ずるずると愛し合ったって仕方ないだろう、こんな意味のない関係 1

      一

 ジョナサンは、ジョースターと言う名字であった。故に名前と名字の頭をとり、省略してジョジョという愛称になった。自分の父親もジョージという名前であったので、子
どものころは同じくジョジョと呼ばれていたらしい。
 だが、ジョナサンは家族以外からそのあだ名で呼ばれるのは、本当はあまり好きではなかった。

「ジョジョ、こちらにあがって来なさい」
 父親に言われて、ジョナサンは腕に抱いていた子犬のダニーを芝生におろしてやった。歩き出したジョナサンの足にダニーはじゃれついてきたので、思わず踏んでしまい
そうになって、すこしぎこちなく歩いた。
 ジョージはジョナサンが生まれたばかりの頃は、一年のほとんどをロンドンで過ごしていたのだが、妻を亡くしてからはすっかりふさぎこんでしまい、社交の季節が訪れて
もカントリーハウスを離れなかった。なので、ジョナサンはこの田舎の生活しか知らない。近い年の子どもも、このあたりには殆ど居らず、ジョナサンの周りには年上の召使
いたちや、ジョージの知り合いばかりであった。つまり、ジョナサンには友だちと言えるような気さくな間柄の人はいなかった。それでも、ジョナサンは幸福だった。なにひ
とつ不自由もなく、誰からも愛されて、狭いけれど暖かなこの世界が少年の全てであったからだ。

「やあ、初めまして」
 背の高いすらりと体躯の青年は、ジョナサンの目線に合わせて身を屈めて握手を求めてきた。
 泥のついた手を差し出すのが恥ずかしくなるほどに、青年は美しかった。白磁器を思わせる肌質は若さに輝いている。
「ジョジョ、何をしているんだね?」
 背の後ろに両手を隠して、もじもじと床を見つめるジョナサンを父親のジョージは軽く叱った。
 自分の泥のついた手で触れてしまったら、あの白い手を汚してしまうと思って、ジョナサンは控えめに指先だけを差し出した。
「フフ、人見知りなのかな?」
「さあ、ジョジョ。きちんと挨拶しなさい」
 ジョナサンはすぐに手を背の後ろに戻そうとした。けれど青年はその手を強く、ぎゅっと握ってしまい、どうしてかジョナサンは赤面してしまった。
「ジョ、……ジョナサン・ジョースター……です……」
 ますます顔を床に向けて、ジョナサンは小さな声で名前を言った。口をもごもごさせて言ったことが、あとになってからもっと恥ずかしくなった。
「ぼくは、ディオ・ブランドー。これからよろしく頼むよ、ジョナサン」
 それが二人の出会いだった。その時のディオの顔をジョナサンはまるで覚えていない。笑っていたのか、不躾な態度に眉を顰めていたのか。ジョナサンがはっきり覚えて
いるのは、青年の茶色の革靴がよく磨かれてぴかぴかと光っていたことだけだった。



      二

 大人の会話には、ジョナサンはまだ混ざれなかった。来年、十三歳になるジョナサンであったが、おそらく同年代と比べればずっと幼い心を持っていただろう。まだ幼児期
が抜けきらないような幼さが顔や行動に全面に出されていた。周囲の大人たちがジョナサンを甘やかして育てている所為でもあったし、彼自身がのんびりとした成長でもあったからだ。
 ディオがジョースター邸にやってきた理由は、ジョナサンがディオに聞いた話では「君のおにいさんになるため」だと言ってくれていた。流石に、それが子どもに対する方便なのだということが薄っすらとジョナサンにも理解できていた。
 ある夜、ジョージとディオが二人きりで話しているのをジョナサンはこっそり盗み聞きしたのだった。勿論、ディオがジョナサンに教えてくれた内容とは違っていたのだった。
「君のお父上には、まだ元気なうちにもう一度お会いしたかったものだ……」
「そうですね……、ここ数年はもうずっと寝たきりで病気も進行していましたし、一日のうち数時間しか意識もありませんでしたけど、ジョースター卿のことはよく懐かしそうに話してくれました」
「この手紙には、じきによくなると書かれていたが、私を気遣ってそう書かれていたのだな……」
「――ジョースター卿には、何もかも面倒を見て頂いて」
「私に出来ることなど、大したことじゃあないさ」
「ここに呼んで頂いて、大学まで通わせて貰えるなんて、本当に夢のようです」
「ディオ、君が気にすることはないよ、君は私の息子同然なのだからね」
「ありがとうございます。ジョースター卿」

 途切れ途切れの会話から、ジョナサンはディオの父が亡くなられたから、この邸にやってきたのだと知った。
 不思議と、ジョナサンはディオにシンパシーを感じていた。
 自分も母を亡くしていたからだろうか。ディオに対して運命的な感情をジョナサンは胸に抱き始めていたのだった。



