いつだってディオは誰からも注目され、尊敬され、頂点に立つべき人間として他を虐げる地位に君臨していた。
そしてジョナサンはディオの配下だった。学校でも、街でも、邸内でも、立場は同じだった。
周囲の人間たちは、明るく活発なディオにジョナサンが慕っているのだと思い込み、微笑ましく彼らを見守っていた。実際は、暴力と精神的圧迫によってジョナサンはディオに掌握されていたのだった。
自分の正確な生まれ年を知らないディオは、身体の成長でおおよその年齢を計っていた。ジョースター卿も、ディオの顔つきや背丈から見当をつけジョナサンと同年齢だと推定していた。
出逢ったばかりの頃はディオの方が幾分か背も高かったし、筋力も上だった。
それが、今はジョナサンの方が身長も体格も僅かにディオを上回っている。最近のディオはとにかくその事実が気に入らないのだった。
もうひとつ、ディオが無性に腹が立つことがある。
この頃、ジョナサンはこそこそとディオに隠れて、自慰に耽っていることが増えていた。
妙に色気づいていると思ったら、これだ。
「だからモンキーだって言うんだ! なんて低俗なヤツ! 気色の悪い! 最低だな!」
初めて目撃した時、ディオは絶句し、嫌悪感を最大値まで上げて罵倒した。
いつまでもガキだと思っていたあのジョナサンが、忌むべき大人達と同じように手淫に夢中になっているのだから、当然吐き気を催した。
「こいつだけは、他の人間とは違うかもしれない」と一瞬でも思ってしまった過去の自分の首を絞めてやりたくなる。その当時のディオは鬱憤を晴らすようにガーデンの花壇を荒らしまわった。
物心つく年のディオは、大人たちの性行為や、恐るべき性欲を嫌でも見せつけられる環境に居た。その行いがどれだけ汚らわしく、いやらしく、悍ましいものか、無垢であったディオにとっては受け入れがたい現実だった。
それらの経験は、異性に対して恋心を抱く時期になった現在のディオにも悪い影響を与え続けていた。
「性」を感じさせる出来事に関して、嫌悪を通り越した「憎悪」を抱くようになっていた。女性的、男性的な健康な成長に逆らうようになり、少女の女性性を否定し、少年の男性性を突き放すばかりだった。
特に自分に近しい人間に、ディオは攻撃的になった。
無論、その標的はジョナサンであった。
「性欲」を持つことがいかに下劣で、下品で、下衆であるということか、ディオはジョナサンに知らしめたかった。同時に、ジョナサンがそういう人種であるのだということに、優越感も持っていた。
いつしか、ジョナサンがマスターベーションを行っていると、ひどく苛立ち、むかつきながらも、自らも興奮するようになっていた。
優越感からくる高揚、もしくは胸のざわめき。得体の知れないものを見た場合に起きる未知の感動とも言うべき情。
「フフン。街の仲間たちに言いふらしてやろうか。それともあいつの目当ての女に告げ口でもしようか。どちらにせよ、ジョジョに恥はかかせられるし、しばらくは爪弾きにされるだろうな」
微妙な年頃の彼らにとって「性の話題」は虐めの種には適している。
陰毛が生えるのが早いだとか遅いだとか、そんな些細な問題すらも子ども達とってはからかいの対象になる。
ディオは機を窺っていた。次の晩、必ずジョナサンは「する」。
タイミングが肝心だ。
夜、メイドやフットマンが用事をすませ、部屋をあとにする。それから一時間はそわそわと落ち着かない様子でジョナサンはベッドに横になっている。
気が昂ぶっているからか、何度も寝返りを打つ。それから、ベッドサイドのランプに火をつけると、起き上がって寝間着を捲る。
「……はあ」
切ない吐息がもれ、覚えたての自戯をぎこちなく始める。
ディオは、ジョナサンの声に顔を歪めた。
「忌々しい……」
そして親指の爪を噛んだ。
ジョナサンの背が一定の間隔で揺れ動く。扉を開け、ディオは足音を消して背後へと立った。
「……ッ、は」
「おい」
無我夢中になって、やっと果てられるという頃合いに、ディオは声をかけた。
「……ッ!? えっ……あっ!」
丸まっていた背がぴんと伸びて、ジョナサンは間抜けな声を上げた。
ディオは目を細めてジョナサンの腹側を覗いた。
「あ……っ、あ……」
「へえー……」
ふいに声をかけられて、ジョナサンは言葉を発せられないようだった。
おろおろとした態度が後ろ姿からも分かった。
