Surreal Marginal 7

 唇に食ませたままで、瀬人は顔を引き上げる。きゅうーっと柔軟な乳頭が伸び行く様を見届けてやる。
「んんぅぅっ!」
 さぞかし痛いに違いない。脂汗の玉が、ぷつぷつと浮かび上がり、歯は食いしばっている。
 それでもアテムは降参しない。気を遣って、優しく撫でられているほうが、辛そうにしていた。むずかって、身を悶えさせているのを承知の上で瀬人は焦らしていた。
 瀬人の想像以上に、アテムは被虐心を育てているらしかった。アテム自身の理解は追いついているだろうか。けれど今はまだ、その真実を明かさなくてもよかった。
 伸ばされ変形した乳首を空で瞬時に放すと、肌は縮んで元通りになる。
 乳輪には噛まれた痕が、血の滲む赤さが目もあやにくっきりと残っている。
「貴様ほど我慢強い男はそうそう居まい」
 瀬人は片手を腹に下ろしてやると、捲れて乱れている下衣を引いた。
「あっ、かい、ば!」
 足の合間を割るように身が滑り込まれて、アテムは呆気なく双肢を開いていた。貝のごとく固く守っていた身芯が、瀬人の前に現れ出す。
「ああ、びっしょりだな。きつい香りがする」
 瀬人はボトムのポケットからナイフを取り出して、刃を見せた。
「そこは……、あ……っ! 切らなくても、いいだ、ろ……」
 足は縛り上げられていない。薄衣を捲れば済む。わざわざ切る必要がどこにあるのだろう。
 単なる瀬人の好奇心と、パフォーマンスだった。鋭利な刃物で無残に衣服を切り刻めば、相手には絶望感を与えられる。布きれと化した服を見せしめることも、凌辱行為の手段であった。
 びり、と破かれる音と共に布は裂かれていく。下衣の真ん中に道が出来る。
 ナイフを放ると、瀬人は両手で下衣を左右に引いた。びいい、と糸が悲鳴を上げる。衣が真っ二つに別れると、アテムの下半身には、一枚布の下着だけとなった。じんじんと昂ぶり続けている愚身は、漏らしたかのように下着に大きな染みを広げていた。
「嘆かわしい。あれしきのことで泣いているのか」
 先走りを涙に喩えて、瀬人は叱りつけるのだった。赤ん坊の襁褓を取り換える動作で、瀬人は下着の紐を解く。
 口調は軽快で、妙に愉しげである。アテムはどうしようもない生恥に、浅い息をするだけであった。
「尻まで濡れてしまっているぞ」
 力の抜け切っている尻朶を、ぴしゃんと一発打たれると、ますます前触れは溢れてしまう。
 胸を噛まれるのと、尻を叩かれるのなら、どちらが好いだろうかとアテムは考えあぐねる。一度に両方に痛みを齎されたら、と思いを馳せれば動悸がした。
「綺麗にしてやろう。さあ、もっと開け」
 ぺち、ぺちと尻を数度叩き、瀬人は囃し立てる。肌身は湿っていて、水気のある音を作り出していた。
 アテムが躊躇っていると、瀬人は辛抱強く待った。
 更に双臀を叩いたり、爪立てたりして急かしても、相手の羞恥は萎んでしまう。
 自らが望んでいるのであると、心身に刻み込んでやる方が、より尊厳は堕ちるだろうと瀬人は読んでいた。
 浅ましく、淫らな男であると、相手に知らしめたかった。
「海馬……」
 瀬人の身幅分ほどに開いた膝は、まだ恥じらいを捨てきれない。尋ね訊くようにおずおずと呼ばれる名に、瀬人は頬を歪ませた。
「それでいいと、貴様は思うのか?」
 中途半端な位置にある肢は、不恰好であった。潔さが無い。
「……ン……」
 僅かに開く足は、それでもまだ完璧には程遠い。
 瀬人は返事の代わりに首を大きく横に振る。
 まだ駄目だ。もっとだ。甘えるな。
 アテムは少しずつ足を動かしていきながら、瀬人の許しを乞う。
