Surreal Marginal 3
第二章 甘痛 〜トゥルー・ナイトメア〜
瀬人の悩乱など露知らず、アテムは眠りに入る前の儀式のように先日の戯れを反芻している。
瀬人の唇の味や、肌の匂い、それから抱きしめられた時の力を忘れないように繰り返すのだった。
どんな想像の彼よりも、本物が一等良い。思いがけない言葉や、ふとした目線が突き刺さる。
体内からは、熱がじわじわと高まってくる。次第に手が胸元や下腹へと自然と寄せられていき、アテムはぼんやりと虚空を眺めた。
――すぐ楽にしてやる。
「ん……」
アテムの手は瀬人の手となり、寝台は瀬人の胸板となる。多少がさつな動きでされるのが好かった。感覚が鈍いわけではないが強い刺激を肌は求めているのだと、触れられてから初めてアテムは知った。自分の身体であっても、何を欲しているのかを理解しきれない。経験をして、分かっていくものかもしれない。
だからか、次の行為をしたくなる。瀬人の身体を知りたい。知り尽くしたい。分かりたいと願ってやまないのだ。
欲望は尽きないと誰もが口にするが、肉欲こそ終わりが見えないのかもしれない。
触れられるだけで幸福だと思っていた頃の自分が、今は幼く感じられる。次の逢瀬で強請れば瀬人は折れるだろうか……、などとふしだらな予想に耽っては、アテムは手を動かした。
「海馬……ぁ」
「何だ?」
ぼやけた視界の先に、男の姿が輪郭だけ浮かんでいた。声は妙に鮮明である。
「して……来てくれよ……」
「どこに?」
男の手が伸びてきて、アテムは掴み取ると、自らの腹に触れさせた。指はすこしだけひんやりしていて、熱い身体に丁度良い温度だった。
「ここ……はやく……」
瞬きをすると、目の前がクリアになり、アテムは思わず飛び起きた。幻想でも空想でも、妄想でもない本物の瀬人がいる。
「か、海馬ッ!?」
「何だ? 貴様が呼んだのだろうが」
「え、……うっ、いつから」
足を閉じてアテムが寝台の端へ身を寄せると、瀬人は本格的に身を乗り上げた。寝台の足が、二人分の体重を乗せられて、ぎいと鳴る。
「貴様がオレの名を口にした頃からだ」
ほぼ始めからだ。アテムは片腕で顔を隠して、長衣の裾を正した。太ももの付け根まで晒しているのは、みっともなかったからだ。
「続けていいぞ」
「だっ、誰がするか!」
「オレでしていたんだろう?」
「それは……そう、だけど。本人の目の前で出来るかよ!」
つまらないな、と言いたげに瀬人は目を細めた。視姦してやることで、更にアテムの恥辱の表情を引き出せるのなら、いくらでも見てやれる。
「どうせなら、海馬とふたりで出来ることがしたいぜ」
アテムは淫乱めいた仕草をして、瀬人を誘惑する。表情に恥じらいの朱が消え、淫猥な赤みを帯びてくる。
そうではないのだ。瀬人は冷や水を浴びせられ、アテムの手を退ける。
「海馬……?」
「違う」
最終的に辿り着く先が、瀬人もアテムも同じ目的地を選んでいたとしても、道程は全く異なっている。一本でも道がたがえば、先へと進めやしない。
瀬人は道を譲る気は一切無いのだ。
「アテム」
寝台に放られているアテムの足を、瀬人は爪を立てて持った。
「……ッ!」
急に訪れた痛みに、アテムはびくりとして足を引っ込める。狼狽えた目は、瀬人にはある種の興奮材料となった。
「オレをその気にさせたいのなら、オレ自身の望みを受け入れる覚悟はあるか?」
アテムは動じずに、真っ直ぐに瀬人を捕えている。そして、無言のままで頷いた。
