微笑みのみどり 6

 ディオの涙は零れ落ちて、ぼくのシャツに染みていった。
 泣き顔を見せまいとして、ディオはぼくの胸に突っ伏している。鼻をすする音がひっきりなしに聞こえていて、ぼくはただ慰めるようにディオの背を優しく擦るしか出来なかった。
 ――参ったな……、まるっきり子どもだよ。とてもじゃないけど、ぼくには無理だなァ……。
 十五才だった時分のぼくにとって、ディオはどこか大人びて見えていた。でも二十一歳のぼくからすれば、それは当たり前なのかもしれないけど、彼が紛れもなく十五才の少年なのだと実感する。
 純粋さと純真さが残っている、かわいい男の子だ。
 大人の自分が穢していいものではない。――そう思ってしまえば、ぼくの中にあった欲望の炎はみるみるうちに萎んでいく。
「ディオ……? まだ涙は止まらなそうかい?」
 まるい後頭部を撫で、静かに尋ねてみる。さらさらと手触りのいい髪からは甘酸っぱい匂いがした。
「泣いて……ないっ」
 鼻をすすりながら、ディオはごしごしと目元を拭った。乱暴に擦られた繊細な肌は、赤くなってしまった。
「ぼくは、君に泣かれると弱るよ」
「うるさいっ! 泣いてないって言ってるだろ!」
 乾いた涙の跡が、ディオの頬に残っている。顔を上げたかと思うと、ディオはぼくの耳を摘んで引っ張った。
「イテテ」
「……おい、……その、……」
「ん?」
 耳を抓っていた指を離しつつ、ディオはぼくの腹の上に座りなおしてこちらを見下ろしてくる。今度はディオらしくなく、もじもじと口を動かしていた。
「す、…………す……」
「す?」
「な、……」
「な?」
 何を言おうとしているのか掴めず、ぼくはディオの発した言葉を繰り返した。
 ディオはまた涙目になって、自分の爪を噛んでしまう。
「何? どうしたんだい?」
 ぼくはディオが噛んでいる親指を外させてやりながら、聞いてみる。
「……んで、…………すき、だって……」
 か細く、消え入りそうな声だった。ぼくは、あの湖畔の日のディオを思い出していた。
 あの時も、こんな小さく小さな声だったのだ。
「知りたいかい?」
 ディオは真っ直ぐにぼくを見て、頷いた。勿体振るように一呼吸置いた後、
「秘密!」
 と、ぼくは笑って言った。そして背中からディオを抱き寄せて、細い体をぼくの胸の中に倒れこませた。ディオはぼくの胸板を、握り締めた拳でどんどんと叩いて騒いでいる。そんな様子に構うことなく、ぼくはディオを抱きしめ続けた。
「言えよ! 教えろッ! ぼくには知る権利があるっ!」
「ダメダメ、ナイショだよ。ぼくの口からは言えない。そうだなァ……、あと三年くらい経ったらジョジョに聞いてみるといい」
 ぼくは恋人のディオに、「ぼくがディオを好きな理由」を話したことはあっただろうか? そもそも聞かれたことも無いような気もする。なんだかちょっぴり寂しくなった。
「はぁ、意味が分からない……頭がおかしくなりそうだ」
 ディオは諦めたようにため息をついた。
 ぼくは、丁度いい頃合だと思ってディオの身を起こしてやった。
「なに?」
「送るよ」
「はァ?」
「邸まで送っていくよ。さあ、立てるかい?」
 ディオの脇の下に手を入れると、小さな体を持ち上げて立たせてやった。若草が服のあちこちについてしまっていたので、ぼくはディオのその草や汚れを手で叩いて落としていく。
「な、……なんでっ!?」
「何でって、帰るって言っただろう?」
「いいッ! 帰らない!」
「いいって、……どうして?」
 ぼくの手を振り払うと、ディオは唇をわなわなと震わせて、またもや瞳を潤ませてぼくを上目遣いで睨んだ。
 あれほど帰ると連呼していたのに、ぼくが「帰ろう」と促せば、「帰らない」と頑なになる。天の邪鬼なんだろうか?
