オアシス 1

「必ず! 再びこの地を訪れる! その時は覚悟しろ! アテム!」
「もう来るなよ、海馬!!」

体の先端部から粒子状となっていく。不鮮明になった海馬の姿が、徐々に荒くなっていき、まるで電子データのように肉体は消えていった。
こんなやりとりは何度目だろう。アテムはいつも本心で願った。「二度と来るな」と。
体に負担が掛かっているのは明らかだった。命を削ってまで会いにきてほしいなど、望んでいないのだ。
現世で生きる人間は、その場所に在るべきなのだ。そう説いても海馬は納得するわけもなく、アテムが説こうとも怒ろうとも何度だってやって来るのだった。諦めが悪いと自負していたが、これほどまでとは想定外だった。
「本物のバカだぜ、あいつ……」
マントを翻し決闘場を後にする。自分の為に誂えたのだという新型のデュエルディスクは、腕にぴったりと嵌められたままだ。触れる硬質な肌触りは、アテムに生の実感を齎す。
「きつく言っても無駄か……もっと話し合うべきなのか」
ディスクの手首側にあるボタンを押すと、自動的に外れるようになっている。外したディスクを持ち、アテムは王の間へ向かっていく。通りに立つ兵士は黙って王の姿を見守るだけだ。
「オレたちの会話は、いつも決闘だったな」
決闘という交流の中では海馬は饒舌で、それでいてストレートだった。誰よりも相手の気持ちを伝えあったことだろう。だから分かる。
先ほどのデュエルでも、痛いくらいに伝わってきた。たとえ知りたくなくても、分かってしまうのだ。それがデュエリストの宿命だった。
「……やっぱり、あいつはバカだぜ」
ため息をついてアテムはディスクを抱えた。
役目を終えたディスクは、王の部屋の中で宝物のように飾られる。古の時には不釣り合いな科学的燐光を放ち、その場に静かに置かれている。

それから幾日も経たないうちに、海馬は現れた。王宮から遠く離れた砂漠の地に降り立ち、その足で歩いてくる。襲来はいつも正面から堂々としてる。
「王を呼べ! 海馬瀬人が来たと!」
門番に叫ぶと、命じられた侍女は王宮の深くへと消える。勝手知ったる海馬は長い王宮の廊下を一歩一歩を踏みしめながら進む。
奥の間のアテムにも、その声は聞こえていた。侍女が息を切らしてきたのを確かめ、ため息をつく。
「どんどん間隔が短くなっているな……」
玉座の正面には男の影が現れ、その立ち姿からアテムは焦燥を感じ取っていた。
「海馬……」
呟くと、海馬の目が光を帯びたように揺らいだ。真っ直ぐに自分の顔を見据えている。病的なまでに視線は鋭い。
「アテム!」
王の名を恐れ多くもこの場で呼び捨てることが出来るのは、間違いなくこの男だけだ。海馬は左腕を上げ、ディスクを展開させる。会話らしい会話も疎かに、事を進めるのが常だった。
「海馬、オレは今日は……」
ディスクは王の間に置いたままだ。アテムは玉座から立ち上がり、制止するように手を前に出した。
「問答無用!」
しかし、まともに話を聞くはずもなく、海馬は睨みをきかせたままだ。獰猛な野犬を扱うがごとく、アテムはひとまず落ち着かせようと試みた。――その一番の方法が決闘をすることなのだが――
「ディスクが無ければ、闘うことは出来ないぜ!?」
「……ッ!?」
両手を広げ、戦意が無いことを証明すると、海馬は腕を下げた。これで少しは話が出来るだろうか、とアテムが気を緩めた瞬間。
海馬はその場に頽れた。
「海馬……ッ!?」
膝を床につけ、辛うじて力が残っていた左手で身を支えた。そのおかげで頭を打たずに済んだのだった。腕一本で全身を支えるのは数秒も持たず、海馬は床の上に倒れた。
「おい……! 海馬ッ!」
駆け寄り、アテムはうつ伏せに倒れ込んでいる体を反転させた。青白い顔はその色通りの冷たさを指に教える。
「息は、してるな……」
アテムは咄嗟に胸に耳をあてて鼓動を確かめた。脈動は弱いくせに早い。不快な律動であった。
「こんなの……迷惑なだけだ……ッ。バカ野郎……」
アテムは海馬の身を起こし、持ち上げようとした。しかし海馬の体中についている機器や服が予想よりも重く、よろけてしまった。見かねた兵士が海馬の半身を支え持った。
「ああ、悪いな」
王が命が無ければ、兵士も侍女も身動きが取れない。勝手な真似は許されないのだ。その兵士の判断は一歩間違えば無礼とも取れる行動であった。
「オレの部屋に連れていく。こいつはオレの寝台に寝かせる。いいな?」
海馬を支えている兵士に告げた。命じられた女官は、慌てて王の間へ侍女たちを向かわせる。王の手を煩わせるわけにはいかないと、他の従者が手を出そうとするが、アテムは断った。
「……多分、こいつはオレ以外に触られたくないだろうしな……」
独り言を呟くと、海馬の半身を持つ兵士が恐る恐る聞き返した。
「……(ファラオ)?」
「いや、何でもないぜ」
首を振り、アテムは微笑みかけた。兵士は間近で見る王の姿に喜びを噛みしめるのだった。

