月海夜 24
「でもよお、おっさん、おれ達これからどうするんだ?」宿に戻ったツェペリとスピードワゴンの二人は、遅い夕食をとっていた。ヘレンは汚れた格好の二人を見るなり、「店に入るならその服脱いで頂戴」と激怒していた。代わりに渡された作業服を着て、スピードワゴンはシチューを食べている。
「どうするもこうするも、わしの目的は変わっておらんよ」
ツェペリはワイングラスを手にして、一口飲む。誰より疲労しているのはツェペリであるのに、その仕草には品がある。
「石仮面、あれはこの世界にあってはならないものだ。そして……吸血鬼もだ」
「……じゃあ、やっぱりディオを、倒すんだろ?」
スピードワゴンは小声になった。波紋の力がどういったものなのか理解できなくても、彼にもディオの能力とツェペリの波紋の力には埋めようもない差があるのが分かる。
ツェペリにディオは倒せない。スピードワゴンはそう断言できる。それ程にディオは圧倒的なパワーの持ち主だった。思い出すだけでも鳥肌がたつ。
「そうとは言っとらん」
グラスの残りをくいっと飲み干すと、ツェペリは謎々を出題するように、スピードワゴンを翻弄する。
「おっさん、適当なこと言ってんじゃねえだろうな」
「おまえさんも怒りっぽいのう、ほれ、飲め」
ツェペリはスピードワゴンのグラスにワインをなみなみと注ぐと、自分のグラスにも注いだ。ボトルはすっかり空になってしまった。
「わたしが倒すのは、あくまで吸血鬼そのものだよ」
ツェペリの言っていることと考えが一致しないので、スピードワゴンは頭が混乱してきた。酔いも回ったので、ひとまず今夜は休むことにするのだった。
「全ての鍵は、ジョジョの手にある」
独り言を呟き、ツェペリはグラスの中の紅い液体越しに夜空を見上げた。
星々は曇り空に隠れてしまっている。
インクが切れて、ディオはペンを置いた。視線を机の端に向けると、書き終えた紙の束が置かれていて、どれほどの時が経ったかをディオに教えてくれる。
この館には時計もなければカレンダーもない。吸血鬼にとって時間という概念は取り払われている。永遠を生きると決めたものは、時に縛られる必要はない。むしろ、ディオには時を支配する、という野望もあるくらいだ。
しかし今は紙の束が、ディオが積み重ねた時を知らせる。まるで責めるように。
苛立ったディオは、紙束を机の上から叩き落した。紙はばらばらになって散らばり、床に音もなく沈んだ。
靴も脱がずに寝台に横になり、ディオはシーツの上に残された服を抱いた。かすかにジョナサンの匂いが残っている。
汗と体液と、血の芳しい香りだ。
太陽に焼かれた傷痕はまだ癒えていない。消すためには、血が必要だろう。
日焼けした男の太い首に流れる血管に歯を立てて食い破り、新鮮な生き血を啜る。
ディオにとってジョナサンは理想的な生命エネルギーの持ち主だ。肉体、内臓、骨、形成している全てが完璧だった。そして、魂までもが、ディオを惹き付ける。
たとえ精神が否定をしても、ディオの吸血鬼としての本能は嘘をつけない。
今も、ディオはジョナサンを欲している。唇で、肌で、指で、身体の奥で、全身でジョナサンを感じていたい。精気を口にしたい、と願うのだった。
「は……あ……」
幾夜にも渡って行われてきた交わりを思い出して、ディオは目を閉じていた。
耳を舐る低くて甘ったるい声は、時に凶暴な台詞を吐いてディオを刺激する。
(これさえあればいいんだろう、ディオ……ッ!)
「ちが……う、ジョジョ……ッ」
シャツを噛んで、ディオは身を抱きしめる。熱くなる下腹部に手を伸ばして、焦らすように上辺をなぞる。
ぬるりとした感触が指先にあった。滴りは、つうっと垂れて指先と手の平を濡らす。
(ぼくじゃあなくたって……)
突き放す視線と態度がディオの身体を揺さぶる。あのジョナサンが、あんなにも酷いことをして、冷罵するのを誰が想像できるだろうか。
そしてその行いを悦んでいるという事実と、それら全てを知るのがこの世でディオたった一人という事。
「ジョジョが……いい、ジョジョ、だけ……っ」
ジョナサンはディオのものだ。
――誰にも渡すものか。あれはおれだけの……。
知れずに喘ぎの混じったすすり泣きに変わっていた。ディオは涙をシャツに染み込ませて、濡れた指を後ろへと持っていった。
(ぼくが、……好き? ディオ……?)
