20181025 Home Dear…Another Story
「……もう限界だ」きらびやかなパーティー会場の真ん中で、男は独り呟いた。
「まあ、○○財閥の……」
「次のバカンスはモナコの別邸に是非いらして……」
「社長、今後KCはどのような分野に……」
騒がしい会場内での話声はもはや瀬人にとって、すべてが雑音でしかなかった。
ここにいるべきではない。
ここは自分の居場所ではない。
ここではない。オレは望まない。
黙りこくってしまった瀬人のフォローは、側近と現社長であるモクバの役目だった。
「ああ! ○○様、今日も一段とお美しくていらっしゃる! そちらはあのブランドの……」
「そうですね。我が社としては、来年度も宇宙開発に関する事業を進めたいと……」
海馬瀬人が社長の座をモクバに譲ってから、早十数年の時が経ている。今現在、瀬人は会長という立場なのである。
第一線から退いたものの、相変わらず瀬人の周囲には大勢の人々が集まるのだった。
それもその筈だった。
今夜は瀬人のバースデーパーティーである。
パーティーといっても、KCが主催の謂わば会社関係者による懇親会のようなものであり、瀬人にとっては煩わしい行事のひとつに過ぎなかった。
この誕生会は社長になる以前より、海馬の姓となってからは毎年行われている。何かしら理由をつけて、コネクションを得ようという魂胆なのだろう。
いい加減、いい年齢なのだからやめてもいい頃合いだろうと提案しても、大株主らは毎年行われているパーティーを楽しみにしているのだそうだ。
「兄さん、会話しなくてもいいから。せめて少しくらい笑顔でいて……」
モクバがひそひそと瀬人に訴えている。作り笑顔は不得意だった。瀬人の口元がわずかに歪む。
「……すこしはマシかな……」
不機嫌な仏頂面より、多少は和らいで見える。ほんの少し、ごくごくわずかに、だが。
いつまで経っても不慣れで不得意で、一分一秒がすべて無駄だとさえ思えるこの空間は、徐々に瀬人の思考を退行させていくのだった。
「……る」
対応に追われるモクバは、瀬人の呟きを聞き逃した。
「え?」
「オレはうちにかえるぞ!」
「……えっ? ちょっと、兄さん!?」
海馬瀬人、三十歳。おうちにかえりたい。
瀬人は、こうだと決めたらすぐに行動に移す男だった。思えば、幼少期から頑固な性格だったと思う。
我も意志も強い精神だった。何かをする、という点においては長所となるのだが、逆に、我慢ができないタイプでもあったのだ。
それでもパーティーの終盤まで堪えたのだから、褒めてもらってもよいとさえ、本人は評するのだった。
「ま、待って兄さん! 帰るって、どこに行くの!」
モクバが引き留めるのも当然だった。パーティー会場は海馬邸の一部であるからだ。
「止めてくれるな、モクバ? オレは実家に帰る!」
「……実家ぁ?」
瀬人が言う実家とは、自身の家と言う場所は……彼が待つ所を指している。
「モクバ様! はやく会場へお戻り下さい! わたくし一人ではとても対応しきれません!」
インカムから側近の悲鳴が聞こえてきた。すでに瀬人の背は遠くにあった。
「こうと決めたら、オレが何言ったって、どうしようもないんだもんなあ……」
モクバは、やれやれと溜息をついた。首元を締め付けるタイを緩めて、しばらくぶりに吸う外の空気を味わうのだった。
自家用ジェット機に飛び乗ってから、次元移動装置のある島までものの数分であった。
十数年の技術の進歩は目覚ましく、天才でも百年はかかるものを、瀬人は十年で成し遂げていた。
そうまでして瀬人を突き動かすのは、何もかもが自分と彼への想いの為だった。
「装置の簡略化も今後の課題だな……」
街の中にいても、思い立ったらすぐにでも次元移動が可能になれば良いと瀬人は考える。
逢いたいと思った時に、想い人のそばにいたいと考えるその気持ちだけは、時代がいくら進もうと、何千年も変わらない一途さがあった。
移動機へ乗り込み、瀬人は装置を起動させた。夜の闇に溶け込む一筋の光が、空を一瞬だけ明るく照らすのだった。
冥界にも昼夜がある。
等しく現世と同じ時間を共有しているわけではなく、王の心情や精神がよく反映されていた。
瀬人が辿り着いた時、砂の宮は真っ暗闇だった。皆が寝静まる頃。宴も終わり、木々さえも眠っている。
