伝染乙女 1

ディオがジョースター家にやってきてから、仲間であったはずの近所の子ども達からすっかりジョナサンは疎外され、同年代の男の子には避けられるようになってしまった。
そうなるとジョナサンには、拠り所が必要になった。
ひとつ年下の女の子の友達が出来た。彼女もまた、周りからいじめられていたので、ジョナサンと女の子は孤独を分かち合い、すぐに仲良くなった。
しかしそれをよく思わないディオは、その女の子をひどく傷つけ、ジョナサンから引き離してしまったのだった。

孤独は人を弱くする。生きるための力をどんどんと奪っていく。
ジョナサンが目に見えて落ち込んでいく様子がディオには面白くてたまらなかった。
ますます暗くなったジョナサンは隙だらけだった。張り合いのなさにディオは爪を噛んだ。
反応がないのも、張り合いがない。ディオは、まだまだジョナサンで遊んでやりたいと思っていたのだ。
そこで彼は、ジョナサンの耳にひとつ良いことを吹き込んでやった。
「町のはずれに古い教会があるのを知ってるだろう? そこへ行ってシスターに君の悩みや苦しみを打ち明けてきたらどうだい? きっと答えが見つかるんじゃあないかな……ふふ」
ジョナサンは、一瞬だけ炎を宿したような目つきをしてディオをきっと睨んだけれど、すぐに無気力そうに顔を背けて
「アドバイスありがとう、ディオ。近いうちに行ってみるよ」
と、小さな声で返した。

午前中は家庭教師がつき、ジョナサンとディオは様々なことを彼から教わる。大抵はディオが優秀で、ジョナサンは叱られてばかりいる。怒鳴られるほど成績が悪いわけではないのだが、比べられる対象がディオだからいけなかった。
元々、ヒステリー気味の教師はジョナサンがおどおどとすると獲物を捕える鷹の目をして鋭く睨むのだ。その目線につかまると、ジョナサンは萎縮しきって説教をくらうしかない。
要領のいいディオは、一度だって怒られたことはない。たとえ万が一失敗をしても、それを誤魔化せる術を心得ているのだからだ。
午後になると、乗馬やボートの練習が稀にあるが、大体は自由時間になる。
夕暮れまでに帰宅すれば、乳母や執事からはとやかく言われはしないので、ジョナサンもディオも遊びにでかけるのが常だ。
ディオは、嘗てのジョナサンの仲間たちを引き連れて悪戯にしては行き過ぎた遊びを企てては、彼らから王様のような扱いを受けている。時にはジョースター卿から貰った小遣いで、怪しげな店に出入りして何かをよからぬものを購入しているらしい。大人の目の届かない範囲で、悪さをするのは得意だった。
ジョナサンは――
異国に行ってしまった女の子を思って空をぼうっと眺めたり、川のほとりで座り込んで水面を見つめたりしているのだった。
同じ年くらいの子らは、にぎやかに明るく走り回っているのに対して、ジョナサンは一人で難しい顔をして頬杖をついている。
今日もまた、草原に座り込んでは空を見上げて大きなあくびをした。
ただ座っているのにも飽きたころ、裏の通りから聞きなれた少年達の声がしてきた。
無意識に耳をすませて、ジョナサンは彼らの会話を聞き取った。
「……本当かよ」
「へへっ、じゃあおれものぞきに行ってみようかなあ」
「ククク、おまえのそのツラならさぞ哀れんでくれるに違いないぜ」
「うるせぇな!」
バタバタと騒々しく駆けて行く方向には、おおよそ悪童に興味のありそうな場所はなかった。
あるといえば、古い教会が一件なのだそう。
「……そういえば、ディオが妙なことをぼくに言ってたな。まるで、ぼくを教会に行かせたいみたいな口ぶりだったっけ」
それと、いつもディオの周りをちょろちょろと子ねずみみたいに付きまとっている悪ガキたちの会話と、何か関係があるのだろうか。ジョナサンは予感がした。
しかし嫌なものでも、不安なものでもない。
何かの兆候だ。
好奇心は人より多い性質なのだ。
ジョナサンは、少しだけ胸がどきどきしていた。
この孤独や暗闇が少しでも晴れるのなら、行動してみたっていい。
ジョナサンの瞳は、久しぶりに光っていた。

