M&H 4

そして、何故かディオは浮かれてジョナサンの冷蔵庫からビールを取り出して、飲み始めた。病み上がりには毒だと制止するジョナサンを言いくるめて、酒を勧めた。
「そもそも何であのモデルをやることになったんだ? どういう流れでそうなったんだ?」
ジョナサンは渋い顔をしていた。寝癖のついた後ろ髪を撫でつけながら、一年半前の出来事を思い出していた。
「そうだな……どこから話せばいいかな。きっかけか……あれは友人たちの、ちょっとしたパーティーの夜だったっけ」

その晩は、皆が顔見知りの、内輪だけの小ぢんまりとしたホームパーティーが行われていた。気取ったものではなく、参加者はラフな服装で、仕事帰りのものも大勢いた。
ジョナサンの知り合いや友人は、貴族も多かったが、中にはスピードワゴンのように一般家庭出身のものもいた。――とは言え、彼は若くして石油王となり、既に名を馳せている――
彼らは好き好きに会話し食事をし、ゲームやダンスに興じていた。ジョナサンもほどよく酔いがまわり、いい気分だった。その時までは。
「なあ、ジョジョ。勝負しようぜ」
友人のひとりが持ちかけてきた。周囲も楽しげに見守っている。
「いいよ、何する?」
「そうだな、久々にナインボールやろうぜ。せっかくビリヤード台があるんだから」
ただの飾りと化していたビリヤードテーブルを指して、彼は自信ありげに言うので、ジョナサンはその勝負に乗った。
「ただの遊びじゃあ、つまらないよな」
「賭けかい? 先に言っとくけどぼくは貧乏学者でね、むしれる毛もないからね」
彼らの動向を眺めている男たちがジョナサンのジョークに笑った。
「おれ達の間で金や物なんか賭けたって仕様がないだろ。そうだなぁ……何でもひとつ言うことを聞く。シンプルでいいだろ?」
「ハハ、一日執事とか? それとも運転手?」
「そうそう、そういうのがいいじゃあないか。よし決まりだな」
友人も酔っぱらっていたのだ。軽はずみすぎる発言だ。それでも、その場は楽しかったのでそれで良かったのだ。しかし、それからというものの、ジョナサンは全く運に見放されていた。
それに次第に頭が冴えてくると、ジョナサンは自分がこういったテーブルゲームが不得意なことに気が付いたのだった。だがもう遅かった。
三ゲームし、一勝二敗という結果に終わった。つまりジョナサンは負けてしまったのだった。
酒の席の約束など、忘れてしまうもの。お互い楽しい時間を過ごせて良かった、それだけで終われるとジョナサンは思っていた。
だがしかし。後日、前触れもなくジョナサンのフラットのベルがなり、仕事人の顔をした友人が待ち構えていた。
そして彼が持ちかけたのは、ジョナサンをモデルにカレンダーを制作したい、とのことだった。彼は出版会社のボスであったが、まだ会社は小さく、何かヒットを生み出したいと常日頃から考えていたのだ。
始めこそ、悪い冗談だとジョナサンは断ろうとしたのだが、売り上げは全て慈善団体や孤児院等に寄付をする、というチャリティー目的ということと、友人である彼を含め、撮影や制作に携わるスタッフたちの熱意にあてられ、ジョナサンは承諾したのだった。
それからは撮影はあっという間だった。早朝に始まり、英国中のあちこちを移動し、何度も着替えさせられ、指示通りのポーズや表情を作り、ジョナサンは目が回りそうなほどの一日を送った。それが繰り返されること、六日。そして解放されたのは……なんと一週間後であった。
「一日って約束だったろ……」
疲労困憊のジョナサンはボスである彼にそう伝えたのだが、
「まあ、この業界ではスケジュールが変更になることはままあることだ。気にするな、ジョジョ!」と笑って返された。
やっとの思いで帰宅したジョナサンはそのまま半日、ベッドから出て来られなかった。


「つ、辛かったよ! 本当に辛い! 元々ぼくは体温も高いし暑がりなんだ。それなのに、あんな南の島でスーツ着せられて、灼熱の砂浜の上で寝転んで笑えって言うんだよ!? 手にしたビールはずっといい泡を保ったままでどんどんぬるくなっていくし、飲んじゃあ駄目だって言うし! そんな太陽の自然の光があるのに、それでもライトを当てて、フラッシュをたいたカメラで撮影しまくるんだ!」
「そりゃあ、大変だったな」
ジョナサンは撮影のことを話し始めてから、饒舌になってきた。いかに苦労したか、どれだけ辛い体験をしたかを切々に語り、ディオに同意を求めてくる。相槌を打たないと、絡みだしてくるので性質が悪い。
ディオの気に入りの八月の男は、爽やかな笑みの下に涙を隠していたのだった。
ジョナサンの思い出話の中で出てきた、スピードワゴンを始めとする、上流階級の人物の名が驚くほど自然に出てくるので、ディオは、本当にこのジョナサンは「ジョースター家」のものではないかと思い始めている。
「なあ、ジョジョ」
ディオは試しに訊いてみることにした。
「なんだい、ディオ」
虚ろな目をして、椅子に体を預けている。こんな無防備な醜態を晒していいのだろうか。
「本当に本当におまえはジョナサン・ジョースターなのか?」
「そうだって、言ってる……ほら、これ」
ジョナサンは足元に転がっていた使い古しの財布を取り出した。どうやら現金はほとんど入っていないようだ。財布は薄い。
運転免許証が出てきた。
ディオの酔いが一気に醒めた。
「あ、最初っからこれ見せればよかったんだね……あははは……」

この男は、正真正銘の、本物の、あのジョナサン・ジョースターなのだ。
ディオはまじまじとジョナサンの顔と免許証の中のぎこちない無表情の男を何度も見比べた。
そして偽物ではないかと免許証を調べた。本物のようだ。
「な……なんて不用心なんだ……こいつ!」
ディオは立ち上がり、出入り口を確かめた。やはり鍵がかかっていなかった。改めて玄関の鍵を閉めた。動悸がしてくる。アルコールの所為だけではない。
「むしろよく今まで平気だったな……。いや、この部屋も実は監視カメラが設置されていて、何があっても大丈夫だという確信があるからこそ、油断出来るのか?」
「ディオ……あ、もうこんな時間じゃあないか……もう今日は……泊まっていけば……明日、送っていく……から……」
酔いつぶれたジョナサンはディオに覆いかぶさるようにして倒れ込んできた。成人男性が二人で寝るには狭く、小さすぎるソファーの上で、ディオは身動きがとれずにいた。
「……もし、この部屋がジョジョの安全のために監視されていたとしたら、下手に手出しは出来ん……!」
ジョナサンはすっかり寝入ってしまい、ディオの敏感な耳たぶのあたりで呼吸を繰り返している。
「クソ……、現実に手が届いているというのに! こ、こんな所で、こんな都合のいいことなんて、夢であったほうがマシだーーッ!!」
ディオは、職業柄、相手の同意を得ない行為をしてしまった場合の告訴について考え、ひたすらに耐えた。
最愛の男の目の前ににして、ディオはキスひとつも出来ないまま、長い夜を過ごすこととなってしまった。


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