面従腹背 5

 ジョナサンは小鳥のさえずりを聞いた。いつから眠ってしまったのだろう。森の中で朝を迎えてしまったようだ。陽は顔を出しかけており、まだ早朝と言われる時間なのだと思う。
 一際大きなオークの木の根元に寄りかかった体を、ジョナサンはのろのろと起こした。ほんの少しの間休憩しようと腰掛けて、そのまま寝てしまったのだ。草木は朝露で濡れている。服は湿気っぽくなってしまっていた。
 立ち上がり空を仰ぐと、朝日は寝不足の目に眩しく染みた。まだぼんやりとする目をこすり、ジョナサンは腕を上げて大きく伸びをした。堅い木に預けていた背骨や腰が、ぽきぽきと音を立てる。
「はぁ……」
 無意識に指が自分の唇に触れる。感覚が麻痺するほどに味わった柔肌のぬくもりが、まだ残っている気がした。
 一夜あけて、多少は冷静さを取り戻せるかと思ったが、かえって時が経てば経つほどに募る気持ちは増すばかりだった。確かにジョナサンは己の行動を恥じていた。だが、今は悔いることはやめていた。
 相手への「もしかして」と、自分の「もしかして」という、形にするにはまだ躊躇いのある曖昧な感情が心の底に溜まっていく。
 まさか、と疑いながらも期待してしまう。ジョナサンは自分の口角が微かに上がるのが分かった。

 行きよりも足取りは軽かった。胸の内をぐちゃぐちゃと掻き回される、あの追い詰められた気分がない。何か解決したわけじゃなかったけれど、ジョナサンの曇る思考は妙にすっきりと晴れていた。
 自分の思いが分からなくなるなんて、きっと誰にでもある筈だ。だから悩み、迷い、探してしまう。
 本当は知っていて、分かっているのに、それでも見えなくなってしまう。思いを邪魔するのは、他人であったり、知識であったり、それらに揺さぶられた自分自身であったりするのだ。
 自分の心情を素直に受け入れ、誰よりも自身が一番に信じてやるだけ。現状は変わらない。ただ、前向きになっただけなのだ。
「おはようございます、ジョジョぼっちゃま。今朝は随分と早いですね」
 門の前を掃除していた老いた執事が、箒の手を止めてジョナサンを見上げた。
「おはよう。少しね、歩いていたんだ」
「朝の散歩は気持ちがいいでしょう? ……おや、ぼっちゃま」
 気が利く、というのはよく周りを見ているということだ。おそらく執事は、ジョナサンの昨日と同じ服装に気が付いたのだろう。
「……いえ、朝食の前にお着替え下さい。泥がついていますからね」
「ああ、分かった。そうするよ」
 言う必要が無いと判断したのか開きかけた口を噤んだ後、執事は服の汚れだけを指摘した。その気遣いにジョナサンは苦笑して、思わず頬を掻いていた。
 
 玄関の扉を開くと、ジョースター家の朝はもう始まっていた。邸の奥のキッチンからは忙しそうな声が聞こえてくる。
 一度自室に戻って着替えてから顔を洗おうかと、ジョナサンは二階への大階段を前にし視線を上げた。見上げたその先の、階段の一番上には偶然にもディオが立っていた。
「あ、……お、おはよう」
 届くかどうか微妙な声量でジョナサンは挨拶をした。思ったよりも早く顔を合わせることになってしまい、ジョナサンの心臓は早まる。背中から汗が滲む気配をジョナサンは感じ取っていた。
「…………、おまえ、どこに行っていた」
 てっきり無視されるものだとジョナサンは覚悟していたので、口を利いてくれるのが意外だった。むしろ今までの傾向からすると、返事が無い可能性のほうが高かったのだ。安堵で詰まった息が漏れた。
「外にいたんだ、さっきまで」
「ふうん」
 ディオは手すりを掴み、視線でジョナサンを捕らえたまま、ゆっくりと一段一段降りてくる。ヒールのあるブーツは、足を進める度にコツコツと高い音が鳴る。