      三

 不思議な気持ちは、急速に育っていった。
 家族でもあるが、他人でもあるディオは、ジョナサンにとって今まで居なかった存在だった。メイドや執事たちは、どんなに優しくてどんなに好きであっても、所詮「主人
と召使い」であったし、ジョージの仕事関係の知り合いや親戚たちは、ジョージを介さなければジョナサンにとっては、何の繋がりもない人達であった。
 『友だち』のようであり、そして『兄』のようでもあり、ジョナサンはディオを自分の中でどの立ち位置におけばいいのか、時々分からなくなった。
 ディオは絵画の中から飛び出してきたかのように見た目は美しく、それでいて頭もよく、運動は何をやらせても一等で、彼を慕う友人も多く、そして誰もが彼を褒めてい
た。全てが自分とは真反対の人間なのだと、ジョナサンはごく自然な流れでディオに憧れていった。
 そして、父親への好きや召使いたちへの好きやダニーへの好きの、そのどれとも違うような気持ちをディオに対して思うようになっていった。
 ディオに思うその不思議な気持ちは、何だかため息が沢山出て、夜は眠れなくなり、ジョナサンの体の奥のさわれない部分をむず痒くさせるのだった。

「ジョジョ、近頃あまりぼくと一緒にいてくれないんだね」
 ジョナサンは珍しく図書室で勉強をしていた。十三になれば、パブリックスクールに通うことは決まっていたので、父は入学まで出来るだけ勉強しておきなさいと、いつも以上に厳しくジョナサンに言いつけていたのだ。
「うん、もうすぐ学校に通わなきゃいけなくなるし……、これ、やっておかないと父さんに怒られるんだ」
 問題集の束をディオに見せて、ジョナサンは机に向き直った。
 ジョジョ、とディオに呼ばれると、ジョナサンは耳の外側から頭の芯が熱っぽくなるのを感じていた。
 出会ってしばらくは、ディオは「ジョナサン」と呼んでいたのに、最近になってたまに「ジョジョ」と呼んでくれるので、その度にジョナサンの心臓ははねた。それはきっ
と呼ばれ慣れていない所為だとジョナサンは思ったし、家族以外からそう呼ばれるのが苦手だからだと思い込んでいた。
 だがディオだけは特別で、決してそう呼ばれるのは不快ではなかった。でも何故かジョナサンの胸の中には痛みが広がった。
「勉強なら、ぼくが教えてやろうか?」
「え……っ、でも、ディオは忙しいだろうし」
「君だってヒュー・ハドソンを目指してるんだろう? ならぼくの後輩になるわけだ。だったら遠慮なんかするなよ」
 ディオはジョナサンの肩を触りながら、隣の椅子に浅く腰掛けた。
「ン? どこが分からないんだ?」
「あ、う……えっと」
 ディオはジョナサンの肩を抱いて身体を密着させてくる。ディオはジョナサンの目の前にある問題集を覗き込んだ。短く切りそろえられたディオの金髪がジョナサンの頬に触れる。ふわふわの柔らかい毛先が、ジョナサンの頬をくすぐっていた。
「ああ、ここかい?」
 ジョナサンは目の前が真っ白になっていた。何が分からなかっただとか、今自分の解いていた数式のことなど全部どこかへ吹っ飛んで行ってしまった。紙の上の数字は、ただただ踊っているように見えた。
 こんなに近くにあるディオの顔が、髪が、触れている指や手が、どうして自分を緊張させるのだろう。どうして、こんなに心臓が痛むのだろう。ジョナサンは自分が病気になってしまったのかと、不安になって汗を流した。
「ジョジョ、君、顔が妙に赤いぞ?」
「へっ!? ええ、そ、そうかな? あ、暑いからかな?」
「そうかい? ぼくはすこし肌寒いくらいだけどね。どれ……」
「えっ!」
 ディオは、ジョナサンの前髪をかきあげると、顔を近づけさせて自身の額とジョナサンの額をくっつけた。
「ん、熱は無いか」
「なにっ、ディオ、何してるんだい!?」
「何って……、熱を計っただけだ。そんなに嫌だったのか?」
 額が離されて、ほっと安堵しつつも、ジョナサンは寂しさを覚えた。なんだ、もう離してしまうのか。心は正直に思った。
「嫌とか、じゃあないけど……全然、そんなんじゃあないけど」
「ハハッ! 初心だなあ、おまえ」
「か、からかわないでくれよ!」
 かきあげていた前髪をくしゃりとディオは雑に撫で回して、ジョナサンを笑い飛ばした。十八、九の青年からすれば、十二才は性別を持たない子どもでしかなかった。
 未成熟で清らかな、妖精か天使と呼ばれるごく短い期間。ディオもジョナサンの幼さをそう見ていた。
 だが、天使はそう思っていない。
 天使自身もまだ自覚していない、罪の感情を密やかにその身の中で育てていたのだった。

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