リョーマ!観てきた
- 2021/09/21 09:15
- カテゴリー:テニス
decide glory
両方、鑑賞しました。
※ネタバレと忌憚ない意見、批評
ポジティブとネガティブな感想を書くので、
テニプリ最高! 許斐先生大好き! リョーマ超面白かった!
という気持ちでご覧になった方とは、異なる感想になるので
自己判断で読んで下さい。
そしてあくまでこれは、いちテニスファン個人の感想です。※
正直、感想を書くことにここまで躊躇った作品も珍しい。
鑑賞した日に少しだけ感想を呟いたけど
どう贔屓目にみても、この映画作品が「面白かった」とは言えなかった。
ストーリーだけを五段階評価するなら、★★☆☆☆かな…
これでもかなり作品自体への思い入れで大目に見てしまってるので、
テニスの王子様じゃなかったら普通に★一個もつかないくらい
つまらないストーリーなんですよ…。
一個の映画作品として、単純につまらなかった。
普通は、初めて見る劇場で見る作品って
最後まで集中して見れるもので、一本観終わってから
面白かった、つまらなかった、良かった、悪かったという判断をするもんなんですが
ストーリー半ばのリョーマと桜乃の逃走劇、逃走中シーンが
退屈で仕方なかった。
合間合間に、歌シーンや、ギャングとの戦いがあるにしても
あまりにも尺を取りすぎていて、冗長すぎる。
電話シーンでの、今作における特徴である青学や他校キャラのシーンも
あまりにも不自然で、ご都合的サービスシーンで辟易してしまった。
「こういうの嬉しいでしょ?」「みんな観たかったよね」という作者のニヤニヤ顔が容易に想像できて、妙に嫌な気持ちになった。
ストーリー上は、別に必要なやりとりでもないし(命がかかってるんだから、電話切ってちゃんと南次郎に連絡しろよ、って思ってしまうし)
歌で励まされるのも、別にいいんだけど(電話相手が状況をきちんと把握できてないのに無責任に励ますのもどうなんだろうと疑問にも持つ)
結局よく分からない行動をとって、ギャングに見つかる始末だし
行動に一貫性がなくて普通にリョーマにイラっとする。
っていうのも、「作者のご都合的サービス」によって、リョーマの行動が不自然さを生んでしまってるから。被害者みたいなもんですよ。
命かかってるんでしょ…。何で無駄に時間をかけさせて目立つ行動をとらせたのよ。
作品を鑑賞する前に私が想像していたのは
サービスシーンとしてなら
「一方その頃日本では…」的にストーリー上には絡まずに
青学や四天宝寺の部活動の様子や、幸村や跡部のプライベートシーンを
チラ見せする程度だろうと考えてた。
どっちにしろストーリー上不要なシーンだし。
手塚や跡部に励まされたから逃げられたんだ!って考えることもできる…のか? いらんと思うけど。あの状況には関係ないしな~
徹底的にサービスシーンとして描いていたほうが良かったと思う。
よくある手法としてOPシーンやEDで、今までのキャラがそれぞれの場所で何してるのか短い映像でみせるって形でも良かった。
(台詞がなくても、部活やプライベートなんだろうなっていうのが分かればいいと思う。結局青学メンバーも手塚以外喋ってないし)
●冒頭のリョーマ対幸村戦。
正直、原作やアニメ、ミュージカルの本編以外で、
この試合を描写する必要ってあったのかなって思う。
推しが負ける姿を観るのは辛い。
でも本編だったら、試合の最初から最後まで観るものだから構わない。それが本編のストーリーだから。
でも一番最後のリョーマが覚醒して、幸村くんが負けるシーンをピックアップさせられ、特にそこをフォーカスされるのは
しんどい。
もっとしんどいのは、
制作的に狙っているだろう、冒頭シーンの一番最初にミュージカル…テニミュ風のシーンを持ってくることをOPとして、
テ ニ プ リ ワ ー ル ド!みたいな表現をしたかったんだろうし、
実際それがテニプリ新規客や、全くの作品知識のない観客にとって
インパクトを与えられるシーンなんだろうと思う。
でも立海が好きで、立海を応援して、幸村君をずっと応援してきた私にとって
あれほど引くシーンはない。
リョーマが優勢になり、会場全体がリョーマを応援する、鼓舞するシーンで、他の立海レギュラーが歌い、踊るのは、テニミュでもタブーの演出だったと思う。
リョーマを応援する歌を、幸村が試合中、仲間が部長が戦っている中、
少なくとも3rdのテニミュ全国立海では立海レギュラーは
真剣な眼差しで試合を見守り、応援していた。
なのに、なんだあれは?
