歩いていこう
- 2021/01/21 04:39
- カテゴリー:雑記
誰が読んでんねん、このブログ
と言い続けて2~3年が経っている気がする
全ては自己満足
自己の記録でしかあるまいて
あんまり人のサイトを見に行かないうえに、そもそも個人サイトが無くなりかけている時代なので
フレオ(このブログサービス)を使っている人を知らない
最初は、別ジャンルの好きなサイトさんが使っていて検索にひっかからない点と広告がなくて使いやすそうっていう点で
お世話になり始めたけどもう5年は書いてるなー
前のブログから数えたら7年?8年くらいか
(2010年以前の同人活動時のブログもいれたら(まだたまに書いてる)13年くらい)
時の流れが恐ろしいね
基本的にだらだら考えと思考を垂れ流すタイプなので
Twitterより(交流しねえからなあ…)
向いてるのは確かだけど
誰も見ないわな
でもそのくらいの気楽さがいいのかもしれない
Twitterの嫌いなところはログの見づらさ(そういう目的のツールじゃないし)自分の発言ですら、探すの大変…
簡単だし楽なんだけどね
だから感想とか考えとかばーっとまとめて呟いて
あとで自分でログにしておく
特にテニミュ関連はそうしておかないとすぐ忘れるのと舞台は生ものだからな
活きの良い情報は鮮度が大事
――
たまに何も二次創作しなくなると
そういう時期なのかな、とさみしくもあるけど
休憩(年単位)してきてた
16年以降の自分は、萌えたら即二次創作!即イベント参加、即本発行!の体で生きてきて(プロメアの時も本出したかったんだけど、めちゃめちゃ忙しくて叶わなかった…)
遊戯王に至っては、ここ1~2年はなかなかイベント参加も本も出してないけど、同じジャンルでの活動は5年近くなので一番長いのかな~
動きの激しいジャンルではないけど、長く楽しんでる人が多いイメージ
だからか自分も続いてるのかな~
テニスに関しては、二次創作はほとんどしてないけど、
ずーっと自分の中に在り続けて、これからもそうなんだろうと思ったし
変わらない存在なんだと思ってたんだけど
なんか流れ変わってきちゃったね
新テニミュの所為、いや、おかげか…
自分にとってテニスで一番好きな学校、キャラクターたちは立海で、幸村くんがナンバーワンであって、ずっとそういうスタンスで15年以上やってきて、漫画もアニメもミュージカルも散々見てきて、読んできて楽しんできてた
それこそ10代の頃からずっと
だから変わりようがないし、変えようがないと思ってた
もちろん今だって幸村君が一番好きだし、立海が推し学校だし、真幸が好きだ
でも新しい可能性ってやつはいつだって自分を突き動かしてくれるんだよな…
徳川カズヤ×越前リョーマ
徳川、鬼、入江の三人(これは萌え的には学校推しみたいなもんで、三強好きな気持ちに近い)
気付いたら妄想してるし、時間の許す限り、なんかしら描いてる
ペンとノートさえあれば(タブレットでも)ずっとネーム描いてる
考えている、というよりほぼ自動書記
だいたい私はいつもそう
こんな話を書きたい!
こういう話を考える!
というわけじゃなくて
考えるより勝手に手が描いてる
ほとんど脳を使っていないような感覚
だから自分が考えている気がしないので
あとから読み返すと、人の創作を読んでる気分になって楽しいのである
(とっても自給自足)
でもこれは、漫画やショート漫画に限ったことで
小説はわりとちゃんと考えないと書けない
文字の方はキャラクターの視点と思考によりフォーカスしていかないといけないからかもしれない(具体的に言語化しないといけないから)
(本来の自分の性格からすると「具体的に言語化する」ってすごく苦手なこと)
こういう感覚になるのが結構久しぶりで
多分海アテにハマってすぐの頃以来なのかもしれない
海アテにハマりたての16年~17年あたりは
ネーム帳にやまほど漫画を描いていて(形にしようとは思ったけど
自分で描いて読んだら満足したので90%くらいはお蔵入り)
今読み返しても、自分にしか描けない、自分にしか考えられないものだと思えて
読んでて楽しい
(萌えるとはちょっと違っている)
というか、私は基本的に、自分で描いたものが好きなんだ
上手いとか下手とかは抜きにして、そもそもどう考えても下手の部類だし
自分の描いたものがずーっと好きなのである
だからはるか昔の自由帳も捨てられないし
一番古いものだと、おそらく幼稚園の頃のものウン十年も昔もものの
見返したり読み返しても
楽しいし、好きだなーと思える
自己満足と自己愛の塊なのかもしれないけど、
まったく文章にしても絵にしても漫画にしても、そのへんのことに関しての自己肯定感がめちゃくちゃに強いのである
評価、ではなく
ただ単純に好きなのである
自分が一番自分の描いたものが好きってだけで、本当にただそれだけで生きてる
で、なんでそうなるのかっていうと
多分自分の好きなようにしか描いてないから
辛いことだと思ったことがないのだと思う
おそらく
10代の頃は、美術系の学校行ってた友達に
絵を勉強したらいいとアドバイスされて
そういった本を読んで、デッサンだの色塗りだの
それらしいことを多少かじってみたりしたものの
つまらないのでやめてしまったのだった
そこでちゃんと上達しようって気持ちがあれば、また違っていたのかもしれんけど
全然向上心がないのだった
描く行為自体を嫌になったり辛くなったりしたら、もう描けないし、描きたくないと思うし、
描くことが自分の癒しと楽しさであるなら
自分からそれを奪いたくないなーと思う
上手くなれたらいいとはずっと思ってるけど
自分の描いたものが好きだからそれはそれでいいな
上手くなりたい、の気持ちもどこか他者にゆだねている気持ちがあって
その理由が自カプをかっこよく描きたいみたいな、
自己の評価でなくて、キャラクターに対しての尊敬の意が優先されている
でも二次創作する人は〇〇くん、〇〇ちゃんをカッコよく、可愛く描きたい!って気持ちを最優先の人多いだろうな
一次創作もそうかもしれんと考えたら、みんなそうか
この楽しさっていうのは永続はしないから、ジャンルが変わったり、ハマるキャラやCPが変わる
でもそのたび新しい楽しさに会えるからやめられないんだろう
たのしーなあー
ずっとやりてえ
そのためには健康でいなくてはならない
痛感するわ……
最近のブログ、毎回締めの言葉が健康第一って言ってる気がする
気を引き締めたいのか?