人はいつでもひと~り~
だから友を求める~
さりげない優しさで~つながる喜び~ハンディハン~♪
君は今、誰かと時を分かち合っているのか?
君は今、自分の場所を見つけ出したのか?
人は孤独を知って初めて愛感じる
何気ない一言で消え去る寂しさ
初代テニミュ、いいよね。
初代はいつでも偉大ですね。別格といいますか……
セラミュも初代でした…大山アンザちゃん時代や。生まれて初めて見たミュージカルやったで…。
かれこれ10数年前にキメル様(不二くん)のこの歌を聞いてから
ふとした時に口ずさむ曲です。
みっちゃんは、ほーんと良い歌詞を書くよねえ
佐橋神(作曲)、三ツ矢神(作詞脚本)、上島神(演出振付)この三強時代に見れた幸せよ。
今は、各先生も続行しつつも、他のスタッフも関わってるって形なのかな。
1stの比嘉戦で、確か三ツ矢先生が作詞に専念したいからって脚本を下りて、他の人に変わったら
微妙に、違和感?があったのか、賛否両論あったとおもう
それは上島先生が演出おりた時も色々あったらしい。(その時はテニミュから遠ざかっていたのでよく分からず)
一度、ブランドが確立すると、なかなか世代交代的なものは受け入れづらいもんですな。変化を恐れる生き物ですけん…。
テニスも遊戯王もNAS、マーヴェラスが関わってるね
私はラルクが好きなので、よくマーヴェラスとマーヴェリックを間違えます
マーヴェリックはラルクのプロダクションです。
そんでもって、個人的に忘れちゃなんねえ存在が、片岡氏
ん~~~~まあね…テニミュにズブズブだったころは、いろんな話を聞きました
近い距離にいましたからね…
すごい方だってのは分かってます…
遊戯王を好きになって、改めて氏の活動を知った時
なぜか「ぐ、ぐぬぬ…」と思ったもんです
かざしゅんとつだけんのキャスティングか……
片岡氏、ありがとう…
そう言わざるを無かったのだった…
今はもうブログのサーバーが無くなったらしいので、見れないんですけど
その経緯のエピソードが語られてましたね
テニスもそうですけど、声優一本でやってる方より、舞台などで活躍している俳優を持ってくることがおおいですね
イメージを持ってない人を連れてくる、のかな?
私が好きなキャラは、だいたい俳優から声優はじめた人が多いなあ
王様しかり、社長しかり
そして幸村部長も
サチン!!サチン!!
王様、社長、部長、てw
どんどん下がってませんか?w
――
引き続き、ネガティブな萎えの話
萎えがあれば萌えがある。萌えがあれば萎えがある。表裏一体、光と影よ。
私はキャラクターのステレオタイプが苦手です。
ステレオタイプを辞書で引きますと
→一定の社会的現象について,ある集団内で共通に受入れられている単純化された固定的な概念やイメージを表わすものとして用いられる。通常それは好悪とか善悪の感情を伴った「できあい」の概念,あるいは「紋切り型」の態度というふうに訳される。
ですって。(コトバンクより)
先入観、共通認識、固定観念、ですかね。
よく私がブチ切れてるのは、
例に出しますと
幸村精市くんの「魔王」化ってやつです。
似たタイプの話ですと、不二くんの腹黒もありますね。
分かるには、分かるんですよ。
キャラクターのステレオタイプっていうのは
いわゆる、大衆受けする、みんなが持ってるイメージ、ネタにしやすい、分かり易いってことなんですから。
私は、それが嫌なんだからしょうがねえけど。
これはアニメや漫画のキャラクターに限った話じゃなく、実際にいる人間にも言えることであります。
若手俳優のファンをしていた時に、辛かったのは、本人の意志に関わらずそういう認識を、周囲から植付けられる状態が、しんどかったですね。
幸いにも私が好きだった人は、かわせるタイプの人だったので、うまいこと呑まれずに自分のペースを持っていてくれました。
ウケるか、好かれるか、に重きを置いてしまうと、どんどんその波に持っていかれて自我を失いかねない。それはそれで、うまく生きていく方法なんでしょうけど、精神的に病みそうです。
できる人とできない人がいる。できるから世渡り上手ってわけじゃない。そんなの飽きられたら使い捨てられるだけだもの。
魔王化で萌えてる人もいるなら、それは全く問題なくて、それはその人の萌えなんだな、ってこと
ただ、そうした方が「楽」だから、っていう共通認識があるっていうのは、
どうしても納得がいかない!と、ムカついてしまうもんです。
ざっくり言ってしまえば
解釈違いってやつなんですけどね…。何にでもそれが答えになる。
幸村くんに限らず、たとえば強いキャラクターに関して
「性格を悪く」するっていうパターンも、よくあります。
これ、遊戯王だと、王様にも言えることだと思います。
な、なんでそうなる…。
なんでそんな性格悪くなってるの?
イミワカンナイ…
強い人間って性悪ってわけじゃないのに……
これ解釈違いですねって、簡単におさめていいもんなんだろうか、って考えてしまう。解釈の問題か?
こんなの、改悪でしかねーだろ!!
とブチ切れたりします。
漫画やアニメ、ゲームの展開や、性格、ストーリーに一喜一憂して、時には本気で怒ったり泣いたりしてしまう。
そんなとき、おなじオタクの友人に「入れこみすぎだ」と言われたことを思い出す。
その時は私と、もうひとりの友人が、とあるゲームの内容にブチ切れてて
それをなだめようとして、言ってくれたんですね。
でも、やっぱり本気で楽しんでいるからこそ、感情も本気になってしまう。
上記のように、いちいちブチ切れてしまうのも
それぞれのキャラクターに対しての思いが、ひとりの人間として接するものとしているから、
怒ったり悲しんだりするんだと思う。
そして、それくらい本気になっている場合は、好きだからだ。
好きだから、好意的に解釈はするし、擁護するし、ポジティブにとらえる。贔屓もしている。
好きだからだ。
好きな人が蔑ろにされ、穿った目で見られ、レッテルを貼られるのは、許せないのだ。
いちいちそこに食ってかかって噛みついてる(苛ついてるだけですが)ようでは、まだまだ未熟なもんです。
そこは精神の大人が
そんなものは見ないのよ
そんなことより、自分の好き、萌えを表現しなさい
と言いますけれども
くさいものに蓋 じゃねーか!!
事なかれ主義かよ!!
争いをしたい、わけじゃないんです。
ただ、見て見ないフリをするのは、違うと思うのです。
もし、私と同じ、似た考えを持つ人がいるのなら
こんな内容の意見を知ったなら
それで、元気が出る人がいるのかもしれない、安心を覚える人がいるのかもしれない。
もちろん反対の意見もある。怒る人や、ハァ?って思う人もいるだろう。
さまざまな意見、考え、話があるということを
示したいだけだ。
これもひとつの形なのだと、言いたい。