花園牢獄 1

ジョナサン  ・・・二十四歳 ジョースター家当主
ディオ    ・・・十六歳 ジョースター家の養子

マーガレット ・・・十九歳 メイド
アル     ・・・二十歳 フットマン
ブルース   ・・・執事






「あ……っぐ、う!」
「ディオ、数は?」
「じゅ、……じゅうな、なっ、……あ゛っ、じゅうっ、はち……ぃ」
 若き主人はパイプ片手に慣れた手つきで鞭を振るう。目線は机に乗った書類らに向けられており、彼の目は実に退屈そうであった。
「あ、あくっ、う……っ、う、」
「これで二十だ」
「ひァっ!」
 仕上げと言った風に若い男――ジョナサン――は、よく撓る愛用の鞭を少年――ディオ――の形のよい尻の肉に振るった。
 ジョナサンは白い肌に一本の赤い筋が通ったのを認めると、パイプを咥え仕事終わりの一服を味わった。吐き出される紫煙は、締め切られた部屋の中を彷徨った。
 これはジョナサンにとって、仕事と同意義なのかもしれない。彼の躾、彼を叱る、彼に覚えさせる。動物の調教とほぼ一緒だ。悪いことをしたら、体罰でその身に刻ませる。
 口で言っても分からないからだ。こうするしか他に方法は無い。
「さあ終わりだよ。ズボンを穿いたらすぐに出て行きなさい」
「はあ、……はあ……、う、あ……っ、は……い」
 膝は震えて言うことをきいてはくれない。ディオは何とか立ち上がり、足元に絡みつくズボンを持ち上げた。ボタンを留めると、壁に手をつきながらよろよろと部屋を出て行った。ジョナサンにはその一連の動作が、演技に見えていた。勘繰りすぎだと思われるだろうが、そう疑われても仕様がないのがディオという少年の本性だった。
大体において返事はその場限りのものだった。罰を受けた後はいつもしおらしく、従順に答える。ただ、それだけ。
ジョナサンの命を一度だって聞いた試しはない。だからこうして罰は続いている。日課、とまではいかないが、週に二、三は鞭の日がある。
 今日はどうして、罰を与えたのだろうか。ジョナサンは理由に重き意味を求めていないのだった。

「マーガレット、君はここに来てもう何年になる?」
 ジョナサンは紅茶を注ぐメイドの娘に声をかけた。彼女はいつものようにふくよかな頬を緩ませて、笑って答えた。
「三年ですわ、旦那さま」
 香りのよい茶はストレートで飲むのが一番だ。その好みを熟知している彼女は、紅茶だけが入ったカップを主人の元へ置く。
「もうそんなに経つのか」
「ええ。先代の旦那さまが亡くなられて二年経ちますもの」
 彼女は、先代――ジョナサンの父、ジョージ・ジョースター卿――が見つけてきたメイドだった。彼女はジョースター卿を父のように慕い、敬い、仕えた。彼女だけではない、この邸のみながジョースター卿を尊敬し、愛していたのだった。悲しみはごく近い所にある。今もそれは癒えきっていないのかもしれない。
ジョナサンは淹れられた紅茶を口にする。この邸に来た頃と比べれば彼女は随分と紅茶を淹れるのが上手くなった。ハウスキーパーの教育の賜物だろう。
「そうか、もうそんなに経つのか」
「ええ、旦那さま」
「その呼び方も慣れないなァ」
 ジョナサンは整えられた前髪を掻いた。照れくさそうに笑う仕草には、まだ少年の面影が残っている。
「仕方ありませんわ。坊ちゃまは旦那さまになられてしまったんですもの。それとも、ここではジョジョお坊ちゃまとお呼びしたほうがよろしいかしら?」
 マーガレットはとても真面目にジョークを言うので、ジョナサンは吹き出してしまう。
「ハハ、冗談はやめておくれよ。……ところで、あれは?」
 カップを置くと、ジョナサンは顎をしゃくった。笑みは冷めていく。
「あれ……ですか」
 マーガレットは疑問に満ちた目をした。薄茶の瞳がどんぐりのようにくるくるとする。
「あれだよ」
 ジョナサンは視線をその方へ向ける。示した方角は二階の西の部屋だ。
「……お元気ですわ。わたくし共が振り回されるほどに」
 マーガレットは素直で正直ものだ。もし彼女が自分を偽るようなら、それは一目瞭然だろう。だからジョナサンはマーガレットを甚く気に入っている。
 義理の息子とは言え、あれは仕える主には違いない。失礼があってはならないのだと、使用人たちは心得る。素顔に本性を出しても、笑みの仮面で隠すのが殆どだ。だが、マーガレットはその嫌悪を態度に、顔にすぐ出してしまうのだ。
 本来ならそれはあまり良い使用人とは言えないのだろうが、ジョナサンはだからこそマーガレットの言葉を信用できる。ここまで真っ直ぐな人間はなかなか居ないだろう。故にトラブルも多いし、世を渡るのも下手だ。それに彼女の善悪の定義は常人のものであって、いつだって裁きは公平な所がある。そこもジョナサンが彼女を気に入る点でもあった。
「マーガレットは、ディオが嫌いかい」
「……そういう感情は持ちません」
「顔に出ているよ」
 僅かにマーガレットの眉間に皺がよる。そして、下唇が引き締まった。
「旦那さまには……申し訳ないのですが、わたしはディオさまが苦手なんです」
「別にぼくは構わないさ。裏で不満を愚痴られるより、ぼくに言ってくれたなら、対処できるからね」
 使用人たちからのディオの評判は悪い。その理由が、人づかいが荒い、くらいならまだましだ。
 暴言や侮蔑によって、ここを辞めざるを得なくなったものがいる。長年、邸に仕えてくれたものがディオの行いにより、この家を出ることになったのを知ったときのジョナサンのショックは大きかった。
 自分がその状況を把握しきれなかったこともだが、何よりディオを信頼していたからだった。
 ディオが生まれ育った環境は、ジョナサンが思い描くものより遥かに劣悪な場所だったのは承知していた。だから、多少はひねくれていても、仕様がないと思っていた。確かに、今まで見てきた貴族社会の少年らと比べれば、毒や棘がある風には見えていた。
 だが、ジョナサンに見せていたのは、まだ表面の皮だけだった。内部はもっと歪んでいたのだ。内に秘められている彼の怒りは、ジョナサンの目の届かない所で発散されていた。
 手始めに、弱いものから。そして力を蓄えながらディオは標的を徐々に大きくしていった。知恵も働く彼は、ジョナサンや執事のブルースには巧みに隠し通した。
 ジョナサンは自分の暢気さに呆れるほどだった。気が付いたときにはもう手遅れだったのだ。ジョナサンがディオの正体を知ったのは、母が生きていた頃に侍女をしていた婦人が、ここを去るのだと伝えられてからだった。
 婦人はディオに目をつけられから、一年間、精神的苦痛に耐えてきたのだった。
数十年前、単身ジョースター家にやってきた彼女はメアリーやジョージに良き友人のように接してもらったことを深く感謝していた。メアリーが亡くなったあとも、ジョースター家を支える一人として、ジョージやジョナサンに仕えてくれていた。ジョナサンも明るく優しい彼女を、ただの召使とは思わず、母の友のように、時には母とはこんな人なのだろうかと思い、慕っていた。
 彼女は、ジョージが亡くなるとすぐにジョナサンに手紙を託し、この邸を去った。
 わけは手紙の中に全て書き記されていた。
 明るくて、優しくて、いつだってジョナサンの味方でいてくれた彼女は、心を病んでしまった。顔は強張り、表情をなくした瞳で、無感情にジョナサンを見ていたのが印象的だった。
 その件をきっかけにして、ジョナサンは自分が愚かだったことを思い知った。

