Surreal Marginal 6

 後ろ手に縛りあげた紐を取りながら、瀬人は代わりに革帯を巻きつける。背に回された腕に肘まで革が覆う。幾重にも巻かれたベルトは、血流が止まらない程度に締められた。
「う……っ」
 腕の自由が奪われると、両肩を後ろに引くような体勢となり自然と胸が反った。
 うまくバランスが保てなくなれば、軽く肩を押されただけで、アテムは簡単に身体を崩してしまうのだった。
「服が邪魔だな」
 寝転がるアテムの背に手を置いた瀬人が言う。どこから持ち出したのか小刀らしきものを取り出して、アテムの上衣を切り裂き始めた。
「……あ……っ」
 ぴりりり、という布が裂ける甲高い音にアテムは上半身を緊張させた。
 背の皮膚に刃物の先を感じている。冷たい、無機質な鋭さが、今にも肌を傷つけようとしている。
 首元まで刃が通り抜けると、上衣は真っ二つに別れた。
 縛ったままでも脱げる様に、更にアテムの上衣は細かく切り刻まれ、ものの数秒で布きれとなり床に散らされた。
 パチン、という何かを締める音が聞こえた。どうやら瀬人がナイフを仕舞ったようだ。
 アテムの全身は冷え切っているのに、先ほどから汗が止まらなかった。その汗で濡れると、また一段と体が冷えてしまう。
 瀬人は、ひとつひとつのパーツを、順序よく組み立てていく。設計図でもあるかのように、アテムの体に様々な太さのベルトが巻かれていく。そしてそれぞれの革についている金具は、揃っていくのだった。
 拘束具は、下品にてかてかとした光沢を放っている黒さが、アテムの赤みがかった飴色肌によく映えていた。
 アテム本人が懐かしさを感じるのなら、瀬人もその姿に覚えがある。
初めて出会った時、瀬人が認識する遊戯は、こんな姿をしていた。
体をきつく締める黒革のトップスに、派手なシルバーが腕や腰に飾られている。
あの時と違うとするなら、肌の色くらいか。
姿かたち、体型や顔のつくりは変わりない。やはり似合うと、瀬人は感慨深く縛り付けられた背中を見下ろした。
 見立てに間違いはなかった。
 アテムに身につけさせている品々は、怪しげな革専門店にてテーラーメイドさせたものだ。
 一度抱きしめ、腕や腰回りの寸法は瀬人の手が調べ尽くした。サイズは本人のものよりも幾分か小さく、きつく感じられるよう注文してある。計算はぴったりだった。
 革職人とはネットワーク上でしか、やりとりしなかったので、実際の品が本人の肌質や肌色に似合うかどうかが心配だった。だが、どうだろう、完成した状態を目にしてみれば、職人の良い仕事ぶりが窺えた。
 腕や胸、腰回りを包むレザーには、鎖がぶらさがっている。腕と胸、腕と腰、それぞれを繋いで鎖をかけた。
「着心地はどうだ?」
「……く」
 仰向けに体を返すと、アテムは赤らめた頬を少しでも隠そうとして、つれなく横を向いた。
「首輪もレザースーツも、貴様によく似合っているぞ」
「は……っ、る、さい……」
 上等の革の手触りは、しっとりと手のひらに吸い付くようでつけられた側の人間も必ずや満足するだろうと、職人は自信たっぷりに語っていた。着心地は良いはずだ。
「煩い? 不愉快だというなら、その動かせる足で暴れてみせたらどうなんだ」
 ぎっちりと固められた上半身とは反して、下半身は着衣のまま何も施されていない。
 アテムの閉じた足は膝を立てている。
 瀬人は丸みのある膝をくるくると撫でまわして、挑発してやった。
「さわ……る、な……っ!」
 アテムの足は開けないのだ。付け根の真ん中に位置している欲情の証拠を、まざまざとさらけ出すわけにはいかない。
 何故だ、自分は怒っていたはずだ。怒っているから、そうなってしまうのだろうか。
 アテムは自問を繰り返していた。しかし、身体の熱は放っておいても治まらない。むしろ、締め付けられる毎に下腹部に血流が集まるようだ。
「フフ、今は見逃してやる。それよりもコッチだ」