試合後の幸村くんもダンスに参加しているシーンで立海が踊ってるのは良いけど
なんで部長が劣勢の中、立海も踊ってるの?
幸村くんは戦ってるよ…、ひとりで。
徹底してミュージカルシーンにするっていうなら幸村くんも歌っているという形にするなら、まだ立海がダンスしているのも納得できたけど
部長が今までにないくらい必死に戦ってる中、何踊ってんだよ?ってなる。
ふざけてんのか?
いや、ふざけてるのか…。
一所懸命、キャラクターの心情によりそって真剣に向き合ってくれていたテニミュのキャストにも、勝手に申し訳ない気持ちになる。
原作の全国立海決勝を描いていた頃の原作者はいないんだね。
原作漫画の中にしか、もう答えがなくなっているんだろうな。
こんな演出されるんなら、テニミュ4thでもリョーマ!を踏襲して
4thの全国立海ではディアプリンスで全員踊らせよう!とかあの演出家ならやりかねない。
もうそうなったら見限るしかないけど、この状況だと全国立海いくまで5~6年かかるのでは?ただの杞憂だと思いたい。
●一応今作における目玉?である音楽に関して
曲はわりと良かったと思う。
作曲は作者がしているだろうけど、こういうのってプロの編曲が入るから「聴ける」ものになるって知ってるしね…。
ラップ、バラード、ポップス、ロック調とバラエティに富んでて
ラップに関してはちゃんとプロの監修が入っていたらしくて
そりゃそうだよな~って感じました。素人がラップのリリック書くのは危険すぎるからね…。
それ以外はいつも通りの許斐剛らしい早口詰込み歌詞で
素人くささいっぱいの歌詞だった。
なおかつ、おそらくミュージカル調を意識して作詞されているっぽいので台詞、会話風の歌詞が余計にひどさを増しています。
テニスの歌詞に関しては、原作者はもちろんのこと、声優の中の人が作詞してる曲もたくさんあるし名曲も迷?曲もあるけれど
「アニソン」「キャラソン」におけるプロの作詞家との実力差って明らかなんですよね。
その道のプロじゃなくても、もちろん良い詩もいっぱいあります。
私は長年幸村くんが好きでサチンも大好きだけど
サチン以外の作詞家が書いた幸村くんの詩も好きですし
「違うな」と明らかな差を感じることもあります。
キャラ贔屓、中の人贔屓を目いっぱいしても、そこらへんはシビアな感想を抱きます。
今回の映画のミュージカル調だったり、「テニミュ」っぽいと言われるけど(そりゃ歌って踊ってればテニミュって言われるわな)
テニミュを観てきた身としては
あんな陳腐な詩でテニミュっぽいと言われるのは違うよ…って感じてしまいます。
いかに三ツ矢さんの作詞家としての才能があるかをひしひしと感じます。
何故テニミュが人気になったのかって、楽曲と歌詞のおかげであることがかなり大きいのにね…。
思いっきりネタに振り切るものから、原作の台詞やモノローグをふんだんに使って、恥ずかしいくらいの熱さを込めた歌詞が良かったんだと思います。
あと違和感があったのは楽曲シーンで
音質?がこもっているように感じたことです。
ラップの曲とか、南次郎の試合を見てるリョーマの曲とか。
映画館の音響設備?の差とかは
同じ映画館でしか見てないので分からないのですが
不自然に歌のシーンで音がこもっていて
せっかくの見せ場なのに「なんか聞き取りづらいな?」って感じました。
もしそういう編集をしているなら
何で?って聞きたい。この映画の見せ所じゃないの?
