境界線上の不夜城で待ち合わせ 1
序「君たちって、本当にいつも一日中デュエルばっかりしてるの?」
帰宅するなり、遊戯はアテムにそんな疑問を投げかけた。ショルダーバッグを下ろすと、上着を脱ぎながら「ああ」と短く返事をされる。
「朝から晩まで?」
「……ん、まあそうだな」
椅子の背もたれを前にして座っている遊戯の顔には、呆れの色が見られる。アテムは心外だと言わんばかりに腕を組んで、向かいに座った。部屋には揃いの勉強机と椅子が少し窮屈そうに並んでいる。
「夕ごはんは?」
「食べてきた。帰る前にメールしただろ」
「何食べてきたの」
「……肉……?」
アテムは夕食に並べられた料理の名前を知らない。彼が現代の食事に疎いからではなく、一般庶民ならば海馬家で出されるメニューの名前がすらすら出てくる方が少数派だろう。辛うじて理解出来るのは“フランス料理らしきもの”という認識くらいだ。
「美味しかった?」
「うん」
「一緒にご飯を食べたりはするんだよね」
遊戯は背もたれの部分に肘をついて、ぼんやりと想像を広げた。海馬邸には何度か赴いたことはあるが、邸内があまりにも豪奢で完璧に整い過ぎていて、とても人が生活する空間とは思えなかった。そしてそこに住まう人々にも、生活感が感じられにくい。それでも、彼らは人間で、そこに住まい、食事をし眠るのだろう。
「そりゃあ、腹が減れば食事は摂るさ」
「うーん。あの海馬くんと君が、ねえ」
あのやたらと広い食卓で、海馬とアテムが向かい合って食べている姿はどことなくシュールだ。周りの使用人はどう思っているんだろう、と遊戯は更に想像を膨らませる。
「だったら今度、相棒も一緒に」
「それは遠慮しておくよ! 海馬くんの用があるのは君だけだって、ボクはよおーく知ってるから」
「何だよそれ。相棒も一緒なら楽しいに決まってるぜ」
「いや、それはそうなのかもしれないんだけど。君じゃなくて、海馬くんが」
海馬邸に出入りするようになってから、アテムは何度か遊戯を誘った。始めこそ、一緒に行くべきだと半ば強引に引っ張って行ったが、迎えてくれた海馬の冷めた目を遊戯は忘れもしない。語らずとも「何故貴様がここにいるんだ」と目で文句を言い放っていたからだ。正直、あれはもう味わいたくない。それに、遊戯は純粋に海馬に同情をしていたのだ。何故、海馬の想いが当人には伝わらないのかと疑問であった。
「そうだ。デュエルするなら、城之内くんや本田くん、杏子も誘ってみんなで楽しんだほうがいいと思うんだが」
「あー……あのね」
「それだったら、もっと大勢の方がいいか。あの屋敷は広いしな。せっかくの施設もスペースも、海馬と二人だけってのも、ただっ広くて勿体ないと思ってたんだぜ」
「あのさ、アテム」
「ん?」
さも名案を思いついたかのように明るい表情をしてアテムは早口になる。遊戯が何度か遮ろうとしているのだが、自己解決しているのか話が止まらない。
「それ、海馬くんに提案したりしてない、よね?」
「前から考えてはいたんだがな。デュエルしている時以外、あいつとはあんまり会話が無いから、機会を伺ってた所だ」
「それは良かったよ」
「どうして」
振り返った瞳は丸く、きょとんとしている。時々、遊戯に見せる顔つきは年齢よりも幼さが増して、少し可愛らしいものだった。
「そんなの、海馬くんがオーケー出すわけないじゃないか」
「言ってみなければ分からないぜ!」
「君が何か条件を出して、お願いしてみたら可能性はあるかもしれないけど、それでもやっぱりスポンサーの承諾はなかなか得られないと思うけどな」
「お願いだと? 何でオレがあいつに」
「だってさ、海馬くんは少ない休日と自由の時間を君に充ててるんだよ。その貴重な時間を他の人に邪魔されたく無い筈だよ。それに場所だって、海馬くんの自宅じゃないか」
「え? う、……うん。そう、なのか?」
これは余程甘やかされているらしい。遊戯はため息をついた。なんて鈍感なのだろう。ふたりの距離が近すぎるのが問題なのかもしれない。会話が少ないのも要因だ。事、デュエル以外に於いて、うまく意思疎通が出来ていないのは歴然だ。
「君がどうしても! ってお願いするなら、万にひとつくらいは首を縦にしてくれるかもしれない。でもあの海馬くんが譲歩なんてするかな?」
