面従腹背 4
白濁にまみれたディオの頬や額に、暫くジョナサンは惚けていた。白い肌は自身の汚濁に塗れ、金色の瞳は閉じられたままだ。眠る人の顔は普段よりもずっと幼く無邪気に見えた。ジョナサンの中でむくむくと育つのは、背徳感なのか、嗜虐心か、自分自身ですら理解が追いつかない。
相手の唇に無理やりに捩じ込ませた精が、たらりと唇の合わせから流れ出る。ジョナサンはそれを親指で掬い取り、ディオの口の中に指ごと突っ込んだ。
「……ン……」
吐息の漏れる声がしジョナサンは心臓を跳ねさせるが、ディオの意識は無いままであった。
そのまま薄く開かせた唇に、ジョナサンは再び自分の口を寄せる。抵抗の無い口内はすんなりとジョナサンの舌を迎え入れ、恐ろしく整った歯は攻撃を仕掛ける様子もない。
「……ハァ、……」
顎の下を持ち上げ、ディオの顔を少し上向かせると、口の中をまさぐりやすくなった。ジョナサンから溢れるヨダレは、ディオの口に次から次へと流し込まれていく。
歯列を舌の先で出来るだけ優しくひとつずつなぞり、そしてディオの舌を舐めた。ほとんどディオは寝ている状態だったが、体だけは性感を受け取っているのだろう。時折、腿の筋肉がビクリと痙攣し背筋が張る。
汗ばんだ胸元は鼓動に合わせて、弾む。ジョナサンはいつまでも唇を味わっていたかったが、こうしてはいられない。
「ディオ……」
名残惜しく離れると、使いすぎたジョナサンの唇や舌は痺れた感覚がした。
汚れた頬に舌を這わせ、ジョナサンはディオの顔中に飛ばした精液を舐め取る。ディオは眠りながらも違和感に身を捩って逃げ出そうとしたが、ジョナサンは丸い後頭部を両の手でしっかと掴んだ。性器を嬲るのとは違ってジョナサンの舌は作業を淡々とこなし、最後の一滴まで舐めすすった。
部屋を出て、水道まで行けば清潔な水が手に入るのに、ジョナサンはそうはしたくなかった。
跡形もなく終わらせれば、ディオはこの現実を無視するだろう。
でも、こんな始末をすれば、目覚めたディオはきっと怒り狂って、ジョナサンを詰り飛ばすだろう。
事実を口にして、酷く怒るのか。それとも、恥じて顔を赤くさせ泣くだろうか。
どんな姿でもいいとジョナサンは思う。感情の矛先を自分に向けてくれるその時、ディオはジョナサンのことだけを考えるのだから。
くったりと全身の力を無くして、ディオはソファーに倒れ込んでいる。意識の無い人間を運ぶのは案外苦労するものだと、ジョナサンは知った。力には自信があったが、自分と同じくらいの背丈の男ならそう簡単にはいかない。
膝の裏に片手を入れ、背中から首の後ろにもう片手を差し込んで持ち上げる。ちょっとやそっとじゃ起きそうもないが、指先ひとつにも神経を配って、なるべく刺激を与えないよう丁寧に運んだ。
自室を特別広いなどとは今まで思ったことは無かったのに、一歩一歩ゆっくり進むと、ベッドまでの距離が遠く感じる。
一歩踏み出す毎に、長身の男二人分の体重を受けて、床がみしりと鳴る。その小さな音にすらジョナサンは怯えた。さっきまでの大胆だったジョナサンは、普段の気の優しすぎる青年に戻っていた。
一体どこであんな言葉を知ったんだろう、とジョナサンは考えを巡らせた。確かに、興味本位で「そういった」類の本は健全な男子としては当たり前に読んだこともある。だけど、どうしてあんな風に、言ってしまったんだろう……。
「さぁ手をどけて御覧よ、それとも恥かしくて出来ないかなぁ?」「自分じゃあ言えないクセに、欲しがりなんだから……、口がいいんだろう?」
一言一句、間違いなく記憶に残っている。他の誰でもないジョナサン自身が口にした言葉の数々だった。
思い出しただけで、ジョナサンはディオを持つ手が震える。いくら興奮していたとは言え、あまりの豹変っぷりに、自分自身が一番驚いている。
ぴんと張った白いシーツに、ディオを寝かせる。汚れたズボンは股の部分だけが湿って色が変わっていた。穿かせたままでは気持ち悪いだろうと思い、ボタンを手早く外して一気に脱がす。
情欲の気など一切なく、子どもの着替えを手伝ってやる感覚だった。床に投げたシャツも拾って、シャツとズボンをひとまとめにし、洗濯用の籠に仕舞った。朝、メイドが来ればディオの服であろうとジョナサンの服であろうと、中身など気にせずランドリールームまで籠ごと運ぶだろう。
湧き立っていた罪悪感が胸の内にあっという間に広がって、ジョナサンは薄い布団をディオに掛けると、妙な汗をかきつつ部屋を出ることにした。
