猛獣使い 1
随分髪が伸びたんじゃないかと、襟足の上っ面を撫ぜられた。学友に罪は無いけれど、無遠慮なその行動がぼくはとても不愉快だった。「ああ、そう言えば最近視界が悪いと思ってたんだ」
前髪は横から後ろに流し、まとめあげて結ぶのが癖になっていたので指摘されるまではあまり気にしていなかった。
季節は、貴族たちの言う所謂”ロンドンシーズン”の最盛期。4月の復活祭のあたりだ。
社交場へ足を運ぶ日々が8月の終わり頃まで続く。本来ならばきちんとした正装をしなければいけないので、髪は短く切ってしまうべきなのだろう。こんなうなじが隠れる長さなんて以ての外なのだ。
学業を言い訳にして忙しく駆け回っていたら、いつの間にか肩をかすめる長さになっていたのだ。
結んでいた紐を解くと、不揃いの金髪が首筋をくすぐった。
「ディオ、そうしているとまるで少女だね」
馴れ馴れしく名前を呼ぶなよ、と内心思ったが、もうすっかり染み付いてしまった天使の微笑みを向けてやる。
「それ、口説いているのかと思うぜ」
わざと靡かせた髪の毛から、自分でも嫌になるくらい清潔な石鹸の香りがした。
名も覚えちゃいない学友の息を飲む音が聞こえる。
――冗談の通じないやつだ。
ぼくは、風に髪を自由にさせながらその場をあとにした。
「多分……、冗談に聞こえなかったんだよ」
「……ハァ?」
ホール内は、ざっと数えただけで2、300人は居るだろうか。
社交のシーズンともなると、一斉に貴族たちがロンドンへ集まる。勿論ジョースター家も例外ではない。
子どもの頃は1年のほとんどをカントリーハウスで過ごせていたが、10代も後半になると義理父の代行で議会やクラブに向かうことも多くなり、仕方なくロンドンのタウンハウスへ移らなければならなかった。
ディオにとって、ロンドンは懐かしい場所では無く、出来れば赴きたくはない所だった。
そうして今まではジョースター卿、父の代わりとしてジョナサンとディオは様々な社交場へ出かけていたのだが、このような舞踏会と言われるものは、代理ではなくジョナサン・ジョースターとして、ディオ・ジョースターとして招待されていたのだった。
長身であり、見目の整いきった兄弟の二人はどのような会に呼ばれても必ず目立ってしまう。そして、毎度毎度休む間もなくダンスを強要されるのだ。レディからの誘いを断る術などはジェントルマンの辞書には載っていないのだ。
そうでなくとも、『ジョースター家の跡取り』と言うだけで、淑女たちは色めき立つのだろう。
立て続けに数曲踊り終え、なんとか、どうにかして、ホールの次の間に用意された休憩に使われる部屋で一息つくことが出来た。
とは言え、どこも混雑には変わりない。部屋のそこかしこから、自分たちの噂話が漏れ聞こえてくる。
わたくしはやっぱり蜂蜜色の彼が一番相性がいいわ、だとか。瑠璃目はすぐ赤くなるから可愛いわよ、などと中にはかなり品の無いことまで好き勝手言ってくれてるのだ。
ディオはジョナサンの顔を改めてまじまじと見る。
――どこが良いんだか、こんな田舎育ちの泥くさいイモが。
「ディオ、君、気をつけたほうがいいよ」
「ん、それを言うなら、ジョジョ、君もな」
「え、なんで」
「そこら中で、発情した雌猿がおまえのこと狙ってるんだよ」
そんな悪態をついているとは思えないすまし顔の素知らぬふりをして、ディオは紅茶を流し込む。味は悪くないのだが淹れてから大分経ってしまっているのだろう、ぬるかった。
こんな酔狂な会ならば酒くらい出てもいいと思うのだが、どの会に行っても振舞われるのは紅茶に軽食ばかりだ。舞踏会は酔うためのものではないし、あくまで踊りと会話がメインなのだから仕様のないことだ。
「君ね、もう少し言い方ってものがあるだろう……」
「フン、じゃあ雌犬か雌猫だな」
