20171025

――つまらない。
そうはっきり自覚したのは、連絡が途切れて五日か七日ばかり過ぎた頃だった。日にちが曖昧なのは、ここが冥界だからだろう。
瀬人から半ば強制的に渡されたモバイル端末は、アテムが現世で相棒と共に居た時と比べて薄っぺらく平たい板になっていた。

「……オレが知ってる携帯電話とは全然違うぜ」
「貴様の知識は大体十年前後古い。電化製品の進化は速いぞ」
「ふぅーん……」
手渡されたスマートフォンは金色にカラーリングされている。何故、通信が可能なのかアテムはあまり深く考えたことはない。
それは海馬瀬人の努力の賜物であり、アテムへの想いの表れなのかもしれない。

シンプルに整理されたホーム画面には、必要最低限のアプリが並ぶ。
簡易メッセージ用アプリには、瀬人からの伝言がずらずらと羅列していた。時折送られてくる長い文章には、やや目がすべるものがある。
何度見つめてみても、新しいメッセージは無かった。前触れもなく突然に浮き出てくる瀬人からの言葉は、アテムを現世と繋いでくれるものだったのだ。

「……時間なんてものから解放されたんじゃなかったのかよ」
冥界は、いつの世も人々の憧れの楽園だった。
最上の地、いつか訪れられる場所。争いの無い、永遠の幸福に満ちる国。
ここは現世での煩わしい悩みから、解き放たれる空間だった。きっと瀬人に再会するまで、意識すらしなかった概念だ。
「これじゃ……」
ふと気づいて、アテムは?嬉しい?と感じた事実に恐れをなした。
続く言葉は、「生きている時と同じ」だ。
瀬人にとって、アテムは生きているものなのだ。
何より瀬人がそう望み、固く思っている。
冥界は人の意志による影響を強く受ける世界だ。瀬人のような意志強固の人間の力が及んでいるのかもしれない。
「……タイクツ、だぜ」
出会う度に感情が増えていく。持ち得なかったものを、ひとつひとつ手渡されていく。
瀬人は、アテムを玉座から下ろしてしまうのだ。
ただの人として、ただの男として。


軽やかな音色は、耳馴染みのある電子音だった。
静寂を破るその音にアテムは思わず起き上がった。
枕元に置いてあった端末の画面をつければ、そこには待ち侘びていた人からの伝言があった。

――明日はそちらへ行く。予定は空けておけ。

「……相変わらず勝手な奴だぜ!」
口先では可愛げのない台詞を言い放ちながらも、アテムは破顔し両手で端末を握りしめていた。

「瀬人様が明日いらっしゃる!」
「ファラオもお喜びだそうだ」
「早速、宴の準備をせねば」
「王の間も華やかに飾り付けましょう」
どこからか聞きつけたのか、侍女や神官、兵士たちがざわめき始める。
瀬人の来訪は、この国にとって祭のような騒ぎになるのだ。ここは変化のない場所だ。別の地からの客人は瀬人だけだった。しかし珍しさだけではない。
王の喜びは民の喜びでもあるからだ。
天には、彼を待ち望む王の心情により、どこまでも澄んだ青空が広がっていた。
そしてアテムの強い感情は、冥界だけなく童実野町にも伝わっているのだった。



来訪の度に瀬人には実感があった。
次元転送装置の計算速度という問題ではない。科学や数式では答えが導き出せない、明らかな変化であった。
近づいている。瀬人を迎える気持ちがあるという、アテムのいじらしい歓迎であった。
初めて辿り着いた時に比べれば、一目瞭然である。目視で数キロ離れていたのが、今では到着位置と王宮は目と鼻の先だった。
「フン、素直に嬉しいと言えばよいものを……」
クッと喉奥で笑うと、砂塵が舞った。乾いた空気は砂を躍らせ、黄金色の景色を作りだしている。

王宮の門扉は開かれている。迎える兵士、侍女は瀬人に微笑みを向けていた。真っ直ぐに王の間へと進む瀬人を止める者は、誰一人としていない。
「アテム! 約束どおり来てやったぞ!」
高笑いをしながら玉座へ大声をかけるが、そこに鎮座している筈の王は椅子だけを残していた。
「……な、何?」
また不可思議な現象でも起きているのかと、瀬人はあたりを見回す。傍らにいる侍女の娘がひそりと瀬人に伝える。
「ファラオは奥の間にて瀬人様をお待ちです……」


王宮は、凄まじく広い。何度も足を運んでいる瀬人ですら、全貌を明かせていない。
海馬の邸宅も一般人からしてみれば、とんでもなく広い土地と邸なのだろうが、王宮と比較するのは馬鹿らしいものである。
アテム自身、知らない部屋や空間もあると言っていた。王宮内に、下男下女、神官たちの住まいも作られているのだから、流石にそこへは王とて好き勝手に行けるわけがない。

「花の香りが強いな……」
侍女の案内のままに瀬人は奥へと進んでいた。王宮の道は幾重にも別れていて複雑である。いずれも他者の侵入を恐れてこのような作りをしているのだろう。
「ここからは、どうぞおひとりで」
「ああ、すまないな」
現実の場とは違い、他人の眼を気遣う必要が無い。普段ならば口にすることもない言葉も、すんなり出てくる。ついてしまったパブリックイメージを保持する為には、他者への不遜な態度も瀬人の立場上、致し方ないのである。

