を見せながら、ジョナサンは自身の大きな手でスタッフ等の手を包んでいった。
「座って」
最後に握手をしたのはジョナサンの父親ほどの年齢の男だった。おそらく彼がボスだ。眼鏡をかけた、一見すると温厚そうな紳士だが、その穏やかさがかえって恐ろしい。
言われて、ジョナサンは席についた。
「劇団ファントムに居たのかい、何組だったのかな」
「波組です」
「すまないね。こっちの業界が長いものだから、舞台関係にはとんと弱くてね」
つい先日、劇団を卒業するまでジョナサンは波組のトップスターであった。トップスターとは主役や花形を演じる組の頂点の者を指す。ジョナサンの退団はネットやテレビのニュースでも大きく取り上げられていたのだから、報道関係者が知らないわけがなかった。
ボスらしき男性は笑っていたが、彼以外のスタッフは苦笑いを浮かべていた。
劇団のトップスターであった俳優ならば、人一倍自尊心が高く、承認欲求もあるのが当たり前だ。それを踏みにじるような発言はいくら何でもジョナサンを怒らせるだけなのではないかと、他のスタッフは内心ひやひやしていた。
所が、ジョナサンはボスの発言には全く動じなかった。それどころかにこやかに笑みを浮かべて、まるで新人のアクターのような振る舞いをしているのだった。
スタッフの中のひとりが、ジョナサンに届かない程度の声で話した。
「彼、凄く若々しいですよ。二十歳そこそこって感じしかしないのに……」
「だけど妙に安心感がある……不思議な人だ」
「そうなんですよね。……握手した時ぼくも思いました」
「初々しさがあって、こなれてる感がないのに、とても落ち着いていて、全てを任せられるような雰囲気がありますね……」
彼らはひそひそとジョナサンへの評価を語った。その間ボスは他愛のない世間話をジョナサンに持ちかけて、しばらく二人は談笑していた。

「ところで、ジョースターさん。君は今お付き合いしている方はいるのかな?」
突然のボスの質問に、スタッフ一同はぎょっとした。
オーディションは既に数名行われていたが、この質問は未だ誰にもされていない。
歴代のメインパーソナリティ達がされてきた問い掛けであった。つまり、ボスはジョナサンを最有力候補として選んだことになる。
スタッフたちは、やはりそうか、と息を呑んだ。
そしてジョナサンの答えを待った。
「……以前、婚約者はいました。今現在は誰ともお付き合いはしておりません」
ボスは頷いた。どの雑誌にも、インターネットにも流出していないジョナサンのプライベートに関する情報がボスの持っているプロフィール表には書かれている。
誰と付き合って、誰と関係しているか、もしかしたら家族にすら知り得ないジョナサンの私生活がその紙にはあるのかもしれない。
婚約者がいたのは事実だった。もし、ジョナサンがここでただ「いません」とだけ答えたなら、ボスはオーディションを切り上げただろう。
ジョナサンは殆ど非の付け所がなかった。だからこそ、一点も曇りも許されない。
女性と付き合うことが悪いとは言わないが、この番組に携わるということは「性」と「恋愛」を一時的に放棄しなくてはならないのだった。
「もしぼくの過去の経験が問題になりうるなら、もっとはっきり告白したほうがいいでしょうか」
「え?」
「どういうことです、ミスタージョースター」
ボスもスタッフ等も、ざわついた。
「いや問題になる以前に、そもそもぼくにはそんな浮いた話なんてありませんから」
ジョナサンは前歯を見せるように笑って言った。
「……何だって?」
ボスは体を前のめりにして聞き直した。
「その……つまりですね」
ジョナサンは顎に手をあてて、しばらく言葉を選ぶようにして唸った。スタッフもジョナサンへと視線を集める。そして、わずかに照れたようにはにかんで見せ、自信たっぷりにジョナサンは明朗で通る声で言った。
「ぼく、童貞なんです!」

ボスは持っていたネーム入りの万年筆を落としていた。スタッフは皆一様に口を半開きにするしかなかった。

「……流石舞台俳優、なんて聞き取りやすくて綺麗な発音なんだ」
「童貞って言葉があんなに格好よく聞こえるなんて、声が良いってだけで、得ですね……」
「私、思わず聞き惚れてしまいました……」

ボスは、笑えばいいのか憐れめばいいのか分からないといった複雑な表情をしながらも、ジョナサンのプロフィールにサインを書き示した。
つまり、ジョナサンは満場一致で合格となったのだった。



爽やかなオーシャンブルーのつなぎに、グリーンのシャツを着込んで、ジョナサンは楽屋の鏡に向かってにこりとしてみる。
今日は、本放送前のランスルーが行われる。
本番さながらにセットが組まれ、児童らに囲まれながらの撮影だ。
出演する児童は番組の視聴者や、芸能事務所に所属しているタレントや子役の卵などが半々となっている。きちんと踊れたり、率先して番組作りに協力してくれるのは、大体は事務所の子どもだ。素人の子どもたちは泣いたり喚いたり暴れたり、もしくは母親の元に帰りたがったりしているのが大概だそうだ。
ジョナサンがスタジオに入ると、パステルカラーに彩られたファンタジックでメルヘンなセットが視界に飛び込んできた。今年のテーマは空の王国。雲や太陽は自分を歓迎するような笑顔をしている。空を舞う蝶や小鳥も笑っている。
どくん、と胸が高鳴った。懐かしい、それと同時に、やっとここまで来た……という感慨深さがジョナサンにはあった。
自分が幼い時から夢見ていた舞台だった。いつか、いつか、この場所に自分が立つのだと、信じてきた。それが叶う。
鼻の奥が痛みそうになる。劇団を卒業するときよりも早く涙腺が緩んだ。
ジョナサンは、奥歯を噛みしめて一歩踏み出した。