「好き……ッ、好き、ジョジョ、好き……ッ!」
ディオの想像の中で、現実のジョナサンが発したことのない言葉を口にしていた。ディオは殆ど無意識に答えて、空想の相手に夢中になった。
つぷりと二本の指が入っていく。弄られ慣れた孔は侵入をものともせず、歓迎する。力を抜くと、簡単にもう一本入った。内部を掻くように、ディオは指を抜き差しして、混ぜた。
「はあ、……ッ! あ!」
腹側にある突起を押し込むようにして擦りあげる。すると、ディオ自身からは触れていなくても、半透明の汁が飛んでいく。
(ディオ、ディオ……ディオ、もっと言って、もっと、ぼくを……)
「すき、ジョジョ……好きぃ! だから、だから……ッ、」
左手で、昂ぶりを握り込めばディオは呆気無く果てた。手の中に吐き出して、ディオは噛み締めていたシャツを口から離す。自分の汗と精液の匂いにまみれて、ジョナサンの残り香は薄まっていた。
「はあ……は、ぁ……」
(ディオ……ごめんよ……)
散々甚振ったあとは、優しく抱きしめて懺悔する。そうされるとディオはジョナサンの全てを受け入れてやった気になる。神の気分だった。
この上なく、満ち足りるのだ。肉体としても、精神としての意味でもあった。
体の熱が冷めていくと同時にディオは目を開けた。そばには、ジョナサンはいない。
手に広がる自身の精液にうんざりして、ディオは気だるい体を起こした。
「ふざけやがって……」
誰に向けられたかはディオにも分からない戯言だった。自分に対してだったかもしれないし、ジョナサンにだったかもしれない。或るいは両方だったろう。
夜明けがくる。ジョナサンは目の前に広がる光景に驚いて飛び起きた。
「……ッくしゅん!」
あのままずっと彷徨い続けてしまった。それから意識を失って、ジョナサンは木陰で眠りこけてしまったようだ。
「流石に朝方はもう冷えるなあ……」
僅かに霧が出ている。いくらジョナサンが暑がりといっても、外套なしでは厳しい。
「一度、邸に戻ろうか」
そうして、足りないものを取りに行って、またここへ帰ってくるのだろうか?
ジョナサンは自分の膝を抱えた。
石館にも、ジョースター邸にも、戻れない。
何処にも行けない。誰にも会わせる顔がないからだ。
足元にあった泥が、気がつけば胸元まできている。やがて、泥は頭まで浸かり、ジョナサンの息の根を止めるだろう。
どうすればいいのかさえ分からなかった。何が良いのか、何が正しいのか、何が答えなのか。今、どうすべきなのか。
「眠い……」
肉体は脳からの信号を遮断した。ややあって思考はおだやかに停止し、身体は休息を求めた。
ジョナサンは体も心もひどく疲れていた。
誰かを好きになることは、とてもすてきなことだった。わくわくして、弾むような気持ちになり、その人を思うだけでいくらでも頑張れるような。
こんな風に、傷ついて傷つけて、死を常に背中に感じているような殺伐とした思いとは、一番無縁なものだろう。ジョナサンは、恋をそう解釈している。
だから、これは違うと、決め付けている。
「ねえ、おにいさん」
ヘレンはスピードワゴンに声をかけていた。始めは自分を呼んでいるとは気づかず、あたりをきょろきょろと見回したが自分しかいないと知って顔を上げた。手招きをされたので、彼女のいるカウンターまで足を運んだ。
「あなたたちって、ジョースターさんのお知り合いなのよね?」
「おう、そうだぜ」
「なら、ジョースターさんって今どうしてるのかしら?」
「……ん?」
「だって、毎日ここへ食事か買い物をしに来たりしていたのに、おにいさん達と一緒にいた時から見てないんだもん。何か知らないの?」
「あー、いや、おれは何も」
「あの時、何かジョースターさんに言ったんじゃあないでしょうねえ?」
「おいおい、妙なこと言うなよ。おれはジョースターさんの、その、えっと……と、友達なんだぜ」
スピードワゴンはジョナサンの友達だと言うのが照れくさくて言い淀んでしまった。自分がそう言って良い身分なのかと悩む所だが、ジョナサンならきっと喜んで笑ってくれるだろう。
「この町の英雄に変な事言ったりしたら承知しないんだからね」
ヘレンは不機嫌そうに頬を膨らませてスピードワゴンに忠告すると、キッチンに戻ろうとした。だが、背を向けた途端に、肩をぐい、とスピードワゴンに引っ張られてしまったのだった。
「きゃっ、何すんのよ、あんた!」
「おっ、わりいわりい、……力加減間違えちまったぜ」
女性の扱いに慣れていない為か、スピードワゴンは自分でも驚いて手を引っ込めた。
「あのよ、その、今言った『英雄』って何のことなんだ?」
思わずスピードワゴンが彼女を戻したのは、そのキーワードが気に掛かったからだった。
「ジョースターさんが、何でこの町の英雄って呼ばれてんだ?」
スピードワゴンは真剣な眼差しでヘレンに詰め寄った。店主の咳払いも耳に入らないほど、大真面目だった。
ヘレンは、あの日に起きた事件のことを細かにスピードワゴンに話してくれた。理由を知れば、どうしてジョナサンが英雄などと呼ばれているのかが分かった。
「そうか、波紋の力を使ったのか」
「うおっ! おっさん、いつから居たんだ?」
背後から声をかけられて、スピードワゴンは吃驚して仰け反った。
「いやいや、大まかなことは聞かせてもらったよ。お嬢さん、それで助かった娘さんたちというのは今どうしているか分かるかね?」
「えーと、一人は、名前はポリーって言う子よ、トンネルの向こうにある牧場の娘ね」
「ああ、ここへ来る途中にあった……」
スピードワゴンが道中を思い浮かべていると、ツェペリは暫く黙り込んだ。
すると、何かを思いついたように目を丸くさせる。
「よし、そこに行こう」
「おっさん、急にどうしたんだよ!」
「確かめることがある」
決断したツェペリの行動は早かった。日が落ちる前には着きたいと言って、出発するのだった。