ぱしゃ、と水の跳ね打つ音がした。耳をすませば、さらさらと流水の音もしていると気付く。
「……いるのか」
音の方向へと声をかけると、人の気配が強まった。話し声はしない。
「……え?」
木々の葉がカーテンの役割をしている。瀬人は視界を遮る葉を捲り上げた。
視線の先には、薄衣を纏った少年王の姿があった。
「……か、海馬!」
「貴様……何をしている!?」
「お、お前こそ、なんでここへ」
「今日ここに来ると伝えただろうが! 貴様も承諾の意を示しただろう!」
アテムは絵文字やスタンプでよく返答をする。肯定の意を示すハンドサインを多用している。馴染みがあるのか、その方が伝えやすいらしい。
「それはそうだが……! 予定より早いぜ。まだ……準備の途中で」
「……ほう?」
「……う」
同性同士なのだから、裸くらい見た所でどうもしないはずだ。しかし、ふたりは恋人同士であるので――なかなか互いに認めようとはせず、言語化もままならないのだが――瀬人は背を向けていた。
「準備、か。それはオレの為の準備なのだろう?」
「そうだぜ……」
「どうやら、ここは王専用の沐浴場といった所か」
広い空間には、アテムだけの浴場が設けられている。贅の限りを尽くした場所だった。
異国の花や木々が植えられ、飾りつけられている。
「成程」
身支度を整えるために置かれている卓には、香油や花、それからいくつもの装飾品が並んでいる。
「フ……クク……」
瀬人は想像をしただけで笑いが込み上げてきた。肩を震わせていると、アテムはますます不服そうに眉を寄せていた。
「向こうで待っていてくれ。すぐに終わるから……」
アテムは浴場の奥へ身を引っ込めるようにして進んだ。
しかし、瀬人はそう言われて素直に聞き入れる男ではなかった。
衣擦れの音がすると、アテムが気づいた時には遅かった。
「……なっ、なんで海馬まで入ってくるんだよ!」
「沐浴とは――」
瀬人は淡々とした口調で続ける。そしてざぶざぶと水をかきわけながら真っ直ぐにアテムの元へと向かってくるのだ。企みを含んだ形相が何とも言えぬ恐ろしさがある。
「肉体的、精神的穢れを取り除き、聖と俗との分離をはかる行為だという」
「それが、どうしたっていう……」
思いつめたような表情の瀬人に、アテムはどうすることもできず、とうとう追いつかれてしまった。
正面に立つ男は、アテムを見下ろしている。触れられる、と覚悟を決めたアテムはびくりと身を固くさせた。
「それに聖なるものへ触れる前には、汚れた身ではならない……」
「か……」
 瀬人は手で水を掬い、口元に流した。濡れた唇から、水が滴り落ちていく。
「……ん」
濡れたままの口唇で、瀬人はそっとアテムに口づけていた。途端に触れた場所が熱くなる。
「これでオレも許されるだろう?」
「こんな所で、することじゃないぜ」
「期待をしていたのは、貴様の方だ」
「……してない!」
「していないのか?」
狡い、とアテムはひたすら思う。言葉で言いくるめられる。舌戦では敵わない気がする。こうして誘導されれば、嫌でも素直な気持ちを暴かれてしまう。
「して、な……い」
「正直にしていると言えば良いものを」
濡らされた指先で下唇を撫でられる。ぞくりとしてアテムは吐息が洩れた。
抱きつきたくなる衝動を押さえて、息を呑んだ。逢えない間に膨らんでしまった思慕が今にも溢れてしまいそうだ。
「海馬、オレ……あの機械があるから、現世の時間と繋がっていられるんだぜ」
「機械? ああ、スマートフォンのことか」
「ここには時計も無い。時間も月日も、関係が無いから。だけど、海馬には時が流れている」
アテムはそっと瀬人の胸元に触れる。たくましく鍛えられた肉体は、また一段と厚みが増したようだ。顔つきもより精悍になっている。瀬人は大人になり、少年から青年へと変わる最中なのだろう。
「海馬、十九になるんだな」
「知っていたのか?」
「だってお前の誕生日って、童実野町全体が休日になるし、会社でも騒いでるもんな」
懐かしく思い出しながら、アテムは笑った。童実野の王の生誕日は盛大に祝われていた。当人は楽しそうじゃないのが、今思うと理解は出来る。周囲が盛り上がっているだけなのだからだ。
「オレの指示ではない」
「だろうな」
「誕生日くらい、たまにはオレが自分自身のために使っても悪くないだろう」
「海馬の欲しいものは?」
「無論だ」
「フフ……」
いくらしても、何度したって、飽きない。
それは、この行為が特別だからではなく、誰としているかが重要なだけだ。

アテムは感じている。肌で、目で、手で、心で、魂で知り得る。瀬人が自分を求め、欲し、望んでいるのを、一身に受けるのだ。
それが、正しく『愛』だと認めるには、二人は少し幼い。
今はまだ、この楽しいゲームに夢中になっていたい年頃なのだろう。


おわり

top text off-line blog playroom