「ディオ……、泣かないで」
「だから! 泣いてないッ!」
「綺麗な金色の目がこんなに赤くなって……。ああ、強く擦っちゃ傷になるよ」
 ぼくは屈んで、ディオに対してまるで幼子にするように諭す。親指の腹でディオの目尻に溢れ出た涙をそっと拭いてあげた。
「参ったなあ。ぼくは君の涙には、負けるよ……」
 ディオの考えていることは、ぼくにはちっとも分からなかった。好きだと言っても泣くし、帰ろうと言っても泣いてしまう。ぼくはディオの納得のいく答えを見つけ出せなくて、頭を悩ませるばかりだ。
「す、すきだって……言っただろっ」
「うん。好きだよ、ディオ」
「じゃあっ、……じゃあ、なんでっ、」
「うん?」
 震える声が痛々しかった。ぼくは、泣いているディオには本当に頭が上がらないのだ。女の涙は武器だと言うけど、ディオの涙は凶器だ。

「んで……なんで、やめるんだよ……」
 語尾は小さくなっていく。
「ディオ、だめだ。それ以上ぼくを責めないでくれ。」
「あんな、ことしておいて、今更なんで、帰るなんて言うんだ! 好きだって……言ったくせに」
「ディオ……」
 ぼくは浅はかだった。ピュアな子どもに、罪を教え込んだ罰だ。
「ずるい……、この卑怯者!」
 ぼくのシャツを握り締めた手から、熱が伝わってくる。ディオの体温と、心の熱気が、ぼくには感じ取れた。
「これ以上は、……ぼくは、自分でも抑えられなくなる。」
「逃げるなんて、絶対に……」
「ディオ……ッ!」
「許すものか……!」
 ディオは、ディオだった。
 ぼくは、彼を子どもだと思ってしまったけれど年齢など関係なく、ディオはどこまでもディオだったのだ。変わらない。ぼくが、好きになったディオ。ぼくが好きなディオ。ぼくが愛しているディオだ。
 ぼくはディオを奪いたいと思っていて、その実、ディオに支配されたいと願っているのかもしれない。




 ぼくのシャツのボタンをむしるように、ディオは強引に脱がせようとしていた。
「ん、んんっ……」
 その白い手を好きにさせてやり、ぼくはディオの髪を梳かしながら、サスペンダーを外してやる。唇が合わさったまま、ぼく達は草原に寝転んでいた。
「はあ……、んくっ……」
 ぼくは自分の着ていたジャケットを草の上に敷き、そこにディオを寝かせた。
 荒い息をしたディオはひたすらにぼくのシャツを引っ張っている。一度、唇を離すとディオは寂しげに瞳を曇らせて、小さく口を開けていた。
「少しの間だけ……我慢して」
 微笑んでからディオの頬に軽くキスをして、ぼくはあやすように言った。
 不満そうに訴えてくる不機嫌な唇も可愛らしい。
 ディオのタイを外して、襟に隠れている白い首元に口付ける。シャツのボタンをひとつずつゆっくり外していき、露出した胸元にも唇を落としていく。腹や臍も、ぼくはちゅっ、と音を立てて口付けていった。
「くっ、う…………っ」
 ディオは苦悶の表情を浮かべて、ぼくの唇に堪えていた。唇が触れる度に、ディオの肌はびくりびくりと跳ねて、腰が浮いた。
 まだ清らかな肉体は、快感を知らない。だから、愛撫をどう受け止めていいのか分からずに、声を押し殺すしかない。
 ボタンを全て外したシャツの前を開ける。
 胸や首筋は、既にじんわりと汗をかいていた。ぼくの目の前に、ディオの芳香が広がった。甘く、爽やかな少年の汗の匂いがする。
 シャツと背の間に手を入れて、ぼくはシャツを引き抜いた。ディオは、一瞬はっとして戸惑ったが、揺らいだ瞳はすぐにぼくを真っ直ぐ見つめていた。
 信じる、と言われているようだった。
 ぼくはその目に答えて、見つめ返した。そしてお互いに言葉を交わすことなく、再び唇は重なった。