 いやらしい手つきは、膝の天辺から毛を逆立てるように太ももの表面を渡り、腰の始まりにつく。指先は重い輝きを放つ黒革をなぞり、ちらほらと見える皮膚にもれなく触れていく。
 触れられると、肌が露わになっている場所を意識した。その都度、ぴくぴくとアテムの体は可憐に跳ねてしまう。
 胸の前にある金具に瀬人は指をひっかけた。そして一気に全開にしてやる。横開きのファスナーが開かれると、ぷくりとした乳頭が飛び出てしまった。
「あっ!」
 いきなり外気に晒され、敏感な部分にはひりついた痛みが走った。その所為か突起は充血し、ぴんと勃ってしまっている。
「クク、物欲しげに主張しているな」
 瀬人は笑いながら、もう片方のファスナーも開けた。同じように、腫れ膨れる乳首が形を揃えているのだった。
「卑猥な作りだろう? こうして、ここだけを弄れるように開け閉めできるようになっている」
 ここだけ、と言いながら瀬人は両手の親指でくりくりと先端を捏ねてやった。
「ん……っ! ふ、やぁ……ッ!」
多くの刺激を求めるアテムの貪欲な身体は、微細な愛撫も逃すまいとして感じ入る。
「貴様は男のくせに、胸も好いのか?」
 まるで初めて知ったかのような口ぶりで瀬人は、アテムの片側の乳首を抓り上げた。
「いっ! あぅ……ッ!」
首を左右に振りかぶったものの聞き入れて貰えず、アテムは必死に瀬人の指から逃れようと身を捩った。
「まるで芋虫だな。逃げられるものなら、逃げ果せてみろ、ほら」
 中指で片乳首を弾いて、瀬人はくすくすと笑った。痛みとも快感とも判断し難いのだとアテム自身の思考は迷うものの、身体は内側から熱を上昇させていく。
「あ……くぅ」
 叩かれて授けられる痛みとは違い、抓ったり、爪をたてられたりする痛みは、じくじくと後を引く。
 打擲は瞬間的に痛みが散るのに対して、抓られ潰される痛みは、肌奥に染み込んでいく感覚を残すのだ。
 またもアテムの額には汗が浮き出し始めた。背中や、足も汗で濡れる。ふと、汗以外の体液のぬるりとした感触が、足の間にあると気付いた。
 目線だけを下腹へと移すと、しっかりと下衣を持ち上げて、はしたない染みを作り出しているのが、アテムの視界には映った。
 ――そんな。何で……。
 身体は精神を嘲笑するかのように、淫らに欲望を現している。
 アテムは悪腹に強く念じ、命じる。
 違う、オレは怒っているんだ、この感情は怒りなんだ。履き違えるな。
 しかし、刃向い抗うほどに、瀬人はそれだけ意地悪く嬲るのだ。上辺の形だけでも抵抗してみせれば、実に愉快そうに弄るのだった。
 自由を奪われながらも、アテムは瀬人をあやしている気になっていたのかもしれない。彼の願いをかなえるために相応しい自分であることを意図せずに行動していて、知れずに肉体を悦ばせているのだ。
 知徳の意識が芽生えると、猛烈に()ずかしくなってきてしまった。
 アテムは全身に火をつけられたように、凄まじい熱さに見舞われた。
 悟られてはならない。絶対に足は開いてはいけない。
 せめて違う手を使われて感じたのだと、相手には思わせなくてはならない。アテムは決意する。
「……ンっ」
 一層、固く閉じた足の微々たる変化に、瀬人は注視していた。
 先ほどまで力が入っていた上半身は、くったりとして瀬人の指に、むしろ委ねるくらいの感じがしているのだ。
「何を企んでいるんだ」
 瀬人は胸に吐息をかけながら、訊いてみる。
 実に肉体とは素直なもので、時に不便で、時に扱い易いと瀬人は痛感している。肉欲を持て余し、発散の法を得ていなかった頃と比べると、体に対する考えの持ちようは、天地が逆さまになるほどの違いがある。
 身体(からだ)があるから不自由で、肉体(からだ)があるから喜悦が極まる。
「貴様の瞳は感情豊かだな……だからオレには隠せやしないんだ」
 意志強いアテムの赤紫の眼は、悲哀の負に影を映しやすい。
 瞳自体が大きく、あらゆる者共に印象を強く与える。
「何も」