 ふたりの間には緊張が走る。殴られてもおかしくない行為をしたのだとジョナサンには自覚があった。静かに感情を抑えて、射竦められるほうが今は辛い。激昂されて叱られたほうがまだいいとさえジョナサンは思った。
「ジョジョ、」
 やがてディオは階段を降りきり、ジョナサンの正面に立った。少し踵の高い靴なのだろう、目線は丁度同じくらいになる。
「おまえに『そういうこと』をされて、ぼくがビクビク怯えるとでも思ったか?」
 人差し指を立てて、ディオはジョナサンの喉の下を指先で叩いた。間近で見れば、ディオの目は明らかに赤い。あれだけ泣かせたのだから仕方ない。
「逆だね、おまえがぼくに怯えるんだ!」
 騒ぎ立てる馬鹿な真似をディオはしない。低く重い声色はジョナサンだけにディオは聞かせる。一度も瞬きなどせずにディオは睨み、続けた。
「借りは返すぜ」
 強くジョナサンの胸を押し退けると、ディオは踵を返す。足早にダイニングへ消えていく後ろ姿を、ただジョナサンは目を離せずにいた。
 玄関ホールには、ディオの靴音がやけに大きく響いていた。



 自室に戻ったジョナサンは、あたりを見回した。特に違和感はない。変化などない、いつも通りすぎるほどだった。
 すでにメイドが朝のベッドメイクと部屋の掃除を終わらせるところだった。何の気なしに、洗濯籠はどうしたと聞いてみると、メイドは不思議そうに「もうランドリールームに運びましたわ」と答える。
 部屋は日常であった。普段、彼女たちの仕事に質問などしたことはないジョナサンが、そんな問いかけをすれば変な顔をされるのも当然であったし、疑問も持たずに『洗濯籠を洗濯室に運ぶ』のは彼女たちの仕事なのだから、当たり前である。
 残っているのはジョナサンの記憶と、机の端に追いやられたチェス盤。昨日、大負けしたゲームがそっくりそのまま置いてあった。
 ――ディオがあんな賭けなんて持ち出さなければ……。
 賭けはただのきっかけだったかもしれない。それが無かったら、こんなことにはならなかった。
 だがそれも言い訳だ。賭けなど無くても、いずれはこうなっていたかもしれないのだ。
 ジョナサンは賭けの所為にしたけれど、欲を抱いていなければあの様に肌を暴く行為には至らなかった。条件さえ合えば、どうにでもなってしまう。火が着いたが最後、抱えた爆弾は時を待ってはくれない。
 じりじりとその身を燃やして、爆発を迎える瞬間を誰よりも楽しみにしているのだ。
 ガラスで出来た駒をひとつ取る。触り心地は冷たかった。片付けても良かったが、ジョナサンは駒を盤の元の位置へ戻した。

 着替えを済ませ、ジョナサンはバスルームで手足と顔を洗った。沸かした湯が用意されてあり、察しのいい執事が言い伝えてくれたのだと分かった。
 石鹸をよく泡立てて、手を丁寧に洗う。指の先、指と指の間、手の平の皺の溝も、くまなく泡で包んだ。清潔な香りが、ジョナサンの鼻にまで届いていた。
 ジョナサンはいつか読んだ本で知った、女性に触れる前の準備を思い出していた。
 女性の肌は傷つきやすい。女性の大事な部分に触れるのだから、爪は短く切りヤスリで丸く整え、とにかく清潔にしておくべきだなのだと。それが男の嗜みなのだそうだ。
 確かに、この手の中にあった肌はきめ細かくて柔らかだった。白くて、金色の産毛が薄く生えていて、自分の体とは何もかも違っていた。
 あの秘密の場所も、きっと全く違った色や形や匂いなのだろう。
 同じ男なのに、こうも違うものであるのか。同性といっても、人それぞれなのは承知である。けれど、他の男とも違い、女とも違う。
 ディオの魅力は、ディオしか持ち得ないものだ。
 男であるから、不思議だし。男であるが故に、奇妙な色香を感じる。あの顔であの体が女だったとしても、同じ魅力を感じはしないのだろう。
