20201025 少年の伝説

 男は、誰にも知られず見つからず、気配すら悟られずに青い惑星に降り立った。
 あたりはしんとして、明かりはひとつもなく、闇に飲まれていた。
 男が乗っていた小型宇宙船のような奇妙な乗り物から放たれている青白い光だけが、この地を照らしていた。
「座標がずれていたのか?」
 掠れた声で男は独り呟く。手首に取り付けていたコンピュータで現在地と着地予定の地点を調べだした。
「……ふむ」
 計算に狂いはない。次第に暗闇になれてきた目で、まわりを見渡してみる。
 遠くにぼんやりと都市の明るさが確認できた。
 明るさの中に、ひときわ目立つタワーがある。孤独に天を目指している様に、男は不思議と興味を持った。

 しばらく歩いていると、やけに息があがった。身体に重力を感じるようで手足の動きが鈍かった。
 街はすぐそばにあるというのに、人の気配はおろか、車や電車の通る音も無かった。
 ここは静かすぎる。
 懐に携帯していたペン型のライトで道を照らす。
よく整備されたなだらかな道路だった。ただただ真っすぐに街まで伸びている。

 十数分ほど歩いただろうか。目的地である街が目前にあった。人々が暮らしていると思える賑やかさがあった。
 明かりや気配、生活音や匂いがあった。
 それまで歩いてきた暗がりの道は、人はおろか生き物すらいなかった。虫一匹すら見つけられなかったのだ。
 男は街の付近に辿り着いた。
 地面や看板には、童実野と書かれている。まるで箱庭の国のように、道路と街がはっきりと別れていた。
 限りなく薄く透明なガラスが街をドーム型に覆っている。
「確かにドーム化計画はあったが……」
 あくまで男の知る世界では計画に過ぎなかった。それが今、触れられるものとして実現している。
「なるほど、悪くないな」
 男は満足げに笑った。
 街の入り口らしき門にはセキュリティシステムが機能しているらしい。異邦人である男は排除されるに違いなかったのだが、何故か何事もなくすんなりと通されるのだった。
「ID認証――海馬サマ、――オカエリナサイマセ」
「何故オレを知っている?」
 システムは答えなかった。

 男――海馬瀬人は、冥界時間でいうところの約二か月ぶりに地球の日本、童実野町に戻ってきていた。
 海馬は冥界と現世、地球を行き来する日々を送っていた。
 冥界に存在し続けられる時間、日数は海馬の努力により少しずつ増えている。
 海馬は、いずれあの地に定住すると決めていた。
 自らがアテムと共にあるのだと決意した時から、自分の生きる道に迷いはなくなった。
 まだその道の途中だ。
 自分の夢を叶えるためには、まだ成さねばならぬことがある。自分の技術や才能だけでは賄えない。何より資材が不足しがちだ。
 だからこうして、現世に戻る必要があった。
 海馬が行動するのはいつも夢や野望、目的のためだった。
 その夢の最終地点に、アテムが待っている。
 海馬自身は気づいていないし、アテムも分かっていない。それでもきっと海馬の夢には、アテムの希望も加わっているのだろう。


 街の中は、昼間と見紛うほど明るかった。
行き交う人々の中には、幼い子供もいる。それを咎める大人もいないようだ。
 街の外からも目立つタワーは、中心地にあった。
 やがて海馬はそのタワーに辿り着く。
「やはりそうだったか」
 童実野町の中心にあるのだから、間違いなくKC本社であった。
 物々しい造りのゲートは一般人を寄せ付けない雰囲気があった。
 そして門の前には、青眼の白龍が入り口を守っている。
 ブルーアイズ像の合間に、もうひとつ見慣れぬ像が立っていた。
 海馬は目を凝らして、それから顔を顰めた。
 その像は明らかに、現役高校生社長であった時代の海馬瀬人そのものであったからだ。
「趣味の悪い……」
 海馬は心の底から悪態をついた。同時に大きくため息をついたのだ。