あまり兄弟だけで話していても、良からぬ噂を立てられてしまう。長居は無用であった。十数曲目の音楽がかかる、そのタイミングでディオはホールへと戻っていく。
後ろ手に軽く手を振られ、見えやしないがジョナサンは小さくそれに応えて右手を広げた。
ディオの背中には伸びた金の髪に黒のリボンがよく映えていた。歩くたびにその金糸は、さらと横に揺れて、なんとも言えぬ色香を誘った。
紳士であるならば、髪は短く揃えられたものが正装である。
なのでディオの長髪は斬新であり顰蹙ものだった。
初めこそ周りの目は痛いほどに突き刺していたが、そのような視線など跳ね返してしまうほどにディオは「美しかった」。
やがて顰蹙は羨望へと変化していった。
誰にも出来ないことを平然とやってのけるところがまたディオを輝かせてみせた。
そうだ、彼は特別なのだ。
ジョナサンは、体はなんとも無かったのにひどく疲れていた。もう今夜は我が兄弟にこの場は任せてしまおうかと思う。
ホールからは賑やかな曲と談笑が混じりあって、深夜に似つかわしくない騒がしさがあった。
相変わらず、レディからのお誘いはあったがそこは謝り倒してやりすごしていた。断ることもうまく出来ないので、なんとなくその場をやり過ごすという、情けない逃げ方をしていた。
――もし抜け出して勝手に帰ったりしたら、父からもディオからもそれはもう怒られるのだろうなぁ。
ジョナサン・ジョースターとは世間では生真面目で、物静かな男と評されている。
それも事実なのだけど、それだけでも無い。人並みに悪戯心だって怠惰な面だって持ち合わせている。
ただそれを隠すのが人より巧みなだけなんじゃあないかとジョナサンは己を分析する。
でも時折、そういった自身の裏側がコントロール出来ない日もある。
野性的な本能、理性の欠片もない自分がいて、きっかけひとつあればそれは自我で抑えがきかないものになる。
その「きっかけ」とは一体何なのか、未だに理解しきれていない。
感情が許容量を超えた時、なのだろうか。
思い返せば、いつもそれはディオが原因だった気もする。
自分の限界を超える時、偶然か必然かそばにはディオがいた。
「ねぇ、ジョースターさん」
流行りの中国製の陶磁器のカップには、熱い新しい紅茶が注がれていた。ここに来て何杯飲んだだろうか。茶葉に詳しくないジョナサンは、味の違いが分からない。「おまえ、本当に英国人か?」とディオに宇宙人を見るような目で罵られた子ども時代の記憶がふっと湧いて、ジョナサンは鼻からため息をもらす。
「聞いてらっしゃる? 黒髪のあなたのことよ」
「えっ……あ、」
いつの間にか一人の少女が隣に座っていた。茶色の巻き髪に淡い緑の丸い目はレディと呼ぶには少々幼い印象を持った。しかしここに居るということは、社交界デビューに相応しい年齢なのだろう。
「あなたが”ジョナサン”ね」
「ええ、初めまして」
「私、あなたにお聞きしたいことがあるの」
名前を聞く頃合を逃してしまった。ジョナサンにとって特に必要性は感じないが、失礼があってはいけない。
けれど少女はそんなことより自分の聞きたいことに重きを置いていて、細い指で口元を少し隠して小声で尋ねる。
「金髪の彼とあなたはご兄弟なのよね?」
「ええ、まぁ」
「それにしたって、ちっとも似ていないわ。あなたは深いブルネットなのに彼は見事なブロンドだもの」
「ああ、それは……」
――義理の兄弟だから、と出かけた言葉が口の中に留まった。どちらにせよいずれ知られることだし、わざわざ自分から言いふらすことも無いだろう。
それにジョナサンは気づいてしまった。ディオが先ほどから鋭い視線でこちらを見ているのだ。
耳聰い彼なら、聞こえてしまうかもしれない、その恐怖がジョナサンの口を噤ませた。
彼自身に恐れをなしているのでなく、ディオの気に障るということが怖いのだ。
本人がいない所でぺらぺらと個人的な情報を話すなど、ディオは嫌うだろうから。