 洗った手に汚れは無い。ジョナサンは、自分の爪をよく見てみる。どうしても長いような気がして、洗面台にある小さなヤスリを取った。
 爪先は丸くし、出来るだけ短く整えていく。利き手は少しやりづらかったが、慣れないながらも両手の指の爪全部を、きれいに揃えることが出来た。自分の爪に対してこんなに真剣にまじまじと向き合ったことはあっただろうか。いつもなら、伸びた部分を爪切り鋏で切り揃えるだけだ。インクや汚れが爪の間についていようが、構いはしなかった。
 これなら文句も出ないだろうとジョナサンは満足げに指の先を眺めたが、自分のしていることは行為への下準備なのだと改めて思えば、急に顔が熱くなった。
 身だしなみを整えているのではない、これは相手への思いやりと期待の表れであったのだ。
 待てども熱が冷めないジョナサンは、再び水で顔を洗った。洗うと言うよりも、顔面に水をうち当てているようだった。

「ジョジョぼっちゃま、朝食の準備はとうに終わっていますよ」
 バスルームの扉の外で、執事が声をかけてきている。濡れてしまった髪を櫛で梳かして、ジョナサンは返事をする。
「すぐ行くよ」
 冷たい水で洗ったから、頬や鼻先が赤くなっている。
 人に比べて体格だけは立派だったが、ジョナサンは童顔なのがコンプレックスだった。同じ年のディオが、昔から大人びた顔つきをしていたので余計に際立っていたのもある。
 寒い時期は特にそうだが、こうして林檎色に顔が染まると、更に幼さが増してディオに笑われるのが嫌で仕方なかった。
 ――でも、赤くなったほっぺたって、あんなに可愛いものだったんだな。
 昨晩の痴態をまた思い出して、ジョナサンは頭を振った。夜からずっとそうだ、気を抜くとすぐに思考があの晩に飛ぶのだ。
「あれ、ディオは?」
「疾っくのとうにお召し上がりになられまして、これから街に出られるそうですよ」
 フットマンは呆れた風に笑って、ジョナサンのカップに紅茶を注いだ。つられてジョナサンも苦笑いするしかなかった。
「ああ、そんなに遅かったかな……」
「ええ、スープを温め直すほどに」
 申し訳ないと、ジョナサンが謝ると召使の皆は笑う。彼らは気さくではあったが、主らに従順であり敬意を忘れることはない。
 夜中に走ったせいもあるし、多少の疲労のせいもあるだろう。空腹感はジョナサンの思った以上にあった。胃に流れ込むスープが身にしみる。
 急いで食べるのは見苦しいと父に何度も叱られていたが、今日の朝食は早く口に運びたかった。とにかく満たさなければと思ったのだ。
 父はおらずディオもいない食卓は会話もなく、ジョナサンは黙々と食事を続けた。
 ラグビーを始めてからだろうか、ジョナサンの食欲は留まることが無くなったのは。
 体を動かすことは幼少時から好きであったし、短気な性格のために喧嘩もしょっちゅうしていた。そのおかげで、自然と体は鍛えられていった。
 ジョースターの男は代々背が高く、体格も優れている。元々の血筋も関係しているが、ジョナサンは特に体力や筋力がつくスポーツを選んだので、生まれ持つ恵まれた体を更に大きくさせることになった。
 成長期だから、スポーツをしているから、体が大きいから。どれかひとつ当てはまるだけでも、充分に食欲が異常をきたすが、ジョナサンの場合はそれら全て同時に進行しているので、異常以上に食べる。
 ディオもまた負けず嫌いな性格であるので、張り合って食べている。だから、ジョースター家の食料庫はいつも何かしらが足りなくなる。
 使用人も多くおり、それだけに充分なゆとりを持って管理をしている筈なのだったが、若い男たちの食欲とはハウスキーパーの予想を上回り続けるのだった。
「ジョジョぼっちゃま、今朝は随分とお召し上がりになりますのね」
 メイドは既に鍋ごと運んでいた。皿が空になると、スープは勝手に注がれた。
