ゆらゆらすいみ 2
二たっぷり湯をはったバスタブに、ぼくはディオの手によって強引に放り込まれていた。
「これ熱いよ、ディオ」
「黙って入ってろ。骨の髄まで染み込んだその臭いを消すためだ。」
泡をつけたスポンジでディオは自分の体を洗っていた。バスタブの中ですればいいのに、と声をかけたら、「おまえが入ってるだろ」と冷たく言われ、鼻であしらわれてしまった。
それにしても、見た目には気を遣っている方だとは思っていたけれど、ぼくはあまりにも丁寧に体を洗うディオの姿に思わず惚けてしまった。
「そりゃあ、キレイなはずだ」
「なんだ?」
「あ……いや……、ごめん。口に出ちゃった。」
「何を見てるんだ」
止まっていた手をまた動かし始めて、ディオは腿からふくらはぎを洗う。
「君は、女の子にも、男にも、キレイだって言われるだろ」
「フン、当然だ。」
聞きなれている褒め言葉に、ディオは動じない。ディオは足首を洗っている。
「顔とか体つきとか、生まれつきのものだけだと思ってたんだ。でも、そうじゃあないんだね。」
右足が泡だらけになっていた。そして次にディオは左足の腿を洗い始める。
「毎日、そんなに時間をかけて洗うのかい?」
「……は?」
「体だよ、すごく念入りにしてるじゃあないか。」
「これくらい普通だろ」
「そうかなァ?」
ぼくは、ディオが足の指の間まで一本一本洗っているのを見て、恐れ入った。
「なんだ、ジョジョ。もうのぼせたのか。」
「うぅ、ああ……そうかもしれない。」
ディオは分かってないのかな。それとも、あれが普通になっているのかな。
自分自身が美しくあることを望んでいるのも、ディオらしいもっともな理由でもある。
でも、……もしかして、いやもしかしなくても……ディオはぼくの為に、どこもきれいにしてくれてるんじゃあないかって、気づいてしまったから、ぼくはもう顔が赤くなるのを抑えきれなかった。
「おい、もっとつめろよ」
「え? ええッ?」
「ぼくも入るから、どけ」
向かい合ってディオは、湯船の中に入ってくる。それなりの大きさのバスタブでも、流石に男二人で入るには狭い。
「ぼく、もう出るよ」
「おまえはまだ入ってろ」
無理やり肩を押し込まれて、ぼくは湯の中に戻される。
膝を曲げて窮屈そうにディオが座ると、かなりの量の湯が流れていった。
出来るだけぼくは邪魔にならないようにしているつもりだったけど、ディオは落ち着けないようで、身をもぞもぞとさせていた。
「ディオ、あのさ」
「なんだよ」
「こうしたら、いいんじゃあないかな。」
ディオの身をひっくり返して、ぼくはディオの腰に手を回した。
ぼくの胸とディオの背中がぴったりくっついている。ぼくの開いた足の間にディオが座る形になった。
「な……なにをする!」
「これだと、ほら、足を曲げなくても入れるだろ?」
ディオの頭の後ろでぼくが話すと、ディオはぴくんと背中を波打たせて反応していた。
十六を過ぎたあたりから、ぼくとディオの体格に違いが出てきた。それまでは身長も体重も差ほど変わりは無かったけど、十六、七歳の頃、ぼくは急激に身長が伸びて、腕や胴体や足がどんどん太くなっていった。筋肉の量が増えて、体つきが大人っぽくなっていった。
ディオも、平均からすれば背も高いし、たくましい部類なのだろうけど、ぼくから見れば一回り小さく感じる。
だから、ぼくはディオを自分の胸の中にすっぽり抱きしめることが出来るんだ。
「おい、あんまり……さわるな」
「嫌?」
「……うっ、手を、動かすなよ……!」
「ぼくは動かしてないよ、ディオが動くから。」
「んっ、……」
ディオは膝を抱えて、身を縮こませてしまっていた。震えている耳たぶが、やけに赤い。
「ディオ……嫌? 嫌なら言ってくれないと、ぼくは……」