「オレを迎えるつもりがないのか……?」
瀬人の機嫌はますます悪くなるばかりだ。男の足音が、王宮の石畳によく響いていた。
「おい」
勝手知ったる瀬人は、王の寝所に遠慮なく入っていった。声をかけても、主の寝息すら聞こえてこなかった。
「……? アテム……!」
寝台は冷たく、気配もなかった。寝いていた様子すらないのだ。
「一体どこへ行ったんだ!」
寝台の敷布を握りしめ、瀬人の眉間の皺が深まった。何を考えている。何をしている。何故、迎えない。
瀬人は腹が立って仕方がなかった。
思い通りにいかぬこと。望むままにならぬこと。
アテムはいつだって、予想を裏切り、上回る。闘いに於いてだけでなく、こんな日常の出来事でさえ、不思議で、自由で憎らしかった。
「まさか、外にいるんじゃないだろうな」
寝所にベランダのように外へ抜ける空間がある。瀬人がその場所へ身を乗り出すと、上から声が降ってきた。
「海馬……?」
瀬人は声の方へ振り向くと、両脚をぶらぶらさせたアテムが屋根の上に座っていた。
「き、貴様! 何故そんな所にいる!」
「海馬こそ! 当分、来れないって言ってたじゃないか!」
「当分など、疾うに過ぎたわ!」
瀬人の言う月日と、アテムの数える日にちにはズレがあるようだ。時が流れないこの国と、慌ただしい現世とは感じ方も違う。
「貴様、どうやってそんな上へ渡った」
「そこに梯子がかけてあるだろ」
「……ああ、なるほど」
正面から隠すように梯子が置かれている。本当は昇ってはいけない場所なのだろう。いかにも子どもが好き好みそうな所だった。
どうして幼子は高い所へ行きたがるのだろう。自分が届かないから憧れるのか、それとも遠くを見てみたいからだろうか。
「こんな所で何をしている」
「ん……空、……いや、星を眺めていた」
アテムが見上げた先は、何千、何万……それ以上の星々が空を埋め尽くしている。強く輝くもの、赤く光るもの、儚げなもの、星は遠くで瞬いていた。
「眺めてどうする」
「うん……? そうだな……考えている。あのどれか、どこかに、海馬がいるんだろうなって」
「……ずっとか」
「うーん……。そうかな。そうかもしれない……考えてた。ついさっきまで」
「オレのことを、か」
「海馬のことだけじゃないぜ。相棒や、杏子や城之内くんや、みんな。どうしているかな、元気でいるといい、と。でも……あの頃を思い出して、考えると、結局最後は海馬に行き着くから」
瀬人の視界に映るアテムの横顔は、誰よりも何よりも綺麗だった。瞳の中の星の光が、きらきらとして眩しかった。
その理由を、瀬人は知っている。
誰かに恋をしている瞳は、どんな宝石も敵わぬ輝きを放つのだ。
「アテム」
「何だよ……」
「こっちを向け」
アテムの隣に、瀬人は身を寄せるようにして座った。
「……オレは今、星を見てるって言っただろ」
「オレを見ろ」
言われて、アテムが動揺したのが瀬人に伝わってきた。目線がかすかに動いたのだ。
「何を恥ずかしがっている」
「……言わなきゃ良かったぜ」
身を包んでいる外套に顔を埋めて、アテムは膝を抱えた。
瀬人はそっと腕をアテムの肩に回して、冷えた身を包む。
「この国の夜は、実に冷えるな。いくらマントがあっても、寒いだろう?」
「そうだな。……せっかく海馬が来てくれたんだ。あったまること、しようぜ」
アテムは口元をまだ少し隠していた。表情が見えにくいのが瀬人にはやや不満である。
しかしアテムからの誘いは、瀬人の不機嫌さを溶かし尽くしてしまうには、充分すぎるものだった。
「すぐそこが寝所で良かった」
「……どうしてだ?」
先に瀬人が降りて、アテムに手を伸ばす。腕を引き、身を抱えるようにして降ろしてやる。
「我慢をしなくてもいいからな」
「……海馬が我慢なんてしたことあったか?」
願望の赴くままに欲し求め、手に入れる男。アテムには、そう見えていた。
「貴様の目の届かぬ所では、相当我慢強く堪えているんだ。褒めて貰ってもいいくらいだ」
「ふうん……?」
「……なんだその眼は」
くすくすと笑ったアテムの目は、愉しげに細められている。
倍近く年を重ねている瀬人を、アテムはまるで年下の少年のような目で見ているのだ。
