ピエロ
これは個人の一説です。
劇場版で、海馬君はAIのアテムに対して
「我が記憶の道化」と表現しています。
定説として、「人に対する悪口罵声は、そのまま自分への言葉」というものがあります。
無意識的に、海馬君は自分の滑稽さに気付いていたのかもしれない。
それまで散々に、闇遊戯=アテムに対して、自分がライバルであること、自分が相手を倒すこと、終生の敵であることを言い続け、相手にも認めさせてきました。
そして、それらは周囲にも伝えている(他人がどう思おうがどうでもいいのかもしれませんが)筈でした。
そして、トラウマを乗り越えることが出来て、気持ちを新たに再出発し、自分の人生へ歩き出した……。
彼は彼なりの光を見つけられたのだと思います。
でもその大きな支えとなっていたのは、王様の存在が重要とされていて、
揺るぎないものとして、人生の中に設定されていたはずで
彼はそこ(王様)に信頼を置いていたのだと思います。
だから、明るい顔をして、別れられた。
それなのに、自分の知らないところで、王様の存在意義と彼の人生の分かれ道の話は進み、介入する隙もないままに
王様の物語が勝手に閉じられてしまった。
そうされてしまうと、今までの自分の発言は何だったのだと、思っても仕方ないことです。
つまり、ピエロは自分だったのでは?……と、なってもおかしくはない。
道化を演じていたのは、自分だった?
そんな考えがよぎる。そして、心と頭に残る。
その言葉と思いがあるからこそ、AIのアテムにそれがぶつけられてしまったのではないだろうか。
それは八つ当たりにも似ている。
――
実在した殺人犯、ジョンゲイシーのエピソードを読んでいて、なんとなく思ったのでした。
ジョンゲイシーの生い立ちや人生、そして殺人動機、心理状態は興味深く、一つの読み物として考えると、とても面白いです。
ただ、内容がグロいのと、残酷性があるので、オススメは出来ない。
最初の殺人のエピソードがあまりにも切なくて悲しい。
彼にその弱さが無かったら、殺人犯にはならなかったのかもしれない?
そしてジョンゲイシーも、アダルトチルドレンだ。