Ｍ＆Ｈ 5

「――……ッハ」
夜明け前、ディオは意識を取り戻した。目の前に倒れ込む体躯、体臭から気を遠ざけようと息を止め、目を閉じていたディオはほとんど気絶状態のまま眠り込んでいた。
相手の重みがある。いつのまにか部屋の電気が消えていた。あたりは暗いが、窓から差し込む街灯の光で室内が確かめられた。何度か瞬きをすると、薄闇に眼が慣れてきた。
「……く……ッ、この……腕一本でもこんな重いのか、こいつは」
首に回った腕を退けようとディオは身じろぎをした。しかし、腕も足もどれもいつも眺めていたあのジョナサンのものなのだ。
「はあ」
ディオは肩腕を抱きしめて、ため息をついた。耳元に寝息が届く。酒気の混じった匂いがした。
酔っているからなのか、ただの考えなしなのか、それとも出会ったばかりのディオに心を許してくれているのだろうか。
ディオは呼吸を感じる場所を探して指を彷徨わせた。柔らかな感触が指先にあたる。ふっくらとした谷間から、規則正しい風が指の間を通り過ぎる。しばらく指をその小さな果実にあてがっていると、ディオの指が沈んだ。
「ン……む……んん」
寝ぼけたジョナサンが唇を蠢かせる。唇の間に挟まっていたディオの指を食むように動かされた。
「あ……」
湿った粘膜が触れる。ディオは指の先にキスをされている錯覚をしていた。この暗がりなら、何をしても見えないのかもしれない。ディオは小指でジョナサンの顎の位置を知る。
体を反転させて、ジョナサンの顔の正面に自らの唇を向ける。
喉が鳴った。心音がひどい響きで狂い続けている。この鼓動が服越しに伝わってしまったら、ジョナサンは起きてしまうだろうか。
指を動かし、首筋にあてた。
「こんな好機、二度と無いぞ……誰に見られていたとしたって、構うもんか」
自らに言い聞かせてディオはジョナサンの顔面を引き寄せた。
吐息がディオの鼻先にかかる。安心しきってぐっすり眠りこんでいるジョナサンがいる。暗い部屋の中で影になってしまっている。
「このディオが、どうして、獲物を前にして何も出来ずにいるんだ。……何で、くそ……ッ」
襟首を握り、ジョナサンの胸元にディオは顔を埋めた。望み焦がれていた男の体がある。唇が、顔がこの手の中にある。一方的に奪った所で、何も満たされないとディオは結末を分かってしまっている。
少女の心が相手の思いを求めてしまっているのだ。
情けなくて、自分に呆れて笑ってしまう。ディオは半身に乗るジョナサンの腕を抱きしめた。深い眠りの中にいるジョナサン、無意識にディオを抱き返していた。
「フン、精々今だけは、阿呆みたいに寝腐っていればいいさ……」
憎まれ口を呟きながらも、ディオはジョナサンの胸の中に潜り込んで更に身を寄せた。
ディオの緊張しきった鼓動とは真逆にジョナサンの心臓のリズムは穏やかに刻まれていた。胸に耳をあてると、次第にディオの強張った四肢も緩んできた。
まだあと少しだけ、夢のままでいたかった。


目覚ましの電子音が室内のしんとした空気を裂いた。先に脳が覚醒する。
「う……」
途端、身体が軽くなって、肌寒さを覚えた。ジョナサンが起き上がったのだ。
ぼんやりとした視界の中で男が腕を伸ばしてあくびをしている姿が映った。
「……あ、おい」
「……ええっと、あれ？……何でだっけ」
重たげな瞼を擦りながら、ジョナサンはディオを見下ろしている。脳が状況を処理するまで時間がかかっているようだ。
「おはよう……？」
とりあえず挨拶をするジョナサンは、余程親に叩き込まれたのだろう。礼儀正しく、手を伸ばしてきた。ディオも反射的に手を握ってやった。