「王、そのような異国の者を寝所に入れてもよいのでしょうか」
「構わん。王のオレがいいと決めたんだ」
侍女を束ねる女官長が寝所の前で引き留めるように言った。しかし、アテムはそのまま寝所へ進み、海馬を寝台に寝かせた。
「おまえたちもこの男を何度も見ているだろう。……確かに素性の知れぬ者かもしれない。だが、オレの客人だ」
彼らも、海馬という人間を見て、どのような人物なのか認めている。突然現れ、王に無作法な振る舞いばかりするのであまり良い印象は残せていないようだが。
「この男の世話はオレがする。必要なものはその都度頼むから、悪いがここには誰も近づかないでくれ」
「王……それはあまりにも危険では……!」
警護にあたる武官が、口を挟む。それでもアテムは首を振る。
「これは王の命だ。よもや聞けぬとは言わないだろうな」
王の意ともなれば、彼らにはどうすることも出来ない。アテムは侍女に水を持ってくるように告げ、それ以外の者は全て下がるように命を下した。


「さて、どうしたものか……」
熱砂の地は気温も高く、日中は肌を突き刺すような陽がある。けれども、ひとたび夜を迎えれば、闇と共に風は熱を攫う。
海馬の肌は、人のものにしては冷たい。頬に触れると、その温度に一抹の不安を抱かせる。
少しでも楽になればいいと、体についている機具を取り外し、コートを脱がせてやった。
額に汗の玉が浮かんでいるのに、肌はひやりとしている。アテムは体に密着するような構造になっている服を脱がせ、海馬を半裸にさせた。
もう一度アテムは海馬の胸に耳をつける。どくん、どくんと、心音は鳴っている。そのままアテムは海馬の身を抱きしめるようにして、寝台に横になった。
その音が正しくなるまで、体が温かくなるまで、アテムは自らの肌を使うことにした。
浅い呼吸が繰り返されている。海馬の胸が上下していた。腕や足を絡めて、出来るだけ素肌と素肌が触れているようにするのだが、どうにも上手くいかない。
身長が違いすぎる。
「そうか……海馬は年を重ねているから。オレが知っている時の海馬とは違うんだな」
太くなった腕や足、厚みの増した体は、少年から青年へと移り変わっているのだ。そばでよく観察してみれば、顔つきも成長しているように思えた。目の下に濃い隈が出来ていた。
「貴様はバカだな、海馬。……こんなになるまで、体を酷使して」
アテムは身を起こして、目元を撫でた。薄く涙が滲んだように見えた。指の腹で目尻をなぞると、少しばかり濡れたように感じる。
きっと気のせいだ。そう決めつけて、またアテムは海馬の胸の中に潜り込んだ。
抱きしめてやっているつもりなのに、広い胸板の中に顔を埋めると、まるで自分が海馬に抱かれているようだった。
心臓の音は、未だか弱い。

夜が深まる。空気は冷え冷えとして、星空を明るくさせていた。衾をかけ、ひたすらに海馬の回復を待った。
耳に響かせる音は、海馬の鼓動だけだ。
とても静かな夜だった。人々のざわめきも、風の舞も、空に吸い込まれてしまったかのように、アテムの元には届かない。
男の呼吸と心臓を打つ音がまるで自分の体内から作り出されているかのように、聞こえていた。
「なあ、海馬」
眠っているのか、気を失ってしまっているのか、判断はつかない。意識を手放したままの男に語り掛ける。
「おまえはどうして闘うんだ?」
アテムは海馬の頬から首筋へと手で触れていった。首の太い血管が指先にあたる。
「どうしてその相手がオレなんだ……?」
答えは返ってこないから、訊ける問いかけだった。
海馬の命は、アテムが握っているも同然だった。弱った体は、手放せば容易く尽きてしまうのだろう。
おかしな行為だった。
冥界の王である自分が、人間の生命を繋ぎとめようとしているだなんて。疾うに亡くしたはずの生命への執着を、今こうして握っている。
「死ぬなよ、海馬」
最後に放った言葉だけは、アテムは強く口にしていた。それだけは絶対に相手に聞いて欲しい願いだったからだ。

「……くしゅっ」
くしゃみが出た。体温もすっかり海馬に奪われてしまっている。しかし長い時間をかけて肌を合わせていた為か、いくらか海馬の顔色も良くなってきたようだ。
薄明かりの下だ。そう見えるだけなのかもしれない。それでもアテムは前向きな答えを見出す。
「……ふあ」
くしゃみの次は欠伸が出た。夜も遅い。眠気が来るのは当然だった。
「人の心臓の音って、ずっと聞いてると眠くなるんだな……」
目元を擦ってみたが、限界に近かった。アテムは頬を抓ったり、頭を振ってみたりしたが、どれも徒労に終わった。
仰向けになっている海馬の体に包まれるように倒れこむ。海馬の肌は意外にも弾力がある。筋肉はもっと硬いと思っていた。力が入っていなければ、さわり心地も悪くないものだ。そんなことを考えながら、アテムは海馬の胸元に潜っていた。



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