「うん……そうだね。なんでだろう」
 ある欲が満たされない代わりに、食欲が増大するのはよくある話であったが、ジョナサンは知らなかった。ただひたすらに出された料理を飲み込むように次々と腹の中に納めることで、欲求を誤魔化している。
 鍋を空にする頃、ようやくジョナサンの腹は膨れたが、どうにも胸中は満たされない。それでも席を立ち、ご馳走様と告げるしかないのだった。

 裏庭の日当たりのよい場所に、長いエプロンを靡かせ笑いながら召使いの少女たちは慣れた手つきで洗濯物を干していく。白いシーツ、白いシャツ、ハンカチ、ローブに、二人がかりで端と端を持ち、広げているのは卿の部屋にあるカーテンだ。
 日差しは弱かったが風は乾いており、並んだ服や布は風に吹かれていた。シーツがはたはたと舞うので、ジョナサンは部屋の中からでも風の強さを知ることが出来る。
 机の上におかれたノートは開かれたまま、ペン先のインクは既に乾いていた。先ほどから何度も同じ場所を読み、本はすっかり手から離れていた。ジョナサンには、もうページをめくる気力すら出てこない。
 窓辺から覗く外の様子ばかりが視界に入り込んでいた。並んでいるシャツは見比べると、同じように見えて形やサイズは違う。
 奥側にある、襟に模様が刺繍してあるのがディオのものだ。あの晩、ジョナサンは間近で見たのでよく覚えていた。
 ディオは着る者を選ぶといわれる服をよく好んでいる。今朝履いていたブーツもそうだし、一見代わり映えのないただの白いシャツであっても、普通であることを嫌い、なにかひとつ特徴をつけたがった。
 最近はさらにその趣味が加速し、どことなく女性的なシルエットに見える体の線が出やすいものを着ている。
 暑い日ですらディオは長袖を着るので肌を露出させるのは好ましくないらしいが、例えばウエストを絞ったデザインだとか足のラインがはっきり出るズボンだとか、遠目からするとどこもおかしくは無いのに、そばに居ると変わったデザインにやけに目が行ってしまう。
 出会った当初は、ディオも一般的な少年らしい格好をしていたのだ。そんなこだわりを見せるようになったのは、いつからだっただろうか。
 ふたりの声が低くなる頃、少年の時が終わり、肉体も精神も青年期へと差し掛かった季節に、ディオは赤い紐のついた茶色の革靴を買って貰っていた。
 男が茶色の靴を履くなんておかしいと、当時ジョナサンは思ったが彼の趣味に口を出すまいとその台詞は心に仕舞いこんだのだった。
 今になって思えば、それがひとつの始まりだった。
 体が育ち、骨格も顔つきも、益々男らしく大人になっていく。ジョナサンも、ディオも、世間からすれば、成人男性と肩を並べても遜色のない十分な成長を遂げているのだ。
 なのに、妙だ。
 『男らしく』、なる筈だ。現にジョナサンの腕も脚も、胸板も厚くたくましい。太い首や、大きい手指だって、どれをどう見ても「男らしさ」の象徴ばかりだ。誰もがそう思うだろう。
 同じ環境、同じ食事、同じ生活をするものがこうも違ってくるのだろうか。ディオは年を重ねるごとに、男らしさとはかけ離れていく気がした。決して幼く見えているのではない。反対に、大人びた色は増え続けているほどだ。
 それにあの胸とは一体、なんなのだ。ごく小さな盛り上がりではあったが、見間違えたりはしない。手にした感触もジョナサンは覚えている。
 成熟した男性の体に不自然な少女の未成熟な胸。アンバランスな体は不完全であるのに、異様に魅力的だった。
 外の笑い声にジョナサンは、はっとした。
 仕事をしながらも少女たちは、はしゃいでじゃれあっていた。実に微笑ましい光景であった。裏庭まで執事長やハウスキーパーはわざわざ見回りにくることは少ない。分かっていて彼女たちは、息抜きをしているのだろう。