「……なあ、何してたんだい?」
「あ、いや、あのこれは……」
慌てて陰部を両手で隠そうとするものの、絨毯に飛び散ってしまった精液までは手が回らないようだ。明かな証拠だった。
「なあ、ジョジョ。何してたんだい? そんなところを丸出しにして」
「ディオ、なんでぼくの部屋にっ!?」
「ノックなら何度もしたじゃあないか」
勿論、嘘だ。ディオは一度もドアを叩いてはいない。
「なのに返事もない。寝ているのかと思って部屋を見てみたら、明かりはついてるし、君は椅子に座っている」
「…………う」
ジョナサンは耳まで赤らめて、縮こまるようにして前を向いている。ディオの顔を正面から見られないようだった。
「だから、何をしてるのかなと……」
「な、何って……」
「何?」
ディオは嫌みっぽく訊いた。そしてジョナサンの顔を覗き込む。口元の笑みは消せそうもない。
「これは、その……あ、あれだよ」
「あれって?」
「アレはアレだろ……ディオだって、したことあるだろ!」
恥じらいのあまり、ジョナサンはディオも巻き添えにする腹積もりになった。
こう言えば、ディオも黙るだろうと踏んだのだった。
だが、その発言はディオの逆鱗に触れることとなった。
「このディオがそんな馬鹿みたいな真似をするものか! おまえのような低俗な生き物とは格が違うんだ!」
「う、うわっ」
ディオは殴りかかろうとしてジョナサンの襟を掴んだ。
上に引っ張られた寝間着は、ただでさえ捲られていた裾が腹当たりまで露出してしまった。
「……ウゲッ」
「あ……ッ」
中途半端に達した勃起は、まだ芯を持って頭を擡げている。
濡れた先端からは、とろりとした白ぬめりが垂れていた。
「その……汚いモノをしまえーっ!」
「き、君が引っ張るから!」
若い雄臭が、つんとして鼻につく。ディオはますます目をつり上げた。
「こんなことしているなんて……他のやつらが知ったら何て言うかな」
ディオは初めの目的を思い出し、ジョナサンを辱める言葉を脳内に挙げ連ねた。
「…………さあね……」
所が、ディオの思惑からは外れてジョナサンはやけに冷静だった。ディオは、「さてはこいつ、開き直るつもりだな」と表情から読み取った。
「ほう、まあいいさ。君がそんな態度をしてられるのは今の内だけだ。明日には君は街一番の笑い者さ」
「そうかな」
襟を掴んでいたディオの手に、ジョナサンはそっと自分の手をそえた。熱っぽい手の平が重なって、ディオは反射的に襟から手を放してしまった。
「こんなコト、みんなやってるよ……」
相変わらず、ジョナサンは目線を横にして、頬を赤くしたままだった。
それでも、口答えする姿勢がディオは大層気にくわなかった。
「みんなって、どういうことだ! 誰と誰がやってると言った!?」
「何だよ……むきになって。街の子たちだって、学校のやつらだって、オナニーくらいしてるよ」
「はあ? 何言ってるんだ? はは、さては「それ」のやり過ぎで頭まで性器になっちまったか!」
「……ディオは、子どもなんだよ」
「な……ッ、」
今度はディオが赤面していた。恥らいではなく、怒りによる興奮だった。
「男の生理がきてないんだろ。大人になれば、自然とこうするのが当たり前になるんだよ。……ぼく達の年齢になればね」
「だ、誰に向かってそんな口を……!」
「他の奴らも言ってたよ。ディオはまだあそこの毛も生えてないんじゃあないかって。別に、ちょっとくらい毛が生えるのが遅くたって、恥ずかしいことじゃあないさ。ディオは肌も髪の色も薄いし、体質だってあ……」
「ふざけやがって!!」
有無を言わさず、ディオはジョナサンに殴りかかっていた。もう泣きそうだった。
普段、街の子供らも、学校の連中も、自分を慕い、敬い、憧れて、自分に群がっているのだ。誰もこのディオを否定してはならないはずだった。
それが、このディオの身体を笑いの種にしていたと、あのジョナサンから聞かされることになるとは、夢にも思わなかった。何という侮辱だ。その話をしたやつも、その場にいたやつも、笑ったやつも、みんなみんな殺してやりたくなった。
「うぐ……ッ」
「ディオ。馬鹿にしてるんじゃあないんだよ……ただ、男ならみんなそういう話は、するもんなんだよ……君はそういう話題は全然しないじゃあないか。だから君がいない所で、みんな話してるんだよ」