アテムは小難しそうに眉を寄せて黙り込んだ。遊戯は「考えてる、考えてる……」と心の中で思いつつ観察していた。
「聞いてみなければ、分からないぜ!」
「変に前向きなんだよなあ……」
遊戯は、ますます本気で海馬に同情したくなった。自分にとっての優先順位が常に相手であるとしているのに、その相手にとっての順位は、遊戯を含めたアテムの友人たちと横一列を保っているのだ。人一倍、自尊心が高く独占欲が強い海馬にとって、これ以上の屈辱は無いだろう。
第三者としての目線を持てば、痛いほどに分かりすぎる。相手にとっての一番でありたいと思っていると、知れるからだ。その一番がどんな立場で、どんな関係で、どんな間柄を求めいるのかは、この際どうでもいい。とにかく、海馬がアテムを欲しているというのは分かるのだ。
「デュエルばかりじゃなくてさ、たまには違うゲームでもしてみたら?」
コミュニケーションの一環として、ふたりにとって決闘はあるのだろうが、そればかりに偏るのも原因とひとつと遊戯は見込んだ。そこで提案をする。
「休憩で、テーブルゲームはしたりするぜ」
「へえ、例えば?」
「チェスとか、オセロとか、あとビリヤード」
海馬がチェスを得意としているのは、遊戯も認めている。高校で海馬の噂は色々と耳にしてきたからだ。実際にプレイしている所は観た事はないが、恐らく似合いすぎる程に彼に合ったゲームだろう。
「ビリヤードするの?」
「屋敷に台があるからな。タシナミだとか言ってたぜ」
「へえ、お金持ちの家にはビリヤード台があるってよく聞くけど、本当なんだね」
海馬邸は外側も内側も新しくて綺麗な造りだが、代々受け継がれている屋敷だ。貴族の邸にはビリヤード部屋があると映画で見たことがあった。嗜みだと言うのは、きっとステレオタイプな見解の成金趣味とでも言いたいのかもしれない。
「でもちょっと退屈かもしれないな」
「君がそんなこと言うの珍しいね」
「オレじゃない。海馬が退屈そうに見えるんだ」
「デュエルと比べたら、きっとそこまで夢中にはなれないんだろうね……」
「ああ、そうかもな」
デュエルばかりしている。ふたりにそんな偏見を持っていた遊戯は考えを改めた。海馬は海馬なりに、アテムはアテムなりに、別の方法で交流を深めようとはしているのだ。
ただ、方法が分からないだけなのかもしれない。闘いの場にずっと身を置いてきて、今もそうして彼らは生きている。それが存在の証明であり意義だと決闘者は自覚している。
遊戯だって、この問題を得意としているわけじゃない。どちらかと言えば不得手だ。だけども、遊戯は友人のひとりとして、アテムにも海馬にも、もっとより良い日々を送って欲しいと願っている。ふたりのことが同じくらい好きだからだ。
「でもさ、休憩でもゲームするんだね。ボクもひとのこと言えた義理は無いけど。よく杏子にも叱られるし」
「フフ、遊戯ってばゲームの話ばっかり! って?」
アテムは杏子の真似をして声を少しだけ高くして言った。遊戯と杏子のやりとりをよく見かけているのだ。
「そうそう。ボクはカードだけじゃなくて、色んなゲームが好きだよ。勿論テーブルゲームもね。デジタルもアナログも、色んなものに興味があるから」
「オレは早く相棒が考えているっていうゲームをやってみたいぜ。一緒に暮らしてるのに、何にも教えてくれないんだもんな」
「それだけはダメダメ! 企業秘密だよ。完成するまでは誰にも教えないって、自分に誓ってるからね」
「期待してるぜ」
アテムと共に過ごした月日は、とても刺激的で、そして様々な出会いにあふれていた。それらの経験が遊戯の夢への基礎を作り、彼の想像力はかきたてられた。
学校が終わると、遊戯は勉強よりも思いついたアイディアをノートにまとめるのに忙しかった。母親は、帰ってきて一目散に勉強机に向かう息子に感心していたのだが。
「うー……ハードル上げるんだもんなあ」
「フフ」
ゲームをする才能は、アテムにある。遊戯にも同じくらいの才能とセンスはある。だが何かを産みだす思考力や、エネルギーは敵わない。
新しい思いつきを話す時の遊戯のきらきらとした瞳が、アテムは一等好きだった。夜通し夢を語る自分の相棒が、小さな弟や子供に見えるのに、稀にとても逞しくて、頼りたくなるような男らしさに満ちているのだ。