 父が亡くなり、跡を継いだジョナサンは、自分の甘さを捨てた。それは、「お人よしの大甘ちゃん」とかつて呼ばれていた性分だった。しかし、二十数年の生まれ持った性格をいきなり変えるのは難しかった。どこか、鬼には成り切れない。
 説教では足りず、童顔の面立ちの所為で威厳は保たれない。
 ジョナサンはどうやってディオに言うことを聞かせるか、そればかり考えるようになってしまった。

 力には、出来れば頼りたくはなかった。
 ジョナサンは遠い過去を思い出している。
 父は優しく、大きく、頼りがいのある、素晴らしい人だった。母がいない寂しさを埋めるように、父はジョナサンをそれはもう可愛がって、よく構ってくれた。貴族らしくないと親戚からは非難を浴びていたのをジョージは気にしなかった。(育児は乳母に任せるのが普通の貴族の方針だった。)――そもそも仕事をして外国に渡りまわるジョージは、貴族社会からは外れた人間だったと、ジョナサンから見ても思う。それだからジョナサンは父を好ましく、誇らしく思えるのだった。
ジョナサンほど愛された子どもはいないだろう。自分自身そう思えた。
だが、愛ゆえにジョージは厳しかった。たったひとりの息子だからこそ、きちんと躾なければとジョージも気負ったのだろう。それはどこにでもある家庭での父の姿だった。
 ジョージの父も、そうだった。父の父もそうであったのなら、そのまた父も同じようにされてきたのだ。
 彼らは、鞭によって少年期の動物的本能を制御されてきた。幼子は犬とも違いのない野生さがある。それを正してやるべく、「罰」は与えられた。
 いけないことには、一発。悪いことには三発。歯向かうなら五発。定められた回数の分、鞭は振るわれた。
 そうしてきたからジョナサンは、父の言う紳士になれたのだと思う。だが、血のつながりのない相手にそれが伝わるのか? だから出来ることならジョナサンは「力」を使いたくはなかったのだった。ジョースター家が繋いできた愛情を、他の子に押し付けるような真似なのではないか。それは傲慢なのだと思えた。

「もし何かあったら、すぐにぼくに言うんだよ。どんな些細なことでもいい。ぼくは留守にすることも多いから、家のことは君たちに任せっきりだ。頼りにしてるよ……」
 ジョナサンはマーガレットの細い両肩に両手を乗せて、真っ直ぐに見つめた。マーガレットは戸惑って、視線を泳がせた。
普通の貴族なら主人は使用人に直接触れたりなどしない。だがジョナサンにはそんな決まりは通用しない。自分が「正しい」と思えばそれが正解であると信じる。
「はい、旦那さま。必ず」
 ジョナサンの期待をうけて、マーガレットは力強く頷いた。その表情は頼もしく、勇ましかった。


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