名作、有名、と言われる作品を読む。
「……理解できん」
感想やレビューを読む。やはりよく分からん。
泣ける!感動する!大好き!バイブル…という言葉の羅列を眺めて
私は人間らしい感情を失ってしまったのか…?と疑問を持つほどだ。
有名である、名作である、ということは、それだけ多くの人の支持を得ているからだろう。
しっかし、分からんのだった。多くの人が理解できることを理解できない、のはやはり何だか寂しいものだ。
感覚がズレている、というのも、不安になる。
それが理解できないということは、私は、人の心が分からないし、
そんな感覚では、人の支持など得られないということなのだろう。
数年前に、まだ別のジャンルで活動していた時期。
商業に片足を突っ込んでいる知り合いに
「売れたいなあ」という話をしていたら
「流行りや売れてるものに対してアンテナを張ってなきゃね」と、いう結論に至った。
中途半端に中二な私は、流行ってるものを追いかけるなんてカッコ悪いという思考を未だに引き摺っていたので、それこそ「そんなことしたってなあ」と思っていた。
でも仕事として関わるなら、それは大事なことなんだろう。
そこは分かる。分かります。
今も分かります。
自分がイイ!面白い!萌え!だと思っても、それを表現できるほどの力量が無かったら、意味は無いし
名作を理解できない人間が、多くの人に理解を求めるのはお門違いなんだろう。
なんで多くの人を求めるのだろうか?
ジョジョに始まったことでもないけれど、もっと遡れば真幸とか半ナマの時とか…
今、そのキャラ、カップリングを好きだっていう人に対して、興味の無い人に対して、知らない人に対して、
好きになって貰いたい、知ってもらいたいという同人のひとつの目的である「布教」の心がある。
見て貰わなきゃ意味ないし、知ってもらいたいし、好きになって貰いたい。
でも二次小説っていうのは、カップリングが好きな人しかなかなか手に取らないものだし、読まないものだよなあ…。本だと尚更かなあ。
その上、小説は漫画や絵よりもさらに好き嫌いの幅が狭くなるものだと私は思っています。
作風や文体、話、キャラ解釈、より厳しい目で視られるものじゃないかな?
一回合わないってなると、もう読んでもらえないと思う。少なくとも私はそう思う。二次創作に限った話ではなく、普通にある一次小説にも通じる。
難しいことを考えるのは、苦手だ。
好きじゃないことに対してエネルギーを使うのも、無駄だ。
無理して、分かろうとしたって、出来ねえもんは出来ねえんだ。
だったら自分が楽しいと思えること、好きだと思うことに目を向けたい。
そうしてたいや。
あ~頭がグルグルする~。余計なことしたからだな。
――
いくつかの少女漫画を読んだ。
リアルさを考えたら、一人の人間を好きになるより、何人かと付き合ったり、離れたり、というのが恋愛において、現実味があるというのは、分かるんだけど、
それってどうなのかなあ、なんだかなあと、子どもの頃から思っていた自分は、
海馬くんのような一途さを持つヒーローは、とても魅力的だし憧れます。
彼の夢も、思考も、目標も、未来も、アテムに向かっているわけだから、
他の誰かに目もくれないわけである。
キャラクター自身がここまで固定人間なのは、なかなかいらっしゃらないもんだ。すごい!好き!あこがれる!
そんな人間に熱意を向けられるアテムはもっと(?)凄い!
心理表現が割りあい漫画や読み切り、劇場版でも描かれている海馬くんの方が、考えるのも掘り下げるのも、感情移入もしやすい。
アテムの「何考えてるのかいまいち分かりづらい」というのも、魅力でもある(ミステリアスさ)そうは言っても、結構、言葉にしてストレートに(遊戯さんになり、海馬くんになり)言ってるので、全く分からないってわけでもない。
ただ、少しだけ「その場」「一瞬」の思い、でもあるように感じられるのもある。それは彼自身の存在、自分の正体、が原因なのかもしれないけど。
だからこそ、冥界という安住の地で、アテムが海馬くんに向ける思いは
どういうものになっているのか、(腐抜きな意味で)非常に気になる所であります。
変わらないものもあるだろうし
変わっていくものもあるのかな。