月海夜 14

「こんな遠くに住まなくてもいいのに」
 ジョナサンは、石館の裏戸を見上げながら、ぽつりと呟いた。
 ディオがこの辺境のはずれを居所として選んだ理由を未だに知らない。石館は古めかしいが、豪勢なつくりでディオが好みそうだとは、一見して分かる。だが、ここにわざわざ住んでいるのも、何か他に心惹かれるものがあるのではないかとジョナサンは疑問に思った。
「ジョースター邸には帰らないからな」
 石仮面をディオが持ち出した騒ぎで、ジョースター卿の回復しかかっていた病状は悪化し、またしばらくの間寝込んでしまった。義理の息子と実の息子が、殺し合っている場面に突然出くわせば親なら誰しも卒倒するに決まっている。ジョナサンはディオが仮面をかぶり、警察の銃弾に打たれた所までは目にしていたが、外にディオが投げ出されてから姿を見失った。それからディオが仕向けた刺客を倒し、痕跡を追い、ここへたどり着いたのだった。それがひと月前の出来事だ。
「……あれから父さんも大分元気になったんだよ、別に意地にならなくたっていいじゃあないか」
 館に灯りはほとんど無く、ジョナサンは持参した手持ちランプに火をつけ、足元を照らしてから扉を閉めた。
「おれはあの邸には戻らない、ここが気に入ってるんだ、……ここは静かでいい。」
 館内を歩き慣れているディオはジョナサンに背を向けて先に進んだ。小さくなる語尾には、ディオの心情が表れていた。戻らない、と自分で決めている。だが帰れないことに悔やんでいるのを隠したがっていると、ジョナサンには聞こえるのだった。
「それに、」
 急に立ち止まったディオが、ジョナサンの首にするりと手を入れて、ふいに誘う。
「二人きりでなければ、こういうことは出来んだろう?」
 唇を寄せられ、ジョナサンは少し身構えてしまう。三日ぶりに直に触れられると、やけに素肌の香りが鼻につく。
「自由がある、……おまえも、ここでなら、解放される……。」
 重なり合う唇のまま、ディオが話す。単語ごとに区切り、ゆっくり紡がれる言葉がジョナサンをくすぐる。
 すっかり淫れた生活にジョナサンは溶け込んでしまっていた。ディオが求めれば、好きなだけ与え、自身の肉体を貪らせている。セックスのどの段階で、ディオが精気を摂取出来るのかは分からなかったが、彼は口付けも大いに好んでいるし、交わり以前の愛撫もたっぷり時間を取らせ、挿入にかける時間はそれらの倍以上はかけていた。
 若い身体だからなのか、ディオの何かしらの魔物の力なのか、事に及ぶと、夢中になって時を忘れてしまうので、通常と比べて(あくまで平均的に)長いか短いのかはジョナサンには計り知れない。


 キスは、焦れったく唇の皮をかすめるだけで終わり、ディオはジョナサンの腕をすり抜けていった。
 素っ気なくまた前を向いて、ディオは足早に廊下を歩いて行ってしまう。霞がかる視界を、かぶりを振って現実に戻し、ジョナサンは慌ててディオを追いかけた。
「ああ、そういえば……」
 寝所は風を通し、よく冷え込んでいた。ジョナサンは先ほど見つけた硝子窓のひびを思いだして、手をうつ。
「窓、直さないとなぁ」
 ディオは寝台に腰をかけて、沈黙した。纏う空気でジョナサンは、どことなくディオが不機嫌になっていると察した。
 硝子窓は、曇りもなく、磨かれたあとがあった。あたりは片付けられ、部屋は掃除された形跡がある。ジョナサンにはこの館に関して、不思議に思う点がいくつかあった。至る場所に飾られている花や、訪れる度に館の中が綺麗になっていくこと。充分に生活出来る環境が整っている。
「ちょっと待ってて」
 ランプを手に、ジョナサンは部屋を出る。窓を塞ぐための、何か代わりになるものを探しに下の階へおりていった。