●3DCG
公開前から散々馬鹿にされていたCGは、見ている内に慣れる。
でも出来がひどいことには変わりないです。
予算がないんだろうなあって感じたのは
冒頭あたりのアメリカの市場? ストリート? のシーンで
ほどほどのモブが往来している所は
「令和に金出してみる映像じゃねえなあ」
って悲しくなりました。
公開前から散々PS2レベルwと言われてたけど
あのへんのシーン見る限りでは90年代後半のPSレベルだったよ。
FF7~9のムービーシーンで見た…か、それ以下のクオリティだった。
よく思い出してみたけど、FFのムービーの方がまだクオリティ高かった気がする。
あんなペラペラでのっぺりしてなかったもんな。
昔のカラオケ映像の専門学生が作るショートムービーが近いのかもしれない。
スタッフの方々には本当に申し訳ない。
多分すごく限られた中で力を尽くしてくれたのだろうと思うから。
本編にほとんど出てこない
なんだったら出番なんて1分にも満たないような
原作キャラを十何人もデザインしてCGモデル作らせちゃったのか。
そりゃあ予算が足りなくなるでしょ。
元々、おてふぇすの時でも3Dモデルを一体作るのにお金がとてもかかるって話をしてたんだからさ。
それなのに、あんなちょっとのシーンしか出ないキャラを大量に作らせたら
それ以外のシーンにしわ寄せくるに決まってるじゃんね…。
しかもその3DCGすら20年以上前のレベルと言われるくらいなんだから…もう…辛い。
公開前に出た予告やキャラクター紹介で見た3Dモデルの推しを見て思ったのは
「…ブサイクじゃね?」だった。
リョーマや桜乃ちゃんちびリョーマ、ちびリョーガは、おそらく幼い顔立ちなので、可愛く作れるんだと思う。
あと倫子さんも丸っこい顔してたので、可愛く作られてたと思う。
他の2、3年生や大人や南次郎とかは
ん?んん? それで本当にいいの?正解なのか?って感じざるを得なかった。
多分、大人の顔立ち、特に目が大きくないキャラクターになると
3DCGの人形っぽさと相性が悪くてマネキン感が出るんだと思う。
瞳が大きいフェイスデザインの方が誤魔化しがきくんじゃないかな。
CGアニメキャラって
比べるのもおこがましいけど、ピクサーやドリームワークスなどの
第一線の作品の特徴って
毛の細かい表現にリアルさを感じる所が2Dアニメと違う部分だと思うんです。
人間なら髪の毛がサラサラしている所や、動物キャラなら毛並みがふさふさとしている感じが分かる。
勿論この作品にそんな風に感じる部分はなかったです。
特にきついな~と思うのは
顔のアップになった時の「眉毛や睫毛ののっぺり感」
エメラルドや南次郎とかひどいね。
メイク失敗した人間みたいな貼り付けたような眉毛とフェルト生地のような睫毛…。アップきついです。
幸村くんにいたっては眉毛どうした?鼻どうした?という違和感しか出てこないので、普通に悲しい。
推しがアップになって嬉しくないって何?
あとはサマバレ特番?(誕生日特番だっけ?)でも言及されていたけど
全国決勝戦なのに何故ジャッカルがいない?
ジャッカルはいてほしかったよ、とか、作りたかったよ、とか
ちゃんと忘れていませんよ。キャラのこと考えていますよ、って上辺の言葉を並べられても
結局「グッズでの人気が見込めないキャラクターに3DCGの予算が割けられない」ってことなんだよね。
立海でジャッカル一人だけいないのは、あまりにもひどくないか?
だったらバランスをとって立海を含め、他校の人気キャラを各数名ずつ選出すればよかったのに。
今回の他校キャラクター選出だって、全国決勝戦のシーンなのに
リョーマの対戦相手でもない、適当に他校の人気キャラを選んでいるって時点でおかしい。
選ばれてもスクリーンに映るのなんて1分に満たないキャラばっかりですけど。
わざわざあんなに作りこんで、ほんの一瞬しか映らないし台詞もないって、グッズの為だけなら絵でいいじゃん。お金もったいないなあ。
●さくのちゃんについて
昔から基本的に桜乃ちゃんに関しては
否定でも肯定でもなかったんです。
WJ時代のテニスでは、ほとんど出番なかったし、
アニメも放送版では後半につれて漫画と同じように出番ないし
作品のキャラクターではあるけど、いてもいなくても成り立つ存在だったから意識したことなかった。
新テニで、色々出番が増えて、リョーマとのやりとりも漫画の中では微笑ましくみてる一方で
キャラデザが妙に大人?っぽくなりすぎてて(顔が伸びてる)
初期の少女らしさがなくなってるのが残念だなと思ってたくらいでした。
今の映画のポスタービジュアルが出た時(前売り券の特典とかの絵)
「ん…? お??」ってかなり違和感を持ったんです。
デザイン的にごちゃついてるな~なんかセンスないな、と思ったことと
原作イラストと3DCGともに、さくのちゃんのポーズと表情が
「これで正解なのか?」って感じた。
手を胸の前に持ってきて小首をかしげて弱弱しく眉を下げて頬を染めて、おどおどしたような表情。
うーん???
