微笑みのみどり 2

 ジョースター邸に戻ると、ディオはいつも通りの涼やかな顔をして、何ら変わりなくぼくに接していた。
 ぼくは浮かれているような気になって顔が赤くなったり、もしかしてこれは夢なんじゃないかと不安になって今度は顔を蒼くさせたりと、忙しなくそわそわとしていた。
 明らかに妙な様子のぼくに反して、ディオはやけに落ち着いていた。随分冷めた態度ではないかと、ぼくはディオを責めるような目つきで見つめると、分かっていて彼は露骨にぼくの視線を避けたのだ。
「ディオ、あんまりじゃあないか……やっぱり君ってどこか冷たいね。」
 着替えも済ませずに、ぼくはディオの自室を訪ねていた。ぼくは少し怒った風に責めてみた。内心、かなり腹を立てていた。
「なら、使用人の前で手でも繋げば満足かい? それともキスでもして見せればいいのか? ぼく達お付き合いしています、とでも言えばいいのかい? ……おまえは相変わらず馬鹿だな。」
「そ、そこまでして欲しいなんて言ってないだろ!」
「誰がどう見たっておまえに何かあったと、百人いれば百人が気づくだろうな。顔に全部出てるんだよ、ジョジョ。」
「えっ……!? だって、君は眉ひとつ動かさないけど、ぼくは隠せって言われたって無理だよ」
「だから、だ! それくらい分かれよ。」
「分かれって言われても……」
「隠さなくちゃいけないことだって、分からないのか?」
「それは……っ! う、まあ、……そりゃあ……そう、だよね。」
 ごもっともだ。ぼくはディオの意見になんら間違いはないのだと反省した。理屈では分かっていても、恋愛感情はそうはいかないものだ。特にぼくの性格は、そうなのだ。嬉しいとか、喜びの気持ちを抑えるのは難しい。
「あくまで普通にしてろよ、調子に乗るな、考えを顔に出すな。」
 ディオは帽子や手袋を外すと、適当にそこいらに放り投げていく。
「う、……、う〜、うん……」
「それと! ぼくに対して、その……にやにやした間抜けな面をするのはやめろ!」
 ジョースター邸に帰ってきてから、ディオは感情を故意に抑え込んでいたらしく、声を荒げるとさっきと同じような頬の赤みが戻ってくる。ぼくはこの瞬間が好きなのだ。ディオが、ぼくの前だけ素に戻る時。ぼくだけが見られる顔だ。
「ニヤニヤじゃあないって、これはニコニコしてるんだってば!」
「どっちでも同じだ、とにかく顔を元に戻せ。」
「だって…………無理だよ。」
 ベストを脱いだディオのシャツ一枚の背中に、ぼくはそっと手をあてる。
「なんだ……、気安く触るな」
「今、ここには使用人もいない。」
「何が言いたい。」
「誰もいないなら、見ていないなら……少し触るくらい、構わないだろ?」
 肩に手をかけて、強引にぼくはディオの身を胸の方へと寄せる。ディオはよろけて、ぼくの腕を掴んだ。珍しく熱っぽい掌をしている。
「や……やめろ……」
「嫌?」
 ほんの短い間にぼくはディオに関して学んだことがある。
 彼は、極端なまでに攻められるのに弱い。強者の立場でしか居たことが無いのだろう。慣れない為か、これがあのディオなのだろうかと疑いたくなるほど、しおらしくなる。
「…………ッ」
「ぼくは、ディオが嫌なことは絶対しないから……だから、嫌なら嫌だって言ってほしいな……じゃないと……」
 骨の浮き出る腰は、腕の中に収めると想像より細かった。しっかりとした体つきなのに、ぼくの半分ほどしか肉がついてないみたいだ。元々の体の構造からして違うんだろう。
 ディオが息を詰まらせているのは分かっていた。シャツのボタンをひとつ外して、人差し指で鎖骨に触れる。
「やめなくて、いいの……?」
 後ろから抱きしめて、ぼくはディオの耳たぶに唇をつけて低く囁き尋ねる。
「……うっ、……んゥ……ッ」
 シャツの袖口を噛んだディオは、声を殺していた。熱くなった吐息が、こぼれる。
「聞くなよ……っ……おれが欲しいなら……無理やりにでも、奪ってみろ!」
 ぼくの手の甲に爪を立てて、挑戦的な瞳で見上げるディオは、普段の彼らしい強気な中に、ほんの少しの恐れが混じっていた。赤らめた肌と今にも零れ落ちそうな涙の所為だろう。
 責められる立場になったとしても、あくまでディオはディオだ。どこまでも偉そうな態度を崩さない。そこもまた可愛いと思う。痘痕も笑窪、惚れた者なら仕方ない。
 ぼくは更に気持ちが昂ぶってきて、言われたとおりに強引に唇を合わせた。
「……んっ、……んんっ」
 初めは、うまくいかないと思っていた。
 ただ、ぼくは夢中でその時はまだ理解できなかったんだ。
 すんなりと受け入れられ、誘われたディオの口の中は、あったかくて、柔らかくて気持ちが良かった。人間の体にはこんなに柔らかい場所があったんだ……。ディオの厚みのある下唇は、見た目よりもずっと柔らかい。そして全部が熱い。
 ぼくは、ディオの舌に導かれるままに絡ませて、長いキスを味わっていた。