「くっ……」
すべすべとした肌触りの腹を撫でる。しっかりついた腹筋は割れていて、そのおうとつを指の腹で感じる。
ディオは息をつまらせて、黙って首を横に振った。
「嫌、かい?」
ぼくの言葉を否定して、また大きく首を振る。濡れた金髪の毛先がぼくの顔をぴたぴたと打つ。
「はっ! ……あぅっ」
漏れ出た声に、ぼくは反射的に体の中心を熱くさせてしまう。
「いや……っ」
ディオの拒みの言葉が、切なくバスルームに響いて、ぼくは苦しくなりかけていた息を殺した。
嫌だって言ってる。やめなくっちゃあいけない……。
「じゃ……な……い。」
「ディオ……」
語尾はほとんど聞き取れなかった。だけど、ディオはぼくの手の上に手を重ねてくれている。それだけで全てが伝わってくる。
「嫌じゃない……って、言ったの?」
答えを分かっていても、ぼくはきちんと確かめたくて意地悪く聞き返す。ディオは、頷かないし、首も振らない。
「素直じゃないなあ……」
顔が見たかったけれど、ディオは俯いて顔を伏せている。きっと恥ずかしいんだと思う。
照れた顔はぼくの知っているディオの表情の中で、一番好きな顔だ。
滅多に見せてくれないから、ぼくはわざとディオを恥ずかしがらせて、照れさせるようにしている。ディオも見せたくないから、その顔をぼくから隠してしまうんだ。
天井から落ちる水滴の音のリズムが心地よかった。ぼくとディオは黙ってくっついて、しばらくの間二人で同じ音を聞いていた。
普段の倍以上の時間をかけて入浴している。全身、どこもふやけてしまいそうだ。
「ディオ、ぼくのこともう臭いとか、言わないよね?」
だって、その前は怒って近寄るなとか触るなと騒いでいたけど、今こうして抱き合っているなら、もう許されたということじゃあないだろうか。
「今は、な」
ディオは手で湯をすくって、肩にかけたりして暇を持て余している。
「どうせ風呂から上がったら、また吸うに決まっている。」
「……う。」
まるでこちら側が見えているかのようにディオは手についた水を、ぼくの顔面目掛けて飛ばしてくる。命中した水が、目の中に入りそうになってぼくは瞼をぎゅっと閉じた。
「そりゃあ……そう、だけど……」
絶対に吸わない! と言える自信はぼくにはなかった。染み付いてしまった癖なのか、呼吸や瞬きと同じくらい自然な動きで、ぼくはパイプを口にしてしまうんだ。
「なら、ぼくにいい考えがある。」
ぼくは、ぼくなりに自分が何故パイプを吸いたくなるのかを考えてみた。初めは慣れるまで時間が必要だったけど、体が煙に馴染んでくると、今では反対にそれが無いと落ち着かなくなってしまうんだ。
どうしても、口にしたいと思ってしまう。苛々するからパイプを吸うのか、パイプがないから苛々するのか……。
「ディオが代わりに口寂しさを解消してくれたらいいんじゃあないかな!」
「阿呆か!」
そう明るく告げたら、ディオは間髪入れずに一蹴してくる。
でも、ぼくはちっともめげる気にはならなかった。相変わらずディオの耳たぶは赤くて、声の調子が優しかったからだ。
「あ、だめだ。」
「……おい? ジョジョ?」
「あー、だめだ。ぼくもうだめだ。今すぐパイプ吸いたくなってきちゃった。」
「おまえ……何を言ってるんだ。」
不審がるディオが首をこちらに向けたその隙に、ぼくはディオの顎を持った。
「あっ」
小さく開いた唇をぼくは、吸った。ここぞとばかりに思い切り吸った。
「んむ……ぅ」
不自然な方向に曲げられた首が苦しそうだったから、ディオの体を反転させて、抱きしめながらぼくは口を塞いでいた。
「んうっ! んんっ!」
ディオがぼくの名前を呼んでいるのが聞こえる。胸板を叩いて、髪を引っ張ってきて、やめさせようと訴えてきているけど、いつもディオは本気にはならない。本当に、やめさせようとして抵抗するなら、もっと力強く殴りぬけるはずだからだ。