「あっ! まあ、どうしましょう。彼”ディオ”がこっちを見てるわ……ジョナサンお願い、もっとそばへ来て」
そっと耳打ちされ、太ももに小さな掌が乗せられた。
この手のやり方は嫌という程覚えがある。
日々マヌケだの鈍い阿呆だの貶されてきた自分でも、さすがにこれは分かりやすかった。
確実に言える、この少女はディオに思いを寄せている。
必死に気を引こうとする姿は手馴れた淑女のものより稚拙で初々しかった。恋する乙女とは健気だが痛々しくて、可愛らしい。
そして、煩わしい。
「ジョジョ、この可愛らしい彼女は?」
少女のお目当ての彼はぼくたちの目の前に立ち、高い背を屈めて少女の顔を覗き込む。少女の手は緊張でびくりと痙攣した。ぼくにもその緊張が伝染して、体が固まってしまう。
切れ長の涼やかな目元には間違いなく怒気が含まれていて、睫毛まで鋭さを増したように見える。しかしそれすらも整っていると、頭の隅で思う。
「お嬢さん、我が愚兄はあなたに粗相はしませんでしたか」
「いえ、そんな……」
「例えば、あなたの名前を聞かなかった――とか」
ジョナサンは片手で頭を抱えた。
――ああ、やっぱり。
少女に向けた妖艶な笑みのままこちらを向く、わざとらしい笑みから次第に凍てついた厳しい目つきにゆっくりと移り変わっていく。
「あ、いえ……その」
「そうでしょう、ぼくの心配した通りだ。何とお詫び申し上げればいいか」
ディオはぼくの太ももに乗っていたままの少女の手を取り、ごく自然な動作で手袋の布越しの手の甲に唇を寄せたのだ。
周りの淑女のざわめきが聞こえてくる。ぼくはずっと呆気に取られていた。
ディオは、人前で屈しない。唇を許すことなどあり得なかった。公爵の娘だとしても、彼の高い気位は頭を垂れることはないのだから。それが今、どこの誰かも知らぬ幼い少女の手にディオの尊厳の証が破られているのだ。
誰だって驚くだろう。
「これでどうか許して頂けませんか?」
「…………あ、……っ……う」
少女の隣でディオの上目遣いをぼくまで拝むことになった。
ああ、まさに、殺し文句だ。
どんなに身分の高い女性でも、手の付けられない御転婆な少女でも、この目に射抜かれない女は居ないだろう。
現に茶髪の乙女は、言葉を失ってお粉を塗った頬のそばかすが見えなくなるくらい顔中を真っ赤にさせている。
「では、ぼくはジョナサンを躾け直さなくてはいけなくなったので、――失礼」
半ば強引に腕を引っ張り上げられ、ぼくはディオに背中を押されながら休憩室を出ることになった。
ホールの人ごみの中をどんどんと進み、庭先に出る硝子扉の前でようやくディオは立ち止まった。
「丁度いい、外に出るぞ」
田園の邸とは違って見渡す限りの草原とはいかないものの、この邸はタウンハウスの中でもかなり広い土地を所有しているようだ。
会は後半に差し掛かってはいたが、まだ終わりは見えない。こうして抜け出て一息入れたって構わないだろうと思った。
「あんな台詞吐いておきながら、結局彼女の名前聞いてないじゃあないか」
「御生憎様、乳臭いガキには興味ないんでね」
切り整えられた植木の葉を一枚むしり、ふっと息を吹いてディオは葉を夜風に飛ばした。よくストレスを発散させるためにやる癖だ。
「大体、ぼくが散々注意したって言うのに、なんてザマだ」
「いや、あれは……」
「あんな雌餓鬼にへらへらして、恥ってものが無いのか?」
「へらへらなんてしてないよ、それにあの子はぼくに気なんて無かったんだから」
「ふうん、あんなに体を密着させておいてね。無い乳をコルセットでかき集めて寄せてただろ」
「……あの少女は、君に気があったんだよ……」
「……ハァ?」
人のことを、間抜けだとか、鈍根だとか罵るわりに自分に対しての好意、主に下心に鈍感すぎるのでは無いかと思う。
「ディオ、さっきと同じだよ……君のほうこそ心配だな」