CG絵でもうーん?って思ったに、特典の原作絵を見たら
余計にうーん??ってなった。原作イラストの方が誇張されとる!
まだCG絵の方が可愛く見えました。
なんでこんなごちゃついたデザインになったのかなと考えた時に
基本的にはメインのリョーマとさくのを見せたい
でも、それだけじゃ情報量が足りないから、
越前家を足して(何故倫子ママをはぶくのかw)
ゲストキャラも映画感らしさを出すのに添えて(ぱっと見気づかないくらい添えてあるだけw)
更に人気キャラの跡部と手塚をぼんやりと透けさせながらも顔をドアップにして目立たせる。
出番シーンから考えたら、跡部と手塚はいらないけど
メインビジュアルであることと特典なので、人気キャラは絶対必要なんですよね~って感じる。
素人の私にもよーくわかりました。
それとさくのちゃんのモジモジポーズも映画本編を見て納得。
このポーズと表情のイメージのまま。リョーマの後ろに隠れてるのも、うまく表現してる!
びっくりするくらいこんなに魅力のないキャラクターをよくここまで描けるなあって思いました。
元々、女性に対しての価値観と偏見が、かなり古い認識を持たれているなと、原作当時すらも感じたし
女性の描き方(内面、外見)があまり得意ではないようだな、と思っていた。
可愛い女の子は、ロングヘアで色白で内気で男性に守られるタイプで、ドジっ子で、健気で、自己中心的。
年を重ねた女性は、ババア呼びばーさん呼びで、強くてもいいし、女性扱いしなくてもOK。
テニスにおける女性キャラクターの人気のなさって
よく腐女子(夢女子)が叩くからだとか、女の嫉妬を持ち出されることが多いけど
そういうことにしておきたい一定の層がいるんだな~という印象。
少年漫画作品で、女性人気の高い女性キャラクターなんていくらでもいるし、単純にテニスのキャラクターの魅力が無いなあとしか思えない。
さくのちゃんに限ったことでなく、許斐先生の描く女性・女子キャラクターは総じて作りが下手なんだと思う。
出番が少ないから魅力を表現しきれないとか、女子の話が描きにくいからという問題でもない。
昭和脳よりも、更に古臭い男性の価値観による女性への偏見が固められた「理想の女の子像」「理想の女性像」としてキャラが作られているので、
一般的感覚を持った、現代を生きる人間から見たら
違和感と不気味さを感じずにいられないのだと思う。
もしかしなくても作者は女性が嫌いなのか?
生きてる女性の個性や魅力、長所や短所を知らずにいるのか?って感じるくらいに。
元々テニスの王子様にはさほど女性キャラクターがストーリー上関わってこないから、基本的に気にするほどのものではなかったし、
気に留める要因でもなかった。
(たまに読み切りや原作初期やアニメ初期で、こりゃ嫌われるよと感じる程度だった)
守られるヒロイン、守る主人公(ヒーロー)
という定番で王道のストーリーを描きたかった、という話もきいた。
守られるヒロインと守るヒーローって、その価値観、ディズニーだって30年以上前に卒業しているんだよ…。
そういった作品を幼少期に観ていた子どもだってアラサー、アラフォーなんだよ…。
守られる無力なヒロインが「古臭い」と感じる以前の問題だと思う。
自分が生まれるよりずっと昔の、祖父母より更に前の…もう古典レベル。
別に古典なら古典な作りでも構わないけど、ただただつまらない話と魅力のないキャラクターはどうにかしてほしかった。
昔話だって楽しい面白い作品いっぱいあるよ。守られるだけのヒロインだって魅力はいくらでも描けたはずだよ。
ふと頭をよぎったのは
今作のさくのちゃんはメアリースーっぽいなってことだった。