 両の膝頭がついに敷布につき、完全に開き切った。顔面から首筋まで朱に染めきった肌は、湯気が出そうになっている。
「よく出来たな。褒めてやろう……」
 言いながら瀬人は、ゆっくり顔をアテムの股座に沈めていった。
「はぁ、ぐ……ぅ!」
 窄んだ秘肉口に柔い粘膜がまとわりつかれた。思わず足を閉じてしまいそうになったアテムは、喉を反らしてひたすらその触感を我慢した。両足の指はきつく握ったかと思うと、息を吐き出すタイミングで開かれる。閉じたり開いたりを繰り返す様は、足だけが別の生き物として自我を持っているみたいだった。
 にち、にち、と舌が細かに動く粘着質な音がアテムの耳に襲い掛かってきた。ぬめりを拭う動きで舌は、濡れ汚れた箇所を清めていく。
「あ、あ……、あ」
 体勢が苦しくなってきたアテムは、上半身側に膝を折った。開脚しているよりかは楽になった。
 すると瀬人の手が這い上がり、両方の膕に入れられる。尻ごと持ち上げられると、アテムの身体は折り畳まれて異様な圧迫感に苛まれることになった。
「……ぐ、ぅくっ、うっ、うあ」
 後ろでに留められている腕に体重が圧し掛かり、肩や腕の関節がみしみしと鳴いた。
 瀬人は悲鳴を無視して、舌戯に集中している。アテムの双肢は空しく天を仰ぎ、ふしだらに開かれていた。
 そそり立つ肉茎からは、だらだらと淫水がこぼれている。逆さまにされたアテムの半身は、洩らした汁を腹や胸へと流していて、白く濁りが混じった液は黒革に落ちるとやけに目についた。
 ぷちゅ、ちゅく、と音が絶え間なく続いている。入念に清めているのか、或いは癒しているのか、瀬人の思惑は読めない。
「っ、く……。ぁ……んで……ぇ」
 腹に着く勢いで硬直させている愚肉は、憐れに震えている。瀬人の唇があと、ほんの少しだけでいい。男の快感が最も得られる部分を慰めてくれたら。
 同性なら、この状態がどれほど辛いか分かっているだろう。あえて無視を決め込んでいるとすれば、瀬人には加虐者としての才能がある。
 肉体や肌を痛めつけるだけが、サディストの本分ではない。
 過ぎた快楽は、心身への攻撃になり得るだろう。
「な、ぁ……んでっ、なんでっ!」
 アテムは小さな尻を振って声を荒げた。その行動を予測していたかのように、瀬人はゆっくりと股座から顔を上げる。酷使した瀬人の唇は色を濃くさせていた。
 薄闇の中で、白い頬をした瀬人の顔に血を塗りつけたような赤い唇がぼうっと浮かぶ様は、背筋に冷感を覚える美しさがあった。
 瀬人は何も言わなかった。アテムからの言動を待っている。
「そこ、ばっか……、じゃ、なくて」
 膝がふらつくと、瀬人は閉ざさぬよう両手で左右の足を押さえ込んだ。
「前、も……」
 陰部を?前?と言い表すのが精一杯だった。それでも欲を口に出しただけでアテムの顔や体は、さっと熱を上げて薄い皮膚から赤さを増していく。
「前? ああ、“前”ね」
 瀬人はゆらりと動き出して、舌を長く伸ばしながら迎える。
 来る。
 アテムは情景を一秒たりとも逃すまいと、瞳を開けている。瞬きも忘れ、まさに食い入るように見入った。
 だら、と瀬人の涎れが舌先から生まれる。雫が切っ先に目がけて落とされた。
 熱い一滴が、か弱い器官に触れた時。アテムの息が止まった。
「……ッ! あ゛っ……!」
 腹の筋肉が収縮し、がくんと腰がバウンドする。全身がばらばらになるくらいの衝撃が突き抜けて行った。
 結局、舌は触れなかったのだ。
 瀬人の唾がアテムの亀頭部についた途端に、射精してしまった。
 噴出が二三に分けて放たれると、耐えに耐えた証拠である艶汁がどろどろとアテムの腹に飛び散っていた。