ドアは古い邸らしく唸りながら開き、ぎいぎいと言って閉まる。
最中はずっと、気持ちが高まっていて、興奮が治まらなかった。けれど落ち着いてみると、混乱はあとからやってくる。
今までの出来事が脳内を駆け回り、ジョナサンは己の行動を恥じて恥じて、恥じた。居たたまれない気持ちをどうすることも出来ず、叫びながら走り出したくなった。
とっくに深夜を迎えていたが、覚めてしまった頭と、熱が支配する体と、めちゃくちゃに乱れた心はばらばらで、とにかくジョナサンは邸から飛び出していた。
だが誰かに見つかっては面倒なことになると思い、やけに静かに門を開いたのだった。
ジョースターの敷地は広い。正門からの開けた草原も広いが、初めて訪れるものは、誰だって迷子になれる森がある。先々代から手のつけられていない自然そのままの森は、動物や虫がたくさん生息している。勿論私有地なので、ジョースター家の許可が無ければ誰も入ることは許されない。使用人であっても用がなければ足を踏み入れてはならないのだ。
幼い頃からの遊び場として、ここでジョナサンはダニーとうさぎを追いかけたり、きれいな蝶を捕ったり、木イチゴを摘んで食べたりしたのだ。そして、悲しくなったり、寂しくなったりした時も、よくここに来て、ひとりになったのだった。
木や葉や、花や虫や、小さな動物たちは、一人でいるから、悲しいのでは無い、一人でいるから、寂しいのでは無いと語りかけてくる。緑の風景は、自分が自然に全て溶け込んでしまう気がした。
少年時代、そうやって気持ちを落ち着かせていたけれど、大人になるにつれてここへ来ることも少なくなっていた。
ジョナサンは、けもの道を靴やズボンが汚れるのも構わず駆け抜けていた。
息が上がって、腕や足がだるくなってくる。激しく脈打つ心臓は、痛み出してきていた。
「はぁッ! ハア、ハァ、ハァッ……!!」
息をきらしジョナサンは、大きな木にもたれ掛かった。夜の森は静かなのにざわついている。人が立ち入ってはいけない、と言われているようだった。夜の森の住人たちは、見慣れぬジョナサンを警戒して取り囲んでいるのだろう。フクロウは目を光らせて、ホウ、と鳴く。
「はぁ…………、ああ……っ」
呼吸が整うと、また脳は働き始める。闇雲に走っていれば思い出さないのに、体が止まれば、ジョナサンの意思などお構いなしに思考は巡る。
己の行動、言動は、とてつもなく恥ずかしいし、後悔している。なんであんなことを言ってしまったんだ、とジョナサンは自分の顔を平手で打った。
だが、間違いなく自分は、ディオにこの事実を忘れてほしくないと思っているのだ。
自分の言ったことを、悔いているくせに、相手には忘れてもらいたくないと願うなんて、まともな考えでは無いと自覚していた。
どうしようもないくらい、どっちも本当だ。ジョナサンの本音で、心の叫びだった。
恥じるということは、自分が信じているジョナサンの真っ当な意見だった。同性の、義兄弟にした……悪戯というには過ぎた行為だ。人格が変わったかの言動も、今の自身にとっては心苦しく、恥ずかしいものばかりなのだ。
ただ、ディオを思うと、反対の気持ちがある。行ったこと全てに意味があるのだと、ジョナサンの知らぬ自分が意見するのだ。
それがお前の欲望なんじゃあないかと、言い。そして、相手もそう思っているのではないかと、都合よく考えてしまうのだった。
「好き……、か」
好意として意味など、言ったつもりは無かったのだ。ジョナサンは言葉のあやで言ったと思った。
けれど言われたディオは、一瞬であったが、動揺したのだ。
彼がどのようにその言葉を受け取ったのか、瞬間に見せた戸惑いが教えてくれた。
好きだの、愛しているだのと、てっきり言われ慣れているものだとジョナサンは思った。ディオはあの容姿に、性格に、……ジョナサンに対してだけ根性が捻くれているが、周りの人間にはすこぶる評判がいい。女性たちからは、「優しいし面白いし、とってもロマンチストで最高!」などという噂がジョナサンの耳に入るほどだ。
初心な娘ではあるまいし、だかが「好き」の、たった一言くらいで、そこまで反応するものだろうか。
だから、期待してしまうのだ、とジョナサンは再び自らの頬を、今度は両手で挟んで打った。
「いい加減目を覚ませ、ジョナサン・ジョースター!」
――ディオ! ディオが、君がそんな顔をするから! 君がもし、ぼくを惑わせるつもりでしたというなら、じゅうぶん効果はあったぞ! ああ、もう……ぼくはバカな想像に取り付かれている!!