pixiv大辞典から一部引用ですが
・作者の理想が投影されている
・作者によって作品世界内において異常なまでに優遇されており、その結果物語から浮いている
この2点はまさにそうだなと感じる部分であり、
作者の自己投影ではないものの、作者の理想の女性(可愛いヒロイン像はこうあるべき!)がかなり投影されていると感じる。
・若くして高い地位に付いている、偉人の生まれ変わり、非常に強い、美形(オサレ)、不特定多数の人に好かれる、超能力を持つ、他のキャラクターが知らない事柄を知っている、その他厨設定がてんこもりなど、「特別な存在になりたい」という理想
・逆に弱い、平凡な外見、無知、モブ、とってつけたような弱点がある、原作キャラから嫌われてるなど、「よくある最強キャラから外れて特別になりたい」という理想
この2点は、ハイブリット型という最悪な合わせ方をしていると感じた。
やたらと絡まれかわい子ちゃん扱いが多いので、おそらく見た目はかなり良いとされている。(残念ながら作者のキャラデザと画力では表現しきれていませんが…)特別な存在であり(青学テニス部顧問の孫)、弱く、ドジで、トラブルメーカーである。
おそらくこういった現象に陥ってしまったのは
原作者のお気に入りで贔屓になってしまったからだと思われる。
そのためか、今作ではさくのちゃんに限らずリョーマも性格が変わってしまっているように感じられた。
令和の新作アニメで「ふええん」を声に出すヒロインを出す。
これは、もうすごいと思った。
20年前の萌系アニメのふええん系キャラって言われても実際はキャライメージだけで
声に出して「ふええん」というキャラは少なかったはず。
古い…全てが古い。
ヤンキーやチンピラに絡まれる描写も、80年代…?いや70年代か?
この描写お気に入りなのか知らないけど原作でも何回かあるし
見た目の良い女性、女子は、ガラのわるい男たちに絡まれるのがお約束とでも思ってるんだろうか?
絡まれるのは百歩譲っていいとして
「かわいこちゃん」なんて台詞を令和の作品で言わされた杉田さんに同情すらする。古典作品だと考えていれば大丈夫なんですかね。
一応タイムスリップした時代が連載当初の10年前だったとしても90年頭~88、9年くらいって設定なんでしょうか?
●あまりにもステレオタイプすぎるアメリカの描写
いつの時代のアメリカなんだよ…ってくらい偏見みまみれたアメリカの世界。
昭和初期生まれのおじいちゃんが米国ってこうなんだろうな~って一所懸命想像したかのようなアメリカのイメージ。
作者の方、アメリカ行ったことありますよね?
それとも鑑賞するファンの知能に合わせて
「わかりやすくしてあ げ た」ってことなんですかね?
あんな世界観みたらアメリカ人は怒るか笑うと思う。
アメリカのアニメで日本人が瓶底眼鏡で出っ歯でカメラもってる描写されるくらい古臭い。
●エメラルドという女性
車いす、タトゥー、未来改変という色んな伏線を散りばめられながらも、何一つ回収されずに終わったお姉さん。
足にラケットを装着してカポエラのようにテニスをする様は
あ~!テニスの世界観だ~!と思えますが、歌っている内に試合が終わるので、テニプリらしい試合はほとんど見られない。
杉田さん演じるウルフの車にエメラルドの写真があるらしいんだけど
(リョーマが指摘するシーンがある)
何が悪いのか、その写真まったく見えないんですよね。だから急にリョーマが「その写真って」って言いだしても
「どれだよ!?!?見えない!!」としかならない。
私が鑑賞できたのが150人クラスの小さいスクリーンだったから見えなかったのかな!?
