伝染乙女 5

神父たちが住まうハウスには人の気配がなかったので、ジョナサンは恐る恐る入っていった。しばらく雨宿りをさせてもらうことにしたのだ。
「ここも随分古い家なんだね」
何度も話しかけたが、少女は黙ったままだった。ジョナサンは、気まずさに耐えるしかなかった。
「本当に今も使ってるとは思えないな」
「……こんなの、普通だよ」
少女は、窓枠の縁に背をもたれさせると、曇りガラスの窓に息を吹きかけた。
「ジョジョが住んでる邸とは違うのさ、こんな町外れの古い貧しい家と比べちゃあね」
少女は低くなった声で皮肉を含んだ言い方をした。
「あのさ……、ぼくが今日ここに来たのは、昨日忘れものをしちゃったみたいで、それを探しに来たんだ。あのおばあさんが言うには、君が教会の掃除をしたから、君なら知ってるんじゃあないかって聞いて」
「ふうん、何を忘れたんだい」
少女は窓枠に腰をかけると、足をぶらぶらとさせて雨の降り続ける外を見ている。
「この袖についてるカフスボタンなんだ。これと同じものだよ」
ジョナサンは腕を上げて袖口を見せた。蒼い石のついた銀色のボタンが、少女の目に入った。
「それって、価値があるものなのかい?」
「価値?」
「高いか安いかって聞いてるんだよ」
少女は退屈そうに言って、曇った窓硝子に指で絵を描いた。
「大して値打ちがあるものじゃあないと思うよ……おそらく」
「ま、君にとっては安物なんだろうね。また買えばいいじゃあないか。代わりなんていくらでも買ってもらえるだろ」
「そういう問題じゃあないんだよ。ぼくにとって、大事なのは高いか安いかじゃあないんだ。大切な家族から貰った贈り物なんだ!」
「片方残ってるだろ、それがあれば十分じゃあないか」
雫のついた指で少女はジョナサンの袖口を指した。まるで悪びれた様子もなく、当然と言った風に少女は言ってのける。
「もう、いいよ……ッ! 君とは話にならない。あるか無いかだけ教えてくれればいい。どうなんだッ!」
「ぼくに命令するなよなあ、ジョジョ」
ジョナサンは、また妙な気を感じ取った。違和感だった。
「命令じゃあない、頼んでるんだ。さあ、答えてくれないか」
「どうだったかなあ、ぼくは不必要なことは忘れるようにしてるから」
少女は――少女だったはずの子は、大股を開いてジョナサンの方を向き、足の間に手を入れて、ニヤニヤと薄ら笑いを浮かべている。
「無いなら無いで構わないよ、また元来た道を探すから」
雨は先ほどより強く地面を打っている。このまま止むのを待ち続けていても、仕方ないだろう。ジョナサンは出て行こうとして、ドアのほうへ歩いた。
「おっと、待てよ……もう少しで思い出せそうなんだがなあ」
少女だった子は窓枠から降りると、身を挺してジョナサンの行く手を阻んだ。
「その手には乗らないよ。もういい、君には何も尋ねない」
少女が少女であった時のしおらしい態度でなら、ジョナサンは弱い立場でしかなかった。けれど、少女に対する違和感というものが生まれると、途端ジョナサンは強気な対応に出られるのだった。
見た目に差ほど変化はないようだったが、口調や仕草がちょっとずつ違っていて、その微妙な差だけでジョナサンは判断する。自覚はなかったが、少女が少女らしからぬ物言いをするようになると、相応にジョナサンも応じるのだった。
「行かせない」
「どいて」
少女だった子は、ドアの前に立って邪魔をしたが、ジョナサンはその子の身を押しやった。
「……え?」
肌や、肉の感触がおかしかった。
柔らかさは減って、骨ばった感じと、もっと硬いような触り心地がした。
たったの一瞬でも、明らかだった。
「君は……、誰だ?」
ジョナサンは湧いて出た疑問を率直に投げかけた。