その日のディオは不機嫌そのものだった。行きたくないと散々駄々をこねたが、母親に無理矢理連れ出されて、見知らぬスタジオに放りこまれて、うるさいガキに囲まれている。他の子どもと一緒の仕事はこれだから嫌になる。
ディオが同じ年頃の子ども達になじめないのは、大人の世界ばかりで生活しすぎた為と、ほんのちょっぴり知性が高いが故に他人を見下すような性格になってしまったからだった。
生まれた時から見た目が優れていたディオは、赤ん坊の頃に芸能事務所にスカウトされ所謂「赤ちゃんモデル」となった。父親はまさか赤ん坊が稼ぎ種になるとは思っていなかったので、それはもう喜んでディオに仕事をさせた。
ディオに自我が目覚めるまではよかった。母親が常に一緒に居れば、ディオは天使のように笑い、愛らしい姿を惜しげも無く披露し、大人たちを喜ばせてくれた。ディオは赤ちゃん用品のCMや広告、ドラマや映画と、とにかく多くの仕事をこなしていった。
だが、成長と共に自分が他の子どもと違う環境におかれていることに気づき始め、二歳のイヤイヤ期を過ぎてから、三歳になる頃には既に反抗期を迎えていた。
今日も気のむかない仕事に連れ出され、最高に気分が悪い。ディオは八つ当たりの対象になりそうな相手を品定めしていた。
大人しそうで、刃向かってこなさそうで、それでいてそれなりに歯ごたえのある奴がいい。相手がひ弱なだけだと、自分がいじめているのがすぐにばれると知っているのだった。
「……ん?」
子ども達はスタジオのセットに慣れるために、自由にセットの中を駆け回っていた。ディオはパステルピンクの椅子に腰掛けて、ちょろちょろと走り回る子どもを眺めている最中だった。
セットの外にはダークカラーの服装ばかりの大人たちが並んでいる。だがそんな連中とは違い、チンケな格好のやけに目立つ大人を見つけた。
その大人はこちらを見ながら、瞳をきらきらとさせている。
「へんな大人……」
ディオはしばらくその青いつなぎの男を見つめた。
すると、ディオがあまりにも見つめすぎたからだろうか、青いつなぎの男は、にっこりとして大股で歩み寄ってきた。
「……う、う……うわ」
遠くで見る分には、さして気にはならなかったが、いざ目の前にしてみると男は巨大だった。ディオは、こんなに大きな人間は見たことがなかった。
母親よりも背が高くて、父親よりも広い胸板で、この世の誰よりも大きな手をしている。その手が、どんどんとディオに近づいてくる。
「ひゃ……!」
「どうしたの? みんなと遊ばないの?」
ディオはジョナサンの目の高さまで一気に持ち上げられ、抱きかかえられていた。しっかりとした手の中に自分の体がすっぽりと収まっていた。
「タ、タイタン……」
巨人のようだとディオは思って呟いた。
「え? 違うよ、ぼくはジョナサンっていうんだよ。君の名前は?」
「……ディオ」
「ディオか、良い名前だね。今日はよろしくね」
ジョナサンは片手でディオをだっこすると、空いた右手でディオの頭を撫でた。
大きさとは反対に、何て優しい触り方をするのだろう。ディオが驚いて体を硬直させていると、足下からざわめきが聞こえてくる。
「いいなー! ぼくも〜」
「だめえ、あたしがだっこしてもらうの!」
「ねえ、ねえ、ぼくにもしてー」
「あたしがつぎー!」
いつの間にか集まってきた子ども達は、我先にとジョナサンのつなぎの裾を引っ張り合い、だっこをせがんでいる。
その光景を見たディオは、とてつもない優越感に満たされ、足下で騒ぐ子ども達を見下して悪魔の笑みを湛えた。
「あら、ジョナサンおにいさんったら早速大人気ねえ」
かっちりとしたスーツに身を包んだ女性プロデューサーは、子ども向け番組制作者とは思えない色気を振りまきながらジョナサンへ近づいてくる。
「ハハハ……」
困ったように笑ってみせるジョナサンに、ディオは何故か危機感を覚え、むっと頬を膨らませた。
その間もジョナサンの足下では子ども達が騒ぎ立てている。
「うん、分かった分かった。みんな順番にだっこしてあげるからね」
と、言いジョナサンは屈んでディオを下ろそうとした。ディオは反射的にジョナサンの首元に抱きついた。
「うっ、く、苦しいよ、ディオ」
「やだ!」
「まあ、ふふふ。この子、ジョナサンおにいさんのこと気に入ったのねえ」
可愛いわ、と言いたげに女性プロデューサーはディオを撫でようとしたが、ディオは腕でその手を払った。
一瞬、その場の空気が凍り付いたようになった。女性プロデューサーの眉間に皺が寄る。
「ディオ……だめだよ、そんなことしちゃ」
「やだったらやだ……あと他の子、だっこするのも、いやだ!」
ジョナサンの首元に抱きついたディオは、ぐずるように頭をふってしがみついた。
「ずるーい!」
「ぼくもだっこー!」
「あたしが先だもん!」

力づくで引き離すわけにもいかず、首元に抱きついたままのディオを片手で支えながら、ジョナサンはだっこを求める子ども達を次々に抱え、ご機嫌をとるのに精一杯だった。
そんなことをしてばかりで、ちっとも番組の段取りは進まなかったのだった。
女性プロデューサーは表面的には笑顔を保っていたのだが、ディオに手をはたかれたことが相当頭にきていたらしく、スタジオ内は緊張で張り詰めていたのだった。

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