500人クラスのビッグスクリーンなら確認できたのかなあ…もうそれは無理みたいなので残念ですね。
映画自体がリョーマとさくのちゃんがメインで3DCGっていうことと
「テニプリを知らない新規の人に見てほしい」とずっと言っていたことに、
ディズニーアニメや新海監督作品のような
ボーイミーツガールもの、恋愛ストーリーものとしてヒットさせたいんだな~という願望が感じられました。
10代男女の恋愛ものとして、いわゆる一般層にウケたくて仕方ない!っていう気持ちが表れてました。
映画がその方向性で決まっていた時点で、到来のファン層は「敵に回されていた」んだと思う。
ラップを取り入れていると発表した時も「男性ファンに見てほしい」という話もあったし、
自分の作品のコアファン層はさておき、もっと一般的に売れたいっていうのがあるんだろうな~と思いました。
1万円出してくれる1000人のディープなファンより
1000円で楽しんでくれるライト層が1万人いた方がいい。
そんなイメージがありました。
1万円だすファンは、作者が何をしてもついてきてくれるだろうという驕慢があったのだと今になってはそう思える。
勿論、作家として、クリエイターとして「売れたい!」と思うこと、「もっとたくさんの読者や視聴者に読んで観てもらいたい!」と考えるハングリーさって大事だし
20年同じ作品を書き続けても尚、向上心があるのも素晴らしいと思う。
でも、20年続けられたのは、売り上げを支えるコアファン層がいたからっていうのを忘れてもらっちゃ困る。
続けるのも何も、作者の判断による所もあるし、WJ版で完結しても良かったと思う。
それでも作品を書くこと、コンテンツとして続くことは、買い支えるファンの望みでもあるし、需要と供給が成り立ってたから。
ファンが飽きて減って、需要がなくなれば作品もコンテンツもとっくに終了していただろうし
そのファンが「飽きずに減らなかった」のは、
作品が好きで応援してくれているから、お金を使ってくれていたから、売り上げがあったからには違いない。
飽きずに減らない理由は
各キャラクター人気のおかげだと思うし、そしてキャラクターとファンとの距離感でもあったと思う。
乙女ゲームやバレンタイン、豊富なグッズとキャラクターソング、定期的な公式イベント、声優によるライブ。
二次元アイドルのような存在であるキャラクターの人気によって、支持されていた作品だってこと。
また学校というチームが、いわゆるアイドルグループの箱推しのように、各学校にファンがついている、というのもテニスの特徴でもあった。
大人数のキャラクターがいるのにも関わらず、プロフィールが仔細に設定されていることや、キャラクター自身がファンを意識するようなサービスなどもある。
テニスの王子様という作品はメディアミックス作品における、ひとつのプロトタイプを作り上げていたと思う。
特にキャラクター商法においては、少年ジャンプ作品では異端ではないか。
でもそうして商売として成り立たせていたし、ファンもそれでついていったのだから、何も問題なかった。
そういった前提がある中で、
今作はかなりチャレンジしていると言えるし
無謀ともいえる。
この作品は、許斐イズム的に言えば「誰も通ったことのない道」なのかもしれない。
それを貫くのが許斐剛の精神なのかもしれない。
20年目の記念すべき作品であるならば、
それまで応援してきていたファンも満足させ、
今までテニプリを知らなかった人も楽しませる。
それが、製作総指揮の役目ではないのか?
この作品はそのどちらも達成できていないから、ダメだ。
確かに、TwitterなどのSNSや、映画レビューサイトを見れば
満足度も高く、楽しかったという絶賛の声が目立っている。
私のSNSのアカウントにも「テニプリ読んだことないけど観に行って楽しかった」的な感想やレポートが多く目につく。
SNS上、ネット上は、そうなんだろう。
でも現実は違う。
実際の劇場は、実際の興行成績は、
きちんと数字で見れば、それらがいかに上辺で滑稽なことか分かる。
どんなに感想イラストやレポート漫画が万ツイート、万いいねされたって
売り上げは芳しくない、劇場は埋まらない。
現実に観に行く人間がいないのなら、意味がない。
ネット上の空虚な数字に浮かれて、物事の本質から目をそらしてちゃいけない。
初日満足度ランキング1位とって喜んでる場合じゃない。
2位とのレビュー数の差を見ろ。147件と7248件だぞ。恥ずかしいだろうが。
こんなレビュー数なら知り合いと関係者だけで埋められるんじゃないかってレベルだよ。
CGアニメに関しては、別に今作のリョーマ!だけに限らず
日本の作品、原作が日本の漫画やアニメ作品とは相性が悪いし
アニメーション作品の表現の一部に3DCGを用いる方が
日本のアニメ制作会社とは相性がいいのだと思う。
日本の2Dアニメは世界へ向けての作品として売れる強みがあるので
そっちを伸ばすほうが良いと思う。
これはリョーマに限った話じゃなくて、ジブリ作品とかも…。
日本の会社が制作した3DCGアニメ作品って国内でも世界でも特に評価も支持もされてなくない?誰が求めてるの?
あと普通に製作費と収入に見合ってないから、やらないほうがいいんじゃないかな。
作るのにお金がかかるわりに、興行収入が見込めない。だったら
予算も抑えられる2Dで作ったほうがいいんじゃないの?