耳前に伸びた髪の束が、汗でほんのり湿り気を帯びて肌にくっついている。毛先が唇に入りそうだったので、それを人差し指で退けてやる。
冷たい風が二人の間を吹き抜ける。今のふたりには却って心地いい温度だった。
「たとえば、ぼくは…この髪だって気掛かりなんだ」
そのまま毛束を耳にかけてやる、ふっくらとして少し赤みのある耳たぶが露出し、ディオの特徴のひとつであるほくろも見えた。
視線を外して、お互いの体ばかり見て話している。何だか妙に可笑しかった。
「君は普通にしていても目立つのに、どうして髪なんて伸ばすんだい?」
「そんなのぼくの勝手だろ、おまえの許可を得なければいけない理由なんてあるのか?」
小虫でも払うかのように鬱陶しげにぼくの指をどける。
闇の中のはっきりしないこの状態がぼくに都合のいいものを見せているのだろうか、触れていた肌がほんのりと紅潮しているように見えていた。
「うん、駄目だよ」
「命令するつもりか、このぼくにッ!」
見慣れぬ人にとっては、ディオが憤慨する様子に衝撃を受ける人もいるだろう。既にそれが日常なぼくにとっては子猫の癇癪のようなものだ。
麗人は何をしても綺麗なのだと言うけれど、ディオの場合は怒った表情はより美を際立たせている。きりりとした眉は強さを表し、肉厚の唇が感情の昂ぶりで赤みを帯びる。いつも冷たく鋭い目つきをしている瞳は、怒りの感情を持つと熱っぽく潤むのだ。
それを知っているのは世界でぼくしか居ないのだと思うと、不思議と心が満ちる。奇妙な思いだった。
「君は美人だから」
「は、あ?」
遠まわしな言動はディオには届かないもので、直情的に、ストレートに伝えるのが一番だ。
「だから、心配なんじゃあないか……」
ぼくはディオの髪のリボンを解く。滑らかな質感のそれはするりとほどけていった。
さらさらとしている彼の髪に指を入れて感触を味わった。指通りが良く柔らかだ。初めてこんな風に触れたのに、自分の肌によく馴染む。いつまでもこうしていたいとすら思う。
「ジョ、ジョジョ……?」
驚きが目に表れていて、怒るべきか怖がるべきかとディオはどっちつかずな顔をしている。
「本当に自分のこととなると、分からないんだね」
「え?」
影が目の前に落ちてきて思わずディオは目をつむってしまった。
体中に神経を張り巡らせてみたが、何の接触も無い。――……と思っていた。
ジョナサンは、ディオの髪にそっと口付けていた。
ディオの眼前には太い首がある、リンネルのシャツと白のタイ。紛れもない男の香りが立ち込める。
「……っ…………!!」
何でもいいからディオは相手を罵る言葉が欲しかった。
邪魔だとか、どけだとか、どのようなものでも構いはしないのにそのどれもが喉から先に出てこない。
代わりに、「あっ」、「うっ」などといった呻き声だけがぽろぽろ溢れた。
「……ぼくは、恥ずべき人間だ。これではとても紳士とは言えないな」
そう思うんだったら、さっさとやめろ! とディオは叫びたい。それが叶わないのは腕や足は硬直していたからと、声を発するより息を整えることに必死だったからだ。
「う……っ」
ディオの肩にジョナサンは額を乗せた。かき抱きたい欲を抑えこんで我慢をした結果、妥協で寄りかかったのだ。
男の頭部とは、思いのほか重量があった。ほのかな石鹸の香りが鼻につく。それは自分の髪と同じ香りだ、住んでいる家が同じだから当たり前なのだが。
だけど、汗に交わると全く同じものにはならなくて、その違いがディオの胸をざわつかせた。
「こんな卑しい感情に振り回されるなんて、……自分でも情けないと思うよ」
――何がだッ。
首を反対方向へ曲げて精一杯拒んだ。悔しいが、それくらいしか出来ることはなかった。
嗅ぎたくなくても、嫌でも息をすればジョナサンの体臭を感じてしまう。その所為で動悸がするのも屈辱だった。
――このディオに対してなんでコイツはいつも……ッ!!