 手頃な大きさの壊れた戸の木板があったので、ジョナサンは戸から剥がしてきた。地下の召使いの使っていたと思われる部屋で、工具の入った道具箱も見つけた。ジョナサンはそれらを手に寝所へ戻った。
「これを取り付ければ、何とかなりそうかな?」
 部屋のすみの小さなテーブルにロウソクのあかりが揺れている。それを火種にし、もうひとつのロウソクにジョナサンは火を灯した。窓の下にランプと燭台をそれぞれ置き、木の板をひび割れ窓にあてがってみる。
 いつか邸で使用人が家具の修繕を行っていたことを思い出し、おぼろげな映像を頭に浮かべながら見様見真似でジョナサンはとりあえず釘を打ってみた。力任せに振るったハンマーでは、釘がぐにゃりと腰からひん曲がってしまった。
「あれ……?」
 気を取り直して、違うところから今度は慎重に打つ。
「いたあ!」
 釘をおさえていた指を間違えて打ってしまうという、ありがちな失敗をして、ジョナサンは悲鳴をあげた。
 大きなひとりごとを言いつつ、時に盛大な物音をたてて、窓の不格好な修理が終わった。
「よし、出来た!」
 満足してジョナサンが立ち上がる。一時の間の後に、無理に打ち付けられた木戸は呆気なく、ずり落ちてしまった。
「下手くそが」
 背後からディオは低く吐き出した。ディオは後ろでジョナサンが手際悪く作業をしているのを、終わるまで黙って観察していた。だが、あまりの様相に苛立っていた。
「あ、うわっ! ディオ、そんな近くにいたのかい?」
「貸せ」
 ジョナサンからハンマーをふんだくると、ディオは釘をひとつずつ引っこ抜いていき、新たに打ち付けていった。手馴れた様子に、ジョナサンは何も言えずただ見守っていた。ジョナサンが打った釘は全て抜かれて、ばらばらに床に落とされていった。いくらも時間はかからなかったろう、ディオの仕事は少なくともジョナサンの半分以下しか、かからなかった。
「すごいなぁ、……やっぱりディオは何でも出来てしまうんだね」
 純粋な賛辞だった。少年時代から比較され、その度ディオはジョナサンより秀でていると周囲から認められ、その差をジョナサンはありありと見せつけられてきていた。勉学やマナー、スポーツ、それだけではない。日常のあらゆる物事に対し、ディオはジョナサンより優れていた。
「おまえが何も出来なさすぎるだけじゃあないか」
 今ならジョナサンにも分かる。元からディオは、他者より要領も器量もいい。だけど、才能以上に負けず嫌いさを持ち、努力するのがディオらしさであり、ひとりで何でもこなさなければ生きられなかったという環境もある。元からスタートが違う、生きてきた道程が違う。何もしなくてもいい羨まれる身分の人間より、自身の事を何でも自力でこなせられる人間のほうがよっぽど素晴らしいと、ジョナサンは憧れる。
「もしかして、ここの掃除も君がしていたりして」
「まさか、女どもにさせていたさ」
「……女って……」
「おまえが助けた家出娘どもだ」
 あの娘たちに家事をさせていたのだとディオは言った。夜遅くに町中を彷徨う若い娘たちは、美しい男の甘い言葉にのせられて、そして館に招き入れられ、ディオに奉公していたらしい。田舎暮らしを嫌がる若い娘たちは、見慣れぬ美男に夢を見せられていたのだろう。
「勘違いするなよ、ジョジョ。あれは自分の意志でここに来させていたんだ。」
 ディオは水桶に手を浸して汚れを落とし、真新しいタオルで手を拭いた。
「館の花や、その君の服も、彼女たちに色々世話をさせていたのかい」
「そうだ、女どもは望んでおれに尽くしていた」
「そう、だったのか……。」
 数々の疑問に合点がいった。
 ジョナサンは工具と、放られた釘を道具箱に仕舞い、真っ直ぐにはめこまれた木戸の前に座り込んだ。
「ディオ……でも君はきっと、掃除も洗濯も料理も、それから、金を稼ぐことも、生きるために必要なことは、何だってできるんだろう?」
「……だから、なんだ。」
「ぼくは、多分……いや、見ての通り、そういったことは何一つ出来やしないんだ。」
「おまえにはその必要が無いからだろう」
「うん……それが自分では普通だと、今までは思っていたよ。」
 自嘲気味にジョナサンは笑んで、立ち上がる。膝を叩くと、小さな木屑がぱらぱらと落ちていった。
「君と比べるのもおかしいけれど、ぼくは何も出来ないんだと改めて思い知らされたよ……。」
「随分と回りくどい物言いだな、ジョジョ」
「……教えてほしい、ディオ。君の知っている限りの、生きるために必要な知恵を、ぼくに教えてくれないか。」
「何故だ」
「ぼくが……彼女たちの代わりに、ここに居てはいけないだろうか。」
「ハハッ! 気が変わったか、ジョジョ!」
 最初の朝にディオに言われたことをジョナサンは思い出す。
 ここで暮らせばいい、とディオはジョナサンを誘った。ディオに対し、疑惑と恐ればかりがあったひと月前のジョナサンには、NOの一言だけ、断りしか頭になかった。
 このまま同じように過ごしていけば、またあの娘たちと同じ年頃の誰かしらをディオは連れ去ってくるのだろう。ジョナサンにはそれを見過ごすわけにもいかない。たとえ、その娘たちがディオを慕い、自らを望んで差し出したとしても、だ。
 そして、彼が他の誰かと館で過ごすのは、ジョナサンは嫌な気分になる。ふたりきりでは無かったのか? ジョナサンの胸に灰色の雨雲が雷を鳴らしてやってきてしまう。
「来いよ、ジョジョ」
 寝台に横向きに寝そべったディオは、手招きをする。ジョナサンは唇を不快に曲げて、床を見ながら向かった。
「ふふ、ふふふ……」
 ベッドの前に立ったジョナサンの腰を抱き、ディオはいつもの様に楽しげにくすくすと笑っていた。
「ディオ……、何がおかしいんだい?」
「何でもないさ……、どうもしない……、ふふっ。」
 ジョナサンの心が自分に傾いていくのが、ディオにとっては面白くて仕方がなかった。遠く、手の届かない存在であったジョナサン・ジョースターという男が、こちらの闇の穴に、身を堕とし始めている。手中に収まるまで、あと少しだ。人は身体を繋げると、心も操れるようになると言うが、この男も同じだ。ジョナサンも、ディオにはひと噛みで食い殺せる弱い人間だ。心もそうだ。もろく、弱く、壊すのもディオには簡単なことだった。
 ジョナサンが手に入れば、ディオの望みは叶ったも同然だ。邪魔者はいない、この男さえどうにかしてしまえば、何もディオに恐れるものはない。
 ジョナサンだけが、ディオの道に転がり込んでくる。周りの人間はその道の端にある石や草にしかならないのに、ジョナサンは、ディオの目に人の形をして現れ、言葉をかける、目を合わせる、ふれてくる。ディオを乱してくる。
 ――早くこの男も、石にしなくてはいけない。


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