キミと話がしたい
- 2017/11/08 02:25
- カテゴリー:海アテ(YGO), ジョナディオ(JOJO), 雑記
固定の話をしよう。
萌えにおける固定の話だ。
固定ってなんですか?
私が使う、固定のことは
たとえば、ジョジョだったら
私の自カプは ジョナサン×ディオ
これが
ディオ×ジョナサン(逆)、
ジョナディオジョナ(リバ)、あるいは、ディオジョナディオ(リバ)
になることは、無い。
そしてそれに付け加えて、
他×ディオ
ジョナサン×他
になることもないんですね。
ジョジョの場合は、公式で相手がいるので、(ジョナサンにはエリナという奥さんがいます)
そこのあたりは、またちょっと違う話になってしまう。
この場合、エリナの存在を否定する気はなく、むしろ私は好意的に解釈をしていて、しかしカップリング自体として考えると同時にはありえないもの、全くの別物として考えています。萌えとは別物です。
つまりBLに限った話では、他のキャラクターとカップリングになることは無いってことです。
勿論、
ディオ×他
他×ジョナサン
もあり得ません。
これが私の言う、考える「固定」の概念です。
そして、さらにややこしいな、と思うのが
同じキャラクターとして、複数いる場合の話。
これまたジョジョを例にしますと
ディオ
と
DIO様
は別物であります。
ですから、ジョナディオ固定の私にとって、ジョナDIOはまた別の萌えになるので、
やや微妙な話になります。
同一人物だが、=ではない。≒ ニアリーイコールである。ここらへんがまた難しい、ややこしい…面倒な部分だと思います。
ディオとDIO様の違いとなると、大きな部分では、やはり肉体が違う、ということ。
気持ちの上では、ジョナサン×DIOは成立してもおかしくないし
原作後に出たゲームでも色々と萌えはありました(ASBなどなど)
けれど、萌えとして考えるとなると
肉体関係がネックになります。どうしてもセックスは出来ないのです。肉体が攻めのものだから。
それと、やはりディオとDIOは、限りなく近しい別物、という見解であり
どちらかというと、DIO様という存在自体が、ジョナサンとディオが合わさった(ほんとそのままの意味で)結果の姿、ということなので
やはり違うものだ、という答えがあります。
(サイト内の作品でCP表記がジョナDIOのものがいくつかあるんですけど、ジョナディオを経た上での、完成した形のパラレルみたいな話ばかりです)
そこで、海闇
これも大変ややこしいですね。
海馬くんと王様(闇遊戯)、
海馬くんとアテム
セトとアテム
公式パラレルも含めたらもっと増えるんですけど、基本的には原作中に出てきたものだけです。
海闇、原作連載中の時間枠としての話はこの表記であり
劇場版後は、海アテ、という見解です。
闇遊戯、もまたアテムなので
すべてのカップリングは海アテっちゃ海アテなんですけどね…。
私の考えでは、闇遊戯とアテムは、完全なる=です。
しかし、セトと海馬くんは、=ではないです。
≒ ニアリーイコールでも無い気がします。前世ではありますけど。
ハマった当初は、私はおそらく「セトアテ」が書けるような気がしていました。
しかし、原作を読み、劇場版を繰り返し見て
萌えが深まると同時に
考えても考えても、
どうしても、海馬くんとセトが=にはなりませんでした。
確かに、作中では明らかになっていても、別の人としてしか考えられなかったのです。
もし、私が連載中からファンで追いかけていて、萌えがあったなら、また違ったとらえ方が出来たのかもしれませんが
完結した作品の続編から入った身としては、
感情移入の先が、海馬瀬人だったので、どうにも彼を中心に物事を考えるようです。
おそらく、海馬瀬人という人間が、前世を完全には受け入れていない、からか?と思います。
(認めざるを得ない経験はしていても、前世の人間と、今を生きている海馬瀬人本人が、同じだというのを受け入れるのは、当人からしたら不本意極まりないと思われるからです)
小難しい言い方をしてしまったので、ハッキリ申し上げてしまいますと
海馬瀬人は、海馬瀬人である、唯一無二の存在である。誰かのコピーじゃない、ないないんだ~~~!!!(ソングバイよしいかずや)
メタ的発言をしてしまうと、セトの設定が後付でありますやん…海馬瀬人ありきやん…?もし初期からそういう話にするってことだったらスイマセン。でも海馬瀬人ありきですやん…?
なんでわざわざこんな話を書いてるのか、
必要なくない?って思うよね。そうおもう。でも、なんかどうしてもモヤモヤしてしまって
自分を納得させるために書いています。
こんな人間もいるんだ。萌えは千差万別なんだ。
みんな一緒にたのしく萌えよ~ってタイプじゃないやつがいたっていいじゃないか。
それと、ここ何年かで「固定」の意味が変わってきたんだな、という実感もあったので、
私はこう考える、
私はこういう思いである、というのを示しておきたかったからです。
ブログはそんなに見ている人もいません。そもそもサイトに人がきません。だからいいんです。
わざわざこんなところまで来る人は、
たぶんきっと、好意的に見てくれているのだと思うから。
まあ、これを読んで反感を持ったとしても
それはそれです。
この考えが私個人、ひとりのものであるので
それに反対することも、同意しかねるという意見も、その人の持った意見や感想だと思うので、それはそれでよいのです。
否定したり、叩いたりしたいわけじゃない。
好きや嫌い、苦手や萎え、好み、主義や主張は、話してはいけない内容ではないでしょう。
それがその人を作る元ですから。
もちろん、ポジティブな元を話したい、アピールしたい、その方が良いと思います。明るい話題でしょうし。
でも、これって暗くて、言っていけない、タブーなんでしょうか?
そういう空気になってしまっているだけなんじゃないのかな。配慮や遠慮をするのは、いいことです。
だからこそ、人それぞれの主義や主張を、ちゃんと持って掲げていなくてはいけない気がします。
あえて書きました。これが私の考えるCPの固定ということです。
私の主義に合わないから否定、拒絶します、ってことでもありません。
私は、私の考えと萌えがあります。
好きなことがある。そして嫌いなことがある。ただそれだけです。
ダメなものはダメです。嫌なものは嫌です。その裏には、何かが好きな気持ちと、譲れないものがあるからです。