短編書く練習
- 2016/01/15 03:20
下の続き
悶々とした日々が過ぎていった。
二つの季節を通り越し、秋口に差し掛かる頃になってもディオはジョナサンのカレンダーを眺める毎日だった。
最近のお気に入りは、三月の寝間着姿だ。基本的に背景や小物だけが季節感を演出していて、本人は常に半裸だ。
着崩した寝間着の裾から覗く臍が愛らしい。あまり形が良くないのも、ディオ的にポイントが高かった。――恋は盲目とはよく言ったもので、痘痕も靨。何もかもが肯定出来た。
流石にこれだけの月日が経てば、世間のジョナサンへの熱も下火になるかと予想していたが。増刷に増刷を重ね、本来、季節ものであるはずのカレンダーが、いつまでも店に置かれていた。
常に人の目につくので、ファンは減るどころか、じわじわとその数を増やしていった。
ディオはその現状を、あまり歓迎は出来なかったが、良いことがひとつあった。
販売元のホームページに、来年、新たに写真を撮り下ろしてカレンダーが制作されることが決定した、と発表がされた。
普段、感情を爆発させないディオは思わず「イエス!」と、PCの前で拳を振り下ろしたものだ。
そんな訳で、益々ジョナサンへの思いが募るわけだ。ディオだけではない。他のファンの老若男女も同じであったし、注目されれば彼に興味を持つものも増える。
ディオは、来年のカレンダーもまた同じスタッフで撮影して欲しいと願った。要望や意見は販売会社にメールした。しかし、自分が男性の目線からメッセージを書くのは気が引けたので、ディオは何となく十代の女子のふりをして、可愛い文章で頼むことにした。
恐らく、二十代の男性からのメールだって着ていることだろう。それでも、ディオは素直に「自分の言葉」ではキーボードが打てなかった。
ジョナサンに恋をしているのは、自分自身の内なる少女性なのだと、決めつけた。それがディオが男であるための尊厳だった。
小さな会社だったが、返事はとても早かった。わざと馬鹿っぽく演出した文面に対して、丁寧な返答であった。
会社としても、同じスタッフでいい仕事をしたいと願っていること。しかし、全く同じメンバーが揃うのはもしかしたら難しいかもしれない。それでも、あのカレンダーを愛して下さったお客様を落胆させるような結果は出さない。
大方、予想通りの返答ではあったが、熱意は伝わってきた。期待をこめて感謝を伝える内容のメールを打ち、ディオはやりとりを終わらせた。
ディオはいつくかの会社の顧問弁護士で、相談や書類作成などは殆ど自宅で行えるものだった。
実際に会社に出向くこともあるが、週に一、二回ほどで済む。毎日、会社に通わなくていいというこの条件に惹かれた。
それに、堅苦しいスーツも着なくていい。自分の好きなスタイルで居ていい。おしゃれなジャケットを選んでも、とやかく言うヤツはいない。
今日は、契約書の作成で市内にある会社に足を運んでいた。いつもなら車を手配して貰う所だが、その日はたまたま地下鉄の気分だった。
時間のかかる内容でなかったので、予定通りに仕事は終わり、あとは自宅に帰るだけだ。
ディオは、大通りに面している本屋に吸い寄せられていた。
大判のポスターが、書店のガラスに目一杯に貼られている。
見慣れた蒼い目が、ディオを見つめてくれているようだ。何度も見たはずの顔で、毎日眺めている目だ。
「……こんなデカデカと宣伝しやがって……」
ポスターの下には、来年のカレンダーの発売決定と、今年のカレンダーが販売中と書かれている。携帯カメラで撮影する人間もいるようだ。ディオも記念に一枚、撮ってみたかったが、女子学生の群に混じって同じ真似をする勇気が出ずにいた。
手にしたスマホを握りしめながら、はしゃいで喜ぶ若い娘らをディオは睨み付けていた。それでも彼女たちは無邪気に写真を撮るのだった。
もし若ければ、もし女性だったら、あんな風に、真っ直ぐに明るく憧れられただろうか。嗜好の同士と手を取り合って、彼を褒め称えただろうか。