「かっけーーーー!」
 すると海馬の後方から素直そうな声があがった。幼い声色から小学生くらいの年頃に思えた。
「やっぱカイバ社長って言えば、カイバセトだよなー! デュエルも強かったらしいし、学生で社長だったんだぜ!」
「エースモンスターがブルーアイズなのもかっけえよな!」
 その“カイバ社長”本人がすぐ隣にいるのにも関わらず、少年たちは門の前でわいわいと話し続けている。
「でも俺はやっぱムトウユウギ派かな」
 少年たちのひとりがその名を口にしたので、海馬は視線を向けた。
「知ってる! 決闘王だろー! カイバセトのライバルだったって人」
「え? そうなんだ? 俺、じいちゃんに聞いた話だとゲーム作ってた人ってきいたけどな」
「同じ人なんだけどさ、高校生の頃はすっげーデュエリストだったんだって!」
「お前知らねえの? めちゃくちゃ強かったんだぜ! カイバセトよりずーっと強かったんだって!」
「………………」
 海馬は釈然としなかったが腕を組んで、少年たちの話に耳をすました。
「えー? 同じくらい強かっただろ! 公式記録見てみろよ!」
「じゃあさ、決闘博物館で再現決闘見てみようぜ!」
 海馬は不思議に思った。果たして彼らには、自分の姿が見えていないのだろうか。システムに認証されたからには、人間、生物として認識されているには違いない。
それなのに、少年たちはまるきり海馬に気づかないのだ。
「……えーと、何か?」
 少年たちの一人、背の小さな男の子がそばにいた海馬の視線に気づいた。
「いや……君たちがデュエルの話をしていたから、つい聞き入ってしまってな」
 少年たちは、嬉しそうな表情を浮かべて海馬に注目しだした。
「ほんとか? じいちゃんくらいの年なら、昔のデュエルのこととか知ってるだろ!」
「じいちゃんも昔のデュエリストだったの?」
 少年たちが海馬のそばに集まると、途端に質問が飛んでくる。
「じいちゃん……?」
 海馬は、視界の中にある自分自身の手を眺めた。
 皺が入り、血管が目立っている。おおよそ自分の手とは思えぬほど衰えている。
それから、KCビルのガラスに映り込む人物の顔を覗いた。
 少年に囲まれる一人の老人。
 背格好こそ青年時代と変わりないものの、白髪が多く、面影はそのままに老いた顔の自分がいたのだ。
「ああ……そうか。なるほど……」
海馬は合点がいった。
 この街の違和感に、ようやく納得した。
 ここは自分が生きていた世界より、何十年か、百数年かの時を経ているのだ。

「いいだろう。オレの知っている時代のデュエルを、教えてやろう」
 少年たちは、海馬の話に目を輝かせて聞き入った。
 記録に残る時代を生きた本物のデュエリスト。
 今はもう、その歴史を知る者は、限りなく零に近いのだろう。

 海馬による決闘初期世代談義は、少年たちの興味が尽きることなく、数時間に渡った。
 現在が夜か昼なのか、ドームの中はあまりに快適すぎるので、海馬には区別がつかなかった。
 それでも、少年たちの誰もが「もう帰ろう」とは言いださなかったし、街中を見回しても、いつまでも子どもが外を出歩いているのだった。

 談義が落ち着いたのちに、海馬は街の不自然な点を尋ねてみた。
「君たちは、家に帰らなくてもいいのか?」
「外出許可はとってあるし、24時間セキュリティが働いてるんだから平気だって」
「それにしても、よそのじいちゃんに会うなんて珍しいよなー」
 それも不自然な点のひとつだった。
街中に老人らしい年齢の人間がいないのだ。
あたりには、せいぜい50代と見られる年頃までの人間しかいない。
海馬は自分の容姿からして、70代以降の年齢だと思っている。
「君の祖父母はどこにいるんだい?」
 海馬は何気なく訊いた。
「俺の? 俺っていうか、じいちゃんばあちゃんはみんなホーム地区だろ」
「……全員?」
「だってそういう決まりだろ?」
「……なら、オレのような老人がこの街にいるのは、おかしなことなのか?」
「うーん、すっげー偉い人とか、その人しか出来ない仕事がある人は特別なんだって。だから、じいちゃんもそうなのかなって。な?」
 少年は他の子ども達に目配せした。
「うん。だって、博物館にも図書館の本にも無い話もしってるし、デュエル詳しいし、KC前にいたから、偉いじいちゃんなのかなって思った」
「クク……まあ、偉いには違いないかもな」
「やっぱな! 偉いってどのくらい? ブチョー? カチョー?」
「ばっかだな! じいちゃんだったらカイチョーとかだろー!」
「まあ、そんなようなものだ」


 いくらでも海馬は話せそうだった。それにいつまでも子ども達は飽きなかった。
しかし、ふいに終わりは少年の持っていた情報機器のアラームにより、知らせられるのだった。
「そろそろ、学校戻んないとな」
「えー、もう?」
「ライナー乗ってぎりぎりになっちゃうな」
「じゃあ、じいちゃん、ありがとな!」
 活発そうな少年が挨拶をすると走っていく。
「また話きかせてくれよなー!」
 体格のいい少年はそう大声で言って手を振った。
「またいつか!」
 細身の少年は頭を下げて彼らを追いかけて行った。
「ありがとうございました!」
 真面目そうな少年は礼儀正しく述べて、去っていく。
 最後に、背の小さな男の子が海馬の前に立った。
「君は行かなくていいのか?」
 海馬が声をかけると、男の子は見上げて言った。
「あの、最後にひとつだけいいですか?」
「ああ、いいとも」
「ムトウユウギとカイバセトだったら、どっちが強いと思いますか?」
 彼らとの会話の中で分かったのは、彼らが認識しているデュエリストの武藤遊戯は、アテムのことを言っている。
 後の武藤遊戯はゲームクリエイターとして成功した人物であるらしかった。
だがデュエリストとしての存在は、確かにアテムがあの時、時代に生きていた証明だった。
「それは難しい質問だな……君はどう思う?」
「俺は、その……戦略とか、デッキとか変わったら、どっちが勝つかは分からないのかなって思ってて」
「勝敗は確かに、そのデュエルごとに決まるものではある。だが、どちらがデュエリストとして強いかは、決められるものでは、ないかもしれんな」
「そうだよね……そうですよね!」
 男の子は、迷いが晴れたように明るく頷き、それから海馬に別れを告げた。