 自分よりいくつか年下の娘たちを見て、ジョナサンは思った。
 きっと、あの膨らみはこの子たちくらいのものかもしれない。
 だがジョナサンは特別な感情を抱きはしない。見たい、触りたいという興味があるのは大きな胸の方であったし、幼い少女たちに情欲をわかせたりしない。そう思った自分にジョナサンは少し安心した。
 じゃあ、何故? あんなに興奮したのは、どうしてか。
 ジョナサンの「もしかして」の答えは出ている。言葉にしてしまえば簡単だ。だけど、認めるには時間が欲しかった。



 晩餐前、ディオはようやく帰宅した。朝見たときの不機嫌な様子は微塵も無かったが、ジョナサンとは一言も会話を交わさなかった。
「ああ、いいよ。ぼくがやるから」
 フットマンの取り出したワイングラスを二つ受け取ると、ディオはジョナサンの前にひとつ置き、自分の席の前にも置いた。引かれた椅子に腰掛けず、今度は用意されたボトルを手に取った。
「昨日の続き、ですかな?」
 執事はぽつりと小さく尋ねる。
「そう、今日は昨日とは逆」
「え?」
 わけが分からずジョナサンは気の抜けた声を上げた。ディオは唇だけで笑っている。
「ぼくがジョナサンの世話を焼くんだ。なあ、そうだろ?」
 ディオはボトルの栓を抜き、先にジョナサンのグラスに注ぐ。グラスの中に溜まっていく半透明に白い液体をただジョナサンは黙って見つめていた。
「楽しい遊びですねぇ」
「ふふ、そう思うだろう?」
 小首をかしげる仕草はまるで少女のように可憐であった。後ろ姿しか窺えないジョナサンにはディオが今どんな表情をしているかは分からない。
 よそ行きのきれいな笑顔なのだろうか。ディオが何を考え企んでいるのか見当もつかないが、きっとジョナサンにとってよからぬことであるのは間違いないだろう。
「シェリーか、じゃあ今晩は魚がメインかな?」
 席についたディオは白ワインをひとくち飲み、台車を運んできたメイドに聞く。
「当たりです、流石ディオさま!」
 料理が乗った皿を並べながら、彼女は嬉しそうに話していた。年若いメイドたちの中にはディオに憧れるものは少なくない。彼女もその一人なのだろう。 
 ジョナサンの目線の先は、彼女とディオの胸元を見比べていた。女性はコルセットでウエストを締めバストを強調するが、ディオはジャケットの中に着込んだベストで胸を締める。
 見せ付けられるためにあるモノと、隠されるために存在しているモノ。同じ場所でも、秘密にされるほうが、男の探究心はそそられた。
 口の中が乾いて、ジョナサンは一気にグラスの中身を飲み込む。
「いい飲みっぷりだな、ジョジョ」
 開けた途端にディオはグラスになみなみとワインを注ぐ。もっと飲めと言わんばかりであった。
 空きっ腹には少々くるものがあったが、アルコールに強いジョナサンはこのくらいの量で酔いはしないので、さらに呷った。グラスをあける度にディオは唇をゆがめて笑っていた。
「あまり飲みすぎてはいけませんよ」
 執事は、ジョナサンにではなくボトルを持つディオを諌めた。うまく本質を隠しているディオに対し、少しだけ執事は警戒していた。執事も杞憂で済めばいいのだと思ってはいるのだ。
「そうだな、父さんがいないからってハメを外しすぎちゃいけないよなァ」
 冷たい目でディオは執事を一瞥したのち、ボトルをようやくテーブルに戻し、ジョナサンは終わりの見えそうのない酌から解放されたのだった。
 ディオの予想通りに夕飯には鮭ののパイ包み、サーモンウェリントンが出され、ジョナサンもディオもあれから沈黙し続け、静かな晩餐は終わった。

 朝も昼も、午後のお茶も夜も、常にジョナサンは空腹を目一杯満たしていた。それなのに、何か口にしたくなった。口寂しいとは違った感覚だ。煙草を吸う気分でもなかった。