「ぼくは、妬んでいるんだ」
突如ジョナサンはとても弱々しい姿になった。その姿はディオの中でだんだんと力を蘇らせてくれる。
これならもう平気だ。拳を握れば力が込められる。
「おいおい、よしてくれよ、このぼくに嫉妬するなんて」
「違うよ」
ふと、額が浮く。肩に残った熱がじんわりと冷めていった。
軽口を叩いて、いつも通りにからかって、それで済めばいい。ディオはそうしたかった。
この妙な空気、どう違うかとは言えないのに、身に覚えがある。
皮膚はじりじりと危機感を持っていた。
「ぼくが嫉妬したのは、君の友人や、あの少女にだよ」
「……なに、が……」
薄暗い中に蒼い目が光る。
その目に捕まると、わけも分からず動けなくなってしまう。ディオはそんな自分がたまらなく嫌だった。
「ディオ……」
――呼ぶな、呼ぶな。気安くぼくの名前を呼ぶんじゃあないッ!!
「ぼくは、どうしても君にだけは本能が剥き出しになる」
これ以上は無い筈だった自分の喜怒哀楽の全てが100%を超えさせる。
憎しみや惨めさや、妬み、ジョナサンと縁の無かったこれらの感情はどれもこれもディオが芽生えさせてきたものだった。
ジョナサンは微塵も望んではいないのに、ディオは人間の最も醜い心の部分を引きずり出してしまう。
それがディオの意思だとは限らないが、そうさせてきたのだ。
だが、ネガティブな面だけではない。その分、喜びも教えてくれるのだ。
知り得なかった悦楽、新しい特別なそれらはディオだけが授けてくれる。
「あ……!!」
漏れた声は意外にも可憐だった。
「駄目だよ、そんな声出しちゃあ」
かっと目を見開き、その後すぐに嫌悪感いっぱいにして蔑んだ瞳を向ける。背けていた顔は正面に戻り、先ほどよりお互いが近づいていると気付けなかった。
「き、きさまァ……!!!」
足の隙間に太ももが差し入れられ、ディオの腰骨に力強く存在を示すものがあった。熱を持ったそのものをぴったりとくっつけられている。
ようやく理解出来た時には、羞恥と憤怒で瞬く間に血液はディオの顔面に集中していった。
「畜生以下のクズめがッ! この恥知らず!! 何おっ勃ててやがるんだッ!!!」
「ぼくだって嫌気がさしてるさ、でも」
決してジョナサンは無理に掴んだり抱き寄せたりはせず、身体をくっつけていただけだった。
だからディオは逃げようと思えばいくらでも逃れる状況だった。それでも「離れられない」のは、ある感情がディオにも生まれ始めていたからだろうか。都合のいい解釈がジョナサンの思考によぎっていた。
「みんな君の所為だよ」
熱のこもった吐息が頭皮に伝わる。ジョナサンが言葉を発する毎にディオの体温もまた上昇していく。
「君が誰かに好意を寄せられてると知らされると、ぼくはむかむかして心苦しくて…、なのに君はそんなことも分かっていないし」
「だ、……だからって何で、そうなるッ?!」
「え? ああ、これのこと?」
当たっていた箇所を更に押し付けてくる。思わずディオは腰がひけてしまった。
「さっき、あの子の手にキスしただろう。あの時の上目遣いを見てから、……興奮しちゃって」
――あれくらいで?!
