100エーカーの森
キングダムハーツの100エーカーの森が好きで、延々とあの中で過ごしていたい。
RPGで好きな国、エリア、エピソードがあると、ずっとそこに居たくて、セーブを残しておいて
時々思い返して遊ぶ時に、すぐ戻ってこられるようにしている派。
クロノトリガーだと、魔法の王国ジール。古代編がとくに好きで、音楽も好きでずっと聞いてることもある。時の回廊。
ゼノギアスだとシェバト。光田さんの音楽はいいやね…。ジールもシェバトも、薄暗さが漂っているのは、物語上での罪の元だったり原因がある場所だったりするかもしれない…。
100エーカーの森は、本編を忘れてひたすらに絵本の中で過ごすことと、お別れのエピソードと
絵本が完成すると、表紙がかわるあの演出が切なくて好き。
ディズニーアニメ893の友達とよく話すのは
「眠れる森の美女」の妖精フォーナの性格の改変である。
フォーナはのんびり屋で中立派だから、ドレスの色に固執しないの!!
なんでいきなりドレスの色にこだわる性格にしたんだ!?
あれだけ未だに納得してない。
フォーナは、卵を生地にやさしく入れる魔女なんだぞ!!(自力で家事するシーン大好き)
ディズニープリンセスの中ではオーロラ姫が一番好きだなあ。
仮の名前「ブライアローズ」も可愛いよね。見た目も性格も歌も好き。
王様のふたりの歌もよく友達と歌います。
王子様も好きだなあ。フィリップ。わりと恋に浮かれる王子様で抜けてる所も勇敢な所もあって好き
原作がいいよね……童話の中でも好きな話だなあ。
――
童話で好きなのは、お姫様ものも好きだけど
赤ずきんちゃんが好きです。子供のころは、あの格好とカゴを持ってお使いにやたらと憧れ
大人になってみると、「赤ずきんちゃんってエロイ話だなあ」と思うようになったからだな……不潔!
一時期、本当はこわい童話とか、大人向けの童話とか、漫画や小説で読んでた。どうしても、死と性から切り離せないものですね。
原作自体が怖い話が多いのを、時代がかわるにつれて、マイルドにされていったんですよね。
昔話とか童話がやたらと好きだ。
外国のも日本のも好き。
だからそういうカップリングの話が書きたいなあと、何にハマっても考えるんだけど(ジョナディオでも書いてたんだけど…、まだ終わってない……)
海闇くんでも書きたいもんです。
そうそう、なんで100エーカーの森の話を思い出したかというと
ゲームの中にいるときに感じた気持ち、良いなあと思う気持ちを
表現できる話や漫画が書けるようになりたい。
言葉知らずで、その気持ちってものを、うまく言えないのがもどかしい。
自分がいいと思うことや、体験を、その心の形を文章なり絵なり、何かしらでアウトプットしていたい。
その気持ちは、ずーっと変わらずにあるので、昔の自分の漫画や絵、話を見ても
そういう気持ちでいたんだ、が分かるので、自分の作品は大好きだ。
そりゃ、自分の心が理解できているんだから、伝わるに決まってるけど
その時の感情は、その時にしか無いもので
それを形にしておくのは大事だ。
その時にしかない、その時だからある、それが知れるのはとてもいい。
特に、子供の頃の、ぐちゃぐちゃした感情や、モヤモヤした感情が素直に表れているものは、今の大人になってしまった私には書けないものだらけで
読み返すととっても楽しい
大人になると、その時代のものを「厨二病」だとか「暗黒時代」とか言ってしまうけど
漫画でも文章でも絵でも、その時の感性はなかなか得ようと思っても得られるものでもないから
残しておくのもひとつの手だと思うなあ
痛いとか、恥ずかしいとか
でもその「痛さ」「恥ずかしさ」が魅力のエッセンスになるもんでないか?
さじ加減が難しいけれど…
文章家のひとも言ってるけど
恥ずかしいくらいが、丁度いい
らしいです。
私はまだまだ「恥」を曝け出せてないので、ぼんやりした海闇くんしか書けてないのかもしれない。
恥とは?
えっちなこと、スケベなことよりももっと恥ずかしいのは、考えていることを出し切ることだろう。頭も心も、裸になっている状態。
価値観とか、物事の視方とか、何もかもを表し尽くしたら
きっととても恥ずかしくて、でも、とっても楽しくて
満足出来そうなんだろうな
ジョナディオのページをみて、月海夜の最後の話を何度も読み返す
最後、終わり方が大変満足しているのと、自分がこんなに長い話を書けたなんてスゴイッ!と実感するために繰り返し眺めてる。
ナルシズムだな。
でも自分が大好きでいいじゃないすか。
嫌うよりずっといいです。
イヤになることはあっても、嫌いになんてならないなあ。
一生つきあっていくのは自分だけなんだ!そうだね。