 心の中で渦巻いている思いが、いつ破裂してもおかしくはない。だが、理性や良心が欲の足を止めている。これが正しいと、ジョナサンは従った。
 落ち着かない体を治めたくなったので、一度風呂に入ろうと部屋を出る。湯の用意があるのを確かめ、ジョナサンはバスルームへ向かった。
 年頃を迎えるまで、ジョナサンの湯浴みには幾人かのメイドが手伝いをしていた。母よりも少し年下くらいの、大人の女性だった。
 生活の全てを使用人に手伝って貰うのは、貴族としておかしいところは無い。だけど、人並みの少年らしい感情からすれば、正常に育ったジョナサンにはだんだんと恥ずかしさが出てきていた。これもきっとディオの影響なのだろう。
 恥ずかしいと思うきっかけは、同じ年のディオがそれは恥ずかしいことだと決めたからだった。その陰口を同年代の少年たちに言いふらされたら、ジョナサンの常識も揺らぐ。
 もし、ジョナサンが一人っ子で居たならば、今も裸の自分の周りにはメイドたちが並んでいたかもしれないと頭から湯をかけてジョナサンはふと思った。
 何もかも自分でやるのがきっとディオにとっての常識で、ジョナサンは何もかもを手伝ってもらって生きるのが普通だった。真反対の世界からやってきたディオは、ジョナサンを変えていく。周りや本人たちは気づいていないだろうが、ジョナサンの甘えた性格は改善されつつあった。ディオに厳しく接さられることで、ジョナサンに自立心が芽生えていた。
 
 風呂から出て、寝巻きに着替えても、眠気は訪れそうもなかった。昨夜はほとんど眠ってないのにも関わらず、だ。
 考えないようにしていても、ディオの顔がジョナサンの頭にちらついた。歪んでいる笑みの唇の厚み、奥にある白い歯。一生分の口付けを、昨日の晩で使い果たした程だったのに、物足りないと感じている自分がいた。
 乾ききっていない襟足から、首に水が流れた。戻る場所は決まっているのに、一歩一歩が遅かった。思わずため息も出る。内側に篭る気持ちは、胸の中だけでなく、体までもどんどんと重たくなっているようだ。
 ジョナサンの自室のドアノブが軽い、扉が完全に閉められていない証拠だった。手にした瞬間におかしいと思ったし、部屋に入れば更に変だと思った。
 薄い煙の中に、異国の香が鼻をくすぐる。癖の強い香りに、ジョナサンは立ちくらんだ。
「……ディオ?」
 甘すぎる匂いは、花だけのものじゃない。香りの元を辿ると、ベッドの下には陶器らしきもので出来た蛇のような、蜥蜴のような、見たことのない生き物の形をした香炉が隠し置かれていた。
 大きく開けた口や、鱗の部分が数箇所あいていて、そこから煙と共に強い匂いが吐き出されている。持ち上げたときに、思った以上に煙を吸い込んでしまったジョナサンはむせ返った。
 それが何なのかは分からないが、体には悪そうだというのは分かる。窓を開けて、ジョナサンは香炉の中身を外に捨ててしまった。もうほとんど燃え尽きていたのか、粉々になった灰だけであった。
「すごいな、これ……」
 窓を開けたが、香りは一向に無くなってはくれなさそうだ。これがディオの言っていた『借り』なのか。確かに、これではゆっくり眠れそうにはない。彼らしくはないが、仕返しと言えば仕返しだ。ジョナサンは軽い頭痛を覚える。
 ベッドに腰掛けて、痛み出すこめかみを押さえてみる。この香りをひと嗅ぎするごとに、頭の中を掻き回されるようだ。気分が悪くなってきたジョナサンは倒れこむようにベッドに横になった。


「フン……、即効性と言ってたわりに結構時間がかかったな」
 おぼろげな意識の遠くに、ジョナサンはディオの声を聞く。
 体から伝わる振動で、今自分が横になっているベッドにその人物が乗りかけているのだと分かった。スプリングが軋んだ。
「……オ……」