っていう話や説得を
リョーマ!を作る際に散々されてきたのに
悉く突っ撥ねて意地でも3DCGで作ると決めてしまった製作総指揮の人の責任ですよね…。
色んな所で、自分の意見が反対されたことを話していらっしゃるけど
ビジネスの話だったのを自分のエゴを突き通しちゃって、
このザマですよ。
興行成績的に大成功を収めたら
「周りにたくさん反対されたけど、自分が選んだ道は正解でした」って言えるけど
普通に失敗しているのに、いや、失敗どうこう以前から
そんな話をドヤ顔でされても
カッコ悪いだけなのになあ…。
もしかしたら今週末から大逆転して興行成績うなぎ登り爆発的大ヒット! ……になる可能性はほとんどないけどね…。
コロナ禍になって、映画業界がかなりピンチの状況に陥った時
鬼滅の映画の大ヒットによって、映画館自体に人が来るようになった。
鬼滅の歴史的大ヒットに影響されて、他アニメ映画の興行成績が以前と比べてぐんぐん伸びるようにもなっていた。
映画業界の活性化をうながし、経済効果をもたらした鬼滅は本当に凄いと思う。
個人の見解ですが、
それまであまり映画館に足を運ばなかった人や、アニメ映画を見なかった人も、鬼滅の効果で映画をみることや、アニメ映画を選ぶことのハードルがぐっと下がったのかと思う。
あとは、ご時世的に遠出が難しかったり、他のレジャーが出来にくい中で、映画鑑賞が選ばれやすくもなったのあるかもしれない。
なので、20~21年に公開された作品ってかなりボーナスタイムを得ていたと思うんです。
それまでアニメ映画ってジブリやディズニー以外の作品だったら
10億いったら大ヒット、20、30億なら社会現象レベルって言われるくらいだったのが
この一年で、深夜アニメ作品でも2~30億いくのも目指せなくない。ちょっと有名作品なら50億だっていけるレベルになっていた。
それくらい映画業界が盛り上がっている時期だった。
のにも 関わらず。
私が初めて劇場に足を運んだのは公開から一週間経つか経たないか。
新作ブーストがある時期、盛り上がってなきゃ仕方ないような頃。
関東にある映画館の座席予約を見て
「……? 2~3人しかいないのだが??」
劇場も新作にあてがわれるにはあまりにも小さいスクリーン。150人クラス。
劇場に入ってみれば分かるだろうと行ってみたものの
値段が安くなる日にも関わらずおそらく自分を含め10人にも満たないくらいの客入り。
同じ週に公開された他作品は、300人クラスのスクリーンで
見やすい席がほとんど埋まっていたので、座席を半分にしているにしても100人以上は予約で埋まっていた。
なので「平日だから」とか「夕方だから」という言い訳は通用しない。
観終わった後に
「そりゃそうだわな」と納得した。
面白かったり楽しかったりしたら、
アニメ映画、特に固定ファンがついている作品ならリピーターが通ってくれるものだし、私もそうしてた。
16年のキンプリは十数回、遊戯王は20回以上? 最近だったら19年のプロメアは数回劇場で見ていました。
これらの作品にいえるのは
「ただ単純に映画館で作品を鑑賞したい!」という気持ちが強かったので、特典がなくたって
応援上映でなくても舞台挨拶がなくても、何回も繰り返し観に行きました。
何故なら作品を観ることが楽しかったから。
観たいシーンがある。観たいキャラの活躍がある。ストーリーが楽しい!
それだけで楽しくてご機嫌だった。
映画よりもお金も時間もかかるし、場所も時間も限られているテニミュだって、同じ公演を何回も、20数回も観るような私でさえ
リョーマ!は1回目の時点で飽きてる。退屈に感じてるのは、
何でなのよ?
いやまじで何で?
●テニフェスpetit
先行公開されてた時点でお察しだったけど
ああいう原作絵使ったMADって2000年代後半にニコニコで流行ったよね~。懐かしい~。
推しならぐっとくるシーン選んでくれたり、演出がエモさがあったりして
原作愛とキャラクター愛のある人が作ってくれたんだな~と思う反面。
このくらいのクオリティってニコニコで観てきたのとさして変わりないんだよなあ~…。という残念さ。
なんだったらニコニコが流行ってた当時の素人のファン(プロやセミプロも混じってただろうけど)が一人で作った手描きMAD系はもっと動いてた。
そんな動画が、すでに10~10数年以上前にいっぱい出来てたんだよな…。
何故、予算をつぎ込んで制作した今作のための3DCGモデルを使わなかったんだろう。躍らせることも出来なかったのかな…そんなにカツカツだったの?