「ふ……っう……うく……」
 未だにびくびくとして、治まりきらない愚茎は愛撫を受けたがっている。
 しかし瀬人は局部には触れようともせず、黒革を汚している吐液を指ですくっていた。
 幼子が水滴で絵を描くように、瀬人はアテムの精液で、でたらめに遊んでいる。
 指先から指腹、そして掌全体につけて腹に塗り広げていく。ぬち、ぬちゃと粘ついた音が夜部屋には淫靡に鳴り響いていた。
「……かい、ば」
 散々に後ろの孔を舐めつくされて、アテムは許されたかった。
 最初から欲しいものは決まりきっていた。
 こんなやり方をしなくても、もっと自然な方法であったとしても同じ結末があると信じたかった。
「入れ、……ろよ」
「アテム……」
「……入れろ、……入れてっ! 挿入()れて……ッ! 海馬ァ!」
 形振りなど構っていられないくらい、アテムの肉体は瀬人を求めた。
 辛うじて涙は堪えたが、切な声は無様であった。こんな風に気を引かせたいわけでも、同情半分で抱かれたいわけでもない。だけれども、啼き出した体をどうすればいい。醜態を出して尚報われたいのだった。
 あの手によって引導を渡されたい。未知の境地へ連れ出して欲しい。もう一時も待っていられない。
「貴様は……ッ! いつも、いつもオレを……煽る!」
 抱え込まれていた身体を離され、アテムは俯臥にされた。
 そして、無理やりに首輪を引かれ半身を反り返される。
「ここに触れてみてすぐ理解した。前人未到の地なのだと……。それなのに貴様は、男を誘う手管に長けているのだな!」
 弓なりになるアテムの総身は腰と頭が持ち上がり、縛られたままの胸が体重を支えていた。
「その不埒な心身を懲らしめてやる!」
 押し当てられた熱塊が、尻肉をかき分けてめり込んでくる。
「……っ、く、あ……海馬」
 夢想上の行いの甘さも、ときめきも、交わりには感じられない。寝台には、ぶつかり合う肉体の闘争があった。
「あっ、あう……! あぐ、う……ッ!」
 痛みよりも、先に重さが勝った。アテムはずしんとした重圧感に潰されそうになっている。
 それから、鋭い痛みが訪れるのだった。
「先端もまだだというのに、情けない姿をしおって。ふふ……クク……ハハハハ!」
 怯えて萎縮する身体へ瀬人はさらに攻撃を仕向ける。腰を掲げ持った手を離して、ばちんと尻朶を打った。
 突然の刺激に秘肉は収縮し、肉環をきつくさせた。すると、めり込んでいた鈴口はつるりと抜け出てしまう。
「……っ、か、は……」
 首が絞まると、喘ぎも出せなかった。喉がひゅうひゅうと鳴って、微量に酸素を吸い込む。鼻だけでは足りなくて、口を開いて呼吸するしかない。開かれ続けている口唇からは、幾重かに分かれた涎れが垂れた。
「ここへ来て欲しかったのだろう? 迎え入れる気はないのか? 入れろと言うのは偽りだったのか?」
 瀬人は肉茎の根元を持ち、武器に見立てて打ちやった。しっとりと水気を含む肌には、ぺちん、ぺちんと音が鳴る。
「ひ……っ、は……う……ぅ」
 声帯を拘束されるのは、人としての権利を剥奪されるものと同義であった。道具並みの扱いを受けるのは、アテムには心外だ。
 帰服と敗北を認めるのは似ているようで異なる。
 施錠された時にわいた思いが、ふたたび胸の中に舞い込んでくる。
 ――違う……、違うと思うのに、どうして。
 疑問は下腹にあった。悪芯は鎌首をもたげていた。
 乱暴な甚振りに、感じ入ってしまっている。
「はぁ……っ、ああ、……」
 反感を抱く瀬人の行いに怒りを覚え、成す術がなくなると、アテムはいやに昂奮してしまうのだと気付かされた。