 一人残された海馬は、自分の導いた言葉の意味を深く胸にしまった。
「だから今も、その答えをオレは追い続けている」

 瞬間、すぐにでも闘いたくなった。
決闘の熱が高まると、いてもたってもいられなくなる。
 しばらく社の研究所に滞在すると決めていたはずだったが、この状況では社内に入れるかどうかも危ういものだ。
 海馬は元来た道を戻り、次元移動装置に乗り込んだのだった。












「……海馬」
 焼け付く日差しが肌を刺している。
「海馬!」
 耳に馴染む呼ぶ声が、やけに懐かしい。
「起きろ、海馬!」
 馬上から見下ろすアテムの影が、海馬の顔にかかった。
「こんな砂の上で寝てたら干からびるぜ」
 薄く目を開けた海馬は、まず自身の手を見つめた。張りのある皮膚、若い肉体の実感があった。
「まったく、いつからここにいたんだ。オレが来なかったら、どうなってたか」
 馬から降りたアテムは水筒を取り出して海馬に手渡した。
「この地へ辿り着けば、貴様にだけは分かるのだろう」
 水筒の水を一口飲むと、海馬は呟くように言った。
 確かにそうだった。
 アテムだけがわかる。海馬瀬人という、冥界にとっての異分子。
 魂が悟るのだ。来る、ということ。居る、ということ。
 すべてアテムだけが理解できている。
「だからオレは死にはしない。貴様が、それを望んでいないからだ」
「自惚れるな、ぶっ倒れてたくせに」

 海馬は真っすぐ空を仰いだ。
天は高く青い。太陽が焼け付くほど眩しく、風が舞う。
 あの世界の、あのドームで覆われた街は、あらゆる天候から守られている代わりに、自然の恩恵を何一つ受けられない仕組みだろう。昼も夜も、季節もない。
 あれも一つの正解だと海馬は思う。あの世界なら、救える命も多いだろう。

「アテム」
「何だよ」
「手をかせ」
 数秒の沈黙の後に、アテムは海馬に手を差し伸べた。
 海馬が少しずつ変わっていくのを、アテムは感じていた。
 いつから気づいたのかは、忘れてしまった。
 変化というのか成長というのか、大人になるのか、年を重ねているのか、それらすべてなのか。
 特に変わったと思うのは、誰かを頼るようになった点だ。
 海馬は不可能なことはないというほど、何事も完璧に行う人間であったが故に、利己的で自己中心な性格だったはずだ。
 それが家族や、周囲の人間を信頼するようになり、自らの意を託すことも出来た。
他者を認めるようになったのは、明らかにアテムと出会ってからの影響だった。
しかし張本人であるアテムはやはり気付かなかった。

「王宮についたら、すぐデュエルだ」
「体を休めてからの方がいいんじゃないか? 疲れてる海馬に勝ったって嬉しくないぜ」
「フン、オレはいつだって万全だ。貴様こそオレの居ぬ間に腑抜けたのではないだろうな」
「ならその目で確かめてみな」
 アテムの手を取り、立ち上がった海馬は、すぐに決闘を申し込むのだった。

 そのためにここに来た。
 そのためにここに居る。
 互いの瞳が燃えている。



 海馬瀬人と武藤遊戯(アテム)、どちらが強い?

 勝敗だけが、強さをはかるわけじゃない。
 けれど、互いに勝利を求めるから、競い合える。
 強くなれる。
 お前よりも、貴様よりも。
 お前だから、貴様だけが。
 闘いたい。続けたい。
 終わらせない。


 互いに口に出さないでいても、通じ合うものがあった。
「楽しい」のだと。
 お前とする決闘が、何より面白い、のだと。
 言わなくても良かった。
 決闘をしている間、誰よりも互いを分かり合えるから、心が通じ合えるから、言葉を交わさなくても伝わっていた。

 それは海馬瀬人とアテムだから、特別ではない。
 決闘をする誰もが、知れるものだった。
 世界のデュエリストの誰もが、感じられることだった。

 一生の相手を、見つけられたことを幸運だと思うと同時に、これを運命だと強く想った。


「海馬が居ない間、デッキを見直したんだぜ。同じ手は食らわせられないぜ?」
「当然だ。同じデッキで挑むほど間抜けなわけがあるか」
「そうこなくちゃな」
「何度闘ってきたと思っている」
「フフ、何度目だったかな……」


 名も知らぬ少年たちにとっての伝説が、目の前にいる。
 少年たちと変わらぬ輝く眼をしている。
 一番夢中になれるものを知っている眼だ。
 他の何かを忘れて、放り出しても、それだけに集中できる。
 そのためだけに生きていると言える。
 それだけで、自分が生まれてきたのだと思えた。

 二人は同じ目の輝きを宿しながら、互いの星を追い求めている。
 夢を抱く者の生命のまばゆさが、確かに彼らの中にあるのだ




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