さかさまのさかさまを見てごらん
日々、萌えについて考えて生きて
ひとりで悶々として、ここにぶちまけていたんだけど
人と話したり、意見を聞いたりすると
今まで疑問だったことや解けなかったことが分かるようになって
勉強になるな、という思いと同時に
「ああ、私って萌え語り苦手なんだな」
と自覚する。
自己完結のみずがめ座O型だから!?www
長い付き合いの友達と話していてもそう思うんだから、もうこれ、どうなの…単にだらけているだけ…?
共有と共感も大事だし、そこも目標としてるんだけど
むずむずするやね
うまく自分の言葉で言えないから、
なんか「書きてぇな!」ってなるし
そうじゃないと結局自分の意見は表せられないのが、常だからか。
日記も、誰かに対して言っているわけではないから、
矛盾も意見変えも、支離滅裂も全部アリでやっている
自信かー……無いなぁ。いつまで経ってもないなー。ああしたい、こうしたい。ああなりたい、こうありたい。
ほんの些細なことが、自己肯定の後押しになるもんだ。
心のお守りが増えていくね。
依存の場所は増やしたほうがいいと分かっているんだけど、
現実を全て見なくても
自分だけが知っている面だけで、救われるのなら、それでいいじゃないかと
私は思う。
ちょっとそこは劇場版遊戯王にも通じる所あるよね~!ねーっ!!
軌道エレベーター…、宇宙ステーションはまさに海馬君の「象牙の塔」なんだよなあ
――
だから劇場版遊戯王の中での海馬君にとって、
AIを造ることも、千年パズルを発掘し、組み立てることも
全部心のお守りだったと思うんだ
それを全て失って
失ってから確信が持てたから、すっきりした顔になれて、前に進めたのは
彼の精神にとってとても良いことだったんだろう
精神衛生…海馬君のたった18年の人生において、健康で文化的な生活とは一体いくつまでのことだったろうか。
親を亡くしている子供で、しかも長男となると、精神的な成長は早かっただろう(そうならざるを得ない)大人が思っている以上に、社会に対する認識をしているんだ
だから剛三郎にチェスを申し込んだのだろうし。
ディオの時も散々に考えたんだけど
子どもが子供らしく生きられないのは、本当に哀しいことで、見ていて辛い。
しなくてもいい苦労や、悲しみを背負っている子の幸せを願わずにはいられない。
そんな時代を生きて、大人になっていった人を、どうにかこうにか幸せになってくれ~!という念をこめて、妄想をしているのかもしれない。
一介の腐女子の余計なお世話ですよね。分かってる分かってる。皆まで言うな。
キャラクターの幸福、それが一番の願いであり、自分にとっての幸せである。
二次元の、紙の上の人じゃないか。本気になってどうする。
でも、その世界は、大人の人間が本気になって作り上げた世界であり、命が吹き込まれた人々だ。紙の上と、たかが三次元の現実と、それの違いになんの違いがあるだろうか。
肉体があるかどうかくらいの違いしかないんじゃないか。
生きているなら、そこに命はある!
だったら、いいじゃないか。
まあ、そりゃあね、二次妄想、二次創作って、同性愛を描いてることが大正当化することはないよ……隠れてやる趣味だもんね……
でも私は願っている。
幸せでいるように、と願ってる。