 首輪の手が外されると、力が入っていないアテムの上半身は敷布めがけて落とされた。
「ちが……ちがうぅ……!」
 アテム自身も何に対して否定しているのか分からなくなっている。先ほどの瀬人の言葉なのか。自分自身の肉体の変容なのか。
 汗や涎れにまみれた顔面は、ひどい有様だった。
 王としてのアテム、強者としてのアテム、人々の羨望を集める人間も、快楽に浸されれば無残に淫される。
 しかし汚され、踏み躙られているはずでも、アテムの肌の輝きは光を失わない。
 打たれた肌も、縛られた体躯にも、美艶が見いだせるのだ。
 瀬人が一から創り上げる美の骨頂となる、その過程であった。

 両手で尻朶を掴まれ左右に割られると、濡れそぼった肉環が広げられた。
「ん……ッ!」
 秘奥は赤々とし、内部を蠢かしている。瀬人は後腔に屹立をあてがい、寝台に転がるアテムの上半身を抱いた。
「気をやるなよ」
 冷酷な命令に秘肉はひくついた。アテムの内心は恐怖で満たされ、肩がぶるぶる震え出している。
 か弱く泣いているような後ろ姿に瀬人は口吻てやり、腰を進め行った。
「く……ふっ」
 太い雁首が押し入ってくるのが、ありありと分かる。肉体の存在意義が知覚されるのだった。
「オレを歓迎してくれるんじゃなかったのか?」
 筋肉が縮こまると、雄猛はぎゅうっと胎から押し出される。
「んう……、だ、って、ゆっくり、され……ったら」
「傷つける気はないと言っているだろう……。ここは繊細なんだ」
 にゅぐ、と内部の粘膜が擦れ合う音がした。聞こえる筈のない身体の中の音が脳内に直接響く。
「ん、っん……! かい、ば、かいば……っ」
「こら、暴れるな。貴様の言う通りにしてやっているだろう? それでもまだ我儘を言うのか」
 嫌味なほど瀬人は饒舌に責め立てた。抱いていた手が黒革の上を撫でまわし、ファスナーにかかった。
 両胸のファスナーを見つけると、はみ出ている乳頭を気にかけず一気に閉めようとした。
「あぐ!」
 やはり、突起は金具に引っかかってしまった。挟まれるまでには至らなかったが、忘れかけていた乳首の存在がアテムの中で大きくなる。
「全くだらしない。きちんと仕舞っておかないか」
 瀬人は父親ぶった口調で、レザーからはみ出ている乳首を叱咤し、指先で摘まんでぐりぐりと乳首を押し潰した。
「あっ、い……ッ! や、やぁ、やっ……!」
 首を振って何とか身体を動かそうとしてみるものの、杭を打たれた総身は微動だにしない。
 むしろ瀬人は下腹が緩んだ隙に、侵入を進める。
「ふ、あ、あ、ああっ!」
 先端が入り込んでしまえば、後は易々と続いた。ずぬ、ずぬと時間をたっぷりかけながら奥へ奥へとやってくる。
 アテムが尻に力をかけると、意識を散らすように乳首が抓られた。すると、また後ろから押し入るのだ。その繰り返しの動作は調教めいていて、(しもべ)たる精神を叩きこまれているかのようだった。
 毛叢が秘部周りについた。アテムには無い恥毛の感触がした。後にこの感触が、瀬人の全てが入った合図だと思い知り、アテムは不思議な痛痒さを覚える。
「ハァ……、あぁ」
 触れられない場所に、男の体温を感じるのは奇妙だった。身体の外側で知るのと、内側で知らされるのとは全く違っていた。温もりとは比べものにならない。熱そのもの、血潮そのものを、身に与えられている。
「……はあ、……はあ……っ」
 男の荒い息がアテムの耳の裏にあった。聞いたことの無い、色情にまみれた声色が息遣いに混じっている。
 息の合間に聞こえる瀬人の心地よさそうな、少し苦しげな呻きはアテムの官能をくすぐるのだった。
「ん、海馬……っ」
