空想科学未来

 三月。桜は少年たちの門出を祝うために早咲いてくれていた。花の盛りは短い。彼らの青春も駆け足で過ぎて行ったのだ。これからの人生は長い。幼い時分では気づかずに、ただ無邪気に子供時代を送る。取り返せなくなってから、初めて知る。大人になってからの年月のほうが長く、遠いものなのだと。
 武藤遊戯はそんな貴重な日々を、いくつになっても思い出してしまうだろう。それはきっと、彼が大人になった証なのかもしれない。

 春が連れてくる別れを、瀬人は今まで一度も惜しいと思わなかった。ただ生まれが早いか遅いかの違いだけで、序列が出来てしまう社会の仕組みに納得していなかった。
 六歳、十二歳、十五歳。節目と呼ばれる季節に何の感慨も無かったのだ。
「学校に通っていりゃあ、高校卒業の年だったんだってな」
 DDS試作機の完成を待ち、瀬人は工場へ自ら足を運んでいた。
 工場長は短くなった煙草をくわえつつ、瀬人に話しかけた。
「ああ。そういえば、そうだったな」
「俺なんかは、学校に通いたいなんて言ったら親父にぶんなぐられたもんだよ。贅沢言うんじゃねえ、さっさと働けってな」
 手を動かしながら工場長は瀬人に語り掛ける。彼は瀬人がここへ出入りしている時から変わらない風貌だったので、見た目だけでは年齢がはっきりしなかった。若々しい顔つきは五十代にも見える。しかし発言は七十過ぎのものとも取れるのだ。
「オレは逆だったな。学校なんて、行く理由はなかったから」
「ハハ、アメリカとか外国だったら飛び級できただろうな。まあ、それも今の社長には関係ないことだな」
 ゴーグルを外し、工場長は額の汗を拭いた。
この試作機の仕上げは一人で行いたいと、工場長自ら申し出たのだ。そして、瀬人はそれに立ち会うと返事をした。終業時刻は過ぎ、他の作業員はいない。現場は片づけられ、がらんどうとしている。
「俺はデュエルってやつが、何なのかはさっぱり分からない。見ていても、老いた目では追いかけるだけで、いっぱいいっぱいだ」
 磨かれたボディ部分を見回しながら、工場長は続ける。
「だがなあ、何でなんだろうなあ……これが完成して、社長のDDS計画ってやつが完遂するのが、さみしくて仕方ないんだ」
 手にしていたスパナを工具箱に投げ入れると、老人は汚れた手袋をポケットに仕舞った。
「オレも、……親父さんにこうして会えなくなるのは、寂しく思うよ」
「よせよせ。らしくねえよ。そんなこと、老い先短い相手に言うもんじゃ無いぜ」
 ――らしくない。瀬人すら自分自身でそう思った。これが感傷なのだろうか。季節がそう錯覚させているとでも言うのか。人々の持つ思い出に感化されるなんて、瀬人にはあり得ないことだった。
「まるで卒業生みたいなこと言うんだな……どうしたってんだ」
「ああ、そうか。親父さんの言う通りだな」
「うん?」
「オレは、卒業することにしたんだ。守られていた時間から……。ヤツの呪縛から、な」
 瀬人は工場長の隣に立ち、並んで試作機を見つめた。機体は美しいフォルムを描いている。瀬人の書いたデザイン、設計図のままだ。
「そうかい。そりゃあ、めでたいことだ」
「そうなのか?」
「ああ。男が自分から決めて、旅立つってんなら、祝わなきゃな」
「……クク、やはり親父さんは変わっているな」
 瀬人は肩を揺らして低く笑った。瀬人より頭ひとつ分ほど小さい老人は、隣人を不思議そうに見上げる。
「事情も理由も訊かない。だからオレを責めないんだ。……昔からそうだったな」
「聞かれたかったら、子供ってのはな、勝手に自分から話すもんだ」
 工場長は、部下にする癖を瀬人にもした。軽く腰のあたりを叩く。励ますように、背を押してやるように、その手は温かく大きく、父を思わせる仕草だった。
「ああ、そうだな。ありがとう」
「なあに、大丈夫。海馬コーポレーション社長が自ら設計、デザインしたんだ。それをこの工場長サマが直々に手作りしたロケット機だ。成功するに決まってる!」
「ああ。オレも信じている。……成功する未来は約束されている」
 工場長は大きく歯を見せて笑った。瀬人もつられて笑ってしまった。その柔和な笑顔は、幼い瀬人と同じだったのだ。
 
 少年は夢を見ている。
たくさんの惑星を旅行すること。宇宙人との交信。世界中に遊園地をつくること。戦争のない国。
 子供たちがみんな笑顔で暮らす街。真夜中まで夢中になってするゲーム。終わらない遊び。ずっと続いていく未来。
 少年は夢を作り出していく。
 あの日の思い出も、あの日の約束も、あの日の心も、全部が自分の味方になった。
 少年は歩き始める。
 明るさも、暗さも、全てが自分を形成していて、なに一つも無駄なことはないと認められたから、もう迷わない。
 空想の中の少年。夢を見る少年。
十七歳の時の出会いは、彼らの運命を変え、そして彼らの幸福を導くのだった。
瀬人が選んだ道は果てのない未来へと続く。きっと彼は光の中に、答えを見つけられるだろう。
 ――再会を願いながら。




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