ネット上で公開して後からオフ本にする形
あるいは、本が完売した後にネットでの公開
どっちも今現在スタンダードでポピュラーな方法だと思う
同人に限った話じゃなくて、商業誌でも、漫画以外のコラムやエッセイでも小説でも
実際自分が手にしてる本を、ウェブ上で見ると
本にする前提で作られている原稿は、やっぱり本になってこそが完成形だなと思う
ウェブ再録を本にしてあっても、ひとつまとまっているものを本の形で見られるのは、やっぱりいいもんだなと思うので
結局本派
自分もそうなんだけど、お金を出して「中身が分からない」ものを得るよりも
中身を好きなものとしてすでに分かっているものにお金を出したい、という人が今は多いんじゃないかな~と思うし
その方が購買欲が涌く気がする
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子どもの頃からわりとやりがちなんですが
漫画でも小説でも、終わりの方から読んで
終わり方が自分にとって大丈夫そうなら読む、というタイプでした。
石橋を叩きまくって渡る人間。
いわゆるネタバレ大歓迎な方でした。今もその傾向が強い。
映画でも本でも、最後でガッカリしたり、(バッドエンドがダメってわけでもないんだけど)見なきゃ良かった、読まなきゃよかった
という経験を多くしてきた結果の、自分なりの作品選びのひとつの方法として出来てしまった。
ゲームだけは、なかなかその方法が出来ないので
人に勧められたり評判が良いものを選んできたのかもしれない。
あとは昔だと攻略本とか雑誌を読みまくってた。
結局、好みじゃないものもたくさんやってきていたと思う。忘れてるだけで。
今の10代~20代に限った話じゃなくて
娯楽やエンタメが豊富にある現代なら、老いも若きも
そういう選び方をする人って多いと思う
じゃなきゃ↑上記のような方法で作品が公開されるのが主流にはならんだろうし。
好きなことに割ける時間は限られているから、できるだけ「失敗」をしたくないって思うのは、悪いことじゃないのに
そういう保守的な考え、安全牌を選ぶのを批判的に書いてあるネット記事を読んだことがある。
私の場合は子どもの頃からそういう考えを持ってたから、「全然アリじゃん!」って思うんだよね。
ハッピーエンドが確約されている物語なら、
どんな困難があっても、最終的には良かった良かった!ってなれるなら
その過程も安心して楽しめる。
いつだったか仕事に疲れ切った友達が
「エンタメや娯楽で精神的にダメージ喰らいたくない」って言ってて
なるほどなあと感心したもんです。
終わりが分からない方がドキドキワクワクできるっていう正しさもあるし、
安心して楽しむことが娯楽を楽しむ正しさでもあるなと思う。
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テニミュに出会って15?年くらい経つ
その間に2.5次元っていう作品を、色々見てきても
結局テニミュが一番いいなって私が思うのは
テニミュって物語が途中であっても
あのステージ上ではエンディングはいつもハッピーな空間で終わってくれる。
そこに絶対的安心感があるから、やっぱりテニミュっていいなと帰ってくる。
2.5のミュージカルでもステージでも、漫画原作、アニメ原作、ゲーム原作でも、続きものでも単発でも
終わり方が「え?これで終わり?」「え?すごい暗い終わり方だな!?」って思ったことがいっぱいあったし
それは作品自体が持ってる色(シリアスだったり、暗い話なら尚更)も関係してくる。
舞台とかエンターテイメントに対して、
終わった後に「観て良かった」って爽快な感想を抱けることが大事だと思ってるから
ハッピーエンドでもバッドエンドでも、観て良かった!さえあればいい。
よくある「終わり良ければ総て良し」です。
そこそこ舞台を観て感じたのが
そのへんをモヤモヤした気分にさせられて終わる作品は、嫌いだってことです。
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いつものように話が脱線するな~。