容姿や体つきがほとんど同じであっても、こんな時に違う人間であるということを実感する。それはとても寂しくて、ひどく嬉しい事実であった。
「なあ、普通の友達って、……その普通は何するもんなんだ?」
「えっ、それをボクに訊くの?」
「相棒は城之内くんや本田くんと遊んだりするだろう? ゲームの遊び以外だったら?」
「う……ううーん」
遊戯にはひとつだけ思い当たる節があった。男が仲良くする為のツールがある。絆や友情を深める、今昔問わず、変わらない男子の共通項だ。
「そうだなあ」
椅子を元に戻して、遊戯は引き出しを漁った。あまり整理整頓は得意ではないので、それは奥深くに突っ込まれたままだった。いつだったか、それを眺めていた時にタイミング悪く母親が部屋に入ってきたので、慌ててプリント類の間に挟んだのだ。それ以来ずっと仕舞われっぱなしだった。
「これとか」
アテムの目の前に差し出されたのは、たわわな双乳を腕から零すような形でこちらを扇情的に見上げている妙齢の女性の姿が現れた。そんな彼女が全面に載っている一冊の雑誌だった。
「これ、前に城之内くんたちと見てたやつだよな」
視線を上げてアテムは遊戯に尋ねる。通常時と変わらない目の色からして、何の感慨も無いらしい。多少は、驚いたりするだろうと踏んでいた遊戯は拍子抜けした。
「最新号じゃないけど、これ今度持って行きなよ」
「これを? 海馬の家に?」
受け取ったはいいが、アテムの頭上にはクエスチョンマークがいっぱいに浮かんでいる。遊戯に無言で訴えてくる。
「前……、ボクが城之内くん達と仲良くなったばかりの頃のこと思い出せる? 君もボクと一緒にいたもんね」
「ん? ああ。何となくは」
「だからさ、男友達って、こういうので仲良くなるものなんだよ」
「これで?」
「猥談って、ある種の友情を築くものだとボクは思う」
十七、八の健康な男の子であるなら、正常な証拠として女性の体に興味があるのは、全世界全人類に言えることだ。
もし言葉が通じなくても、その気持ちさえあれば友達にだってなれるかもしれない。いつの時代もエロスは男子にとって、欠かせないものだ。三千年前だってきっと同じ価値観があるに違いない。
「わいだん……って何だ」
「うっ……こういうのを一緒にみて、ああだこうだって語り合うこと」
「何を語り合うっていうんだ?」
「え……ええっ、どれが好きとか、そういう話とか、だよ……」
無垢な質問をされると、遊戯は却って恥ずかしくなった。心なしか語尾が縮まる。
「ふうん」
アテムは渡された雑誌をぺらぺらと捲ってみた。カラーページには下着姿や水着、制服を脱いでいる女性の写真がずらずらと誌いっぱいに並んでいる。モノクロページには童顔の女の子の卑猥なマンガが載っていた。雑誌にはクセがついているページが何か所かあった。
「相棒は? どれが好きなんだ?」
アテムは折り込みのポスターを広げてみせた。水着の女性が笑顔を振りまいている。国民的アイドルのような可愛らしいルックスだが、彼女らは所謂セクシー女優のグループだ。
「ボ、ボクは……君とはあんまり、そういう話は……何かちょっと恥ずかしいっていうか」
「ええ? だって、男同士で仲良くなるには、することじゃないのか?」
「いや、あの、君とは……何だろうな、兄弟とか家族とは、その手の話ってし辛いものだろ? そういう感覚なんだってば〜!」
「城之内くんたちとは出来て、オレとはしないって言うのか!」
「だから、君とするのは何か違うんだよー!」
ある種の嫉妬を覚えたアテムが机の上に雑誌を置くと、詰めよるようにして遊戯を責めた。ふたりが狭い自室で追いかけっこを始めると、一階から母親が咎める声が響いてくる。
「ふたりとも静かにしなさーい! もう遅いのよ!」
母親の声が届くと、ふたりはぴたりと動きを止めた。双子みたいに顔を合わせて、目を細めた。すると、さっきまでの怒りはどこかへ行ってしまいアテムも遊戯も声をあげて、けらけらと笑い出した。
「ほんと、いつまで経っても子供なんだから……」
二人分の笑い声がしているのを母親が聞き、息子たちの幼さにやれやれと息をつきながらも、どこか微笑ましげに様子を見守っていた。