あのディオが、勝気で、ジョナサンといつも張り合って、嫌味や皮肉ばかり言って、ジョナサンを困らせては笑う、あのディオが、
たった一言の、好意の告白に心を揺らせるだなんて、誰が信じるだろうか。
世界中の人々が信じたって、ジョナサンだけはディオの本性を知っている。だから、ジョナサンは、信じられない。
それなのに、「もしかして」と、ifの希望に賭けてみたくなってしまうのだ。
熱は冷めない、ジョナサンは額の汗をシャツの袖で拭った。
ディオの目覚めは最悪だった。
覚醒しかかったのは、何か臭うと感じたからだった。
そこからは猛烈に素早かった。本来はゆっくり目を開けて、体を起こして伸びながら、目を覚ますものだ。
だが、気が付いた時には飛び上がって布団を剥ぎ、ベッドから立ち上がっていた。身につけているものがほとんどない、足に靴下しか残っていなかった。ブーツはベッドの正面に脱ぎ捨てられていたが、着ていた服が見当たらず、ディオは、真っ裸のままで立ち尽くしていた。
「……え? ここは……、」
まばらだった記憶が繋がって、ここがジョナサンの部屋であることや、昨夜の出来事が鮮明に蘇ってきていた。ふと素肌に目をやると、当の本人だけが分かるほどの、ほんの極僅かだが赤くなっている箇所があった。ジョナサンが唇を寄せて、舐めたり吸ったりしたからだ。
「クソ……!!」
ディオは自分の肩を自らの腕で抱いた。
感情が煮え立つ音が聞こえる。ディオはこのままやられっぱなしで居るつもりなど毛頭無い。どうしてやろうか、この屈辱をどう晴らしてやろうか、とディオは体に残る微熱を怒りで紛らわしていた。
癖で前髪に触れたとき、異様な臭いが自分からしているとディオは思った。髪の先が少し固まっている。そして、顔の皮膚のどこもかしこも、不自然につっぱる。
口の中は乾燥していたが、全く味わったことのない、不愉快な苦味がする。
覚えてはいない。ジョナサンが服の上からべろべろと舐め回して、不本意に射精させられて力尽きた、そこまでしかディオには覚えがない。
「あいつ……、ジョジョめ……ッ!!」
自分の二の腕に爪を立てると、ディオの柔い肉は傷つき、微量だが血が流れる。その傷など気にも留めずディオは乱暴にクローゼットを開け、ジョナサンの室内用のローブを羽織って、全ての動作に怒気を含ませながら部屋の扉を開けたのだった。
メイドは「すぐにお湯を手配します」と慌てて言っていたが、ディオは急いでるんだ、と他人に向けるにはいささか攻撃的な物言いでバスルームに入った。
ローブを脱ぐと、裏側に刺繍してあるJonathan Joestarの文字が目につき、思わずタイルに叩き落としていた。ジョナサンの身に付けるものには全て刺繍が施されている。不可抗力だが、そんなものを自分の体に触れさせていたことにディオは腹が立った。
蛇口からは水が勢いよく出て、とにかく顔と髪を水で洗い流した。口に水を含むと指で、中をかき回して、さらにゆすぐ。あの味が舌先に残っているようで、ディオは何度もうがいを繰り返した。
「……ンッ!?」
シャワーで体も流そうとした時だった。ディオは、痛みに思わず声を上げてしまっていた。
「な、なに?」
昨晩、散々いじくり回されて、吸われて噛まれた場所がひりひりとして水の刺激ですら、敏感に反応していた。
まさか、とディオ人差し指の先で、ツンと立った乳首に恐る恐る触れてみた。
「イッ……?! ……っう」
触れた場所からびりっと痛みが走った。