何もかも勿体ない…。
コアなファンは知ってるキャラソン(わりとフェスやライブ定番曲だと思うので)で楽しいと思うけど
製作総指揮の方が望んでる新規ファンは
対して動くわけでもないよくわからん知らん曲の動画を長々見せられて
つまらんと思っちゃわないかな?とか想像できなかったのかな。
●結局
じゃあ結局コアファン向けムービーとして他校キャラわんさか出した映画作れば古参ファンは満足だったのかよ!?
って言われたらそんなことない。
リョーマとさくのちゃんが中心で、南次郎の引退のきっかけになった試合、越前家と出会うリョーマたち、テニスギャング…これらのストーリーで面白い作品だったら、良かっただけ。
他校が出ようが出まいが、歌を歌って踊っても
テニスって楽しい!やっぱ面白い!って手離しで言わせてくれる作品だったら良かった。
ただただ単純につまらなかった。低クオリティの3DCGだったこと、作品自体が本当に残念な出来であったことが
悲しい。
本当にちゃんとビジネスとして考えるなら、
2D映画で他校キャラもいっぱい出してオールスター的なワイワイ映画で、特典もガンガンつけたら、推しキャラ、推し校目当てのファンが何回も通ったと思う。
新規を獲得するのは難しいかもしれないけど
やっぱテニプリってこういうのだよね!って話題にはなったかもしれない。
それじゃあ作者はつまらなかったのかもしれないけどね。
しらんけど。
――
映画観る前は10~億くらいいけるかもしれないって勝手に期待してたけど
これ5億もいかないだろうね…。
そもそも10~15年前のテニスの映画
二人のサムライが3億6000万
(05年アニメ映画 コナン21億、ハガレン/ワンピ12億、ナルト11億)
英国式が2億5400万
(11年アニメ映画 コナン31億、けいおん19億、イナイレ11億)
基本的に映画作品ではあんまり興行収入見込めないんだね。
実写は調べたんですが明確な収入は見つけられなかったです。
おそらく同等かそれ以下だと思います…。元々評判悪かったし…。
公開前は楽しみにしてたし、わくわくしてた。
賛否両論色々あるけど
それでもやっぱりテニスって楽しいな!テニスの王子様って最高だな!って思えるものだと信じてた。
原作、アニメ、ゲーム、テニミュ、テニフェス、おてふぇす、声優のイベント・・・
色々楽しんできたし、どれも楽しかったから読んで、見て、参加してしてきた。10代の頃から、大人になった今まで。
他のジャンルや、オタク以外のことが趣味になっていた頃も
それでもやっぱりテニスは自分の中にあるし、ずっと好きでいて
ずっと楽しめる作品なんだと思ってた。
他の本命ジャンルがあって、テニスに動きがある時だけ
「やっぱりテニスが実家、ホームだ~」って言う気持ちも分からなくもない。私もそんな風に離れてた時があるから。
私はここ5年くらい、オタクの趣味はテニスを中心にして時間もお金もかけて、たくさん楽しんできた。
自分が楽しくてやっていたことだし、「お金を落としてる」「お金を使ってる」って意識はなかった。
漫画や雑誌を買うのも、グッズを買うのも、イベントやコンサートに参加するのも、好きでやっていたし、推しを得られるのが幸せだったから。
漫画でもアニメでもゲームでも、音楽イベントでも、声優イベントでも、ミュージカルでも
テニスの王子様って良いな!楽しいな!って
いつもそう思えて、信頼していた作品だった。
新しくなったテニミュ4thに関しても、不満や文句や、色々鬱憤がたまってしまっても、でも結局は「面白かった」って言えていた。(キャストが良かったからって理由が大きいけど)
ただ映画は、リョーマ!だけは、擁護できない。
つまらなかった。としか言えない。
それだけなら、まだいいんだけど。
作者のTwitterやら、インタビューやら、声優の人やらの
ちょっとしんどいなあって話を目にしたり聞くようになると
本当に熱がさーっと冷めるように、好きだった気持ちや楽しかった思い出すら失われいく気がする。
好きな作品に冷めることがほとんどないので、悲しさや寂しさを強く感じる。