ディオは焦っていた。
次第に萎んでいく胸の肉を悟られてしまったからだった。
ワンピースがきつくなり始めている。ジョナサンを誘惑しようとして選んだこの女の体にぴったり合うサイズなのだから、元の少年の肉体には合わない。背中のホックが食い込んできて痛んだ。
「何を……言ってるの?」
意識して言葉使いを改めてみたが、何と似つかわしくない声色だったろうか。ディオはベールの下で汗を垂らした。首も太さが増してくる。襟まわりが苦しくなってきた。
「妙だぞ。君は……時々「変」になる。まるで、別の人間になってしまったみたいだ。ずっと一緒にいて、誰かと入れ替わったりなんてしていないのに、君は、本来の君じゃあないみたいだ」
ジョナサンはドアの前で、少女であったディオを追い詰めた。
背が元に戻りつつある。膝や腰に痛みが生じて、ディオは奥歯を噛んだ。
変身というのは、物語の中では一瞬の出来事であることが多く、そこに現実味はなかった。数多の作り話で、飽きるほどに目にしてきた。
いざ体験してみると、変身には痛みがつきものだと知った。
それは、実際に誰もが知っている、経験してきた痛みだった。子どもが大人の肉体へ変化していくときにある成長のためのもの。男の子が男へと、女の子が女へとなるためにある、乗り越えられる痛みだった。
それが、体が変わるたびにディオの身に刻まれる。
気を失うほどではないが、男が女へと、女が男へと変わるには、それなりの時間と伴う痛みがつきものだった。
背が伸び縮みする度に、背骨や膝の骨が軋んで立っているのがやっとであった。
胸や尻の肉が増えたり減ったりするのは、その部分の深い所に痺れるような、刺されるような、服や下着が当たっているだけでも不快なほどだった。
声が変わろうとすると、喉がむずむずした。声変わりの時ほどではなく、話している内に変わるので肉体の変化よりはましだった。
わざとディオは身を竦めた。身長が戻れば、流石に誤魔化しきれない。長いスカートの丈の中で、膝を折り曲げた。
ドアノブを後ろ手に持って、ディオはこの場から立ち去ろうとしていた。
しかし逃げるのは性に合わない。どうにかしてジョナサンを言い負かせて、彼から去らせようと目論んだ。少女のままであったなら、もう少し引き止められたものの、こうも変化が早くてはこれ以上一緒には居られない。
「質問に答えて、君は誰だ?」
「わたしは、わたしよ……、それ以外でも何でもない」
辛うじて「わたし」だと言えた。女の体になっていれば、自然と口調は女のものになる。心までもが女になれるからだ。
ディオという人格そのものは、軸として独立し、男の精神と女の精神が入れ替わるだけなのだ。
「いや……君は違うよ。変だ。匂いまで」
ジョナサンは無遠慮に顔を近づけて、ディオの身の匂いを嗅いだ。
「もっと君は、いい匂いがしてたんだ」
かっとなった。ディオは男である自分を否定された気になった。思わず殴りそうになった拳を堪えた自分を褒めたいくらいだし、そんなディオの葛藤を知らないジョナサンは礼を言うべきだとすら思った。
「今はしない。香水や、服の匂いとは違う。女の子のいいにおいがしない」
「ジョジョ、おまえ自分が何て失礼なことを言ってるか、分かってるの」
ベールの下の素顔を気取られてはいけない。ディオは顔をジョナサンから背けて、腕で隠した。
「構うもんか。君に礼儀なんて通す義理はないよ」
ジョナサンはそんなディオの行動を読んだのか、腕を取る。
「顔を、見せてくれないか」
「……ッ!?」
強気になったジョナサンはベールの端を掴み、剥ぎ取ろうとした。
思わず奇声を上げそうになったディオは、後ろ手に持っていたドアノブを捻っていた。
扉は外側に開いた。戸に身を預けていたディオはそのままぬかるんだ泥道へと倒れこんでしまった。
「あっ……!」
「……っつ……ぅ」
ジョナサンは突然のことに対応しきれず、大雨が降りしきる中、地面に倒れこんだ子を見下ろすばかりだった。



ディオはベールの下でジョナサンを睨んだ。それが意味を持たないとしても、そうせざるを得なかった。
しかし、この転倒は幸いだった。ジョナサンが「そうさせてしまった」のだと思い込んでいるようだったので、ディオは立ち上がろうとせずに座り込んでいた。身を打つ雨が冷たいが、ジョナサンに罪悪感を植え付けるためならどうでもよいのだった。
「痛い……」
「ごめん……、怪我はしてないかい?」
ジョナサンは濡れるのも構わずに、手を差し伸べた。
少女――ディオは、スカートを膝までたくしあげて、すりむいた傷を見せた。
両膝がこすれて皮がむけ、血が滲んでいる。ジョナサンは顔をしかめた。
「ごめん、……とりあえず中へ入ろう。手当てをしなくちゃ」
手をとり、ジョナサンは支えるようにして少女を立ち上がらせた。
「……服、替えはあるのかい? 着替えたほうがいいよ」
薄手の黒いワンピースはすっかりびしょ濡れになってしまった。元々身体にぴったりなサイズだったものが、濡れて張り付き更に肌に密着している。
違和感は消えやしなかったが、ジョナサンはそれでもまだこの少女を「少女」だと認識しているので、視線を壁へと移した。
しかし、少女を起こす時にしっかり見てしまったのだ。
胸のあたりで浮き立ったものを、目にしていた。
ジョナサンは髪についた雫と、その邪な思考を払い落とすために頭を振った。
「……待ってて」
少女はか細く告げて、奥の部屋へと消えた。