傷や痣となどの痛みとは違う、慣れない痛覚がある。はっきりと血でも流れていたほうが分かり易いものの、そこは普段よりも赤みが増してぷくりと腫れたように立っていて、むしろその乳首が勃起している状態ですら、「痛い」と感じる程だった。
「ぐ、……なんだ、これは、」
空気が動くだけでも痛い気がしていた。シャワーが直接当たろうものならば、ディオは声が我慢できないくらいだった。
「ンぐっ……う、……あのジョジョめぇ……!! あいつが、ぼくのを……噛んだりするから……ッ!」
男性器の勃起ならば出してしまえば早いが、乳首の勃起は自分の意思でうまく調整が出来ない。勃つな、と命じた所で意味はない。冷たい水を浴びている所為もあってか、乳首は固さを増してディオを益々苛立たせていた。
石鹸で体と顔に擦りつけるように洗い、あの臭いが消えたことを確認すると、ディオはようやく浴室から出れた。豪勢に作られているジョースター家のバスルームはいけ好かない。
風呂があるのはよいことだと思うが、ジョースター家のセンスがディオとは合わないのだ。贅沢に広めに作られたバスルーム全体の白いタイルも、気味の悪い女像や、すり硝子の大きな窓、ジョナサンが自慢だと言うので、とにかく気に入らない。そして差し込む朝日が眩しくて、ディオは顔をしかめる。
濡れた体を拭きながら、ディオは長椅子に腰掛ける。鏡台には、卿が愛用していたパイプと葉巻が数種置かれている。パイプはすでに上流階級では廃れており、貴族やジェントリの間では葉巻が主流となっていた。ディオやジョナサンも15、6の頃は、パイプを吸っていたものだが社交界に顔出しするようになってからは、ほとんど葉巻だ。
ジョースター家の人間は男しかいない。家の中でも女性に気を遣うことなく、喫煙が出来る。風呂の前室は湿気が入らないように配慮されており、髭や髪を整えたりしながら、こうして一服し落ち着ける場所になっている。
ディオは、銀製の小さな箱に入れられている葉巻を一本手にし、口に銜えて火をつけた。肺まで吸い込んだ煙をひといきに口から吐き出す。この気分が落ち着く訳はなかったが、ほとんど習慣化していたので、吸わずには居られなかった。
壁側にあるハンガーに服が一式揃って掛けられている。メイドが用意したディオの着替えだ。見慣れたシャツに、ジャケットがある。気の利かない田舎娘がいかにも選びそうな組み合わせだと、ディオは舌打ちをしながらも仕方なく手に取り、袖を通した。
「……ッ!! ……またか……、」
シャツの合わせのボタンを止めようとしたとき、また胸にぴりっとした痛みを感じた。変わらずに腫れている乳首は、固く勃ち過ぎてはいないが、いつも以上に赤い。
自分ですら目にすると、その形や大きさが気に入らず、こんなもの無ければいいと嫌悪しているのに、よりによってあのジョナサンに、一番見られたくないヤツに一番見られたくない場所を晒してしまうとは。屈辱であった。
――あの馬鹿が……ッ!! 好き勝手にいじりやがって! ……絶対に仕返ししてやる!
シャツに擦れるたびに、感じたことのない痛痒さで肌は粟立つ。ジョナサンの口や手や指で、嬲られ遊ばれたその名残に今も悩まされているだなんて、怒りでディオは握り締めた拳が思わず震える。
自分がこんなにも苦しんでいるというのに、そんなことも露知らずジョナサンは今もどこかで、間抜け面をしているのだ。
ディオはきつくタイを締め、鏡に写る自分の強い意思を放つ目を見つめた。そして、必ずこれ以上の痛みをジョナサンに与えてやるのだと決めたのだった。