月海夜 23

「ふたりともどうしてここに?」
「ジョースター卿の手紙を見せてもらったよ。この町から送られていると知ってね。それで君を探しにきたわけだ」
「まさか着いてすぐに出会えるとは思わなかったぜ。それにしても、ジョースターさんが無事で良かった!」
 パブの隅の席に三人は座っていた。ツェペリとスピードワゴンはヘレンに紅茶を頼んでいた。
 彼らにはこのひと月のことは何も知らせていないどころか、ジョナサンは連絡すら取っていなかった。これ以上関係のない人々を巻き込みたくはなかったし、ジョナサンの頭の中はディオのことでいっぱいだったからだ。ジョナサンは申し訳なくて頭を下げていた。
「一ヶ月前には大学に顔を出していると聞いたが、君は何かを隠しているように過ごしていたね。何か――いや、回りくどい言い方はやめよう……ジョジョ、ディオはどうしたんだ?」
 ジョナサンの表情は固まってしまった。いくら自分たちが否定しようとも、他人からすればジョナサンとディオは恋人まがいな関係にある、ということになる。
「……それは……その」
「彼は生きているんだな?」
 ツェペリのはっきりとした物言いにジョナサンは首をゆっくり縦に振った。
「……ジョースターさん、あんた何があったんだよ。様子が変だぜ……」
 スピードワゴンは怪訝そうにジョナサンの顔を覗き込み、肩を叩いた。
「ディオがどこにいるのか、わたし達に教えてくれるかい?」
 テーブルの上に置かれたジョナサンの両拳が、ぎゅっと握られた。二人はますます険しい目つきでジョナサンを見つめる。
「君がわたし達に何も告げずに、一人でディオの元へ行ったと知った時は、……死ぬつもりなのだと、思った」
 ツェペリは熱い紅茶をすすり、静かに話し始めた。ジョナサンは伏せられたツェペリの目を見上げて、黙ったまま言葉に耳を澄ます。
「よくて相打ち、悪くて、死。もっと最悪なのは、君がディオの手に堕ちること。ジョジョ、正直に言って君は未熟だ。そして、甘い。非情になりきれない人間だ」
 かっと開かれたツェペリの瞳に射抜かれ、ジョナサンは心臓が跳ねた。否定が出来なかった。
「ずっと心配してたんだぜ、ジョースターの親父さんも何も知らねえって言うし、ヤードに言ったってこんなこと信じてもらえねえし、そりゃ、人間が太刀打ち出来る問題じゃあねえけどよ。それに、おれ達だけじゃあないだろ、あんたのこと心配してる人は」
 家族のほかに浮かんだ人物は、エリナだった。ジョナサンとディオの幼馴染の彼女は、何も教えられていない筈だ。
「まあ、昼間にこうして出歩いているということは、君は吸血鬼でも屍生人でもないと言う事だ。こうして再会できたことをわたしは嬉しく思う」
 ころっと表情を変えたツェペリは手を打って、明るい空気を作った。つられてスピードワゴンとジョナサンも肩の力が抜けていった。しばらくその喜びを三人は分かち合った。
 けれど、ジョナサンは詳しいことは何一つ語れなかった。ただ二人に話せることはひとつだけだった。
「ぼくが、今二人に言えることは、何も心配することはない――ということです。本当にすみません。これしか言えなくて……」
「うん、そうか。分かった。ジョジョ、君を信じよう」
「おい、ジョースターさんッ!」
 引き止めようとするスピードワゴンをツェペリは制止した。そしてジョナサンは一足先に店を出て行った。
「おっさん、あのまま帰しちまっていいのかよ!」
 ツェペリに首を持たれて無理やり座らされていたスピードワゴンが、机を強く叩いた。
「いいや、よくないね」
 手を離したツェペリは優雅に茶を飲み干した。まるで不釣合いな余所者の二人組みにパブの客中から視線は注がれている。
「だったら、何で!」
「やいのやいの言いなさんな。こっちにだって考えはある」
 小指を立てて見せると、ツェペリはその指で髭を整えて笑った。