 今までディオには仲のよい異性の気配は一切なかった。彼を慕う女の子が大勢いるのは、ぼくも知っていたけど、彼が特定の人物と親しくしているという話は、見たことも聞いたこともないし、噂すらなかった。
 だからぼくは安心しきって、彼に片思いをし続けてこられたのだろう。
 それが大きな勘違いだったのだ。
「ん……っ、ジョジョ……」
「はあ……っ、ディオ、ぼく……ぼく……っ」
 唇が離れて、お互いの顔を確認する。ふたりとも同じくらい顔を赤くして、心臓を速めていた。鼓動も肌を通して伝わってくる。ぼくは鼻息を荒くさせて、ディオに迫っていた。
 ディオの前に回り、ぼくは正面からディオの身をぎゅっと抱きしめた。
「ディオッ、ディオ……ッ!」
 嬉しいのに、切なくて、ひとときも離したくなくて、離れたくない。胸の痛みが以前よりも増している。
 告白する前よりもずっと、苦しかった。どうしたらいいのか、どうしたいのか、ぼくは訳も分からず力任せにぎゅうぎゅうとディオを抱きしめる。
「う……っ、おいっ!」
 ディオの肩に頭を乗せて、ぼくはディオの首筋に鼻を寄せている。
「くそ、重いっ! ぐ、……この馬鹿力が……っ、苦しいっ……」
 感情が昂ぶるとぼくは通常時の何倍ものパワーが出てしまうらしく、危うくぼくはディオを押し潰してしまうところだった。
「……ッ、はあ……なんなんだ、一体……何がしたいんだ、おまえ」
「……ごめん、つい」
「つい、で殺されかけてたまるか。」
 ディオはぼくの胸板を押して、身を離すと、そばにあった二人がけのソファーに座った。
「ジョジョ、おまえ童貞だろう?」
「……う、え?」
「フフッ、図星だな。」
 どうやらぼくは本当に何もかも顔に出ているようだ。答えるより早く、顔を見てディオはぼくの真実を見抜く。
 くっ、くっと喉の奥でディオは笑う。今度はぼくが赤面する番だった。
「下手くそなキスしやがって……ふふ。」
 ぼくが舐め回したディオの唇は、多分ぼくの唾液で濡れていた。それをディオは自らの舌でぺろりと舐めて拭う。その煽るような行動を見せ付けられて、更にぼくの鼓動は早まってしまう。心臓のリズムに合わせて、シャツの胸元が揺れていた。
 このときになってぼくはようやく分かり始めていた。
 ディオは誰かとキスをしたことがあって、その相手は……男の人なのかもしれない、と。
 同性に愛の告白をされたら、ぼくたちのぐらいの年頃の男性なら気味悪がるのが至極当然の反応だろう。至って普通、ノーマルであるならば。
 ディオはぼくの告白を茶化すこともなければ、ぼくの思いを否定もしなかった。ぼくにとって最高に都合のいい考えとしては、たまたまディオもぼくのことを好きだった……。
 ――それが一番いい答えかもしれないけど、きっと違う。悲しいけれど、きちんと現実的に考えなければ。
「なら……ディオはどうなんだい?」
 ぼくはディオの横に腰掛けて、肩を抱いた。隣でディオは小首を傾げて見せた。
「さあ? ……確かめてみるか?」
 ぼくのリボンタイをディオは指先でつまんで、解き始める。
 ディオは自分が優位な立場にいるのだと知るとなると、態度が変わった。
 すっかりぼくに余裕が無くなったのを見て、ディオは唇を歪めて、意地悪な笑みを浮かべる。
「一から手取り足取り教えてあげようか、ジョジョぼっちゃま……?」
「ディ……ディオ……ッ!」
 とても虚勢を張っているとは思えない。いくらディオが嘘をつくのがうまいとは言っても、あのキスの感触は間違いない。
「驚いた顔をしているな、ジョジョ。それとも……気が引けたか?」
 一気にタイを引き抜き、ディオはぼくのリボンタイを床に落とした。
「いや、驚いたのは本当だけど……。」
 ディオの指を退けて、ぼくは自分でシャツのボタンを外す。ディオはぼくの様子を少しつまらなそうに傍観していた。
「君がその気なら、受けて立つよ。」
 ぼくは抱いていた腕をそのままずらして、ディオの両肩に両手を置き、ディオを自分のほうへ向かせた。
「フン、そうこなくっちゃなァ……」
 恋人同士の甘い空気などは感じられず、まるで格闘試合前のような雰囲気だった。目の前にいるのは紛れも無く両思いになったばかりの恋人なのだが、二人の間には火花の散る勢いで鋭い眼光が交わされていた。
「来いよ、ジョジョ」
 顎をしゃくってディオはぼくを招く。
「目の前にベッドがあるじゃあないか。」
「お行儀がいいんだな、ジョジョぼっちゃま」
 馬鹿にしたようにディオが笑うので、ぼくはかっとなって、ディオの肩に置いていた手でディオの身を押し倒した。
「その……ッ、言い方、やめてくれないか!」
「ふふ、何が嫌なんだ、ジョジョぼっちゃま。」
「ディオ、いい加減に」
「黙らせたいなら……」
 ディオはぼくの襟を乱暴に引っ張り、かなり無理やりに唇を合わせてきた。
「う……っ」
「こうすればいい。」
 ぼくの唇を舐めながら、ディオはにまりと笑んでいた。
「……う、く……っ、分かったよ!」
 怒りがぼくを支配しつつあった。何に怒っていたのだろう。ディオに……?