 サスペンダーを取り払ったズボンは、ボタンを外すと簡単に脱がせられた。
 腰を支えてお尻を浮かせてやり、ぼくはシャツと同様にズボンも剥いた。
 ディオは、ぼくのジャケットの上で靴と靴下だけを身につけて、あとは生まれたままの姿になっていた。
 まだ恥じらいがあるからかディオは足を擦り合わせ、腕や手で身を隠そうとしている。
「……ぼくだけなんて、嫌だからな」
 ディオは、ぼくのシャツの裾を引いて、我侭っぽい口調で言った。
「ああ、勿論。」
 そう言ってから、ぼくはシャツ、ズボン、下着、靴に靴下と次々に脱いでいった。服を畳む間も惜しかったので、傍らの草原の上に投げ捨てた。
 ディオは瞳を丸くして、上から下へと視線を泳がせる。
「………………っ」
 眉根が寄って、ディオは身を守るように自身を抱いた。
 ぼくは、気が付いてしまった。自然とディオを押し倒したのはいい。ぼくにとってこれが普通だ。けど、ディオにとって、この状態が自然だというのはおかしくはないか?
「ねえ、ディオ。これから何をするのか、分かってるのかい?」
「……う、……うぅ〜〜〜ッ」
 意地悪な言い方で、ぼくはディオの耳たぶに唇をつけて問う。
「君は、知っているの……?」
 これから行われることが、どんなことなのかを。
 純真無垢な子どもなわけあるか。ディオは知ってるんだ。ぼくだって、分かってた筈だ。
 彼の生まれ育った環境を考えれば、ぼくのこれからする行為の意味だって、充分承知しているんだ。
「うっ、うぅ、んっ」
 耳の後ろを舐ると、ディオの顎が反る。歯を食いしばり、まだ我慢をしている。
「ディオは男の子なのに、……女の子みたいに、男を待っているんだね」
 思わず、ぼくは長年抱えていた妬心を剥き出してしまった。
「何を……言ってるっ!」
 ディオは震える手で、濡れた耳たぶを押さえた。
「嫌じゃあないのかい、ぼくは男で、君も男だ……それとも、好きだって言ってくれる相手なら誰でもいいのか」
 ぼくの中で消えかけていた正体不明の嫉妬心が、ディオの反応によって蘇る。ぼくは何を言ってるんだ。一体何を欲しがってるんだ。どうすれば、この苦しみは消えるんだろう……。虚ろな目にディオを映す。情けなく眉尻が垂れた。
「……ジョジョ。」
「えっ?」
 ディオは、ぼくを見て確かにそう言った。
「あ……、違うっ……でも、そんな……なんで、ぼくはっ……、」
 ディオは、ぼくの下でおろおろとしている。妙なことを口走ったと慌てて、前言を撤回しようとする。
「いいんだ。もう一回、言って」
「な、何?」
「ぼくを、そう呼んでくれないか……」
「じ、ジョ、ジョ?」
「うん、……ディオ!」
 不思議とぼくの中にあった黒の感情は、ディオに名前を呼ばれたことによって一気に霧散した。
 ディオはまだ、どうしてぼくを「ジョジョ」なのだと思ったのか理解できずにいるみたいだった。
「分からなくてもいい……それでも、ぼくはジョジョだ。ディオ、君がぼくを認めてくれるだけで、ぼくは……ぼくは……っ!」
「ジョジョ……、ん……ッ」
 唇の触れ合いが、今までよりもっと深く感じられた。心まで繋がったようだったんだ。胸の中がすっとして、ぼくの思考は白く明るく、クリアになる。
 ディオが好きだ。大好きだ。
 好きだからこそ、ディオには「ぼく」を「ジョナサン」なのだと分かっていて欲しい。他の誰でもないんだ。君を好きだと言うのも、君に口付けるのも、君を抱くのも、ぼくだけでいい。
 ぼくだけが、君の全てを手に入れるんだ。

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