 覚醒しかけてはいても、指すら思ったように動かせず、ジョナサンは消え入りそうな声で名前を呼ぶ。
「起きてるのか」
「………………ッ」
 ディオの冷たい手が、ジョナサンの熱を持つ顔に触れる。その温度差にジョナサンはどきりとした。
「動けないし、声も出せないだろう?」
 触れたまま、ディオは指先でジョナサンの頬を撫でた。たったそれだけの動作に、ジョナサンはゾクゾクと体の奥から何かが駆け上がってくる気配を感じた。
「阿片か、クロロホルムか、どちらにしようかと思ったんだが、それよりもっと良いものを勧めてくれてね」
 軽く爪を立てながら、ジョナサンの頬をディオは指先でなぞっていく。頬から、顎の裏を伝い、今度は反対の頬に行く。
「女に悪戯するなら、……ってね」
 指の腹は、ジョナサンの唇にあてがわれた。ゆるく押し付けられ、やがて唇の間に爪の先が入り込んだ。
 無抵抗のジョナサンは、されるがままにディオの指を受け入れる。上唇を摘まれ、柔らかい粘膜を爪でえぐられた。
「……! ゥ……」
「ぼくは、おまえなんか興味ないよ、ちっとも、これっぽっちもな」
 ジョナサンは口の中に血の味がしたことで、唇の内側が切れたのだと知った。
「だけど、ジョジョ、ぼくは借りは返さないと気が済まない質でね」
 指を離したディオは、ジョナサンの太い首に手をかけ、かすかに動く喉仏に親指をあてた。
 触れられた場所に力が込められ、ジョナサンは首を締められると思い、体を強ばらせた。うつろだった目は、思わず閉じてしまった。
「ウッ……!!」
 息がつまり、ジョナサンはもがいた。鈍い反応を示す腕を持ち上げて、ディオの手を外そうとした。ほとんど力は入らず、ただ肌の上をかすめるばかりだった。
「ふふ、……」
 苦しむジョナサンの顔の目の前で、ディオは不気味に笑んだ。ぼやける視界にただ美しく歪む唇の赤が映った。殺されかけているというのに、ディオの唇がジョナサンは綺麗だと思ったのだ。
 吐息がかかるほどにディオは近づき、やがて肌が合うほどになり、そしてとうとう唇は重ねられた。
「……ンッ?! ……く」
 首を締める手は、呼吸が出来るか出来ないか、曖昧な力加減であった。苦しいことは苦しいが、死に至るまでの強さは無い。
 重なる唇は、とても柔らかく、しっとりと濡れていた。ジョナサンが自分からするキスは、深いものばかりだ。ディオは閉じた唇をくっつけているだけの、可愛いキスだった。
 舌が絡まないので、ジョナサンは唇から感じる柔らかい触れ合いに浸った。
「あ、……っ」
 唇が離れると、手も離れた。やっと自由になった喉は、音を立てて酸素を吸い込む。ディオは一度体を起こすと、靴を履いたままベッドに乗り上げジョナサンの体を跨いで伸し掛った。
 ディオは、たとえ入浴したとしても、自分の部屋以外では寝巻きに着替えない。シンプルなシャツとズボンだけの簡素な格好は、つまりディオは風呂上りなのだということを示していた。
 首をしめられた時に、ジョナサンは抵抗しようと無理やり体を動かしたおかげで、大分感覚が戻ってきていた。さっきまでは指がぴくりともしなかったが、今はきちんと動く。そっと気づかれないように、ジョナサンは確かめた。
 金色の髪が少し乱れて顔に影を落とす。ディオはジョナサンの寝巻きのボタンを外していった。ボタンにふれられた時、ジョナサンは乱暴に引きちぎられるかと思ったが、ディオの指の動きは意外にも繊細だった。
 筋肉で盛り上がった胸板は、ほんのり日焼けしている。肌が出ない部分は比べて白かったが、ディオの白さとは違っていた。
 腹の下までのボタンが外されると、おもむろにめくり上げた。ディオは黙ったまま、じっとジョナサンの裸体を観察していた。
 急に曝された肌は粟立ち、ジョナサンの乳首は立った。