 読まれてはならないのだ。アテムは瞼を閉じて、口も噤んだ。
「フ……そうして目を閉じるのは肯定と同じこと」
 図星をつかれても、顔色を変えるわけにはいかなかった。
 これが決闘なら、どんなに苦しい状況でも、相手に対して不敵に笑んでみせられるのに。
 むしろ、対戦相手に向かって更に闘争心を煽る物言いだって出来るはずだ。
 発情する身体は、人知れず平常心を塗りつぶして、獣じみた本能に侵食されてしまう。
 どんなに取り繕うとも無意味なのだと、身体の深層は痛ましいまでに成長を続ける。
 いけないと思えば思う程、駄目なのだと言いつける程、愚体はアテムを追い詰める。


 みち、と黒革の拘束具が肌を締め付けていた。時が経つにつれて、レザーは皮膚には馴染み、コルセットは骨と内臓に圧迫感を与えはじめる。
 苦しいけれど、耐えられないほどではない。
 瀬人は締め方の塩梅を心得ていた。アテムの身体を徹底的に知りつくし、痛苦の程度も身を以て学んでいるからだ。
 開けられたままの胸部のファスナーから、夜風が入り込む。アテムの肌はぞわりとした。つい身震いしてしまう。冷たさを感じると、更に乳首はぷくりと丸みを帯びる。
 沈黙の攻防が開始されてから、数時間が経過している……ような気がした。現実には、数分か十数分か。大して時は流れていない。
 それほどの長い時間があるようにアテムは思っていた。
 目を閉じていると、気配でしか瀬人の動きを探れない。息遣いと、すぐそばに居るという体温の揺れを頼りにするしかなかった。
 先に仕掛けたのは瀬人だった。
 寝台が軋む、アテムの耳元の敷布が皺になる。両手が、アテムの頭を囲っているのだろう。
 微かだが、浅い呼吸音がしている。野獣が獲物を狙い定める時のものと同じだ。はあ、はあ、という息が湿っぽくアテムの肌へ落ちてくる。
「あ……」
 やがて湿り気のある息は首元から胸元へ下がる。
 開けっ放しの胸の小窓に、ふうっと吐息がかかった。膝がひくついて、油断しようものならば自然と股を開いてしまうところだった。
「っ……く」
 胸元の上で瀬人が笑ったような気がした。口元を歪めて、アテムの敏感さを嘲るのだ。
 ――いっそ強く。いっそ、酷い仕打ちをしてくれたなら、泣き喚けるのに。
 アテムは瀬人からの暴力を欲してしまっていた。下劣な願望が明確な思考となって脳裏に浮かんでしまうと、触れられてもいないのに、愚芯はきつく腹を押し上げる。
 早く暴いてくれたらいいのに、とさえ考えるようになった。
 乱暴されるということは、つまり自分が被害者となり、いくらでも言い訳ができる。
 相手を悪人にしてしまえば、これは辱められたのだと堂々と言えるのだ。そうすることで、不安定ながらも自尊心は保たれる。
 だが、思考の箍が緩みかけていた。生涯、口にしたことのない淫猥な単語が衝いて出そうになる。
 言ってしまえば、どうなるのだろう。
 瀬人は軽蔑するだろうか、それともより一層はげしい責苦をアテムに科すだろうか。
 思わず膝を擦り合わせていた。ある種の賭けに思えた。
 一か八か、出てみようか。体の限界が近づけば、思考はあらぬ方向へ暴走していく。
 口を開きかけた途端、ぬるついた触感が片乳に訪れた。
「んく……ッ!」
 なまあたたかい。蛞蝓が這うような、ぬるぬるとねちっこく、ゆっくりとした動きであった。
 舌だと気付いたのは、吸引されてからだった。じゅ、じゅると水音が立てられて膨らみ全体を吸われている。
 唇と舌を意識してしまえば、下腹の奥に突き抜ける痛みが流れた。
「い……や……っだ!」
 一度含まれると、なかなか簡単には放してくれなかった。胸を左右に振ってみても無駄だった。反感を持った瀬人は薄い腹を両手でしっかと掴むと、身動きがとれないようにして押さえつけてしまったのだ。
「ひ……っぅ」
 咥内の粘膜は、すばらしく居心地がよい温かさで、アテムは却って高熱病にかかっているような自身の肌がいやらしく感じられた。