腕の力だって、体の大きさだって、あそこだって、どこもかしこもディオはジョナサンより優れているはずだった。今だって、全力を出せば、ジョナサンの腕くらい振り払えるはずだ。
今は、ただ気持ちが昂ぶっているから、混乱しているから、いつも通りの力が発揮出来ないだけだ。そうなんだ。ディオは潤んだ目でジョナサンを睨み付けるので精一杯だった。
「君さえ……よければ、やり方くらい教えてあげられるよ?」
「な、何……を言ってる」
「ぼくもその、年上の、そういう話をする相手に色々教えてもらったりしたし……、そういうのって、周りのひとから情報得るのが一番イイらしいし」
「そんなもの、ぼくは君より色々知ってるに決まってるだろ! 馬鹿にするな!」
膝でジョナサンの腿を何発か蹴り、ディオは腕を引いた。それでもジョナサンは真面目な顔つきでまるで心配しているかのような目をして見つめてくる。
「本当? じゃあ……だったら、ディオもしたほうがいいよ。君がいつもイライラしてるのって……溜まってる所為なんじゃないかって……」
「うるさい!」
自分の性事情を気に掛けられることは屈辱以外の何ものでも無かった。誰がするものか! 自らの手で、あの部分を擦って、あんなきたならしい汁を飛ばすだなんて。
あんなものは、このディオの体内には無い。無くて当たり前だ。
ディオは、普通の人間とは違う。だから普通の「男」と同じなわけがないのだ。
「それとも、本当に「まだ」なのかい?」
息が上がった。ディオはジョナサンの股間を目掛けて、蹴りつけてやろうと足を振り上げた。
「うわっと」
腰を引っ込めて、ジョナサンはディオの足を避けると、バランスを失って、ベッドへと転がった。手にはまだディオの腕が持たれていた。
「ぐっ」
「んっ……う、ごめん……大丈夫?」
丁度、ディオの頭はジョナサンの胸元にあった。抱きかかえられるようにして、ディオはジョナサンの上に重なっていた。
「……離せ、離せったら!」
未だ掴まれ続けている手を引き、ディオは起き上がろうとして身をよじった。
「う……うん」
今度は素直に、ジョナサンは手を放してやった。あまりにもディオが必死だったので、ジョナサンは少し同情してしまった。
「ごめん」
もう一度ジョナサンは謝罪を述べると、ディオは唇を噛みしめて横目で睨んだ。
「……汚い!……おまえは汚い!」
ベッドから起ち上がると、ディオは触れられた場所を手ではたいて、そう吐き捨てた。
「じゃあ、君は穢れてないって言いたいのかい」
「そうだ! おまえらとは違う! ぼくは……このディオは……そんな」
口にしようとすれば、ディオの脳裏にジョナサンの行為が浮かんだ。かっと頬が熱を帯びた。
「変だよ……それって、凄く、体に悪いよ」
ジョナサンは、義弟の健康が不安になった。余計な世話だと分かってはいるが、ここまで介入してしまっては後にはひけなくなった。
「悪いわけあるか! おまえのほうがおかしいんだ! 毎晩のようにしやがって、気が狂ってる!」
「な、何で知ってるんだい……」
ジョナサンは指摘されると、再び顔が赤くなってしまった。確かにここ最近は、夜になると自然と自慰行為をしてしまっている。
「毎朝、毎朝、精液臭いんだよ! 馬鹿が!」
行為の後はきちんと手を洗って、濡れた箇所も拭いているし、寝間着や寝具も清潔に保たれている。それでも敏感なディオは、義兄のかすかな違いを嗅ぎ取ってしまう。
それはディオがジョナサンを意識しすぎている為でもあった。
「それは……悪かったよ……すまない。でもそれとこれとは違う話だろ」
「ぼくはしたくないし、これからもしないと言ってるんだ! やりたくなんか無いって言ってるんだ! 構うな!」
そう訴えると、ディオはジョナサンに背を向けて歩き出した。最低、最悪の気分だった。もう寝て忘れてしまおうと、決めかけていた。
「分かった……、やっぱり君は、「子ども」なんだ」
ベッドが軋む音がして、嫌な予感にディオが振り向こうとする。両肩を持たれて、ディオは耳元に唇の気配を感じた。
「ひ……っう」
「これが、「気持ちのいいこと」だって、知らないんだ」
「くっ」
身を強ばらせていると、ジョナサンはそっとディオの腹周りを撫でた。背から首筋まで肌が粟立っていく。ディオは硬直していた。
「大丈夫だよ……知らないってことは、全然怖くなんてないし、恥ずかしくもないよ」
