ずるずる続編 3

「ごめん……触られるの、久しぶりだったから」
「…………ッ」
 ぼくがディオの前髪を梳かしながら言うと、更に顔をクッションの中に潜り込ませるようにしていた。
「ディオ、顔見せてよ……こっち向いて」
「寄るな……ッ」
 ディオは濡れた手を宙に浮かせたまま、足を折り曲げて体を小さく折りたたんだ。追い詰められたうさぎみたいに臆病になっているのが、ディオらしくなくてぼくは不思議にその姿を見ていた。
「手でしただろ! その汚らしいものをさっさとしまえよ!」
「う……うん」
 汚いと言われると、ぼくの中で傷付く幼心と妙に興奮する男心がせめぎ合った。そんなに酷いものだろうかと、ぼくは服の隙間から顔を出している存在を確かめてみる。自分では見慣れてしまっているから、これといった感想も出てこない。
 ボトムの前を閉じてシャツを無理やりねじ込み、破れたジャケットを正した。
「しまったよ。ほら、見て」
 ディオはそろりと顔を上げる。まるでおばけを怖がっている子どもを宥めてる親の気分だ。
「……出したならいいだろ、どけよ」
 ディオはまだ濡れている手を軽く握り、肘でぼくの胸板を押した。
「そんな言い方って無いよ。作業みたいだな」
「処理は処理だろう。こんな行為に、感情なんて無いからな」
 ぼくは、胸の中に苦い思いが広がった。やはりディオの言うとおり、ぼくは口説くのが下手なようだ。自分だけ肉体を満足させたがって、強要しただけなんだ。ディオはぼくにちっとも興味がない。その気にさせることも出来ない。
「悪かったよ……その、こんな強引なことして」
「……ああ?」
 ディオは訝しげにぼくを睨み付けた。
「でもさ……本当に、本気で、心から君が嫌だって、もっと全身全霊で拒んでくれないなら、ぼくはほんの少しの望みがあるなら、期待しちゃうんだよ」
「そうだと、言ってるだろ!」
 ディオは相変わらず精液のついた手をふらふらとさせている。ぼくは視界に入り込む、濡れた手が気になってしまう。
「じゃあ……、ちゃんと言って欲しい。ぼくのことなんか、嫌いだって。愛してないって、君の口から言ってくれ」
 ぼくはディオの目の前で、真面目に訊いた。声の真剣さにディオの眉間に皺が作られた。
「あいしてない……」
「うん」
 横を向いていたディオの顔が、正面に直る。ぼくは真っ直ぐに見つめられながら、その言葉を聞いていた。
「おまえなんて……」
 ディオなら簡単に言えると思っていた。ぼくは、その言葉の先を待ち望んでいた。いっそ打ちのめされたかったからだ。ずたずたに傷付いて、綺麗さっぱり、未練を無くしたかった。このままで居たら、きっとぼくは病気になってしまうからだ。そうでなくても、もう殆ど病にかかっているようなものだ。
「ジョジョ……」
 それなのに、ディオはちっとも冷たい態度ではなく、どこか切ない声色でぼくの名前を呼んでいた。ぼくはその声で、拒絶の台詞を言われるのかと思うと、また涙がこみ上げてくる。考えるだけで、想像するだけで辛いのに、現実になったら、どれだけ苦しいんだろうか。でも、それはすぐに訪れるはずだ。
「おれは……おまえが……」
「うん……」
 ディオは息を吐いた。どうして、そんな悲しい目をするんだろう。ディオのそんな顔を見たくなかった。ぼくは、君をそこまで追い詰めているのだろうか?
 あとは、短い単語を紡ぐだけなのに、どうしてこんなに時間がかかるのだろう。
「……ジョジョ」
 助けを求めるように手が伸ばされた、ぼくの頬に当てられた手にぼくはすり寄った。突き放される側のぼくが、何故こんなに優しく撫でられているんだろう。疑問ばかりが次々に生まれてくる。
「おれは……ッ」
 ディオの片手はぼくの頭を抱く。ぼくは、嫌いだという言葉を未だ待っていた。この後に、言うのか? 最後に、優しくするのは、ディオなりの情けなんだろうか。
「ジョジョ! いるかい?」
 突然、前触れもノックも無く、扉が開かれた。
 びくりとぼく等の体が震えた。とうさんの明るい爽やかな声だった。
「おお、ジョジョ? どうしたんだい、そんなところで」
 とうさんの居る扉の前からは、ソファーが背になっていて、ぼくの頭だけが見えているようだ。ぼくはほんの少し顔を上げてとうさんの姿を目に入れた。
「あ……っ! とうさん、ええと……おかえりなさい!」
「何だね、おかえりはこちらが言いたいよ。所で……」
「おとうさん! おかえりなさい! ハハッ、今丁度ジョジョとタックルの姿勢について議論していた所なんですよ。こんな格好ですみません」
 ディオは体をずらして、ソファーの肘掛けから顔を出し、すらすらと出任せた。
「おや、ディオも一緒だったのかい。そうかい、それはいいことだね。ディオはジョジョの先輩としていいアドバイスをくれるに違いないからね。さあ、そろそろディナーの準備も整うようだよ、降りてきなさい」
「はい」
 ディオはとうさんの前でだけ見せる、作り笑顔とは違った微笑みを見せていた。
「はい!」
 ぼくはディオより一瞬遅れて返事をした。
 ぼく達の返事を聞き、とうさんはにっこりと顔をほころばせて扉を閉じた。
 もしもとうさんが部屋の中まで入ってきたらと思うと、ひやひやした。でもきっとディオのことだから上手く誤魔化してくれただろう。
「……はあ」
「聞いただろ、夕食だ。食堂に行くぞ」
 ディオは先ほどまでの怯えたような目や口など、初めから無かったかのように、いつもの冷静で頼れる義兄の表情になっていた。力の抜けたぼくの身を退かして、さっさと部屋についているバスルームへと歩いていった。水の流れる音がしている。多分、手を洗っているのだろうと、ぼくはぼんやりと思った。
「いい加減、着替えないか。ジャケットの肩、破けてもう使い物にならないな」
 手を拭きながらディオはバスルームの戸を閉じた。外出着のままのぼくを指さしたディオは、壁に備え付けられている鏡を見て、乱れた髪を指先で整えていた。
「あんな嘘、よく咄嗟につけるね」
「おまえの頭が回らなさすぎなだけだ」
 いつもの口調に、いつものやりとりになってしまった。このままディオはあの会話を流してしまうつもりなんだろう。
「ねえ、ディオ……」
「おとうさんを待たせるつもりか? 君の帰りをこの邸の中で一番待っていた人だ」
「……君は? とうさんの次?」
 ぼくは起き上がって、ディオの背中に問い掛けた。
「きっと待っていなかった方の人間から数えたほうが早いくらいさ」
 鏡の中にあるディオの顔は、影がかかっていて暗かった。
「……先に下に行ってる」
 そう言うと、ディオはぼくのほうを振り返ることなく、ドアをあけて行ってしまった。
 明かりのない部屋は薄暗くて、寒さを覚える冷たさを感じた。

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