「ああ……っ」
 瀬人の口や舌が見ていなくても肌を通して分かる。時折、尖らせた舌先で抉り取るかのごとく、ぐにぐにと根本を弄られたり、かと思えば柔柔と食まれたりするのだ。
 痛痒さに焦れて、アテムは呼吸困難に陥っていた。足の指が敷布を皺くちゃにさせて、駄々をこねている。
「ふ、……はぁ……あっ」
 疾うに腕は痺れて感覚を失くしている。最早アテム自身には腕という存在すらも、感じられなくなっているのかもしれない。
 抱きしめる術も、抱き縋る方法も思いつかない。
 そうしてまた時が淡々と過ぎ行く頃。ふやける程にしゃぶられていた片乳はようやく許された。
「さて、言いたいことは?」
 胸の上を這っている瀬人が、しばらくぶりに口を開いた。
 アテムは考えるよりも先に返事をしてしまう。
「反対も……」
「どんな風に?」
「……痛く」
 拒むどころか、アテムは自らせがんでしまう。
 瀬人は慈愛を帯びた手で、アテムの汗で額や頬に張り付いた前髪を撫でながら梳かしていく。
 眠りから醒めたようにおずおずと瞳を開ければ、眼前には微笑の男がアテムを見下ろしている。
 世の全てが自分の思い通りに進んでいるのだと言いたげな、満ち充ちた表情であった。

 まずは軽く甘噛みしてやる。
 ひく、と全身が小さく痙攣する。まだまだ余裕がありそうだ。
「オレはお前に怪我をさせる気はないぞ。痛めつけるのと、傷を残すのは違う」
「オレ、なら……平気だ」
 虚ろな視線を向けながら、アテムは鈍重に言う。
 瀬人は返事もせずに胸元に顔を埋めた。前歯が乳頭を擦り、かりかりと表面を削る仕草をする。
「んっ、うっ」
 弱い器官は前歯に弄られると、ぷるぷると前後に弾かれる。
 勃っていればいるほど、伝わる快感と痛みは比例して高まるのだった。
「やだ、イヤだ……ぁ」
 弱弱しく繰り返すと、瀬人は動きを止めてアテムの顔を覗く。
 求めてもいないのに「どうかしたか?」と優しく尋ねてくるのだ。何と底意地の悪い男なのだろう、とアテムは腹の内で目いっぱい罵ってやる。
 正常の冷静さがあるならば、いくらでも反論が出来ただろう。息も絶え絶えとなり、既に限界点を迎えている体は融通が利かない。
 たどたどしい甘えた単語しか発せられない。そんな自分の掠れた声にすらアテムは恥じ入ってしまう。
「ちが……っ、それじゃ……、足りな、い」
 瀬人の洩れた鼻息が胸の小窓に吹きかかった。確かに笑っている。
 喰らいつくほどの強さが好いと言いたい。歯や爪を立てて、肉を抉り取ってくれてもいい。
「オレの名を呼べ、アテム」
 人差し指と中指の間に突起を挟み込まれ、きゅっきゅっと何度も指を閉じたり開いたりしている。
「あう、う……っ、かい、ば……」
「オレの目を見て言え」
 閉じかけて狭まる視界を瀬人は咎める。数度瞬きをして、何とか瞳をあけてそばにいる男を見つめた。
「海馬……ぁ」
 呼び慣れた名も特別な響きを持てば、互いの認識が強固となるのだった。
「あく……っ、う!」
 挟んだ指が胸の肉ごと鷲掴み、ぎゅっと握られた。薄い胸にはほとんど脂肪はついていない。掴める肉の余りは無に等しい。
 黒革に爪痕をつけながら、瀬人は五指の力を強めていく。
「クク、色づいてきたぞ……貴様も、貴様の身体も、な」
 普通の人間なら、痛覚が身に刻まれれば、すぐさま嫌悪を表す。痛みとは即ち、生命の危機を知らせる信号であるからだ。どんな生物にも備わっている機能だ。
 だが、アテムは違った。
 瀬人から与えられる痛みを欲し、より強く、より激しい責苦を強請るのだ。長い時が経てば、一層欲望は深まった。
 瀬人も己の狂愛に心身が蝕まれていくのを、薄らと自覚している。これは、大いなる喜びである。
 最上最大の幸福が自分達だけにあるのだと、瀬人は叫びだしそうになるのだった。

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