きっとディオには逆立ちしたって出来ない行為だった。
「別にちょっと引き延ばしただけで写真そのものは同じだろ」
来た道へ戻り、ディオは後ろ髪引かれる思いで歩き出した。目を瞑ったままで、振り切るように一歩が出る。
早く家に帰って、おれのジョナサンを、おれだけのジョナサンを愛でればいいのだ。あんな大衆に晒されたやつの姿なんて要らないんだ。
ディオが次に目を開けた瞬間、視界は黒に染まった。くすんで、くたくたになった、よれたシャツの色だった。
「うゲッ!」
「……ッうわ!」
鼻先に衝撃が走り、ディオはその場に転びそうになった。よろけた片足を踏ん張り、ディオは顔を押さえながら薄目を開けた。
「……あ……あ、ああ、すみません。ぼーっとしてて」
いかにも鈍臭そうな男が、おろおろと手を差し伸べてきた。出された手を拒んで、ディオは目の前にある体躯を上から下へと視線を送った。
時代遅れのスニーカーは履き潰す直前で汚らしく、上は黒の着古されたTシャツに、下は洗ってなさそうなジーンズ。
先ほどぶつかった所為でなのか安物だからなのか、鼻からずり落ちる眼鏡。櫛の入っていない、ぼさぼさの髪。だらしない髭面。
「あ」
男は、更に間抜けな声を上げた。
ディオは眉を寄せると、鼻の下に熱いものが垂れた。
地面に滴ったそれは、血だ。
「ええと、ティッシュ! ティッシュッ!」
「うるさい! 大声を上げるな、マヌケ!」
顔面を男の胸板に思い切り強打してしまったディオは、鼻血を出してしまった。こんな時に限って、ハンカチすら見当たらず、ディオは手で鼻を押さえたが、血は止まる気配がなかった。
「うわああ、すみません! あの、ぼくの、職場がそこなので!」
「は?」
「と、とにかく、血が! 血!」
大騒ぎする男がわたわたと手や足を暴れさせるので、ディオは返って冷静になれた。しかし、今も血が鼻から流れる。頭痛もしてきた。ディオは男に言われるがまま、連行されてしまった。
一階にカフェがある古いビルに連れて来られたディオは男の腕に引かれて、二階へと上がる。彼はまだ動揺していて、鍵を開ける手がもたついた。見かねてディオが鍵束を奪い取り、扉を開けてやった。
中へ案内され、来客用のソファーにディオは座らされた。頭を上に持ち上げて、鼻をつまんだ。血が固まりかけている。もう止まったようだ。
「ティッシュ、あったよ!」
男が別の部屋からボックスティッシュを掲げてやってくる。
「……じゃあ、遠慮無く」
ディオは数枚取り、汚れた鼻や口元を拭いた。
「水道を貸して貰えるか?」
手にはべっとりと血がついてしまっていて、乾いたティッシュで拭いたくらいでは取れなかった。男は頷き、バスルームを指さした。
男の風貌に似合わず、部屋の中は案外に小綺麗で、センスを感じた。調度品もみな、高級そうだ。
洗面台で顔と手を軽く洗い流し、タオルも使わせて貰った。
「……おい」
「あっ……あの」
「このシャツ、どうしてくれる」
ディオのシャツには、流れた血がいくつかの染みとなっていた。
「血はお湯で流すと落ちやすいよ!」
男は名案だと言わんばかりに明るく話した。そうじゃあない、とディオは口角をひくつかせた。
「脱げっていうのかい」
「あ……ええと……その……」
男は困ったようにこめかみを掻くと、キッチンへ向かい、湯を沸かし始めた。少量の水はすぐに沸騰し、男は器に湯を入れた。
「ジャケットをそこのハンガーにかけて、シャツのボタンを外して待っててくれないか」
男は申し訳なさそうに言った。ディオは入り口の帽子かけにジャケットをぶら下げ、シャツのボタンを外してソファーに座った。
「で? どうするっていうんだ」
「ちょっとじっとしてて」
タオルを数枚と湯の器を手にした男がディオの前に屈んだ。そして、ずれていた眼鏡を外して、真正面からシャツを見つめた。