急激に大人へと変化していくジョナサンの腕や、手や、声に、ディオは言いようのない劣等感と寂しさを噛みしめていた。
「……あれ……おかしいなあ」
やわやわと服の上から何度もジョナサンはディオの陰部を揉んだり撫でたりしていたが、一向に硬くなる兆候は見られなかった。
ジョナサンが下手なことと、ディオの緊張が相まって、性器は起ち上がってくれそうもなかった。
「だから、いいと言って……」
勃起こそしてはいないものの、ディオはこの異様な空気とジョナサンの甘さに酔わされていた。一体どういうつもりなのかと、問いただしたかったが、うまく口が回らず、大人しくジョナサンの寝台に横になってしまっている。
着衣はしたままで靴を脱がされ、布の上から肌をまさぐられる。そのもどかしさが、やけに切なかった。
「……人にするのって、自分のとは全然違うんだね。加減が難しいや」
ジョナサンは、ディオの下半身から顔を上げると、申し訳なさそうに言った。
「も……う、いいだろ」
ディオはくったりとして、だるい体を持ち上げて、掠れた声で返事をした。
「ん……ううん……」
先ほどまで下にあったジョナサンの顔が、突然ディオの目の前に現れる。
「げえっ」
「ん……」
厚みのある唇が小さく窄まれて、ゆっくりと近づいてくる。
「何をする気だっ」
手元にあった枕をジョナサンの顔に押しつけると、ジョナサンはもがもがと何かを言いながらシーツに倒れた。
「だって、順序……守ってなかったと思って」
「何のだ……」
「いきなり、その「あそこ」に触ったらダメだって教わったの、思い出して。最初はキスから始めなきゃいけないんだって、言うだろ?」
「知るか、そんなこと……!」
一呼吸置いてからディオは、気がついた。
「ジョジョ、おまえ……今、このぼくにキスしようとしてたのか!」
「そうだけど」
「な……ッ、何を考えて」
「だから、えっと、その……そういうこと」
「キスがどういうことか知ってるのか!」
ディオはキスの経験だけは何度かある。触れるだけのものや、奪うだけのもの、ほとんど感情なんて入っていないものばかりだった。
「それくらい分かるよ」
「だったらダメだ!」
同性だからいけないというより、ディオにとっては「ジョナサン」だからしたくないという気持ちが強かった。してはいけない。「したくない」とは違った、何か別の違和感があった。
「嫌だって言うなら……無理にはしないよ」
ジョナサンは自分の唇を指先で少しだけ撫でてから、口を閉じた。
だが、またジョナサンの顔がゆっくりとディオの側に近づいてきた。
「あ」
ディオが声を出した瞬間と同時にジョナサンは丸みのある頬に口づけていた。
それから唇は、こめかみを渡り、耳元、首筋へと流れていった。
「は……っ、うう」
くすぐったさと、奇妙な浮遊感にディオは視線を泳がせた。ジョナサンの吐息が直接肌にあたって、暑苦しかった。
「あ……あう」
唇の薄い皮が湿っぽく、ディオの肌を濡らしていく。触られていく箇所から、溶けそうになる。
「ボタン、とっていい?」
首元まできちんと留められているシャツのボタンを外す許可を求められる。
ディオは返事が出来なかったが、ジョナサンはそのままひとつ、ふたつ、とボタンを静かに外していった。
シャツが開かれると、きれいに浮き出た鎖骨を舌がなぞっていった。寒気とは違うのに、ディオは肌がぞくぞくした。
自然と腰が動いた。膝が立って、尻が浮く。
「ふ……っ、ん」
滑らかな肌の表面を、ジョナサンはじっくりと唇で探った。
やがて、素肌の上に存在しているぽちりとした突起に気がつく。それまでは気にも留めなかった、ささやかで控えめな器官だった。
ふっくらとして、でもこりっとして芯のある、淡い色づきを持った尖りが、つんと胸に聳える。
「は……っ」
「んむ」
ジョナサンは鼻先で乳輪をなぞってから、ツンとした先を唇でくわえた。
ちゅう、と音を立てて吸うと、面白いくらいにディオの身体が跳ね上がった。
「ひゃ……っ」
陸に打ち上げられた魚のように、総身がびくびくと上下する。その動きに合わせて、寝台がいやらしくぎしぎしと鳴った。
「あ……、ねえ、今のって」
他の誰でもない、ましてや自らの手でもない。ジョナサンによって目覚めさせられた、ディオが知る初めての「肉体の快感」だった。
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