「はあ……っあ……っ、ジョジョ……おまえなあ……っ」
「ディオが本当に嫌なら……しないよ。でも、パイプの煙や臭いをディオが嫌だって言うなら、君にぼくの寂しさを解消して貰いたいな」
「ふ、ふざけやがって……っ!」
「ぼくは大真面目だよ。」
濡れた唇をディオは手の甲でぬぐった。手も濡れているのだから、意味のない行動だった。
「ね、ディオ……“お願い”だよ。」
「くそが……っ」
口汚く罵られているのに、ぼくは全く腹が立たない。それどころか、ぼくの頬は緩みっぱなしだ。
嫌、とか、駄目とか、やめろ、とかディオは絶対に言わないでいてくれる。ぼくがそういった言葉を口にされると、本当に何も手を出さないのを、ディオは分かっているからだ。
ぼくはディオから身を放して、両手を広げて、目を閉じる。
水面が揺らいでいた。気配だけでディオの動いている様子を浮かべる。ぼくの腿の上に、そっと手が置かれた。
「んっ……」
ぼくの唇が奪われていく。夢心地の柔らかくてあたたかい感触は、眩暈に似た陶酔感を覚える。
その日の晩、ぼくはディオに自分のパイプを預けた。
「仕舞うなり隠すなりしていい。でも気に入ってるものだから壊すのだけはやめてほしいな。」
「ぼくに、これを渡すってことは……、つまり」
「うん。」
ぼくはディオを膝の上に乗せた。襟足がまだしっとりしていて、ディオのうなじに張り付いている。細い金髪を指に絡ませながら、ぼくはディオの顔をゆっくり自分の顔に近づけさせていく。
「君の考えている通りだよ。」
「あ……ッ、ん……っ」
今日何度目か分からない口付けをして、ぼくはディオを抱きしめる。
バスルームでも散々して、最後にはディオの音を上げさせた。あの負けず嫌いのディオを、だ。我ながら凄いと思う。
「もう……っ口が、痛くなる……ッ!」
力なくディオはぼくの胸を押して、キスを止めさせようとするけれど、ぼくはしつこく迫った。ぎゅうぎゅうと腕で身を締め付けてやる。
「んっ、んっ、ふっ……うっ」
痺れるくらい舌を絡ませ、唇が腫れ上がるほど重ね合っても、ぼくは飽き足りなかった。
胸を押していたディオの手は、やがてぼくのナイトシャツにしがみつくようになっていた。ディオが手に持っていたはずのパイプは、いつの間にかベッドの下に転がり落ちていた。
「もっと、ディオ。ねえ、ぼくが寝る前にも吸っていたのを知ってるだろう?」
「は……っ、もう、いいっ、もういい……。」
「なにがいいの?」
瞳に薄い水の膜を張らせて、ディオはぼくを見つめる。キスしていた時のままの口は、半開きになっている。ぼくに好き放題にかき回されたディオの口の中は赤くなっていて、充血していた。
「馬鹿……やろう……っ!」
両手でディオは、ぼくの胸のあたりの布を握って、ぼくの膝の上でへたりこんだ。ディオの熱くて荒い息がぼくの首元にかかる。
肩から下がガクガク震えていて、ぼくに縋りついているから何とか腰を支えられているみたいだ。
「もう、……はやく、キス……以上のことをしろよ!」
未だかつてこれ以上の殺し文句があっただろうか? ぼくの全身は骨から発火しそうになった。
高ぶった感情の赴くままに、ぼくはディオの唇に襲い掛かった。
「んぐっ! んんっ! んはっ……だからっ! キスはいいと言ってるだろう!」
「無理だよ! ……もう、ディオにだってぼくは止められないからッ!」
「んっ! んんン〜〜〜〜〜ッ!!! ジョジョっ! もう、キスは嫌だああああぁぁッ!!」
断末魔の絶叫のような、ディオに嬌声とも悲鳴ともつかない叫び声を上げさせながら、ぼくはもう一度ディオの唇を頂いた。
おしまい