元より告白をするつもりは無かった。瀬人は自分自身の言動に、内心驚いていた。日を重ねて、少しずつ馴染ませる計画が、頭の隅にはあったはずだ。無意識的に、焦りが出ているのかもしれない。瀬人は自分を分析した。
「いいんだな?」
「海馬は覚悟を決めて此処へ来たんだ、オレも相応の心構えを持つ。そうでなければ、オレと貴様が対等とは言えないよな」
凛とした声に芯のある強さ、まさしく王の風格であった。頂点の者としての自信と力が内側から溢れている。
その尊厳を崩した時に訪れる快感は如何ほどなのだろうか。瀬人は待ち受ける悦びに期待が膨れ上がった。
「貴様は、オレを大事にすると言ったな」
「ああ。でも、全部教えてやる前に、中断させられたから」
「大体は分かる。貴様がするようなことは……」
瀬人はアテムの頬へ手をつけて、手の甲で軽く撫ぜてやった。瞳を伏せたアテムは心地よさそうに愛撫を受ける。
「こんな風に触れてやることを言うんだろう」
「……ん、それだけじゃ、無いけど」
瀬人は迫りくる衝動を抑え、じっと堪えながらアテムの肌をやさしく撫でていた。
「オレにとっては」
手はそろそろと肌の表面をなぞり、首筋をたどった。細い首は片手で掴めそうだ。首飾りが邪魔に思えたが、それがあるから上手く制御できそうだった。
「……っう!」
「この苦痛こそが、貴様の愛撫と同じ意味を持つんだ」
軽く絞めただけで手はすぐに離れ、アテムはよろけて寝台に肘をついた。ふざけてしている真似ではないと知れば、アテムは言葉を失っていた。
「貴様が苦しみに喘ぐと、どうしようもなく身体が火照る。貴様が痛みに顔を顰めれば、抑えきれない程に昂ぶる」
「海馬……」
恐れているからなのか、アテムは首元を何度も摩って、短く呼吸をしていた。
「貴様を打てば、オレ自身の男の欲は顔を出すだろう。打たなければ、貴様の望みも叶えられん」
しばらくの間、寝所には沈黙があった。
「なあ、海馬」
瀬人は半ば諦めかけていた。狂った性愛だということは、自分自身が重々承知している。全てそのまま容受して貰えるとは到底思わない。
アテムは自分を説得しようとするだろうか。正そうとするだろうか。だとしたら、もう互いの道は交わらない。引き下がるのが最善だと瀬人は決めた。
「ひとりで抱え込んでいるのは、辛かったんじゃないのか?」
「何……?」
「ずっと我慢していたんだろ」
誰にでも欲はあるものだ。人間は理性があるから、欲をコントロールして生活している。誰しもがそうして生きている。
発散の方法はそれぞれあるだろう。ただ、瀬人の場合は相手がいなかったのだ。
ただ一人だけに向けられる欲を、奥深くに仕舞い込んでいた。
「……いいぜ」
胸の前に置いていた両手を下ろすと、アテムは瀬人に身体を捧げるように長衣の前を解いた。
「海馬の望み、オレは受けてやる」
微かに震えているのは、これから起きる行為に恐怖を感じているのか、それとも期待の表れなのか、瀬人には判断がつかない。
「ああ、わかった」
そこにあるのは、情欲か愛情か。どちらでもあるのか。確かめるために、互いの体はこの世界にも存在している。
若い肌は非常に滑らかで、きめ細かく、すべすべとしている。
瀬人はアテムを腹這いに寝かせ、長衣の上から触れていく。
ふくらはぎは裾からはみ出ていて、鍛え上げられている筋肉を盛り上がらせていた。力が入っているらしく、肉は強張っている。
「いきなり傷つけはしない、あまり身をかたくするな」
「……ん、うん」