起き抜けに握手を交わす二人の光景は、傍からみればさぞ可笑しいに違いない。
ジョナサンはいつもの習慣で、遮光カーテンを開いて、窓を半分開けた。風が通れば、夜中のアルコールが抜けて、新鮮な空気が取り込まれた。
「ディオ……コーヒーでも飲むかい？」
「おれは朝は紅茶派だ」
「奇遇だなあ。ぼくもだよ」
「……じゃあどうしてコーヒーを勧めたんだ」
「なんとなくだよ、何となく」
ジョナサンは部屋履きを引っかけて、寝癖の髪を掻きながら、キッチンへ向かう。湯を沸かしながら、ジョナサンはバスルームへ向かった。慣れない場所と、慣れない男と共に寝たからか、ディオは肩も首も腰も、体のあちこちが痛んだ。しかし、不満ではない。朝日を浴びれば、より実感した。全ては現実だ。夢ではない。本当であると頭も体も理解する。
湯が勢いよく風呂場に流れる音がリビングまで届いている。火にかけられたケトルが沸騰を知らせている。
「おい、湯が沸いてるぞ」
バスルームの扉は半開きであったので、特に気にかけずに覗いた。
「あ、そうだったね。ごめん。火、止めといてくれる？」
「…………」
ディオはバスルームの扉の前で固まってしまった。
「ディオ？」
「……っ、シャ、シャワーを浴びるなら、ひと声くらいかけて行け！」
感情の任せて、ディオはドアを思い切り閉めてやった。力を込め過ぎて手の平が痺れた。
ディオに背を向けてはいたが、ジョナサンは全裸だった。湯気の中で見え隠れしていた、高い位置にあった尻が目に焼き付いてしまった。引き締まった形の良い、尻だった。誰も知らない知るわけのないジョナサンの下半身だ。ディオは妙な汗をかきながら、火を止めた。マグカップと来客用のティーカップがある。
ポットに茶葉をぶちこんで、ディオは適当に湯を注いで、色が出てきたあたりで、カップにそれぞれ注いだ。それからグラスを借りて、口を濯ぎ、うがいをした。顔も洗いたかったが、今はジョナサンがバスルームにいる。
ふと壁にかけられた時計を見ると、まだ七時を回ったばかりだった。急ぎの用件がなければ、普段のディオはまだベッドの中にいる筈だ。
「ジョジョのやつ……着替え持って行ったか……？」
バスルームを見渡した時に、ディオは確かめている。タオルが何枚か棚に詰め込まれてはいたが、ローブや着替えは用意されていなかった覚えがある。
ディオの脳内で妄想が加速していく。沸騰したての湯のように、脳みそが煮えたぎってくる。
「い、今のおれには刺激が強すぎる……な、何か、無いか？」
バスルームからは水音がまだしている。上がってくる前に、声をかけて、服をもう一度着てから出てきて貰えばいいのだが、ディオは混乱して焦っていたので、その考えに至らなかった。
仮眠用のベッドのある部屋に入ると、予想通り、クローゼットがあった。
小さい引出の一段目を開ける。ネクタイやハンカチ、カフスボタンが、手つかずのままに仕舞われているだけだ。
続いて二段目を開ける。
「……ッウ！」
肌着や下着が、雑に放り込まれていた。一応は洗濯済みらしいが、畳まれるまえに詰め込まれたらしく、皺になったままだ。一枚をつまんで取り出してみた。
ディオのものより一回り大きなサイズのアンダーウェアだ。
「触るんじゃあなかった……ッ！」
ディオの頭には後悔の二文字で占められた。顔を埋めたい衝動に駆られて、今にも引き出しに頭ごと突っ込んでしまいそうだ。これではただの変態ではないかとディオは自身を叱咤している。
ジョナサンの体臭の残り香と、洗剤の爽やかな香りが混じって、ディオには媚薬のような効果を齎している。