理由はすぐに分かった。
木の影に潜んでいる少年たちのさらに後ろにジョナサンは隠れて、夢中になっている視線の先を確かめた。
視線が集中しているところには、少年達と同じ年頃の……十三、四くらいの見習いの修道女がいた。
見習いの場合ならベールをつけていないのだが、頭から黒い布をかぶり、顔を隠している。
ほんの少しだけ覗く顎は、細くて白かった。
前に立っている少年達は興奮気味に話している。
「おい、おまえ行けよ」
「……押すなよ!まだあのババアシスターがいるから無理だって」
「見ろよ……、後ろ髪がほどけて……きれいなブロンドだぁ」
「う〜、もう一回顔が見てぇなあ! ……あんな美人そうそう居ないぜ……あのまま尼さんになっちまうなんて勿体ねえな」
「馬鹿だな、シスターだからいいんだろ、……わかんねえのか」
「へへ……そっかぁ」
下心丸出しの下卑た会話を続けながら少年達は、少女へと熱っぽい眼差しを向けている。
ジョナサンも、その少女に興味がわいた。
視力はいいほうだった。目を凝らすと、ちらちらと見え隠れする足首や、箒を持つ手の華奢さや、ベールの下の形のいい唇が見てとれた。
そして、軽蔑しきっていた下品な少年達と同じく、ジョナサンも少女に対してやましい思いを持ってしまったのだった。

シスターに手招かれ、見習いの少女は教会へと消えて行った。
落胆する少年達は、夕暮れも近付く時分であったので、ひとりふたりと帰っていった。
そして最後のひとりが帰る頃になって、ようやくジョナサンは動き出せた。
彼らに見つかったら、また何と嫌味を言われることか。石を投げられたらたまったものではない。
こそこそと隠れるのは性に合わないが、我慢すべき時だったのだ。
ジョナサンはそっと教会の扉を開けた。
中は静まり返っていて、夕日がステンドグラスに透けて、部屋中をオレンジ色に染めあげていた。
「どなた? 何か御用ですか?」
若い娘の声がした。
透き通った涼やかな声に、ジョナサンはしゃんと背筋を伸ばした。
「あの……ッ」
声のしたほうへ顔を向けると、そこにはあの見習いの少女がいた。
マリア像にむかって祈りを捧げていたらしい。膝をつき、両手を組んでいる。ジョナサンに気がつくと立ち上がり、首をかしげた。
「神父さまをお呼び致しましょうか」
「あ、いや……あの、いいんです。ぼくは」
「そうですか?」
近くで見ると、背はジョナサンと並ぶくらいにすらりとして高く、細身の体をしていた。
陽にあたらない生活をしていそうな青白い肌には、薄っすら静脈が透けて見える。
思ったよりも早口で喋る唇は小さく細かく動く。厚みのある唇は、紅もさしていないのに赤い。
「……何か、悩んでいらっしゃるの?」
「……別に、ぼくは」
「あなたみたいな年頃の男の子が教会に用もないのに来るわけないわ。わたしでよければ、お話を聞かせて下さらない?」
「参ったな」
少女は、見た目に反して強引な物言いだった。見習いの修道女ならば、普通は大人しいものなのだとジョナサンは印象から決め付けていたのかもしれない。
少女の靴のヒールが鳴って、ジョナサンへと近付く。
「わたしはまだ誰かを救うことなんて出来ないかもしれませんが、少しでもあなたの心が軽くなるのなら、そのお手伝いをさせては頂けないかしら」
差し伸べられた手は、ジョナサンのものよりも一回り小さかった。
「ぼくは……」