 違う。ぼくは嫉妬していた。ディオにこんなことを仕込んだ相手に。一体誰がこんなことをディオに教えたんだ。ぼくはむかむかして、腹癒せにディオに口付けた。
「ん……んん、んんぅ……」
 あたたかな肌の触れ合いはぼくの怒りや妬みを和らげてくれる。決して苛立ちは消えないが、それでもぼくはディオの唇に集中した。
「はぁ……ふ……っ」
 ディオが首を傾けて更に深く唇同士が繋がる。
 隙間から舌がゆっくりと潜り込み、ぼくの舌をそっと撫でる。ぼくはまだ慣れなくて、どう対応してよいのか迷ってしまう。このおどおどした態度がディオを付け上がらせてしまう要因なのだろう。
 このままではディオにやられっぱなしだ。
 薄く目を開けると、視界にはぼやけたディオの顔があった。ディオは目を閉じているみたいだ。
 押し倒した頭の後ろに手を入れて、ぐっと近づける。ディオの身が僅かに跳ねて、身体が緊張するのが分かる。
 ぼくが初心な男だと思っているから、ディオがからかうのだ。
「ん……っ! ふぅ……んぅ……!?」
 長く伸びたディオの舌を唇で捕まえる。歯は立てないで唇だけで挟み込み、ぼくの口内にあるディオの舌先をひと舐めする。
「んっ、う……!」
 ディオの身が固くなったので、ぼくは舌先の動きを速めて、ディオの舌を攻めた。
「う、……っんっ、う……」
 二人分の唾液で濡れた粘膜同士が、くちゅっ、ちゅっと、いやらしい音を立てているのがよく聞こえる。
 唇をすぼめてディオの舌を吸ってそのまま頭を引くと、ディオの熱い吐息が鼻にかかった。
「あ……っ、う……、」
 唇が離れても、ぼくに引っ張られた舌を出して、ディオはぼうっとした顔つきで身を震わせていた。
「ディオの言う通りだね……、本当に黙っちゃった」
 ぼくはディオの頬を撫でながら、先程の台詞を思い出していた。
「な……ジョジョ……、おまえ……、何を……こんな……」
「ディオのしていることを少し真似しただけだよ」
 ディオの瞳の中で薄らと浮かんでいた涙が、つうっと目尻から流れ落ちた。それを掬い取るようにぼくはそっと口付ける。
「忘れていたな……おまえにはそういう所があるって……」
「え? なんのこと?」
「別に、なんでもない。」
 ディオはまた不機嫌にむくれて、ぷいと横を向いてしまった。
 ぼくに自信と余裕が戻ったのが大層お気に召さないようだ。でも、その膨れっ面すらも、ぼくにとっては凄く可愛らしい横顔に見えていて、胸のときめきは止まらなかった。
 頬にあった唇を瞼の上に移動させ、そこから額や、鼻先にもキスしていく。ディオはちょっとだけ照れて、くすぐったそうにぼくのキスを受けていた。
「ん、……もう、いい。」
「嫌かい?」
「くすぐったいんだよ」
「でも、したいな……だめ?」
「だめだ。」
「ええー?」
 落胆したぼくの顔を見たディオは、ぷっと吹き出して笑った。滅多に見られないディオの無邪気な笑顔には、つられてぼくの顔も綻ぶ。
「あと一時間もしないうちに夕食になる。二人揃って遅れたりしたら変に思われるだろ」
「……うん、そうだけど」
 初めてディオと寝るのだから、今になって思えばほんの数時間くらい我慢して、時間のある夕食後にでもしておけばよかったんだ。
 でもこの時のぼくは、目の前にいる彼の誘惑に勝てるほど大人じゃあなかった。
「どうしたい、ジョジョ?」
「ディオ……ぼくは……」
「聞くまでもないか……、おまえの体は素直で正直だ。」
「えっ?」
「あれだけ押し付けておいて、まさか自分じゃ気付かなかったのか?」
「いや、えっと……、これは、その、」
「今更隠したって、無駄だ」
 ディオは膝を使ってぼくの足の付け根をぐいと押した。ぼくは思わず悲鳴をあげそうになった。


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