「おまえだって同じじゃあないか」
 人差し指で、ディオはジョナサンの固くなった乳首を押し潰した。豆粒のように丸く、乳輪もさほど大きくない。ディオのものとは違って目立ちようもない質素なものだった。男としてはそのほうが理想だろう。
「う、」
「なんだよ、もっと声出せよ」
 指先で軽く摘み上げ、もう片方の手ではディオはジョナサンの乳輪に生える毛を引っ張った。ブルネットのジョナサンは、無駄毛が濃くて太い。乳の周りだけじゃなく、胸板にはディオにはない茂みがあった。
「……ンッ、つう……!」
「フフ、痛いか?」
 乳首の毛をいじるのをやめ、ディオはその胸にある茂みに手を出した。指先で絡めて、引っ張りあげると、ぷちっと小さな音を立てて毛が抜けた。その度にジョナサンは片目を瞑って痛がるので、ディオは何度も繰り返して楽しんだ。
「ディオ……ッ!」
 くすくすと笑うディオは、次にジョナサンの胸に顔を埋めた。舌で毛を抜いたところを舐めると、ジョナサンはひりつく肌に反応した。
「ディオ……やめ……」
 痛みと擽ったさの間の得も言われぬ良さは、ジョナサンの下半身に血流が集まっていく。ディオは舌先を尖らせて、ジョナサンの胸を舐めた。小さく出された舌先が、ゆっくり移動し、ジョナサンの勃起した状態の乳首をツンとつついた。
「……! んッ!」
 舌の先で数回、つん、つんと叩き、乳首の縁をくるりと一周すると、ちゅっと音をさせて、口の中に包み込んだ。
「ディオ……ッ!」
 片手はもうひとつの乳首をつまんで、くにくにと捏ねる。ジョナサンはまさか自分もそこで感じるとは思えなかったが、ディオがしているのだと実感すると、喘ぎが漏れ出しそうになる。
 口の中で遊ばれるのは、されている側はどう舌が動いてるのか直接的に伝わり、ディオが自ら淫らに行っていることがジョナサンの性感を刺激した。
 じゅる、と水音がし、ディオがヨダレを垂らしているのが分かる。ジョナサンは押し倒されているのだが、揺れ動く金髪の頭が乳飲み子のように必死に見え、愛おしくなり、その小さな頭を抱いた。
 重たく頭に乗った手をディオは振り払うと、涎に濡れた口元を拭って顔を上げた。
「同じことをされて、屈辱か? 恥ずかしいか、ジョジョ?」
 答えてみろと顎をしゃくり、ディオはジョナサンの髪を掴んだ。前髪の下にある眉毛は下がり、眉根には皺が寄っている。我慢している苦悶の表情があった。
「……ディオ……っ」
「まだ堪えられるようだな」
 胸元に置いてあった手は、またジョナサンの乳首を摘んだ。今度は強く、爪も立てた。
「イッ……!」
「フン! 何とか言え! 許しを請え!」
 両の乳首を摘まれ、ディオは上へと引っ張った。痛ましく皮が伸びた。ジョナサンの肉体は流石にそれは快感として受け入れなかった。
「……いいよ、」
「なに?」
 ジョナサンは腕を伸ばしてディオの耳にふれ、それから髪の中に手をすべり込ませる。どれもディオの弱い場所ばかりだった。
「ん、うっ」
 高い声が上がりそうになり、責めていた手を思わずディオは引っ込めて、自身の口を塞いだ。
「きて、……ぼくを襲ってよ、ディオ……」
 頭のうしろを優しくなでると、ディオは跳ねて腰を上げた。口は手で押さえているので、吐息だけが漏れ聞こえていた。
 ジョナサンはもう力を取り戻していた。まだ心なしか、頭はぼんやりしているけれど、目の前にあるひとを確かに抱きしめられる。
 左の手をディオの背中に回し、そっと自分の元に寄せた。ゆっくり倒れこむディオの体を抱きとめると、ジョナサンは目を閉じた。
 薄くあけた唇はキスを待ち構える。導かれるままにディオは、ジョナサンに再び口付けをした。
  

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