「こうすれば、落ちるはずだから」
男はシャツの裏にタオルをあてがい、表からは湯を染みこませたタオルで軽く叩く。作られたばかりの血染みは、ゆっくりと薄らいでいく。
ディオはしばらく男の真剣な作業を見守った。
瞬きも忘れるほどに没頭して、男は黙々と染み抜きを続ける。
ディオは、ある人物を思い起こしていた。
似ている。髪の色はブルーブラック、瞳はグリーン混じりのブルー、肌は日焼けした白で、赤みが差している。
カレンダーの中で見せる、強い視線を放った一枚がディオの脳内に映る。
「……ジョナサン……」
ディオは毎日のように呼んでいる名を口に出していた。
男がふと手を止めて、顔を上げた。
「ぼく……名乗ったっけ?」
「ジョナサン……?」
「え……ハイ」
「お、おまえが、あのジョナサンか!?」
「えっ……あのって、どの?」
「ジョナサンと言ったらあのジョナサンしか居ないだろう! あのジョナサンはあのジョナサンだ! 街中、いや国中で話題にされているカレンダーの男のジョナサンだろうが!」
「い、いや、いやいやいや、違う! 違うよ! 違う違う! 人違いです!」
「このディオが、あのジョナサンを見間違えるはずがあるかァー! 毎日、毎晩、見ている顔を、誰が忘れるものか! 誰が間違えるものか! おまえはジョナサンだ!」
「毎日……? 毎晩……?」
「あッ」
ディオは興奮のあまり立ち上がってしまっていた。ジョナサンは呆気にとられた表情をしていて、口をあんぐり開けたままディオを見上げている。
ディオは自分の短所をすっかり忘れていた。すぐカッとなって熱くなってしまう。うっかり自身の秘密を自ら漏らしてしまった。それも一番知られたくないであろう人物にだった。
「そんな熱心に……へえ、それはちょっと嬉しいかもしれないな」
ジョナサンはぽつりと呟いていた。それが確たる証拠となった。
「おい……今、言ったな。聞いたぞ。やっぱりおまえがあのジョナサンなんだな! 決定的な発言をしやがったな!」
「いや、違う。そうじゃあない。違う。違うったら」
尚もジョナサンは顔の前で手を横に振り続け、眼鏡をかけ直した。
「顔をよく見せろ! 前髪も上げろ!」
「うわっ、ちょっと……やめっ……」
ディオは眼鏡を奪い、乱れていた髪を持ち上げて、額を出させた。すると特徴的なジョナサンの男らしい太眉が出現した。
写真とは違って、あまり整えられていないが、それでも見覚えがしっかりとあった。角度、太さ、毛量、濃さ、どれもディオは見知っている。
「あとは……体だ! 脱げ! 裸を見せろ!」
「うっ、うわあああッ! や、やめてくれッ!」
「ええい、うるさい! 生娘じゃああるまいし、悲鳴を上げるな! おまえ、カメラの前では散々脱いでただろうが! 男一人の前で何を恥じらう必要があるッ!」
こうなってしまうともうディオは誰にも止められなかった。シャツを引き千切る勢いで引っ張り、ジーンズを破かんとして手が動く。
「それとこれとは全然違うだろお~~~ッ!」
涙目になりつつあるジョナサンは床に転がりながら、ディオの魔の手から逃れようともがいた。
「……あ……」
Tシャツが捲れ挙がり、ジーンズが半分ほど脱げかかり、ディオは自分の身の下で喘いでいる男の体に息を呑んだ。
身に纏っている服がいくら古く汚く安っぽいものでも、その一枚の布の下には形容しがたい美体が存在している事実は変わらないのだった。
「あ……ああ……う」
ディオはその場に座り込んだ。腰が軽く抜けてしまった。あれ程までに渇望していた、ジョナサンの生の肉体だ。
声も出ないし言葉も出ない。肩が震えた。全てが初体験だった。体の奥が熱くなって、頭がぼうっとしてくる。ディオは呼吸が浅くなってきた。
「……え……あれ? あ……うわわわわッ」
やがてディオは熱を出してしまい、そのまま憧れのジョナサンの胸板に倒れ込んだ。
――
うーん短編だったはずなんだがな。
まだ続くのか