ズボン越しに触れるそれは、ディオにとって凶悪なモノにしか思えなかった。
ここ数年でジョナサンの体躯はまだ育っている、元々人よりどこも規格外だというのにそれでも尚且つ成長中なのだ。
そして性に対して過剰に敏感な年頃でもある、その「あれくらいで」も、興奮するものはする。
「それに、ぼくの思い違いでなければ……君だって嫉妬しているように聞こえたんだけど」
「するものか! 誰がきさまに!!」
「そうかなァ……」
図々しく顎を肩に乗せられ益々身体は触れ合う所が増える。
たくましい胸筋やかたい腹がディオを変な気分にさせてしまう、とてつもなく不可解で不愉快だった。
「でもディオ……ぼくは、君にこれを鎮めてほしいよ……」
「やっ、アッ!」
油断していた手指が掠め取られたかと思うと、ディオにとって醜悪な熱源へと指先は誘わられた。求める人物の手にソコは悦び打ち震えた。まるで別の生き物かのように、どくどくと脈打っている。
「本当、そんな声出してはいけないよ、ディオ……」
男にとって、性器とは凶器でもあるが反対に弱点でもある。ただ、ディオ自身が抱いた感情は自身が信じたくない「恐怖」にかられて、触れたくないという思いが強まってしまっていた。
「やめ……ろぉ、手を、離せ……ッ!!」
「あんまり可愛い声出されたら、このまま出してしまいそうになるから……」
ぼそぼそと耳の裏で話されると、鳥肌が立つ。ディオは嫌悪からくるものだと思い込んでいたが、肉体は確実に快楽を高めていた。みっともない声を上げたくないと思っていても、柔い甘ったるい声が止められない。 まるで女だ、雌だ。そのことが悔しくて仕方ないのに息が上がって上手くいかない。
意に適わず相手を煽ってしまう。そんなことしたいわけじゃあない、でも、どうしようも出来ない。
「離せっ……! このぼくが……きさまのお粗末なモノなんか、……クソ! 握りつぶしてやる!!」
「どうして? ……あの時はしてくれたじゃあないか」
「ううっ……!!」
思わずディオは目を伏せてしまった。
忘れたい思い出だ。お互いが無かったことにしていた少年の日の過ちが再び繰り返されようとしている。
「あれは、気の迷いだったんだ……!」
「ふうん、そんなこと言うんだね。……よく覚えてるんじゃあないか」
「若気の至りだッ」
過去のことはもう過ぎたことだ。そんな昔の自分の行動に縛られたくはないと思っても、事実を突きつけてジョナサンはディオを脅している。
はっきりと二人の間に契りがあったわけではない。しかし今のこのディオの様子は誰がどう見ても「完全な拒絶」は見られない。揺れる心をジョナサンが見逃すはずが無かったのだ。
「嘘はよくないよ、ディオ」
「ンっ! う!」
耳殻を甘く齧ってやると、ディオの膝は一瞬力が抜けた。益々上がっていく息を落ち着かせようと、口元を手で押さえる。
右手はまだジョナサンに拘束されていて、やんわりとソコに当てられていた。
「この際、もう君の気持ちがどうとかは追求しないから」
ジョナサンなりの最後に残っていた紳士らしさの表れだった。
何も無理に言わせようとは考えていなかった。いや、それよりも単に射精したい気持ちが上回っていただけかもしれない。
「この熱を君で治めてくれ」
布越しに宛てがわれているだけの刺激はじれったくて、自然と腰が揺れる。
その動きに顔を顰めて引っ込めようとするディオの手首を、ほんの少しだけ力を込めて握る。
「断る!」
その嘆願をディオは躊躇いもなく切り捨てた。当たり前だった。
「何も口でしてなんて頼まないからさ……」
「ジョジョ、きさま、このディオに口でしろと言う気だったのか?!」
ジョナサンは男ならそう思うだろ、と言いそうになってやめた。
別に誰にでもってことじゃあない。好いている相手にならそうして欲しいと、一度はそう妄想するものだ。
あの赤い口の中の感触を、男のここで味わってみたいと。
「いや、してくれるなら口が望ましいってだけで」
ディオは全身の毛を逆立てる勢いで刃向かってくる。
「ふざけやがって……きさまの汚らしいモノなんか、誰が!!」
長い前髪の間から見え隠れしている充血気味の目は、潤みが増していた。
「でもあの日のこと忘れたんじゃあないんだろ、ぼくはちゃあんと記憶しているよ。君が仕掛けた悪戯だったのに、先に本気になったのは君だし、先にイッたのもき」
「それ以上!」
「ンぐッ」
言葉を遮る左手はジョナサンの口周りを塞いでいた。
「それ以上口走ったら殺す!!」
形のよい眉はこれでもかと釣り上がって、瞳の奥は本気の色を見せていた。
このまま苛め続ければ、その内泣き出すかもしれない。それもいいなと、ジョナサンは嗜虐心に火を灯しそうになる。
だがあまり事を急いては、楽しみも減ってしまう。欲を持て余しながらも、頭の中では冷静に段取りをつけていた。
そしてディオは何か見切りをつけたかのように、諦め半分と企み半分といった所の顔つきになった。
「…………これっきりだからな、もう、絶対に! 何が何でも、天地がひっくり返ろうとも! 金輪際しないからな!!」
「分かった、了解」