 待ちきれずにアテムは腰を揺すった。浅い抽送があり、にゅる、と内部がすべる。
「みっともない……真似をする、な……」
 掠れた声は色気があり、限界の印をアテムに教えた。
 身体全体を任せて、瀬人はさらにアテムに伸し掛かってくる。満杯になっていたと思えば、まだ奥深くへ突かれてしまう。
「ん、ぐ……っ」
 子を成す場所のない男の胎には、余地がなく狭苦しい。
 けれど、雄の肉体には、その場所にきちんと快楽点が設けられているのだ。
「あ、ひ……ッ! アア!?」
 甘い腰遣いは幼戯に過ぎなく、瀬人の情念は半端にすり減らされていた。
 いい加減憤りを感じていた瀬人は、嗜虐者としての体裁をかなぐり捨てて、若い感情の赴くままに任せることにしたのだ。
「ああっ! ぐっ……かい……ばァ!」
 抜け出てしまいそうな程に腰を引き、太い雁首の先で腹側を抉ってやった。アテムの反応からして、どうやら当たっているらしい。
「な……っ! あ、ああっ! いや、いやだ!」
 悲鳴と嬌声が交互に上げられ、アテムは半身を跳ねさせる。縛った手の指がわなわなと震えて、知らぬ悦感を怖がっていた。
「まだだ。まだだ……、まだだ!」
 瀬人はその一点を目がけて、何度も何度も突いた。打擲するかのような鋭さや、愛撫のような柔さを使い分けて、アテムを翻弄する。
 汗をかいた背中が星の輝きに反射していた。身体が揺さぶられる度に、髪や肌がちかちかとして瀬人の目を眩ませる。
「オレが良いと言うまで、我慢するんだ。いいな、分かったか!?」
 抱いていた胸から腹の上へ下ろすと、摩りながらきつく言いつけた。アテムの頭は頷いているのか、揺すられているのか区別がつかない。開いた口からは、淫ら声と瀬人の名前だけが放たれている。
 薄い腹が膨れているように思えた。瀬人は自らが居続けている場所を撫でた。手に力を入れて押すと、硬い感触が伝わる。
「うぐ……ううっ、海馬……ッ!」
「そうだ……、オレだ」
 呼びかけに応えてやれば、アテムは媚肉を引き()めて訴えてきた。
 男を離すまいとして喰らいつく。そこにはもう抵抗の欠片も残されていない。肉悦の極致を迎えている。
「欲しいか!? そんなにオレが欲しいのか!?」
 首輪を掴み、アテムに叫び訊けば、全身は解放の準備を整えた。
「海馬……! 海馬、海馬、海馬―ッ!」
 胎は雄茎を羽交い絞めにしていたが、瀬人は躊躇いなく身を引き摺りだしてしまった。
 熱が奪い取られる感覚に、アテムは喪失の気を刻まれ、同時に絶え果てた。
 アテムが膝を折り、体を倒した時。瀬人は開いた臀部に向けて精源を射ち放っていた。
 ぼとぼとと落ちた精子は、焼肌に白く映えて、いくつもの艶花を咲かせていた。

 体の熱が冷めると、瀬人はアテムの腕を解いた。無理な体勢を続けていた身体には拘束具の痕があちこちにくっきり残ってしまっている。
 鎖を取り、また順序よくパーツを分解していくと、コルセットは元の黒革の帯に戻った。
 アテムの曲がった腕をほぐしながら、仰向けに寝かせ、顔色を確かめる。
 閉じた目と微かな寝息に、瀬人は安堵していた。どうやら気を極めた途端に眠ってしまったらしい。
 首輪を外そうとした時、鍵をかけたことを瀬人は思い出していた。
 首輪の下の皮膚は、赤く擦れた痕があった。乱暴に扱ったのは、他でもない瀬人自身だ。
 しかし、急激に罪悪感を覚えたのだった。
 初めて、遊戯(アテム)と出会った時から、黒革の首輪に嫌悪感を持っていたのだ。
 瀬人にとっての忌まわしい記憶を、何も知らない遊戯(アテム)は無邪気に掘り返してきた。
 それなのに、何故、瀬人はまた首輪をつけさせてしまうのか。瀬人はわけも分からず、感情と記憶に振り回されてしまうのだった。
