花園牢獄 3
ディオは鏡台の前に立っていた。十六の少年の部屋に、置くべきかどうかと悩まれるほどの大きな鏡台は、本来は女主人が使うものだったのだろう。宝石やアクセサリー、リボンや香水、そういった華美な装飾品や化粧品が並べて、仕舞われていたはずだ。その名残が感じられる。今は十六歳のディオのものだ。ブラシと、いくつかのコロン、整髪剤などが置かれている。
夜会の予定はない。ディオは洗いざらしの髪をそのままにしている。
大きな鏡の前に立って、ディオはローブを床に落とした。
そして、後ろを向く。振り返り、鏡を覗き込む。
少年の若々しい水を弾く肌に、一箇所だけ痣がある。赤々としてまだ出来たてのものだ。
ジョナサンはいつも規則正しい鞭打ちをする。ただの一点を狙い打つのだ。
だからディオの尻にはいつもひとすじだけの痣が残る。
引っ掻かれたような、抉られたような、赤い道がつけられる。白い肌には痛ましいものだった。
そっと痣に指先を撫で付けてみる。じん、とした痛みが皮膚の奥に感じる。
痣を見るディオの目つきは、どこか恍惚としていて、だが明らかな恨みも瞳に宿している。
「……はぁ」
ディオは溜め込んだ息を吐き出して、ローブを着直した。
普通に椅子に腰掛けるだけでも、痣は痛みを生じさせる。なので、ディオは部屋では寝台でうつ伏せになった。
またその痛みが消える頃には、何かと理由をつけられて、罰を与えられる夜がやってくる。待ち遠しくもあり、煩わしくもある。その日が来なければいいのに? それとも、早く来ればいいのに? ディオは揺れる思考を持て余して、そのまま微睡ろんだ。
いつからジョナサンは変わってしまったのか。ジョナサンは、ディオに優しかった。甘かった。いつだって許された。何をしても、何をしたって、ジョナサンは怒らなかった。叱らなかった。叫ばなかった。殴らなかった。
違和感だけがディオの頭にある。
「何だこいつは。何を考えてやがるんだ」
不気味だと、ディオは思った。人間らしくないではないか。感情が欠落してやがるのか。
微笑を絶やさない姿は、聖人というより、ただのでくの坊に見えた。ディオは気の違った女――心を壊した、または生まれつき壊れている――のだらしのない笑みに似ていると思えて、気色悪がった。
だから、ディオはどうしたらジョナサンが怒るのか見たくなった。最初は些細な悪戯から。小さな子どもがするようなことから始めたのだ。
「にいさん。手を出してよ」
「何だい?」
「ふふふ、いいもの」
ディオは、自分の幼少期を子どもだったとは思っていない。実際、今も少年と呼ばれる時期ではあっても決してそうとは思っていない。大人よりも精神上は大人なつもりだ。
だがこの邸にきたときは、まだたった十二歳だったので、子どもらしく振舞うことが問題なく行えたのだ。
「……ッわ」
いいもの、として手渡したのは、羽の千切れた蝶だった。ひくひくと身を悶えさせて、ジョナサンの手の上で死に絶えた。
「きれいだろう?」
「……ディオ、これは」
「標本、作らない?」
ジョナサンは一瞬悲しげに顔を曇らせたが、ディオに首を振った。
「作らないよ。……可哀相だからね。そこの花壇のすみに埋めてあげるよ」
「せっかく取ってきたのに」
ディオは不思議そうに小首をかしげてみせた。
「それは……ありがとう」
ジョナサンはディオに微笑みかけ、それから手の上の蝶のために墓を作ったのだった。
また別の日には、ディオはジョナサンの自室に入り、小箱に仕舞われていた懐中時計を持ち出した。
「ディオ、それはぼくの時計じゃあないかい」
「そうだね。でもぼくは時計を持ってないから、時間が分からなくて困ってたんだ」
こんなことをされたら、ディオがジョナサンの立場なら相手を罵った上に殴っているだろう。無断で所有物を持ち出されたのに、謝罪もないのだから。
「そうか……そうだったね。気が付かなくて悪かったよ。それは君にかしてあげよう。近いうちに君の時計を買いに行こうね」
時間など、どうでもいい。何時何分かなんてどうでもいい。ディオは乱暴にズボンのポケットに時計を押し込んだ。