月海夜 10
「おまえ、気づいているのか? 手酷く抱いたあと、おれに優しくしようとするんだ。まさかとは思うが……罪滅ぼしのつもりか?」ディオはジョナサンの顔を両手で持ち、正面を向かせた。
「ご、ごめん……」
「何に謝っている?」
続けてディオはジョナサンを見据えたまま攻撃する。
「その……ひどく、したことに……」
「マヌケめ、おれが言ってるのはそっちじゃあない」
「え……?」
ジョナサンの答えが癪に障ったのか、ディオは大袈裟に舌打ちをする。
「おれが言いたいのはな、ジョジョ。『罪悪感』を感じるくらいなら、するな、と言ってるんだ。何よりその生ぬるい甘ったれた精神が気に食わん! ベタベタと……見え透いた優しさで接して、おまえはそうすることで自分を慰めているんだろう!?」
「そんなわけじゃ……ッ」
遮って言いたかったが、ディオの眼光に負けて、ジョナサンは口を噤んだ。
「まだるっこしいやつ! はじめに言っただろう、おまえはなぁ、相手を痛めつけて、苦しませることで興奮する下卑た男なんだってな!」
「……ッ! 言わないでくれ……ッ!!」
思わず顔を背けて言葉から逃げようとしてしまったジョナサンに、否定は出来やしなかった。違う、ときっぱり言えないのだから肯定も同じだ。
「ハハハッ! いいぜ、その顔は! たまらないなぁ、ジョジョ……ッ!」
ディオは容赦なく前髪を引っ張り、再びジョナサンを前に向かせる。戸惑い、睨みきれない弱弱しい目つきは、ディオの攻撃性を高めさせてくれる。
「それはもう健全で清潔な、大事に大切に温室で育てられてきたおまえが、野卑で下劣な性癖の持ち主だなんてな! それも男に対して!! 恥ずかしくて紳士の名も語れまい……ああ、みっともないなぁ、ジョジョ」
「ディオ……ッ!」
「いいぜ、ジョジョ、泣いてくれよ……ふふ、ククク……おまえのイイ顔を見せてくれ……ッ!」
「聞きたくないッ! やめてくれ……、ディオッ!!」
「真実だろう、認めろよ、楽になれる」
なんと甘い誘惑だろう。ディオの言葉は、蠱惑的に耳に響く。ジョナサンは自分の強く握り締めた拳だけを視界に入れた。
「出来ないよ……! 出来ないっ!」
「おれはな、喜んでるんだ、嬉しいんだよ、ジョジョ。きさまのような、光の世界の住人が、そんな恥ずかしい欲望を持っている事実に……これは、この上のない喜びだ。」
急に語調が柔らかくなった。ディオはジョナサンの胸の中にそっと身を寄せ、頭を肩に乗せる。長い髪がさらりと背に流れた。
「おまえにだって闇があるんじゃあないか……おれはそういうヤツが好きだ……」
「ちがう……ッ! ぼくは……!!」
ジョナサンは、ディオから身体を離そうと手をかける。心音は動揺し、早鐘となる。
「何が、違う? おれを打って、おれを縛って、嬲り、責めて、興奮したんだろう? おまえは自分自身の言葉で、おれを甚振った……それに快感を得ていた……」
それは全て、ディオの所為なのだと、ジョナサンは自身に言い聞かせていた事の数々だった。何もかもが、誰に命ずられるわけもなく、自身が行った全てであり、事実であった。今もそうだった。ディオを泣かせ、欲しいと口で言わせて、我慢を強いて、その姿にはっきりと熱を高まらせていたのだ。自分が信じたくないから、認めたくない。本当は知りたくもないし、分かりたくもなかったのだ。ジョナサンは、本心を射抜かれ、脱力した。
「愛しの女になんて、こんな野蛮な振る舞い、出来んだろう。おまえはあくまで理性的に紳士でいようとかたく誓っているからな。そんなセックスで、満足するのか? ……もう、二度と他のヤツなんて抱けないな」
愛しの、と付けた先にディオはある女性を連想していたのだろう。わざとらしく言われ、ジョナサンは苦い思い出を、ふと頭に蘇らせてしまう。
「一夜限りの商売女なら、出来るかな……いや、おまえの性格じゃ、そんな真似はしないな……」
聞こえるか聞こえないかの声でディオは独り呟いた。そして皮肉に嗤った。
交わりの後の、気だるげな身を起こし、ディオはジョナサンの顎を掴んで、自らに近づけて声を荒げた。
「このディオだからこそ、おまえの何もかもを知っているディオだからこそ、おまえに眠る本来の自身を解放できるんだ! ざまあない……ククッ、いい気味だ、ジョジョ! おまえの欲望はこのディオでしか、果たせはせんのだーッ!!」
「そ、そんな……ッ! ことは……!!!」
「無い、と言い切れるか?」
拒めなかった。ジョナサンは、たったの一言が言えなかった。自分にも誰にも、偽れない、嘘がつけない。隠れていた本当の思いを引きずり出されてしまったのだ。
「ハハハ、なんだ、言えないのか、正直なヤツ……そんなおまえが」
嗤うディオの目が、急に暗闇に混じり、黒目が大きくなり、潤む。
「愛しい……」
目の前にあった顔が、ぐんと寄り、ジョナサンは息を止めた。
「え……ッ! ンッ……!?」
目を閉じられなかった。
口づけは何度もしていたのに、ジョナサンは驚いていた。欲情でするキスでも、性交の間にある愛撫のひとつでもない。思いを確かめ合う、キスだった。
「おまえはおれの『しもべ』だ」
そそがれた告白に、ジョナサンの喉は鳴った。
主の微笑みは甘美に切なく、そして乾いた心に注がれる清らかな水であった。
愛せないと、告げた相手に愛され、ジョナサンは呆然としていた。
ディオは、ジョナサンの意志など、どうでもいい。
自分が愛しているなら、ただ相手を愛すだけだ。
それは、献身でも、無償でもない。
とてつもなく、ひとり善がりで、我が儘で、そして不器用な、ディオなりの愛情であった。
ジョナサンは泣き、また二人は口づけをかわす。
これは愛か?
こんなのは愛じゃあない。
ジョナサンは、迷い、心に尋ねる。
手や腕は、冷たい背中に、無意識のうちに回していた。ジョナサンがディオしか愛せないなら、ディオもジョナサンしか愛せないのだろうか。
このひと月、夜毎抱くたび、ジョナサンは同じ問いの答えを探し続けていた。その答えは今でも出せずに白紙のままだった。