 アテムへの謝罪の言葉は出て来ない。
 代わりに瀬人はアテムの意識のない身体を抱き寄せる。
 脱力した腕が瀬人の胸から落ちて行った。だらりと力の抜けた腕はほっそりとしていて、頼りなく映る。
 アテムには悟られぬように、瀬人は優しく抱きすくめてやっていた。


 次にアテムが目を醒ますと、寝台の乱れはなくなっていた。敷布には濡れ染みも見当たらない。瀬人が片づけたのだと知った。
 あたりを見回して気配を探ったが、どこにも瀬人の姿は見つけられない。名前を呼ぼうとしたが、喉が枯れていた。
 咳をしても、うまく声が出せなかった。水で潤すしかないな、とアテムは寝台から降りようとすると、その場にへたりこんでしまった。
 足腰に力が入らない。
 慣れないことをしたからだと合点がいった。他の誰も寝屋には居ないのだが、アテムは自分の頬を覆っていた。
 ――初めて、だったんだよな……?
 瀬人が途中から自棄になって手荒な行動に出たのは記憶している。
 乱暴な振る舞いの中にも、いつも余裕と繊細さが瀬人の手戯にはあった。瀬人の性格上、隠しきれない性分なのだろう。
 最後は、それらが一切ない、本能をむき出しにした行いだった。
 ――経験があるなら、もっと他にやりようがあるだろ。
 思い出すと、アテムはため息をついた。ふと首元に手が触れる。首輪が残っていた。

 アテムが起きてから数分の後、瀬人は寝室に戻ってきた。体を起こしているアテムに気付き、足早に近づいてくる。
「起きたのか」
 瀬人も喉を傷めたような声色をしていた。アテムは手振り身振りで説明すると、部屋の隅にある水差しから、瀬人は水をいれてきてくれた。渡されたグラス一杯分の水を飲み干すと、すぐに声が戻った。
「海馬」
「なんだ」
「これの鍵は?」
 首輪を指して訊くと、瀬人は気まずそうに首から下げた鎖を取り出した。
「あ……、いや、いいんだ、違う」
「気に入らんと怒っていただろう。今外してやる」
 アテムは錠前を触って、首を横にふった。
「そうじゃなくて」
 瀬人の手を押しやり、黒革をひと撫でした。
「鍵、つけたままでいいんだ。だから、海馬もオレの鍵を、そうやって身につけたままでいてほしい」
 以前、瀬人は兄弟の絆の象徴である、モクバと揃いのペンダントを首から下げていた。
 それぞれの立場は変わっても、自分達の誓いが崩れないと信じているからこそ、瀬人とモクバはペンダントを外したのだった。
 モクバに対する情を羨んでいる……とも違う。
 ただ、そばにいなくても、時には自分を思い出すことがあっても良い、と言いたかった。アテムには首輪を、瀬人には鍵を。二人の世界を繋げるものとして、秘密を共有していたい。
「いいや、駄目だ。鍵は外す」
 鎖を取り、瀬人はアテムの首輪を持った。
「何でだよ!」
「よく聞け。鍵は外しておいてやる。だが、貴様の言う通りオレはこの鍵を肌身離さず持つと約束する。貴様にも同じ条件をやる。それなら、納得するだろう?」
「ああ」
 迷いなくアテムは返した。それが良かったんだ、という晴れやかな表情をして首を上げた。瀬人は鍵を差し込み、開錠した。カチ、と外れた音がすると、アテムは息をついた。
「決して外すなよ」
「いいぜ……海馬がそう望むなら」
 持ち上げた首をそのままにして、アテムは瀬人を見上げ続けている。
 やがて、二人の距離が近づき、そっと唇が合わせられる。
 契りの儀のように、粛々と口吻は交わされていた。

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