 道すがら、ジョナサンの頭の中には次々と懐かしい顔が浮かんでは消えていた。家族、友人、仲間……そのどれもに属していながら、そのどれもに当てはまらない人物が最後に現れてくる。ディオは、今のジョナサンにとってどんな立場にいるのだろう。
 この数ヶ月、信じられない出来事があっという間に月日を駆け抜けていった。石仮面を巡って、起きた事件。急激に変化した生活、人生。ジョナサンはため息をついた。
 夕暮れに染まる丘から町を見下ろし、息を吸い込む。冷たく新鮮な空気が胸に入り込む。
 石館に戻った所で、何の意味があるのだろうか。ジョナサンは当たり前のように帰ろうとする自分に疑問を持った。
 生きる世界が違う。
 ジョナサンとディオは、まるっきり違う生き物になってしまった。
 二人は元から相容れないものだったのだ。そもそも出会うことが間違いだった。
 髪の短くなったディオの後姿を思い出すと、ジョナサンの中で少年の記憶が昨日のことのように蘇る。
 生まれも育ちも、性格も、考えも、違う。共通するところは何ひとつなく、互いに嫌い合っていた。……いや、一方的にジョナサンがディオに嫌われていただけかもしれない。
 心の中で、ジョナサンはディオに呼びかける。
 少年の姿のディオが振り向く。幼かった顔つきが、自然に青年のものに変わっていき、大人になったディオはジョナサンに口付けた。
 もっと早くに、気づくべきだった。
 過ちを犯す前に止めるべきだった。
 何もかもが遅い。ジョナサンは何度後悔しても足らず、自分を責め続ける。
 彼は人ではないのだ。
 共に生きてはいけない。
 分かっていても、ジョナサンはまだディオの手を離せないでいる。

「おれはやっぱり気が進まねえよ……」
「静かに」
 スピードワゴンは、がりがりと頭をかいた。ツェペリは身を縮めて、息を殺すようにしている。
「だァってよお」
「ふぅむ、やはりな……」
 身を隠していた緑から這い出ると、ツェペリは服についた土を払って立ち上がった。つられてスピードワゴンも身を起こした。
「ジョースターさんを尾行するなんて、何か騙してるみたいでヤな気分だぜ……」
「ジョジョのことは信用しとる。だがそれとこれとは別問題。本人が言いたくないというなら仕方あるまい」
「ここに……本当にいるのかよ」
 二人が見上げる先には、石館が聳え立っている。一番上の一部屋に明かりがついており、人の気配があった。
「居るに決まってるだろう。でなければここにジョジョが戻る理由は他にはないからな」
「理由……か」
 スピードワゴンは顔を顰めた。まだ納得していない、と言いたげだった。
「よし、では引き返すとしよう」
「えっ?」
「居所は掴めたんだ。町へ帰って宿をとるとしよう」
「あっ、おい! おっさん!」
 ツェペリは、行きとは違って軽い足取りで丘を下っていく。スピードワゴンは常人離れしたこの男の体力についていくのが精一杯だった。つい先日まで食屍鬼街のゴロツキ共の相手をしていたスピードワゴンにとって、体力には自信があった。それでも、波紋使いという者は人並み外れた能力の持ち主なのだと身を持って実感するのだった。

 日暮れ前、ジョナサンは石館を出て行った。結局、ディオには会えなかった。会わなかったというほうが正しいだろう。意思を持って避けたのだ。
 しかし町へ行く気にもならず、ジョナサンはあたりをただひたすらに歩いていた。
 田舎の村は、陽が落ちて暗くなってしまえば殆どの人が帰宅している。
 街灯もなければ、馬車も通らない道は、とても寂しい風景だった。
 背にした丘をジョナサンは何度も見返してしまう。最後に目にしたディオの姿を思い出しては、ジョナサンはがっくりと肩を落とす。
 そして訳もなく泣きそうになる自分に呆れて、ジョナサンはまた当てもなく歩き始めるのだった。


「さて、スピードワゴンのにいちゃん。わし達はこれからどうすべきであるか?」
「決まってらあ、……奴を、ディオを倒す!」
「そうだ、その為にわし達はここまで来た。なら、何故実行出来ずにいるか、分かるか?」
「……ン? どういうことだ? 力が足りないとかか?」
「それも一理ある」
 町のパブの上の階は宿屋になっている。二人はそこで部屋をとり、今後の計画を話し合っていた。
「余程の精神の持ち主でなければ、人を殺すことは出来ん。君はどうだ? 分かるかね?」
「……まともじゃあねえ奴は嫌と言うほど見てきたぜ。アイツは……その中でもダントツ、ドス黒い匂いを持った奴だ」
「君のその言葉には説得力がある。経験し、知り尽くした人間の重みがある。だがねえ、ジョジョ……あやつは知らない。だから付け込まれる」
「やっぱり、ジョースターさんはディオの野郎に……!」
 スピードワゴンは持ち込んでいたワインをぐっと飲み、グラスを握りしめた。
「ジョジョは……優しすぎる。それが仇となる」
「ツェペリのおっさん……」
「わしはとっくに覚悟を決めている……!」
 椅子にかけていた上着を羽織り、ツェペリは窓をあけた。
 月は満ちている。夜は静かに訪れていた。

