花園牢獄 2

 鞭の日の次の昼間は、荒れる。
 ディオが他の使用人に八つ当たりをするからだ。
 それが週に二、三となるとメイドもフットマンもうんざりする。ディオに付くのは当番制になっている。十数人で回せば、ほんの少しの我慢で済むのだと彼らは知っている。
 しかし、それでも運の悪いやつはいるものだった。
 アルは、二週連続でディオの八つ当たりの標的になっている。嫌味や皮肉なら何とか耐えられたが、仕事を増やされるのは実に腹立たしかった。食事の際、わざと食器やボトルを倒されるのは序の口だ。
 服を用意するときに、あれじゃ嫌だ、これじゃ嫌だと我侭を言われ、邸中を駆けまわされる。散々探し回って見つけてきたシャツを見て、
「何だ、たかがこんな刺繍の違い。どうでもいい」
 と、コーヒーをぶちまけられたときには温厚なアルでもディオに憎しみを募らせたものだ。コーヒーなんて普段飲まないくせに、嫌がらせをするために用意させたに違いないのだ。染みを抜く作業は、三日続いた。
 やっと綺麗になっても、ジョナサンのように褒めてくれるわけでもない。仕事にやりがいを持つなんてバカらしいとは思うが(いずれはこの邸から出て行くつもりなのだし)、アルにだってプライドというものを持っている。
 八つ当たりの標的は一人ではないので、その間、使用人棟の一室は重い空気が漂うのだった。
「だからよ、鞭打ってることを旦那さまはおれたちに言ったりはしねぇけど、そんなことこの邸の連中は周知なわけだろ」
「フン、アンタもあのくそガキに何かされたってわけぇ?」
「んなことどうでもいいだろ」
 使用人の若い衆は、好き好きにタバコと茶で休憩をとっている。執事やハウスキーパーという監視の目がなければ、くだけた口調で会話が弾む。
 アルやマーガレットも若いグループに居る。使用人棟には、彼らよりももっと年若い子らも働いている。ほとんど慈善事業じゃあないかと思われるくらいの人数が雇われている。このジョースター家では、使用人たちも学ぶことも許されている。執事やハウスキーパーは、文字も書けない子どもらに仕事を与え、読み書きと行儀を教えている。二、三年もジョースター邸で働けば、十分よその家でも使って貰えるだろう。
 マーガレットもアルも、ここに来たばかりの初めこそ、言葉遣いも所作もジョースター家にふさわしくないものだった。

「鞭の日が無くなれば……、ディオさまだって少しは落ち着かれるはずよね」
 マーガレットは言った。
「そう! そうなんだよ! それさえ無けりゃあましさ」
「でもねえ、旦那さまが独断でやってることでしょ。先代の旦那さまが居ない今、誰が今の旦那さまにそんなこと言える権利があるっていうのよ」
「そこなんだよなあ」
 アルはがっくりと肩を落として言った。
「もしかして、旦那さまってさ……」
 はじめに愚痴を零していた大柄のフットマンが下世話なことを言い始める。マーガレットはやはりその表情を険しくさせた。まずい、とその場にいた誰もが思ったことだろう。
「あんたねえ! 旦那さまを愚弄しようってんならあたしが許さないからね! アイロンで殴るから!」
 鉄製のアイロンを頭部に振り下ろされたら、いくら女の手でも十分に殺傷能力はあるだろう。大柄のフットマンは白旗を上げて、口を閉ざした。
 でも、いや……まさか。そんなわけ……。
 マーガレット以外の若い衆は、何となく疑惑を持つ。
 ディオの素行は確かに悪い。それは、別に使用人たちには意外でも何でもないのだ。
 貧民街、それもロンドンの花街のあたりに住んでいて、何をして生活してきたのか、使用人たちのほとんどはジョナサンよりも明確に想像がつく。
 盗み、賭け事、暴力、喧嘩……あらゆる悪事を経験してきただろうと、彼らはディオを一目見てすぐに分かった。
 もしやっていないとしたら、「殺人」くらいだろう。
 誰もそれを言葉にはしなかったが、誰もが思ったことだった。
 だから、罰を受けるとするならそれは当然なのだ。
 でも、そこまでの理由が分からなかった。
 あの優しくて穏やかな主人がそこまで執着するわけも。性根の悪いあの生意気な少年がただ黙って大人しく鞭を受けるわけも。
 何かもっと別の意味が二人にはあるのではないかと、彼らは穿った目でその関係を見るのだった。
「いつまでお喋りをしているの!? 仕事はたくさんあるんですからね! さあ、みんな持ち場へ戻って頂戴」
 混濁した沈黙を裂いたのは、ハウスキーパーの美しいクイーンズイングリッシュのお叱りだった。
 メイドやフットマンたちが各々散り散りになって行くと、話題はすぐに忘れられた。また同じメンバーが揃えば議題は復活するかもしれないし、しないかもしれない。何か別のゴシップでもあれば、退屈なカントリーハウスにも刺激が走るだろう。
「マーガレット」
「ん?」
 アルは颯爽と休憩室を去っていくマーガレットの後ろについて、話しかけた。
「君はさ、旦那さま、好きなわけ?」
「ええ」
 少しだけマーガレットは笑みをゆがめる。その顔にあるのは「アンタ何ばかな質問してんの? あほらしい」という台詞だ。
「おれだって好きだよ。人間として尊敬できるよ。優しいしさ、格好いいしな」
「そうね。で? 何が言いたいの」
「でもおれの好きとマーガレットの好きの意味は同じかってことだ」
「同じよ。断じて色欲じゃあないわ」
 マーガレットはやはり真面目に言った。アルは唇が固まってしまった。
「バッ、……おまえなあ。身も蓋もない言い方すんなよ」
「あたしのこと、変な目で見てるでしょ。旦那さまは確かにあたしのこと気に入ってるわ。たいしたことの無い用は大体あたしが呼ばれるし、お話の相手だってしてるものね」
「だ、だからよう」
「でも別に特別な感情なんて持つわけないじゃない。単純に旦那さまとして好きだわ。ジョナサン様以上に良いご主人様なんて、きっと今の世の中、いくら探したって見つかりっこない。そうでしょう?」
「うん。それは同意できる」
「アルが言いたいのって、あたしが旦那さまに好意を抱いているから、何か秘密を隠しているんじゃあないかってことかしら」
「分かってんじゃあねえか」
「バレバレなのよ。アルも、みんなも」
「おまえだって分かりやすいよ」
 本邸にふたりは進む。ぼそぼそと周りに気取られないよう会話が続く。
「無いわ。何にも無いのよ。旦那さまはみんなが思ってる通りの人だもの。あんまりにも善い人すぎてあたし達みたいな低俗な人間から見たら、何か裏があるんじゃあないかって疑いたくもなるわよね」
「何だよそれ……」
「だから、その通りだってば。それよりも……ディオさまでしょ」
「ああ……うん」
「ガンバんなさいよ」
「うん……」
 思い出してしまったからか、アルは途端に気を無くした。マーガレットは軽くアルの肩を叩いて励ましてやったが、効果はいまいちだった。

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