長い話になるのだと、ジョナサンは少女に前置いた。
すると長椅子に腰掛けるよういざなわれ、ジョナサンと少女は並んで座った。
初めに、ジョナサンはほんの少し前まで仲良くしていた女の子の話を始めた。
それから、飼っていた犬のこと、父親のこと、友達のこと……。家のこと……、家族のこと。
ジョナサンの生活が、昔とは何もかも違ってしまったことについて話した。
「……どうして、変わってしまったの?」
「それは……」
何故かジョナサンはディオのことには触れていなかった。
一番重要な人物であり、抱える問題そのものであったのに、口に出せずにいた。
「あ……もう外があんなに暗くなってる! また父さんに叱られちゃうや。ごめん、ぼく帰らないと」
「そう。気をつけてね」
「あのさ、ぼくはジョナサンって言うんだ。みんなジョジョって呼ぶよ。よかったら、君の名前を聞いてもいいかい?」
「……ごめんなさい。名前は教えられないの。そういう決まりだから」
「ん、……わかった」
「ねえ、ジョジョ。また明日、同じ時間にきてくれる? いつもこの時間帯はみんな奥の食堂にいるの。夕方からは誰もここにはいないわ。わたしはここで掃除を任されているから。だから、話の続きを聞かせて頂戴」
「うん、ありがとう。じゃあ、……また明日」
「また明日……」
手を振る少女に見送られて、ジョナサンは教会をあとにした。
自分の頬に触れると、すこし熱かった。予感がする。きざしがある。
何か素敵なことの前触れだ。ジョナサンは走り出すと、息がきれるのも構わずにそのまま家まで足を急がせた。


「ただいまあ」
出迎えた執事は心配そうにしていたが、どうやら父の帰宅前だったようで、無事に怒られずに済んだ。
「……あれ? ディオは?」
「ああ、ディオさんなら今日はご友人のところにお泊りになるとかで、前日からそう聞いておりましたが。ジョジョぼっちゃまはご存知ありませんでしたか」
「うん、あんまりディオとは喋らないから」
「そうですか……。では、お食事はどうしましょうか。旦那様をお待ちになりますか?」
「うん。とうさんと一緒に食べたいし、待とうかな。ぼく、部屋にいるよ」
「かしこまりました」

広間の時計が鳴ったのに気がついたのは、ジョナサンが目を覚ましたからだった。
夕飯の時刻はとっくに過ぎていて、待ちくたびれたジョナサンは机に伏して寝入ってしまったのだった。
すると部屋の扉が開かれて、フットマンが申し訳なさそうな顔つきでジョナサンを窺った。
「ぼっちゃま、旦那さまは遅くなるようですから、お食事を用意いたしましょうか」
「……ん」
眠気でうまく開かない瞼を擦りながらジョナサンは呟くように返事をした。
「食堂で……一人で食べるのは寂しいから、ここに持ってきてもらってもいいかなあ」
「そうですね。では準備させましょう」
執事は薄っすらと笑みを浮かべてジョナサンの部屋をあとにした。ほどなくして、一人分の食事を乗せたトレイをメイドが運んできた。それらを無作法に平らげると、メイドはまたトレイを運んできた。
「コック長がこれをジョジョぼっちゃまにって」
いつもならデザートは、小さなカップにほんのすこしだけが盛られている。
目の前のデザートカップには、山になったアイスクリームに、チョコレートシロップが並々と注がれていた。
「旦那さまにも、あとディオさんにも、ナイショですからね」
メイドは人差し指を唇にあてて、にこりと笑った。
つかの間の平穏に浸って、歯にしみる冷たさのアイスクリームをジョナサンは味わった。
甘いシロップが胃の中にじんわりと染みて、優しい気持ちにさせてくれる。
この邸はジョナサンにとって、本当はこんなにも平和で幸せな空間だったのだ。
何だか忘れかけていた気がした。

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