言い聞かせてやると、多少は緊張が和らぎ、足が脱力していく。枕を抱いて顔を伏せているアテムからは、息遣いだけが聞こえてくる。
瀬人は小指に長衣の裾を絡ませて、音もなくめくり上げていく。肌が空気に触れるので、伏せたままでもアテムにはどうされているのか分かるのだろう。ひくひくと足の指が動いている。片手で足の裏を揉んでやると、腰を浮かせて上半身を跳ねさせた。
「あっ」
「まだだ。まだしない……」
瀬人は発したことのないくらいの甘い声で囁いて、相手を落ち着かせる。
いきなり体を打ちつけて乱暴にするのは、不躾極まりない。それはただの暴力だ。
肌の隅々まで触れて、確かめ、相手の弱点を知り、身体のつくりを覚える。自身の掌に相手の肌の触感を染み込ませ、どのようにすればいいかと案を練る。
「ん……ぅ」
足を撫でていた瀬人の手が、腿の付け根へと到達する。
小さな尻の天辺が前を楽にさせるように、ついと上がった。
ふくらはぎや太ももを撫でられただけで、アテムは勃ってしまったようだ。仰臥していると、性器が押されて苦しいのだろう。
一連の動きから瀬人は一瞬で悟ったが、素知らぬふりをして、長衣を捲り上げた。
一枚布で出来た下着は、すっぽりと尻を覆っており、薄い生地は下の生肌を透けさせている。
爪を立てて布地の上を、かりかりと掻いてやると尻がさらに浮き上がる。
「どうかしたのか……? ン?」
突っ伏したままのアテムは頭を左右に振り、深く枕に顔を埋めた。
瀬人は真横に寝て、髪を梳いてやった。癖の強いアテムの髪はすぐに形を元に戻す。
「は……ぁ、な……んで……?」
枕から顔を出して、瀬人の様子を窺っている。大きな目が潤みを増して揺らいでいる。
何で、と問いかけるアテムは焦れていた。
「どこがいいのか、訊いている最中だ」
「……え」
瀬人は手を使って、アテムの身体に尋ねている。打つに相応しい箇所を探っているのだ。
「どこ……って、オレの」
「貴様の肉体が最も悦ぶ所を、オレが見つけ出してやる」
瀬人は尻朶を無視して、括れた腰を指の腹で撫でていった。長衣は一本の太い腰紐で結ばれている。
瀬人は半身を起こして、アテムの肩から衣を抜いた。
腰紐は結んだまま長衣が乱されると、瀬人は寝台の上で膝立ちとなり、真上から眺めた。
伏せた顔と皺になった長衣、幼さの残る双肢は脱力して寝転がっている。退廃かつ、背徳的な光景が広がっていた。
何より傷ひとつないアテムの背中が、瀬人には眩しかった。
背中のくぼみに瀬人は唇を一度落としてみる。
粘膜に触れられると、アテムはまた腰を高く持ち上げた。
「ひっ……ぁ」
敏感な肌は軽く触れられるだけで声があがり、肩をふるわせた。
「あっ、あ……!」
枕を握りしめ、耐えようとしても抑えきれないらしく、声が次々に洩れ出てゆく。
「ここが……、好き、なのか」
喋りながら瀬人はアテムの背中に口付け、時に舌を伸ばして肌を掠め取ってやる。
「ん……っ、かい……ばっ」
足をばたつかせて、助けを乞うように名を呼ぶ。決定的な一撃が欲しくて、アテムは慰めを求めてくる。
よろよろとした手が下腹へ伸びるのを、瀬人は軽く叩いた。
「ダメだ」
叱られると手はおずおずと戻り、アテムは再び枕を抱き直した。
「海馬……、オレ……、もう」
「限界だと訴えた頃が開始点となる……ようやく準備は整ったな」
許しを得たくて口にしたのに、アテムは突き放されたような気分になった。瀬人は、やけに嬉しそうに口角を上げている。微笑とも嘲笑とも違う。どこか子どもらしい純粋さがあるのだった。