月海夜 6

 日差しが痛い。
 開け放たれている窓は、朝日の光を届けている。
 肌には柔らかいシーツの感触。ベッドは寝心地のいい馴染みのあるスプリング。
 甘い紅茶の匂いが部屋中にしていて、優しい母が、「ジョジョ、起きて」と肩を揺する。早起きのダニーは庭を駆け回ってジョナサンを呼んでいる。
 きっと天国だ。
 だって望みが総てあるのだから。
 目を開けようとしたとき、体が悲鳴をあげる痛みが全身に走った。
「……うう、つぅ……!?」
 肌に当たっているのは、冷たくかたい石の床だけだった。
 現実に目が覚めると、ジョナサンのいる場所は天国でも夢の世界でもなく、眠りについた所と同じ石床の部屋であった。
 朝日だけは夢の中と同じ眩しさと光で、ジョナサンを照らしていた。
 生きている。
 痛みが生を実感させた。起き上がると、骨という骨が軋んで、ジョナサンは思わず声を上げた。服もほとんど着ていない状態であったので、体は冷えきっていた。
 部屋には服の布切れが散らかっており、淫猥な性戯の残り香があった。
 石床の染みを見て、ジョナサンは辺りを見回した。
 ディオが居ない。
 気配も感じなかった。ここには居ない。
 何故、彼はジョナサンを殺さなかった?
 ジョナサンは、立ち上がり、ディオを探すために部屋を出ていった。


 石造りの館は広かった。夜に見る印象とはまた違った趣があった。そして暗がりの中では気にならなかった汚れや埃がよく目についた。手入れをすれば上等なものであるのだろう。ディオがここを選んだ理由が分かる。
 しかし人どころか、生き物すら見当たらない。虫やネズミが出てもおかしくないとジョナサンは思ったが、それすら出くわさなかった。
 名前を呼んでみようか、とジョナサンは思いつく。猫や犬ではあるまいし、と馬鹿馬鹿しくなったが、ふと声に出してみたくなった。
「……ディオ?」
 しんと静まり返った長い回廊に、声はむなしく響き渡った。
 当たり前か、とジョナサンは踵を返した。
「うっ!?」
 氷の冷たさが、首の頚動脈に触れた。氷は滑り落ちて、胸へと流れていった。
 次に耳に柔らかい感触がして、ジョナサンは振り返った。
「……ッ! ディ、ディオ……ッ!?」
 冷たく凍る手が、ジョナサンの胸にまわる。ディオは後ろから抱きついてきた。
「なにを、驚いている?」
 幽霊にでも会ったように目を丸くしていたジョナサンの頬に、突然ディオは口付けた。久方ぶりに会う親友にするキスと同じで軽さがあった。今までディオにそんなキスをされたことがなかったジョナサンは二重の意味で驚く。
 敵である彼に背を取られ、ジョナサンは力任せにディオの腕を剥ぎ取り、正面を向いた。
 光が一筋も当たらない影の暗がりに立つディオは、黒いマントらしき布を頭から被さっている。身にはそれ以外着けていない。白い肌は露出され、素足であった。
「おれを、探していたんじゃあないのか」
 声は掠れていた。急に現実味を帯びた昨晩の出来事がジョナサンの頭によぎり、思わずディオから目を反らしてしまった。
 あれほど、喘がせて泣かせたのだから、声が枯れるのは致し方ないことだ。
「どうして……、」
 ジョナサンは、早く疑問を解決させたかった。ディオに目を合わせられないまま、呟く声で話し始めた。
「殺さなかったんだ……」
 ディオが嗤う気配がした。
 ひたりと、裸足が床を移動する音がし、ジョナサンは顔を上げた。
 上目遣いでジョナサンを覗き込むディオが、金色の猫の目を細めて笑っている。
「何故、殺す? おまえは最高の獲物だ、餌だ」
 細長く尖った爪をジョナサンの頬にあてて、その面を両手に包み込んだ。
「おまえの精気はすばらしい」
 ジョナサンを見上げるとディオの被っていたフードが外れた。そこには燦然と輝く瑞々しい肌が艶めいていた。ジョナサンは目を見張った。
「このディオに奉仕しろ」
「え?」
「ならば生かす」
 つまり、現在のディオにとって、ジョナサンは生かすに値するものを見出されたのである。
「おまえの肉体と精気だけはいい……このディオに相応しい」
 恍惚としてディオはジョナサンの体を視線で犯していく。急にジョナサンは身震いし、鳥肌を立てた。蛙が蛇に睨まれる気持ちはこんな感じだろう、とジョナサンは思った。
 だが殺意が消え去ったとは断じて言えない。それにディオは吸血鬼なのだ。ジョナサンの不安は完全には失くせなかった。
「なら、取引をしよう」
 ディオの手を取り、ジョナサンは両手を握りしめた。触っているだけで、こちらまで凍らされる冷たさがあった。
「人を襲ったり、殺したりしてはいけない、ゾンビ化も駄目だ、吸血鬼化もしてはいけない。絶対に。」
 怯まずにジョナサンはディオの瞳に真っ直ぐ訴えかける。一度も瞬きが出来なかった。
「毎晩だ」
 短く、要求は告げられた。ディオは唇を片側だけ上げた。
「…………分かった……。」
 諦めの混じった息をはいて、ジョナサンは瞼を閉じた。――生贄。胸にはその単語がひとつ浮かんだ。


「ふふ、そうと決まればここで暮らせばいい」
 ディオははしゃいで、ジョナサンの首に腕をまとわりつかせ、無邪気に笑い声をくすくすと上げた。大人びて見えていた声や表情が、いつの間にか少年のものに変わっていた。
「断る、ぼくにだって生活があるんだ、人生がある」
 正直、ジョナサンは戸惑い、心臓を高鳴らせていた。何もかもが意外で、現実こそが夢なのではないかと思う。都合がいい展開は信じ難かった。
「おれのしもべとして生きると決めたのに、か?」
「決めてない!」
「意地っ張りだな……、まあ、今日はいい。」
 首筋に唇をくっつけて、ディオは血管の膨らみを舐めた。
「忘れるなよ、おまえはおれのものだ」
 言って、ディオはジョナサンの下腹部にある男の弱味を手に収め、玉を軽く握ったのだった。

To be continued.

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