月海夜　２０

　毎夜、ジョナサンを待つ必要はなくなった。同じ屋根の下で暮らし、人であった時と似たような日々が流れていた。変わったのは、ジョナサンとディオの関係だった。
　てっきりジョナサンは夜の住人になるのだろうと、ディオは内心ほくそ笑んでいたが、ディオの思い違いだったようだ。
　確かに夜には、ディオの相手をしてジョナサンはその身を捧げている。けれど夜半過ぎにはジョナサンはさっさと寝てしまい、ディオは拍子抜けだった。他にもやることはあるので、ディオもジョナサンと戯れてばかりではない。彼が寝静まった頃に、ディオは机に向かう。そして毎晩、朝方までペンを走らせた。
　ディオが床につく時分、入れ替わりにジョナサンは起床する。そして日中は何かと家事をしていた。生粋のお坊ちゃまだった男が、家回りのことを一朝一夕で全てこなせるわけもなく、始めは失敗の連続であった。しかし、本を読んだり人に尋ねたりして、奮闘するうちに何とか人らしい生活を送れるようになった。流石に料理だけは出来ないらしく、毎日丘の下の町まで食事をしに行ったり食料を調達しに出かけたりしている。
　全くタフな男だ。ディオは汗を流す男の顔を見上げて、つくづくそう思った。
「今日は、大人しいんだね」
　身を屈めたジョナサンが、少しだけ笑ってディオの頬に顔を近づける。
　唇は自然に頬や耳に触れて、ディオは小さく喘いだ。
「黙っておまえは腰を振っていろ」
　ジョナサンの顔を押し戻して、ディオは横を向く。体はジョナサンの精気や肉体の侵入を歓迎しているのに、胸はむかむかしてくる。
「ご機嫌斜めだね」
「アッ…………ぐっ」
　両脚を抱え上げられ、ディオの下肢は折りたたまれた。膕を持ったジョナサンは、思い切り自身を突き刺して、終わらせにかかっている。
　中に欲しいという言葉をディオが飲み込んでしまうと、その思いとは間逆にジョナサンは果てる前に自身を抜き去り、腹にぶちまけてしまった。思わずディオの眉間には皺がよった。鈍感な男だ、とため息も出る。
　波紋の力を帯びた精液は、吸血鬼の肌を焼いていた。

「おまえ、楽しんでいないか」
　後始末をしていたジョナサンに向かって、ディオは率直に問うた。
　今日のディオは、どこか冷たい雰囲気をしている。ジョナサンはこれ以上相手の機嫌を損ねたくはなかったが、何が原因でディオが怒っているのかは見当がつかなかった。
「何のこと？」
「全てだ」
　ディオの言う全てとは、この行為も、ここでの生活も、今のジョナサンの状況のどれもを指している。
「うん、楽しむことにしたんだ。こんなこと……生まれ変わっても経験出来なさそうだしね」
　一言一句気に入らなかった。ディオにとって、こんなに腹の立つことは久々だった。
　途端、金色の瞳に翳が落ちる。ジョナサンはその変化を見落としてしまった。
「君とふたりきりで過ごせるのも悪くないし、ぼくはこの館も結構気に入ってるよ。それに毎日、色んなことを学ぶ度に、いつも沢山の人に支えられていたんだなって、実感する。お湯の沸かし方も知らなかった過去の自分が、今は恥ずかしいくらいだよ」
　言って、ジョナサンは湯の張った桶にタオルを浸した。行為後、ディオの身を清めるのはジョナサンの役目だった。特別ディオが頼んだわけではなく、むしろ率先してジョナサンは行動していた。
「後でお風呂は入るかい？」
「いらん」
　首筋を拭こうとした手を払われ、ディオはそのまま布団に沈んだ。後ろ頭を見るだけで、もう話したくない、という意味をジョナサンは汲み取れた。
　毎日こうして過ごしていれば、たまにはこんな日もあるものだ。
「じゃあ、……おやすみ、ディオ」
　そっとしておくのが一番だろうと、ジョナサンは引き際を知っていた。隣の部屋にも、寝室はある。ディオのベッドほど大きくはないが、ジョナサンが一人寝るには十分なものだった。


