微笑みのみどり 12
一夢遊病者のように、ぼくは半覚醒のままで領地の草原を歩いていた。足を引き摺っていたので、小さな石ころに躓いてしまい、そのままどさりと倒れ込む。
草地は柔らかな土であるので、痛くはない。
「…………夢…………?」
夢にしては、とてもリアリティのある触り心地だったなあ。草の上で仰向けになり、ぼくは目の前に自分の掌を持ってくる。
今のディオとは、違う丸み。今のディオとは違う肌の温度。声……、大きさ、……昔のままのディオの体。
手を鼻先へ運ぶ。少年の汗の匂いが残っている、気がした。
元居た温室より離れて、ぼくは邸の近くまで来ていた。丁度いい。日も暮れかけている。ぼくはぼんやりしたまま邸へ帰ることにした。
「ジョジョぼっちゃま、外出していらしたんですか?」
迎えた執事は、意外そうに言った。
「ああ、あたりを散歩してたんだ」
「今の今まで……? 一体どこまでですか?」
「温室の、あたりまでかな」
「馬もなしで、歩いてですか?」
「うん……まあ、ね」
「はあ……、日ごろぼっちゃま達の体力には驚かされてばかりですが……温室まで徒歩で行くなんて、私には考えられませんなァ」
老執事は冗談めいて笑ったが、ぼく自身も流石に無理があると思った。久々に長距離を歩いた足には疲れを感じる。
「ぼっちゃま」
二階へと上がる際、執事はぼくの背に声をかけた。ぼくは足を止め、首だけで振り返った。
「なんだい?」
「ぼっちゃまがお邸にいらっしゃらない間に、ディオさまがぼっちゃまのことをお探しのようでしたよ。お部屋に帰る前にお声をかけてあげてください」
「ああ、ありがとう」
ふと、夢の中での行いが思い出された。少年の姿のディオがぼくの頭の中に現れる。牙をむき出しにして怒る姿、頬や耳を真っ赤にして恥ずかしがる姿、初めてのことに戸惑いながらも懸命になるディオの姿。現実にあったかのような感触が残っているのに、浮かぶのはおぼろげな記憶だった。
執事に言われたとおり、自室に戻る前にぼくはディオの部屋を叩いていた。
返事があり、ぼくはドアを開ける。
「ディオ」
「ジョジョか」
机に向かっているディオは、こちらをちらりと確認すると、また元の姿勢に戻った。
用事があるわけではなさそうだ。そばにあった一人用のソファーに座り、ぼくは手にしていたジャケットを背もたれに掛けた。
「君がぼくを探してたって聞いたから」
「昼間にな……一体どこをほっつき歩いてたんだ」
こんな時間まで、と言われてぼくは少し考え込んだ。散歩がてら温室まで行き、ベンチに座って眠りこけていた?
でもぼくの中での認識が違う。
ぼくは、……ぼくが居たのは。
「ちょっと過去にね。六年くらい前、かな?」
「へえ」
特別これと言ってディオは驚きもせず、笑いもしなかった。いつも通りに本を開き、ぼくには読めない字で何かを書き出している。集中すると、周りのことなどお構いなしな所も変わらない。
ぼくはそっとディオの後ろへ音を立てないようにして近寄り、肩に腕を回した。
ディオの肩口にぼくは額を乗せて、縋りつく形になる。ディオはペンを置き、ぼくの腕をつついた。
「どうかしたのか」
「ううん、なんでもないんだ。なんでも。ただ、君の後姿を見ていたら、こうしたくなった」
ディオもぼくの方へと頭を寄せてくれている。応えて、ぼくは腕に力が入る。
「ぼくに甘えたいのか?」
「その反対」
「反対って、何だよ」
「好きだよ、ディオ」
唐突にぼくは思ったままを口にした。ディオは、ちょっぴり驚いたようで、動揺は肌を伝わってくる。
「いきなりだな」
「いつも思ってるよ、口に出さないだけでね」
一度、ディオの身を抱きしめてから、ぼくは腕を離した。ディオがどんな顔をしていたのかは分からない。
正面を向いたままのディオを置いて、ぼくは部屋をあとにした。
「先に下に行ってるよ」
二
ディオは耳元に触れてみた。熱い。気のせいではない。
鏡を見なくても分かる。顔は冷たいけれど、耳たぶは熱っぽい。
「ジョジョのやつ……急に何を言い出すんだ……」
振り返ると、ジョナサンが置いていったジャケットが目に入った。
どこか見覚えがあるが、ジョナサンのものではないようだ。どう見ても小さすぎる。それに、ジョースター家の服は全てオーダーメイドのはず。この服はありふれた既製服だ。
「…………なんで」
ディオは歩み寄り、その服を開いてみる。
見覚えがあるに決まっていた。そのジャケットは、ディオがロンドンに居たころ母に買ってもらったもので、この邸に来たときの一張羅だったからだ。大分前に無くしたと思っていた。
いつ無くなったのか、ディオははっきり覚えている。
記憶が、肌と頭を駆け巡っていく。血が下がっていくような冷たさを体内で感じている。
抜け落ちていた欠片が、ふいに目の前に現れて、ディオは立ち尽くしていた。
ただ呆然と。