「海馬もそんな子どもっぽいこと言うんだな」
「……ふん」
向き直ったアテムは、やけに余裕のある微笑みをしてみせる。
「えらいぜ、海馬」
そう言って、アテムは瀬人の手を握る。
目の前の彼は間違いなく、男で、年下の少年で、海馬瀬人が唯一認めた生涯の好敵手に違いない。それなのに、その胸にすがりつきたくなるこの衝動はなんだ。
十八、九の瀬人なら、自分自身の感情を押し殺したかもしれない。
けれど、三十代に突入した瀬人は、自身の内なる幼児性を否定しようとは思わなかった。
「……うわっ!」
身長差が大幅にある為、アテムの胸に抱かれるには瀬人は膝をつかねばならない。
片膝をつき、瀬人は無言でアテムの平たい胸にしがみついた。
「な、なんだよ……いきなりどうしたんだ」
「撫でろ」
「ええ?」
「褒めてくれるのだろう? 頭でも撫でろ」
「……そういうの嫌いだったんじゃないのか?」
「嫌いではない。……貴様になら、いい」
もっと素直に、アテムにだからされたいのだと言えないのは、やや頑固さが勝った結果であった。
「ふうん? そういうもんなのか……」
アテムは言いながら瀬人の丸い頭を撫でた。さらっとした手触りの髪は見た目よりもずっと軽やかだった。
「えらいぜ、海馬」
先ほどと同じ言葉を繰り返して、アテムは瀬人の頭を撫でてくれる。
遠い昔、記憶すらないほどの……いつかの思い出。
母親だろうか。父親だろうか。優しい手が、慈しむように柔らかい髪を撫でてくれる。
そうされると泣きたくなるくらい幸せなのだと思えるから、瀬人はもう一度アテムの胸に顔を埋めるのだった。
「海馬、どうしたんだ……ヘンな顔してるぜ」
「変とは何だ」
「……なんか、生まれたてみたいな顔だ」
「そんな顔しとらん」
「してるぜ」
瀬人に見上げられるのが珍しいからなのか、いつもの精悍な男の面立ちとは全く異なっていた。
どこか可愛らしくも思えて、アテムは理解不能な自分自身の母性を持て余していた。
「このオレを赤ん坊扱いか」
「そうとは言ってないぜ」
立ちあがった瀬人は、普段と変わらぬ目線の高さとなると、やはり顔つきも目つきも元通りになってしまう。
「今夜が続く限り、貴様には相手をしてもらうぞ」
「今夜……?」
「現世の今日は……オレの誕生した日だ」
アテムは、納得がいった。先ほどから流れ込む精神(ビジ)映像(ョン)は、小さな赤ん坊と両親の姿だった。
瀬人の魂は、自分の誕生した日のことを、回想していたのだろう。瀬人自身も覚えていないことでも、魂には刻まれている。
その魂のレコードをアテムは感じ取っていた。
とても幸せな姿だった。見ているだけで、気持ちが安らぐ、そんな優しい思い出だった。
「オレがこの夜を願う限り、朝はやってこない」
「ほう……それは、いつまでもオレと共にいたいと言うことだな?」
瀬人はいつもの調子で、アテムをからかうそぶりだった。
「……そうだ……と言ったら?」
てっきり、アテムの得意の台詞が返ってくるとばかり思っていた。そいつはどうかな、という返答だと思い込んでいたので、瀬人は面食らった。
「ならば、その願いをオレは叶えてやる」
今度は真剣だった。アテムの目を見据え、そらさずにいる。
「でも……どんな夜にも朝は来るぜ」
決して悲しい言葉ではなかった。この夜を終わらせるのも、新しい朝を迎えるのも、アテム次第だった。
たとえ、本心であっても、アテムは瀬人をここへ留めようとしない。
アテムは人智の及ばぬ力で瀬人の運命を操れても、断じて使いはしないのだ。
瀬人の前では、ただの一人の人間であるのを、アテムは望む。
そして瀬人もまた、アテムをひとりの人として向かう。
「太陽が昇るまででいい」
「うん」
アテムは静かに目を閉じて、首を傾ける。
細い輪郭をなぞり、瀬人はゆっくりと顔を下ろしていった。
誓いに似た口吻がされ、深く沈みこむような二人きりの時間が始まっていく。
時間を止めることもできる。この人を閉じ込めることもできる。
けれど、それはできないし、やろうとも思わない。
アテムに永遠を授けてくれるのは、たった一人瀬人だけだからだ。
夜が終わる、その時を迎える頃。
アテムは瀬人の誕生日を祝う。
新たにひとつ、幸せな記憶がレコードに刻まれた。
「また来年も、な」
終