　光の無い部屋の中、ディオは瞳を開けたままだった。明かりが無い。漠然と思う。
　こんな気分を懐かしいと感じている自分に嫌気が差した。
　心に灯る光は何だったろうか。人が言うには、夢や希望というものらしい。他にも、安らぎや喜びが光なのだと言う。
　そんなもの、始めから持っていなかった。生まれた時から知らなかった。いや、知っていたかもしれない。だけど、いつかは無くなってしまうものと分かってからは、ディオは自ら放棄している。最初から持たなければ、苦しみなど生まれないからだ。
　若い女性の姿が、ぼんやりと頭をよぎる。ディオは、幻想を振り払うように目を閉じた。
　次に浮かんだのは、ジョナサンの姿だった。ほんの数分前まで、そばに居たというのに、ディオはジョナサンの顔が思い出せなかった。
　ジョナサンの些細な言葉が傷を作る。
　「生まれ変わっても」という言葉が引っ掛かったままだ。
　人の儚さと脆さ、弱さ、醜く老いることも、無様に死んでいくことも、全部が嫌だった。だから人間をやめたのだ。吸血鬼は不老不死、美しく強いまま時を止めている。
　けれど、ディオがこの世界でただ一人認めるジョナサンは未だ人間だ。いっそ彼も吸血鬼にしてしまおうか。
　愚かな考えを持ってしまった。
　ディオは、あれほどに嫌っていた人間の死を、恐れてしまうようになったのだ。


　次の日になっても、ディオはジョナサンに応えなかった。
　次の日も、次の日の晩も同じだった。
「……三日か」
　部屋は閉ざされたきりだった。一度、三日間ディオに会えなかった時があった。あの時、ディオは人を襲ってしまった。あの恐怖の記憶が、ジョナサンの脳裏にちらついていた。
　あれからジョナサンは隣の部屋で寝起きしている。何か物音がすれば、すぐにでも反応出来るように、あまり深くは眠らなかった。
　様子や気配ではディオはどうやら部屋から一歩も出ていないらしい。昼間はどうしているか知り得ないが、日光を浴びてはいけない身で、わざわざ危険を冒してまで出歩きはしないだろう。
　無理にでも、開けたほうがいいだろうか。戸に手をあてて、ジョナサンはディオを思った。

　ディオの総身には、まだジョナサンの精気が残っている。体の内側からジョナサンを感じることが出来る。
　悍ましく、そして甘美であった。
　体内の精気が僅かであるほど、その微量な気に精神を集中させて、ディオは残滓を味わって自身を慰めていた。
　自分には永久がある。だけど、あれには初めから終わりが見えているのだ。
　生まれて初めてディオは「切なさ」を知った。半身を失う恐れ、身を引き千切られるような思い。
　終焉を想像すると、もの悲しくもあり、同時にひどく興奮もしたのだった。


　ジョナサンが戸の前で悩んでいると、ドアは前触れもなく開かれた。
「……ディオ！」
　血の気のない唇をしている。吸血鬼に顔色がいいとか悪いとか言うのはおかしな話だが、肌がいくら白くても、普段はこのように青ざめてはいない。ジョナサンはディオに手を差し伸べて、体を支えようとする。
　手の甲を打たれ、ジョナサンは驚き立ち止まった。ぎらついた目は、濁りが混じっている。
「どう、したんだい……君は……」
　ジョナサンの声は、震えてしまった。亡霊のように気配もないのに、湧き出てくるような邪悪さが感じられる。向けられているのは憎悪だった。
「フ、フフ……ククッ、ハハ、ハハハハハッ！」
　瞬時に、館内に瘴気が満ちた。ディオから発せられている魔の力が、ジョナサンを圧倒する。
「いい気になるなよナァ……ジョナサン・ジョースター……、きさまは勘違いをしているようだ……ふ、フフフ……ッ」
　間をとり、ジョナサンは身構える。冷えた血が足先に集まってくる。足音ひとつ立てずにディオはジョナサンへと近づいてくる。
　影の落ちたディオの顔は、瞳以外が見えない。唇から覗く牙は、月明かりを浴びて光った。
　窓の外には、満月が天高く昇っている。
「このディオを……手懐け様とでも？　きさまなんぞ……きさまなど……！　所詮人間よ！　おまえが存在するから！」
　ディオは間合いを詰め、ジョナサンの首を爪で抉ろうと両手を伸ばした。皮膚が削られ、ジョナサンの鮮血が噴出した。しかし反射的にディオの手首を掴んだジョナサンの傷は浅かった。
「おまえがこの世にいる限り、おれの苦しみは無くならん！　おまえが存在するが故に、このディオの世界は完成しないのだ！　ジョジョォ！　おまえが、おまえがァ！」
「ディオ……ッ！」
　壁際まで押され、ジョナサンは必死で抵抗した。息を吸い、波紋の力を練る。
「殺してやる……ッ！！！」
　歪みきった顔が、ジョナサンの眼前に現れて、思わず息が止まってしまった。
　悲しみ、苦しみ、痛み、憎しみの混じり合った饑渇の表情だった。
　衝撃がジョナサンの脳天を突き抜け、そして彼を支えていた思いの柱は崩壊した。
「君が……、ぼくを殺すというなら、……ぼくも、君を殺す！」
　掴んでいた両手首を握り、ジョナサンはディオの体を無理やり寝室へ押し込み、寝台へ落とす。
「ぼくは……君を……ッ」
　その先は言えなかった。言ってしまえば、ジョナサンの目からは涙が出そうだったからだ。
　どれほど、思っても。いくら伝えても、大事にしても、叶わない。
　それなのに何故、諦めきれないのだろう。どうして許せないのだろう。答えが欲しかった。
　いつになったら、ぼく達に幸福がやってくるのか。
　それとも「ぼく達」には、そんなもの最初から存在しないんだろうか。
　ディオの言うとおり、ぼく達はお互いが居る限り、永遠に苦しむだけなのだろうか。