「ネズミが……二匹紛れ込んだか」
 ディオは館の裏にある墓地にいた。昼間から感じていた気配の正体を知り、ディオは嘲笑った。
「人間ごときがたったの二人で何が出来よう。このディオに刃向かうなど、無礼千万!」
 気配の元を指し、ディオは一喝した。びりりと空気が揺れ、一瞬にして場は戦闘状態に陥った。
「ディオ・ブランドー……、なんと言う悪意……ッ! 魔物の邪気……!」
 姿を現したツェペリは波紋の呼吸を整え、構えをとった。
「ううっ、凄い気だ……ッ、立っているだけでもビリビリ感じるぜ! 汗が止まらねえッ」
 二人の気迫に圧倒され、スピードワゴンは慄き、距離を取るしかなかった。ディオの眼中にはツェペリしかない。始めから相手にはされないだろうとはスピードワゴンも思ってはいたが、こうして同じ地に立ってみると嫌と言うほど分かる。
 この悪気、禍々しいほどのオーラ、直面して知る吸血鬼の吐き気を催すほどの恐ろしさだ。
 ――ジョースターさんは、こんなやつと対峙していたのか……信じられないぜ。
「ぬうっ!」
 初手はツェペリだった。間合いを一気に縮め、跳躍し、ディオの頭部を目掛けて拳を振り上げる。
「太陽の波紋を流し込む!」
 即座に反応したディオが掌で拳を受け流すと、黄色い光が音を立てて散っていく。
「呪い師め、おまえがジョジョにこの面妖な力を教えたのだなッ!?」
「何ッ!?」
 ディオの掌から煙が上がるが、その皮膚には傷がついていなかった。そして、ディオは不敵に笑みを浮かべるとツェペリの拳を捻り上げて、体ごと回転させた。
「人間とは無様で愚かな生き物よ……! きさまのような老いぼれの力、このディオに通用するとでも思ったか、マヌケがぁーーーーー!!!!」
「ぐおおお、オオおおおおッ!!!」
 頭上まで飛ばされたツェペリの体は空中で一回転し、投げ出された。
「……ッぐ……くっ」
「ツェペリのおっさん!」
 震える膝を叩いてスピードワゴンは地面に落とされたツェペリに駆け寄った。
「……スピードワゴン、……ちぃと耳を貸せ」
「……えッ?」
 絶体絶命の危機というのに、ツェペリはにやりとしてスピードワゴンに耳打ちした。何故かその表情には余裕があり、スピードワゴンは戸惑っている。
「…………アンタ、本気か?」
「わしは大真面目に言うとる、……いいか、気取られるなよ?」
 ディオは二人の目の前に立ち、最後の一手を打ち込もうと指先に力を込める。
「降参だ!」
 スピードワゴンが先にディオに言い放った。
「おれ達はおまえには敵わない! 潔く負けを認める!」
 地面に座り込むと、スピードワゴンは帽子を取り、目を閉じた。
「わしもだ。さぁ、ディオ! 煮るなり焼くなり、好きにしてくれ!」
「突然の心境の変化といったところか……? きさまら何を考えている」
 歩みを止め、ディオは二人を見下ろした。氷のような冷たい視線が二人の頭上に降り注いでいる。
「何も企んでおらん。おまえさんの言うとおり、わしは年老いて弱くなってしまった。それは人として自然なこと。なら波紋戦士として死んでいくのみ、ただそれだけよ」
「やるなら一思いにやれ! 初めっから死ぬつもりで来たんだ、おれだって覚悟は出来てる!」
 二人の男は目を閉じ、やがて黙り込んだ。ディオは、男たちの顔を交互に眺め、手を伸ばす。
 ――君は、誰も殺していない。
 瞬間、ジョナサンの言葉がディオの腕を止める。
「うるさい……ッ」
 今更良心などあるものか、とディオはざわつく自分自身の思考を吹き飛ばすように声を上げた。
「ジョナサン・ジョースターめ……悉く邪魔をしてくれる」
 唇を噛み、ディオは男らに背を向けた。ディオの取り乱した態度にツェペリとスピードワゴンはそろそろと目を開け、様子を窺った。
「さっさと去れ! おまえらなど、このディオが手を下す価値もないッ!」
 髪を逆立てたディオは、歩き出す。すぐに姿は闇夜に溶け込み消えていった。
「た……助かった……のか?」
 へなへなと力なく地面に手をついたスピードワゴンは、やっとまともな呼吸ができた。シャツは汗ですっかり濡れてしまっていた。
「ふうー、危なかったわい……流石のわしも冷や汗をかかざるを得なかった」
 ツェペリは言って寝転んだ状態で思い切り伸びをしてみせた。
「おれは本気で殺されると思ったんだぜ、こんな賭けは二度としないからな!」
「ホッホ、アンタもまだまだだね」
 むくりとツェペリは起き上がると、首を左右に動かしたり肩を回したりして、体を整える。
「なんだと!」
「殺意なんて、無かったよ」
 地面に転がっている自分の帽子を拾い上げると、落ち着いた声でツェペリはスピードワゴンに言った。
「正確には、途中から気づいた、だ。ディオは我々を殺す気なんて無かったようだな」
「嘘だろ……」
「嘘じゃあない。現にわしらは生きている」
「そりゃあ、そうだけど」
「なあ、スピードワゴンのにいちゃん、……吸血鬼にだって、心というもんはあるんじゃあないかな……?」


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