ディオは水分を含んで重くなったベールを脱いだ。髪をまとめているピンも取る。編んでいた髪をくしゃくしゃにして、濡れた髪を下ろした。
廊下にはディオが歩いた跡が続く。
寝室のある部屋に薬箱があった。
修道女の黒いワンピースを脱ぎ、ディオは素肌の上にシーツを纏わせた。頭からかぶって、目元を隠した。
タオルと薬箱を手にして、ディオはジョナサンがいる部屋へ戻った。
「ジョジョ、これを」
タオルを手渡し、薬箱をテーブルに置いた。
「服、無いのかい?」
壁を向いていたジョナサンが声をかけられて振り向くと、白いシーツを巻いた少女の姿に驚いていた。
「ここには、ね」
濡れた髪を拭くと、ジョナサンは着ていたジャケットを脱いで、椅子にかけた。
少女は椅子に座り、膝を曲げて怪我した場所を舐めた。
「……ぼくが、やるよ」
自分が怪我をさせてしまったようなものだった。ジョナサンは罪滅ぼしと思って、薬箱を取った。
「へえ……、舐めたいのかい?」
「違うよッ! 手当てするって言ってるんだ!」
少女が軽口を叩くので、ジョナサンはつい反論の声が高くなる。そんな自分の子どもっぽさに嫌気がさしたが、ジョナサンは鼻から息を吐いて、少女の前に跪いた。
消毒薬を怪我した所に垂らすと、染みるのか足の指がぴくりと反応した。痛いと言わないくせに、実に分かり易く示してくれるので、ジョナサンはつい意地悪をしたくなった。
「染みる?」
「…………」
少女は無言で首を振った。それからそっぽを向いて、更にシーツを深くかぶり顔を隠した。
血は微量であって、傷は浅かった。
汚れを拭いてやって、消毒し、清潔なガーゼをあててやる。
「もう片方も」
左足が終わると、もう片脚が曲げられて、差し出された。
「お姫様と従者みたいだね」
何の気なしにジョナサンは言った。言動に深い意味はなく、ただ童話の中でいつか見た挿絵を思い出して言っただけだった。
「誰が、姫だって」
「へ……?」
ジョナサンは消毒薬を吹きかけた。声をかけられたので、うっかりかける薬を調整するのを忘れた。
「……ッン!」
足先までがピンと張って、ジョナサンはその白い足に顔面を蹴り上げられた。
「わ、……ぶッ!」
古びた床板がドタンと鳴って、ジョナサンはその場に転がった。
「あいたたた……ッ」
「あ……」
ジョナサンは床に寝転がったままで、打った頭を撫でて、目を開けた。
その視界には少女の足の裏と、シーツに隠された顔の一部が覗けた。
「……あれ……?」
少女は白い布の下で何度か瞬きをさせて、ジョナサンを見下ろしている。
「君、」
瞳の色は金色で、真ん中は琥珀の輝きを湛えている。
珍しい瞳の色だった。
ジョナサンはそんな瞳の色をしている人を二人と見たことがない。
「珍しい目の色してるんだね」
ジョナサンは見上げながらそう言った。
少女は驚いて、かぶっていたシーツを更に下げて立ち上がった。
「見たな!?」
「うん……ちょっとだけ」
「ぼくの顔を見たんだなッ!?」
「……え、うん。目の色くらいだけ」
遮るようにしてジョナサンは吼えられた。
「見たんだなッ、ジョジョ! うう、ぐ……」
「ああ、ええと、故意じゃあないよ。偶然さ! それに君に蹴られて転んだんだし」
「何か、他に言うことはないのかッ」
「他に? いや」
「…………なら、いい……いや、よくはないが……だが……」
唇で指を噛み、少女はぶつぶつと文句を言いながらまた顔を隠して頭を屈めた。
ジョナサンは床に座りなおし、手当て途中だった少女の膝に触れた。
消毒薬は既に乾いていてしまっていた。息をふきかけてほこりを払うと、ジョナサンはガーゼを貼った。
「そういう目の色の人はなかなか居ないよね。黒猫なら、よく同じような目をしてるけど」
「白い猫だって金色の目をしてるだろ」
「あ、そうだったね。でも何か黒猫を思い出したんだ。何でかな……」
ガーゼを貼り終わるとジョナサンは立ち上がって、薬箱を閉じた。
かりたタオルを畳み、窓の向こうを見る。雨はなかなか止みそうもなかった。
「冷えるね」
「我慢しろ」
少女は、膝を抱えて自らの手を擦り合わせた。雨が降り続くと気温も下がった。
身にあんな薄いシーツだけではさぞ寒かろうと、ジョナサンは少女に同情した。余計なことをすれば、また蹴りでも食らわせられるかもしれない。そう思うとジョナサンはただ雨が止むのを待つしかなかった。
窓に手をつくと、袖のカフスボタンが石を光らせた。
もう片方の行方を、少女は知っているのだろうか。聞こうにも、ジョナサンはやはり声がかけづらく、沈黙の中で雨音だけがざあざあと流れていったのだった。

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