「が……ッ、ぐ……あ」
　ジョナサンは濡れた指先に波紋を込めてから孔に入れる。ディオの破れた服は乱れている。ディオの両手両脚は波紋を込めた縄で縛り上げ、その縄の先は寝台の柱に括りつけた。
「君がぼくを殺すか、ぼくが君を殺すか……それとも相打ちになるか。死ぬ前に、思い切り君を嬲ってあげるよ」
　体内に直接送られる波紋の熱に、ディオは低く喘いだ。
　肉が溶かされる熱さと痛みが秘部を焼く。暴れる手足は擦り切れてシーツに血を滴らせている。
「ディオ……」
　ジョナサンは伸し掛かり、いつものように優しく囁いた。そして口付けをしようと顔を近づけた。
「ッ！　ぐッ！　……ッ！」
　思い切りジョナサンの顎肉を噛み千切り、ディオは肉片を吐き出した。寝台の下に、指先ほどの肉の塊が転がり落ちて、ジョナサンは自分の顎を手で押さえた。どろりとした血が流れている。
「クク、ふふ……アハハハ！」
　狂ったように声を荒げてディオはジョナサンを笑い続けた。
　笑い声が不快で、ジョナサンはシーツにディオの顔面を押し付けて、抜けた指を戻した。
「ふ、ぐ……ぐぅ……ぅッ！　あぐっ！」
　黄色い光が指先から放たれる。波紋がディオの肉体にぶつかってはじけている証拠だった。
　二本、三本と指が増える。ディオは懸命に声を洩らすまいと耐えているが、快楽より痛みと熱さによってディオの我慢は限界を超えていた。
「あぎ……ィ！　うあ、あああぁあ！」
　四本の指が収まる。このまま手首ごと入れてしまえそうだった。
　息を整え、ジョナサンは指を引き抜いた。ディオの悲痛な嬌声により、勃ちそうにもなかった自身が硬くなっている。息もいつの間にか肩でしていた。
　やはりディオが一番初めに言っていたように、ジョナサンは嗜虐趣味の下卑た男なんだろう。今は、そんな自分の性癖に従うことが脳内を占めている。この激情さえあれば良かった。
「ひ、ヒウ……あ、あぐ、あ、ああ、ああああ！」
　下肢に絡みついた服を引き裂きながら、ジョナサンはディオの臀部を持ち、そのまま自身を沈めていった。
　汗と共に冷たくなった雫が、ディオの背中に落ちていくのを見て、ジョナサンは今まで築き上げていた感情が端から欠けていくのを感じていた。
「あ、ああ！　いうぅ、熱いぃぃぃ！　あがっ、ああ、いうううッ！　ひううううッ！」
　逃げようとするディオの総身を押さえ込み、ジョナサンはひたすらに身を動かした。
「吸血鬼を殺すには……」
「ああッ！」
「心臓に杭を打つとある」
「う、あっ！」
　手首の縄を切り、ジョナサンはディオを後ろ手にして手首を持った。手首を引いてやると、ディオの身が上がるので、結合部がより密着する。ジョナサンは腰を打ちつけながらディオの手を引いて、より乱暴に秘部を扱った。
「こうやって！　刺すんだろう！？」
「ああ゛あ゛ァッ！！」
「今にも死んでしまいそうだ……ッ！」
　甚振る言葉をわざと言い聞かせて、ジョナサンは大きく何度も何度も腰を揺すった。
　腕を引かれているディオの背や肩は軋んで、骨は嫌な音を立てている。
「まだだ、まだ死なない……」
　力の抜けたディオの腕は、ぶらりと垂れ下がり、屍のように動かなくなった。
　ディオから体を離し、ジョナサンは窓の外を見る。空が白み始めていた。